喜びは心を軽くし、前へと進む原動力を生み出す。
怒りは心を薪に燃え盛り、障害を破壊する力を引き出す。
哀しみは心を重くする。そして苦しみと心を共にほつれ、霧散させていく。
楽しみは良い未来への期待を抱かせる。
喜びが現在得た燃料とすれば、楽しみは未来に期待する事で得られる燃料であり、
怒りが心を消費して破壊する力を生み出すとすれば、哀しみは心と共に自滅していく。
苦境を彷徨い続けると、真綿で首を絞められるような静かでゆっくりとした窒息感が心を襲う。
喪失を経ると、臓物にナイフを突き刺されたような、致命的な痛みが心を襲う。
人は感情の変化を起こし、感情の変化は環境の刺激によって引き出される。
何の変化が起きなければ感情は無味乾燥になってしまうが、望もうと望むまいと変化は起きる。
刺激によって起きると言えども、例え刺激が皆無だとして刺激がない事が刺激になってしまう。
何もせずに楽な姿勢で居続けるという仕事をする事になった。
けれど本当に何もしなければ人間は辛くなるもので、
それはそれで。何もしないという苦しみを負う事になる。
苦しみに圧し潰された心は一切の希望が見えなくなる。
自らに降りかかる全てが不平等でこの世全ての不幸が自分にあると感じる。
実際の所、大抵の場合はそれが事実な事も多いと思う。
そして、その苦しみはその人にとっては紛れもない真実である。
二人の人間が、一つの林檎を落とした。
一人にとっては大好きな林檎を落としてしまった悲しさがあり。
もう一人にとっては食べ飽きたが故に、大した悲しさはなかった。
二人の兄がいた。彼らの親はそれぞれ天へと旅立った。
それぞれは似た境遇を持っていた。
一人は兄が故に大変な重荷を背負わされたことに怒りを感じていた。
それ故に哀しみ半分清々半分で、感情はさしたる動きを見せなかった。
もう一人は兄が故に大変な重荷を背負わされたが、それを期待と責任として受け止めていた。
親の重荷を理解しその荷を分け負う事で親の世界が僅かに見えた。
そこで得た視点と同情故に、親を失った事を、己の一部が失われたかのように哀しみを抱いた。
責任を負ったから、善い事をしたから、悪い事をしたから、何もしなかったから。
だからといって、必ずしも感情が落ち込んだり、辛くないわけではない。
問題なのはここで述べた客観的なものではなくて、あなたが思う、主観的なもの。
あなたが生まれながらにして持った気質と、環境によって形成された気質は異なる。
同じようで異なり、異なるようで共通している。
苦痛に呑み込まれる時、あなたを支える事が出来るのはあなたの自信。
自信は自ら勝ち取ったものと、他者から与えられたものがある。
多くの人は、親から無償の愛として、ただ生きているだけで褒められたものとして。
根拠のない自信を与えられ、それは無意識に溶け、混ざり、自我を形成する。
一部の人は、それが抜け落ちてしまう事もあるだろう。
他者から与えて貰う事が出来なければ、自ら勝ち取る他に方法はない。
勝ち取る術と言えば、大抵の場合は責任を果たすこと、善い事を行う事が大半なのだろう。
けれどそれは唯一の正解ではなく、好きな事やただ無心に続けたものも、自信になり得る。
自信とはつまり、過去の累積を、正面から見つめる事によって抽出された心の雫。
例え見つめ難い過去であっても、真っ直ぐと見つめ、呑み込んで、消化する事が叶えば。
あなただけの心の器は満たされていく。
心の器を満たしていく過程で、人間は価値観を築いていく。
価値観は世界。主観的な真実。
満たされた器はその人だけの世界に呼応し、共鳴し、力を生む。
堆積した質量が重力を持つように、心の器が満たされゆく時、心もまた引力を伴い始める。
そうして一人で生みうる雫を超え、なおそれを呑み込む器へと変わりゆく果てに
あなただけの光が生じる。
光はあなた以外の全ての人間を感化させ、引き寄せる。
あなたの正体が善であれ悪であれ、育むもの滅ぼすもの、何がどうであれ。
それはあなたに引き寄せられていく。
そしてあなたは、見上げられる存在であり、全てと共にある存在へと変わる。
光り輝く星へと。
努力しても成功するとは限らないけれど、
成功するまで努力しないと成功しないのが大抵。
だから例え成功しなくとも、その努力の山は輝かしいものであって欲しいと思う。
生きていく事は苦しくて救いのない事もたくさんだけど、
それでも光はあってほしいと願うから。
私には私の、あなたにはあなただけの星があり、
自らもまた見上げる夜空へと昇る事を望む。