ハロウィン!
時は元禄、江戸の時代。
ある町に一人の男がいた。小麦色の肌に漆黒の髪が目を引く、豪放磊落で快活な男。
聡く、人を導く気質があり、良家の嫡男。言葉遣いは少しばかり荒かったが、善良で他人のことを慮ることができ、頼まれ事も二つ返事で応えては苦もなく遂げてしまう、なんとも優れた男であった。
ある一点を除いて。
────男は、刀を振りたくて仕方がなかった。
それも尋常に人と斬り結び、命を奪い合う死合の果てに果てたいと願った。
ただそれだけで生きていきたいと、それだけのために死ぬまで生きたいと焦がれてしまった。
だがこの時分に、刀一つで生きていくのはなかなかに難しい。
戦働きなどで稼ぐ時代は疾うに終わった。これからの世は国のため、そして家族のために学を身につけ、あくせくと働く時代だ。
だが、どうしても、それが無理な人間がいる。学があろうとも、ソレを抱いてしまったからにはもう手遅れだった。
剣の道の師、父は早々に見切りを付けた。
戦場を知らぬお前には、この世はさぞ生きにくかろう。剣を捨てよ。
……アンタがオレを否定すんのか。
学問の師もまた説得の末に遂には見切りを付けた。
あなたの人生には剣など必要ないでしょう。これよりは学です。剣を捨てなさい。
……アンタもオレを裏切って、諭すつもりかよ。
彼を慕った弟でさえ見切りを付けた。
兄上、もはや刀を帯びるなどお侍様でなければ落伍者です。剣を捨ててください。
なぜ、なぜわかってくれない。オレは、それだけあればいいと言うのに。
ただただ、全てが男を否定した。
剣を振るって生きる道は無いと、男の在り方を世界そのものが拒絶した。
そうしてただ縋るように棒を振り、人の仮面を被って無意味にも思える充実した生涯を送ることとなった男は、死の間際、何を思ったのだろうか。
果たして、その人生に────。
■勝負一番目
祓魔一刀流/女剣士
VS
夷狄確滅総合戦闘術/袴問孔利
西暦204■年、永慈◯年。
東京都心部の地下深く、一世紀前からそこに在る施設。
妖鐘研究局第十八研究所【神国の礎】、かつても今もそう呼ばれる部署。
人間も界異も半界異も全て等しく研究材料として、神の国の技術向上を目指す、今の世に有り体に言えば戦前から続く非人道的研究機関だ。
そこに一人の老人が訪れていた。
筋骨隆々の身体を着物で包み、彫り深い顔には皺と傷跡が浮かぶ。腰には二振りの刀剣を引っ提げ、隙の無い佇まいは抜き身の刃の如く。その壮健にして豪快な立ち姿は齢百二十余歳とは思えぬ、まさに怪人の如き老雄。
名を袴問孔利。神祇官位最高位の甲級神祇官にして、環境庁神祇政務官を務める人間だ。
では、何故そのような立場の男が非人道的な研究を厭わないこの施設の廊下を歩いているのか。
それは、
「おはようございます、閣下」
「……ご苦労。同志よ」
袴問孔利という男が、かつての旭日界異大帝国、大日本帝国における界軍第四師団師団長、界軍中将袴問孔利であるがゆえに。
護国の鬼は今の永慈の世で執念と共に生き続け、この日本に夷狄祓滅の悲願を成そうと暗躍していた。
重々しい自動開閉扉が開き男を出迎えたのは、敬礼する研究衣姿の者たちと、さまざまな薬品の匂いが充満した研究室。何に使うか素人には皆目見当もつかないような機器が辺りで稼働音を発し、幾つもの培養槽がその腹で何かを育む。ともすればサイエンス・フィクション映画の舞台セットと言われても頷けるであろう光景がそこに広がっていた。
そこで働く研究員にして同志である彼らの礼に頷きを返すと、袴問は早速近くに居た一人の研究員から書類を受け取り、目を通す。その内容は、今目の前に鎮座する巨大な培養槽の中身についての記載だ。
「して、進捗は?」
「申し訳ありません、モデルDMシリーズの最大の問題点である魂の不在問題は未だ解決できておりません」
「……ふむ。代案は?」
「NPCプラン、KBシリーズのアップデートプログラム、KBMCは現在最終調整段階となっております」
「ならば良い。このまま続けよ」
袴問はカツカツと下駄を鳴らして培養槽の下へと行くと、その強化ガラスの中身を見上げる。
そこに浮かんでいたのは人であった。
ケーブルのついたマスクで口を塞がれてはいるものの、その顔立ちは端正に整い、緑の液体に覆われた褐色の肌はしかしそれでもなお陽光のような温かみを思わせる。
目を瞑り身じろぎのひとつもしない姿は人形のようでさえあったが、しかしその身体は規則的に呼吸による動きを見せる。
女は生きていた。作られた生命として息をしていた。
ただひとつ、意識の根拠となる魂が無いことを除いて女は生きていたのだ。
「理由は?」
「ありとあらゆる方法を試しましたが、この肉体はあらゆる魂の生成を拒み、如何なる魂の移し替えにも対応しません。まるで、狂いなく当てはまる魂でも求めているかのように」
「……まあ、そういうこともあろう。廃棄も視野に入れておけ」
「はっ」
そこまで言って、袴問孔利はふと培養槽を見上げた。
その目に闘気が宿る。膨れ上がった気が空間を揺らし、そばにいた研究員が小さく悲鳴をあげて腰を抜かした。
提げる愛刀【鬼丸国綱】の鞘に手を置き、紙縒りを千切りて油断なく魂なきはずの入れ物を見つめる。
まさに臨戦態勢。
「……」
「か、閣下……!?」
「退がれ」
短く告げた、その瞬間────
「なんだか知らんが、これは僥倖ッ!!!」
「貴様何奴ッ!!!」
────剣の鬼が産声を上げる。
培養槽の中で、目を覚ましたソレが殻を突き破るようにして培養槽を蹴り破った。
そうして袴問が間髪入れず、躊躇いもなく抜き放った鬼丸国綱の斬撃を見事な空中での姿勢制動にて躱すと着地、すれ違い、抜刀。
「ヌゥんッ!!」
「おっと、こいつぁやるじゃねえか」
剣戟。響き合えば、互いに距離を取る。彼我の距離、僅か一間。
そろりと手を腰に回し、袴問は己の帯びていたもう一振りがそこに無いことを認めて、殺意を持って睨め付ける。
反対に、女はにかりと快活な笑みを浮かべて刀を八相に構えた。
「……手癖の悪い小童が」
「こいつぁしばらく借りてくぜ」
「野晒し真改はよく切れるぞ、お主に使いこなせるか」
「あんたとの縁も今切れたってこったな、ワハハ!」
「抜かせ」
踏み込み振り下ろし、袈裟斬りの斬撃が女を切り捌く瞬間逸れる。刀、【野晒し真改】の鍔で柔く受け止め弾き返し、そこに致命的な隙を生む。並の剣士であれば死を覚悟する隙、間合い。
受けには自信があったがそれでも痺れる手の感触に舌を巻きながら、女は即座にその隙を狙って野晒し真改を振り上げる。
がちりと嫌な音が鳴った。
「おいおい、あんたもしかして剣士じゃねえな?」
「如何にも。我は戦闘者、武芸になど溺れぬ」
「はっ、そうかよ。普通の剣士は今の間合、今の応酬でそれはやらねえもんな」
弾かれた刀を膂力任せに鋭く下に打ち下ろし、振り上げられる刀の鎺を柄頭で打ち据えて止めるなど。最高速、最大威力に乗る前に根本から威力を打ち消す、理には叶っているが、それをしようと考える人間は、為せると見極めて実行に移せる剣士はそうはいないだろう。
老人とは思えぬ豪胆さ、力強い戦闘力に舌を巻く。こういう手合いはいくらでも奥の手を隠し持っているものだ。自分とは違い、剣だけが戦いの全てではないのだから。
ここまで速さも膂力も拮抗しているとくれば、技では負けるつもりがない女とて負けを認めることはなくとも、不利を悟る。
そもここは敵地なのだ。周囲で動揺する者たちの中にこの戦いについて来れる人間がいないことなどは感覚でわかるが、しかしいつ増援が来るともわからない。
こんなところで終わるつもりはない。
ならば定石通り。
「逃げるが勝ち!」
「させると思うてか」
「当然、思ってはいないが!」
野晒し真改を納刀するや否や、踵を返して脱兎の如く自動扉の方まで走る女。その背に袴問孔利が斬りかかる。
その刃が褐色の柔肌を切り裂かんとした、その間際。
女が振り向いた。その顔にしてやったりという笑みを浮かべて。
「────祓魔一刀流、【牡丹】ッ!!」
霊力が膨れ上がる。その全てが全身に回り、純粋な膂力となる。
ダンッと右足で踏み込んだコンクリートの床がまるで蜘蛛の巣のようにひび割れて、研究室が震える。
反転攻勢に目を見開いた袴問のその手の鬼丸国綱、鍔へと敢えて野晒し真改の鍔を押し当て押し込み、全ての膂力をそこへ集約。衝撃全てを威力に変えて、弾き飛ばす!
「なんという威力……ッ!! 反閇歩法と祓魔一刀流の極まった次元での併せ!! 呵呵!! 貴様、至っているなッ!!」
「しらん!! 技には自信があるけどな!!」
「じゃじゃ馬が! まるで本物を錯覚するではないか!!」
奥へ弾き飛ばされた袴問への追い討ち、踏み込んでは平突きの構えにて迫り、胴へ向けて凄まじい脚力によって発生した速度全てを載せた一突き!
されど袴問孔利とて然る者。見事狙い済まされた鋒の行く末を予測すると、鬼丸国綱の柄で一撃を防ぐ!
「じゃあな、爺さん」
「ちぃっ、征くか、祓魔一刀流の女!」
「誰だか知らねえが悪くなかったぜ、アンタとの死合! 次は純粋にヤり合いてえが!」
しかし女の狙いは既に達成されていた。
重い一撃はそれを受け止めた袴問孔利をさらに遠く弾き飛ばし、対する女はダメ押しの蹴りを胴へ放つとそれにて反対へと跳躍。
「それとオレは女じゃねえ、男だ! 覚えとけ!」
それだけ言うと、褐色の女は脇目も振らずに出口を探して駆け出す。その豊かな胸の内に甦りへの、巡ってきたチャンスへの悦びを抱えて。
奇しくもその日は十月三十一日、ハロウィンであった。
■勝負二番目
祓魔一刀流/女剣士
VS
戦術的無外流/篠裏・トヲリ・コンラッド
十月三十一日、ハロウィン。
カボチャやカブをくりぬいて作る「ジャック・オー・ランタン」を飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習がある。
近年では様々問題こそあるものの、仮装を行う催しが大都市圏を中心に各地で行われているなど、一年の内でも大きなイベントの一つとしてその盛り上がりは相当なものだ。
そして、そんな催し事には感情が動き、穢れが湧く。境界異常の発生件数も跳ね上がる。
喧騒に隠れて、もしくは喧騒を逆手に取って悪事を働こうとする呪詛犯罪者も多い。
当然、境界対策課の仕事は増える。それはもう爆発的に。
「……」
境界対策課前線部隊祓魔隊第十班、自由を重んじる助っ人班の班員が一人、篠裏・トヲリ・コンラッドもまたそうして駆り出された一人だ。
もっとも彼女にとって、この仕事はある種の貧乏くじを引かされたようなものであったが。
(落ち着かないな)
普段の作戦用光学迷彩タクティカルスーツは今日は着用しておらず、どこにでもいるような十代の若者然とした格好。ヒラヒラとした袖やスカートは落ち着かないことこの上ない。
トヲリがこのような格好をしているのには理由があり、というのも警邏任務においては狩衣姿であまり市民や呪詛犯罪者を刺激しないよう、出来る限り市井に紛れ込む装いをするのが推奨されているからなのだが。トヲリとしてはむしろ普段の装いの方が隠密には適していると断言できたものを、珍しく集まった第十班の同僚に着せ替え人形にされこの体たらくである。
彼女は早く今日が終われと願いながら、誰かを探すように周囲を見ていた。
(……師匠、どこへ行ったのですか)
思い出されるのは白髪を靡かせながら雑踏に飲み込まれ……消えていった童女の如く小さな身体の己が師匠。
わー、などと気の抜ける声を上げながら連れ去られていったが、正直トヲリは自らの師の強さを知っているが故に身の安全自体はさほど心配はしていなかった。
が、ただでさえあまり得意ではない喧騒に一人取り残されたような気分になり、彼女自身、早めに師と合流したいという思いはあった。
「……?」
その時、師を探す中でトヲリの
瞬時に境界対策課のデータベースへアクセス。その横顔が紛れもなくある人物のそれであることを確認すると、そちらへ向かう。
このように目標の後をつけるならば、普段の装いであれば自らこそ適任であると考えるトヲリであったが、生憎と光学迷彩タクティカルスーツは今日は着てきていない。
このあまり動きやすくはない市販の服で尾行しなければならないのか、とため息を吐きたくなるのを堪える。
そもそも、その人物は本来この場にいるはずのない人間であり、確かならばそのような隠密をする必要もない相手。さっさと事情を伺おうと歩みを進める。
「……」
だが、気になったのは彼女の得物。あれは境界対策課データベースにある彼女専用の大型黒不浄刀剣とは似ても似つかない、あれは打刀だ。
どうしてか一抹の不安を覚えながら路地裏へと立ち入る。自動販売機の灯りだけが偏って道を照らすそこに、女は立っていた。
「……」
「アンタ、オレを追いかけてきたな」
「……」
声紋照合、完全一致。
声を出そうか躊躇った。トヲリ・コンラッドは人と会話をすることそのものがあまり得意ではない。否、自分の声が嫌い、というべきか。
兎にも角にもトヲリが気安く話す相手というのは大抵の場合は師匠や仲の良い班員のような身内相手のみであった。
目の前の相手がたとえ上の立場にある班長であろうとも、一度も話したことのない相手に自ら声を掛けるのは少しハードルが高かった。
様子を見かねたのか、女は振り向いて不思議そうな顔をした。やはりその顔は、傷こそないものの彼女のそれと同一のものであり、故にこそトヲリは自らの困惑が加速するのを止められなかった。
「なんだ、アンタ声が出ねえのか。じゃあ無理に喋んなくていいぜ」
「……」
「おう、気にすんな。なにせ」
その気遣いに会釈で返す。
そもそも彼女の雰囲気など知らない。会話をしたこともないのだから当然だ。しかし拭うことのできない妙な違和感が付きまとう。
ちりっと嫌な感覚が背筋に走った。己が師と戯れに真剣で稽古を付けてもらう時の、死がそばにあるような感覚。
果たして、その感覚は正解であった。
「これからアンタとオレは死合うんだからな」
「ッ!」
膨れ上がった剣気が、トヲリにそこが女の間合いであることを伝えていた。
相手からのアクションに対応できるよう身構えながら、すぐさま後ろに飛び退く。
「剣は持っているように見えなかったが、やっぱりアンタ剣客だろう。今の剣気で飛び退くのはそういうのを知っているやつだ」
「……」
「おうおう、そんな睨みつけてくれるなよな。嫌なら逃げてくれてもいいぜ、オレは辻斬りじゃあねえんだ」
まあせっかく見つけたのにヤれねえのはちょっと残念だけどな、そう言うと女は豊かな胸の下に腕を組んでトヲリの答えを待った。
どうにも、女は本気でそう言っているらしく、トヲリは少し毒気を抜かれてしまう。
「……質問する」
「ん、喋れんじゃねえか。そんな隠さなくても変な声じゃねえと思うけどな」
声が響く。トヲリ・コンラッドの声だ。
極めて自然になるように調整されているが、しかし注意して聞けばどこかチグハグな合成音声であることがわかる声。
意外そうに淡く目を見開く女を無視して、トヲリは言葉を続ける。
トヲリの疑念、その原因である女のことについて。
「あなたは境界対策課祓魔隊第六班の長を務める、
「あぁ? 誰だそれ。オレはそんなかたっくるしい名前の組合には参加しちゃいねえぞ」
その顔は、正に境界対策課前線部隊第六班を束ねる班長、第六班長のソレであったのだ。双子と言われても頷けるであろう顔立ちが訝しげに歪んだ。心底わからないという風に。
そんな彼女自身の答えからも彼女が第六班長の関係者である可能性すら薄くなった。ただ単に第六班長のことを知らないだけの彼女の親戚という可能性もあるが、それは今ここで話したとて判明するものでもないだろう。
「……なるほど。それでは、私が勝ったならば同行してもらう」
「ほう? いいぜ、やる気なんだな。そう来なくっちゃ」
嬉しそうに鞘を握った女は、確かに第六班長と似た別人なのかもしれない。
だが、その剣気は噂に聞く剣士第六班長のそれと違わぬ、正に達人の域に至った、それこそ見知ったものでは己の師匠と同格の業の気迫を伴っていた。
ゆえに職務の一環として彼女を捕縛するのはもちろんのこと、純粋に剣客として目の前の人物と切り結び、今の自分の実力を試したいとも、トヲリは思った。
剣客として逃れられぬサガだ。
「……戦術的無外流、篠裏・トヲリ・コンラッド」
低く腰を落として、独特の構え。形無しの型、一法実無外、斬るための絶対的な真理をのみ追求する無敵の剣。
その手に刀は無かったが、彼女の纏う雰囲気は正に剣士のもの。
「祓魔一刀流、
対する女は八相、陰の構え。
祓魔一刀流、魔を祓うべくして編み出された由緒正しき剣技。
妙な場所で老戦士より拝借した野晒し真改を構え、じりと一歩距離を詰める。
「へえ、せんじゅつ? だかなんだかは知らねえが、無外流か。随分と新しいのを修めてんだな」
「……新しい?」
「無外流って言ったら辻先生が十年近く前に新しく江戸で開いた流派だろう」
トヲリの頭の中を疑問符が埋め尽くした。何を言っているのか、この人は。無外流は今より数世紀前に辻月丹によって開かれた流派だ。戦術的無外流はその流れを汲む比較的新しいものだが、源流そのものは新しいわけもない。
そんなトヲリの視線に気がついた陽綱はバツが悪そうな顔で頭を掻く。
「あ。あーと、そうだったな。今は違うんだった」
「……?」
「悪い悪い、忘れてくれ。さあ、やろうや」
やはりやりにくい。どこか憎めない不思議な人物、そんな印象。
しかしそれは即座に改まった。
「せっかくだ。オレから行くぜ、
────たったの一合なんぞで死んでくれるなよ?」
ざりとアスファルトを踏み締め、陽綱が踏み込む。一歩にて数間の距離を詰め切り、頭をかち割る先手必勝の振り下ろし。
疾く、力強く、一刀流の名にふさわしい正確な一撃が風を引き裂く轟音を立ててトヲリに迫る。
「……っ」
目を見開く。目の前に迫る刃。だがトヲリとて、ただやられるために修練を積んでいるわけではない。
無惨に両断された斬死体が出来上がる寸前、刃が閃いた。
「……へぇ、面妖な絡繰だな」
「……」
キィィンと刃が反響し震える。
トヲリの服を内側から切り裂き、右腕が、黒刀が露出する。
それはトヲリの特異な身体、機械の腕、義肢から展開された蟷螂の鎌のような形状をした刀剣、マンティスブレードとも呼ばれる類の仕込み刀。黒不浄、その特注品だ。
刃と刃が交錯し、押し合う。女の膂力を、トヲリの力が僅かに押し返す。
その奇手を見て、陽綱は意外そうに笑った。
「妙な時代だ。オレのいた頃じゃ考えられねえ。なあ、絡繰剣士」
「君のいた時代は知らないが、私の体は確かに並のそれではないな」
「……だがまあ、アンタがどんな身体だってどうだっていいさ。今大切なのはアンタとオレ、斬り合ってどっちが強いか、だ」
割り切った考え方、自分と違い過ぎるものを前にした人間にしては割り切り過ぎかもしれないが、確かに裏表も憐憫も忌避も無いそれがトヲリには少し心地良かった。
ならば、ここは自分もその剣に応えるまで。
右の刃を押し込み、さらに逆袈裟斬りめいて左腕を振り上げれば、袖が内より切り裂かれもう一振りの刃。
適当な呪詛犯罪者ならば斬り捨てる奇襲の一撃は、しかし陽綱の着物の裾を切り裂くだけに終わる。上に跳んだのだ。
「おわっと。二刀流か」
「間合いは取らせない」
空中で身を翻して軽やかに着地、その間隙にトヲリが地面を踏み破る脚力で飛び込んだ。
戦術機動からの阿吽の呼吸を見定めた攻勢、機動戦への高い適性を持つトヲリ・コンラッドだからこその攻め手。
一閃、二閃。重なり十字閃。脆い剣ならば受け止めた上で切り裂かれるような力強く、精緻な斬。
「────戦術的無外流、弐太刀」
型無しの剣技、その第二撃。
一撃にて隙を作り、そこに本命となる命を獲る二撃目を放つ二撃確殺の斬。
陽綱が目を見開き、未だ足を着いたばかりの地面を踏み込むよりなお速く、斬撃が女を切り捨て……。
鋭く響く音が二回、空間を震わせて、喧騒も何もかもを置き去りにした。
「っ!?」
「強え。いいなぁ、アンタ……!」
今度はトヲリが目を見開く番であった。
弾かれた。剣客として、この感覚は師との鍛錬で腐るほど浴びてきた。ゆえに刃の震えからわかる。
だが、この二撃は己が師以外に対処してみせた人間などいない、トヲリにとっての必殺剣。それを、
「アンタの剣はまだ若い。振ってきた年月が……いや、違うな。アンタ、まともに打ち合った経験は驚くほど少ねえんだろ」
「……何故そう思う」
「才能もある、目も良い。だが、アンタの剣には打ち合いに対する怯えがない。かち合ったことはないが、暗殺剣の類と見た。違うか?」
「さあ、どうだろうな」
己の剣を明確に暗殺剣と規定したことはない。だが、それに類するものではあるのだろう。
確かに正面から打ち合うことはほとんどない。それは事実だ。
冷静に退いたトヲリへと、陽綱はゆっくりと歩み寄る。
彼女の言葉はトヲリ自身、わかっている課題だった。そして師からも同じことを指摘された。
だからこそ。
(ならば、ちょうどいい。あなたを倒して克服する)
トヲリ・コンラッドは幼き日の事故から、その身体のほとんどが人工義体、全身義体のサイボーグ祓魔師である。
様々な事情あって、日本に流れてきた彼女は第十班に所属し、祓魔剣士として師や仲間達に恵まれてここまで来た。
自分が機械の身体であっても紛うことなく人間であるということを、自意識でなく周りを囲む人間が彼女を定義していた。
ゆえに彼女はヒトの祓魔師であった。
だが、トヲリとて刀を握ったその日から、己が剣客という生き物の端くれであるということを理解している。
剣士と斬り結ぶこと、高みを臨むことに何ら感慨を抱かないような、無感情は持ち合わせていない。
「……へぇ。良い目をするじゃねえか」
トヲリの目に沸る炎を見れば、陽綱もまた脇構えにて応戦の様相。
若き剣客の勢いを前にして、それを受け止めぬほど狭量ではないつもりだ。
少なくとも陽綱自身の心情としては、若きの成長を喜ばぬ人間などいないであろう、というものであった。だから斬りたい、などという考えもそこに共存していたが。
(……二度、同じ手は通じない。それならば、弐太刀を繋げて、参太刀を……!)
弐太刀が二撃決殺の技ならば、次なる参の太刀は『独自の感覚、戦闘感によって相手の戦闘感を乱し、続く全ての斬撃が命を狙い続ける攻勢』そのもの。
奥歯を二回舌で叩く。視界のインジケータが正常に起動したことを示す。
低出力結界がトヲリの気配を、存在を希釈していく。対界異だけでなく、対人用にも調整されたトヲリ専用のサイバネティクス名伏装置だ。
それは紛れもなく、トヲリのもう一つの切り札にして、彼女の通り名の証左。
────その刃は透き通る。
「……」
一歩。
目を瞑り、静かに剣気を立ち上らせる陽綱へ。
二歩。
音を置き去りに、黒の両刃を夜闇に忍ばせ。
三歩。
ただ、葬る。
「────戦術的無外流、参太刀/暗刃」
“
手足の如く振るわれる二刀が闇の中で、ただ気配も音もなく命をなぞる。まさしく透明な剣。
「っ、見えた!」
高速の一撃が陽綱の肩を切り裂く。
舞い散るだけの鮮血を前に舌打ちしたい思いを堪え、トヲリは続くもう一撃を振るった。
「……いいもん見せてもらった」
半ばから断ち切られた黒不浄の刃先が宙を舞う。
果たして刃が突き付けられたのは装甲に覆われたトヲリの首筋であった。
「……負け、ました」
結果から言えば。トヲリの刃はまだ届かなかった。
浅く切り裂かれた右肩から流れる血は到底致命傷ではなく、傷は刀を振るう上では何ら支障無いだろう。
「見えていたのか」
「いや、まったく」
「ならば、なぜ」
「一回は受けざるを得なかったさ。傷が、次の太刀筋を教えてくれた、ってわけだ。はっ、アンタは良い剣士だ」
陽綱は笑った。この少女は斬るに相応しい、と。より強くなればさぞ楽しい死合いができるだろう、と。
ゆえに、野晒し真改を高く構え、振り下ろす。
若く強い剣客を、斬り────
「だから、アンタはもっと強くなる。楽しみだ」
捨てることなく。
トヲリの目の前で止まった刃は次には鞘に納められる。
顔を上げたトヲリの前に手が差し伸べられていた。
「悪くなかった。またやろう」
その笑みは屈託なく朗らかで、明るく、どこか狂っていた。
だが、月に照らされる太陽の女によく似た剣士は、どこか幻想的に美しく見えた。
□
人が生きていく上で、必要なものはいくつかある。
父であり師であるその人は、それこそ心であると言った。
誠実さや寛容さ、家庭を持てば大黒柱として支える男としての生き方を、あの人は説いた。
先生は、それは学だと教えてくれた。
先を見据える目、成すことを積み重ね、未来に繋げていく思慮深い生き方を、彼はオレに与えた。
弟は、それこそが愛であると微笑んだ。
無償の愛、広くを愛する嘘偽りのない真心。分け隔てなく、誰をも抱擁し、助ける生き方に、オレも頷いた。
それら全てを否定するつもりはない。
心も、学も、愛も、オレを形作り、生かしてくれた。
愛すべき、まやかしだ。
■勝負三番目
祓魔一刀流/大門陽綱
VS
羽々刈演武/死火
「江戸もこんなに発展するもんかね」
陽綱はまだまだ始まったばかりのハロウィンの喧騒の中を一人歩いていた。
彼女の格好は胸元を大きくはだけた和服姿で腰には帯刀をしているという、さながらファンタジックな女剣士という装いであったが、なんと今日はハロウィン。
周囲からは少しばかり目立ちたがりの仮装女、という印象に留まっているのは幸いだろう。
「にしても人が多いなここは」
賑やかなところは好きだが、しかし騒がしいところはあまり好まない。
この盛況な祭り事を否定するつもりはないが、個人的には長居したくはないというのが正直な感想だ。
若く有望な剣士、トヲリ・コンラッドと別れた陽綱は次なる相手を求め、東京は渋谷の街を彷徨い歩いていた次第であった。
とはいえ、先のように向こうから追いかけてきてくれるなどとは期待していなかったのだが。
「いやぁ、いるもんだなぁ」
その口元に笑みを浮かべると、陽綱はそそくさと再び路地裏へ足を運ぶ。その足取りは軽快で、喜色に染まっていた。
後をしっかりと追ってきていることを認めて、ぐるりと振り向く。
「しっかし、今日はやたらと後をつけられる日だな」
「アナタが誘ってるんじゃない。まるで発情期の獣みたいに
そこにいたのは赤い髪の偉丈夫。
背丈は七尺にも届こうかという大柄な筋骨隆々の男。腰に二振り刀を提げている姿は陽綱と同じ剣客を思わせるが、纏う剣気は邪鬼のそれ。
艶のある仕草が目を引き、どこか女性らしさを思わせるが、佇まいは猛者の中の猛者とでも言うべきか。知らず知らず、陽綱の握る拳に力が入った。
「そのふぇろもん? とやらが何かは知らないが……アンタ、人斬りだな?」
「あらご名答。というか、ずいぶん雰囲気違うとは思ってたけど、アナタもしかしてあの子じゃないわね?」
彼が言うあの子というのが何を指すのか。トヲリと出会う前であれば困惑していただろうが、今ならばわかる。
どうやらこの身は、第六班長、という人物に関係があるらしい。
陽綱にとってすれば最低限刀が振れて健康的な肉体であれば、誰かの関係者だろうがどうでもいいことではあったが、しばらくこの身体で生きるのであれば多少なりとも知っておくに越したことはない。
「アンタが言ってるのは第六班長とやらか?」
「? ええ、そうよ」
「アンタ、そいつについて知ってるのか」
「知ってるも何も、何回か斬り合ったことがあるもの。というか、そういうアナタは何者なワケ?」
陽綱の問い掛けになにも憚ることなく答えると、赤い髪の男は逆に陽綱に問う。
答えなど一つしか持ち合わせてはいない。
「オレは大門陽綱、剣士だ」
「オレって……年頃の女の言葉遣いとしては頂けないわね」
「仕方ないだろう。こんなナリだが、本当は……いや、何でもない」
「? 不思議な子ねぇ。まあいいわ、男勝りで生意気な子は嫌いじゃあないし」
まるで獲物を品定めするかのような、体を舐ぶるような視線に思わず身震いする。
自らの身を掻き抱くほどではなかったが、しかし妙な怖気を受けて、その不快感を隠さず陽綱が食ってかかる。
「アンタ、オレはこんなナリだが男だぞ。変な目で見てんじゃねえ」
「あら、そうなの? どう見ても熟れた女の身体だけど……」
「……あのなぁ」
「ま、いいわ。あなたの性別については、この後じっくり確かめさせてもらうもの!」
陽綱の言葉を遮るように、我慢できぬとばかりに。男は赤い髪を靡かせ、陽綱に迫る。
抜き放つは黒不浄、【大黒文字】。太刀に分類される刀剣型黒不浄。
疾さは先の無外流の女剣士の方が上であろうが、それでもなかなかのもの。大の大男がそのような速さで迫ってくれば、受け太刀が晒される気迫は相当なものだ。
「せぇあ!!」
「……!」
振り抜かれた大黒文字の一撃を何とか刃先で弾き、続く二、三の太刀をかわして、弾く。
陽綱の身体も女の物では大柄な方であるが、対する男はさらに大きい。純粋な力勝負では勝ち目は無い。
その証拠に二度弾いただけで痺れが走る両手に嘆息して、陽綱は攻めに出た。
達人同士の戦いというものは大きく分けて二つの展開に分かれる。
千日手のように拮抗した戦いが延々と続くか、または実に呆気なく終わるか、だ。
「祓魔一刀流、牡丹!」
男の四撃目に合わせ、前進。鍔迫り合っては意識を高めて押し込む。剣を固く握る手を、剣ごと上に跳ね上げて胴を丸裸にする。
守りに堅く、攻めに激しく。実直な理念を高い次元で極めた剣技は、体格差を易々と覆すものだ。
予想外の攻勢に目を剥いた男がわずかに怯む。そこにもう一撃。躊躇いなく、上段から袈裟斬りに男を斬り捨てる。
バシュッ、と血しぶきが飛び散って路地裏の壁を彩る。
陽綱にとって目の前の男は己と同格の見事な剣客であり、できるならばもっと長く斬り合っていたかった。
だが、死合というものは無慈悲に決着してしまう。
「ぐ、ぁぁあっ!?」
猫撫で声のように鼻にかかった声でなく、男らしい痛みを堪える声。
「まだやるか」
「ぐ、ぅうっ……やるじゃないの……! 油断したわ」
刀を支えによろめきながら立ち上がると、男は獰猛な笑みを浮かべた。
その目は未だ戦意を衰えさせておらず、むしろさらに燃え上がらせ、それは殺意にまで上り詰める。
ふわり、男の腰衣に連なる紅い人型の紙の一枚が屑になって散った。
「……奇術の類か。真に面妖なものばかり見るな」
「形代って言うのよ。アタシのは紅形代っていう特別製だけど」
今度は陽綱が瞠目する番であった。
今し方与えた傷は深い。致命傷のそれではなかっただろうが、斬り合いを続けるか否かについては判断を迫られる程度には深刻な傷であった。
それが一瞬にして、それこそ時間が巻き戻るかのように塞がったのだ。血が抜けて青くなっていた顔色も、すでに元通り。
何が何だかわからなかったが、陽綱の心に去来したのはただ一つ。
この剣客とまだ斬り合える。
そんな悦びであった。
「あの子に似てるからもう少し真面目な剣かと思ったけど、とんだじゃじゃ馬ちゃんね」
「あの子とやらの太刀筋は知らないが、オレは本気で斬るぞ」
「はぁ〜。見た目は似てても、こっちは剣鬼ね。まるっきし人斬りの剣じゃないの。びっくりしてイイの貰っちゃったわ」
そう言う男の声音は明るかったが、怒り、苛立ち、それら負の感情が滲み出ていた。
察するに、自らの油断ゆえにであるが、少し遊ぶつもりが手痛く噛みつかれたことへの怒りだろう。
「まだ名乗ってなかったわね。アタシは死火。今からアナタを負かして、無様な雌犬に調教してあげる剣士よ」
「馬鹿を言え。負けるつもりも、無様を晒すつもりも毛頭無い!」
「その言葉、ホテルでもう一回言わせてあげる♡」
“不浄狩り”の死火。呪詛犯罪指定指名手配犯、連続殺人鬼。
陽綱は知らないが、刀剣類を扱う呪詛犯罪者としては最高峰に位置する剣客の一人とされる男は、並の祓魔師はおろか、手練れであっても真っ向から真剣勝負を挑めるのは一握りの剣士である。
死火が、手を振るう。
大黒文字が消えて、もう一振りの刀がその手に現れる。
転移術式『アイカギ』により自らの体内から顕現させたそれは紛れもなく、“不浄狩り”の死火が手ずから狩った黒不浄。
「目醒めなさい、朔弥御前」
路地裏に差し込む月の光を反射して、黒い刀身が淡く縹色に、薄緑色に、金色に輝きを放つ。
【朔弥御前】。死火が元の持ち主を殺傷し、強奪した黒不浄の一振り。月の光に照らされて美しい姿を曝け出す、月下の美刃。
煌めく爽刃と対比するように燃えるような赤い髪を夜風に靡かせ、平正眼の構え。
正眼の構え、陽綱は息を呑んで男の出方を窺う。
纏う雰囲気が変わった。先までは正しく遊びがあった、今からは本気だとそう言わんばかりの剣気。
「死んだら、イヤよ?」
「……ッ!」
地を踏みしめ、一歩、二歩。夜に鮮やかな光の軌跡を残しながら、高速の突き。二連。
喉と心臓を狙う撃を鋭い音と共に弾く、二回。反撃に転じる、そんな隙はない。
下に弾かれた刃を振り上げ逆袈裟、間一髪、上体を逸らして回避。遅れた髪が切り捨てられて、幾らかはらりと地に落ちる。
「ほぉ〜、やるじゃねえか……!」
「アナタも、ね!」
「わっ、と」
距離を取ろうと後ろに片足を置いた陽綱に追撃の正面、首を断つ一文字斬り。
一気に脱力し、屈むことでなんとか回避。尻を突きそうになる間際にもう片足で地面を踏み締めて軸に、身体をぐるりと回し、極低姿勢からの回転横薙ぎ。
死火が跳んで避ければ、陽綱はその隙を差すことなく冷静に後ろに退く。
「くくっ」
「なぁに笑ってるのかしらぁ。もしかして怖くておかしくなっちゃった?」
「馬鹿言うな。こんなにも剣を浴びて、浴びせて、死を間近に感じているのに! おかしくなっている暇などない!」
「……ふぅん」
死火にとってはわからなくもない一方で、理解し難くもある感情。
極限の中で斬り合い、高みへ至らんとする剣客のサガ。
「オレは、このためにこの世に生まれ落ちた。それを実感している」
「あらそう。それは良かったわね」
「アンタには感謝する。だから、これはアンタに返す礼の太刀だ」
にやりと笑った。
正眼の構え、しかし纏う雰囲気は先までのものに非ず。
足を前に、地面を蹴り、零距離へ。振り上げた刀は唐竹を割る正面縦一文字。
「気張れ、女男ォ!」
「なによ、女男って!?」
憤る死火の感情を置き去りに、剣に親しみ剣を知る男の身体が自ずから防御に剣を構える。今その打ち合いにおける最適解、柳の構えは正直な真向斬りを擦り流す。
陽綱はそれを引き戻すことなく、振り下ろしたまま腕を上へ、斜め斬り上げの二撃目。返す太刀で弾かれる。
だが、振り払われてなお最短で刀を振り抜く、身体に無理を言わせた袈裟懸けの三撃目は、死火を驚かせるに足る猛攻であった。
しかし、甘い。
名だたる剣豪でも、この威力、この精度の斬撃、一撃一撃が必殺剣と言っても良いそれを三連撃繰り出せる者はそうはいないだろう。だが言ってしまえばそれだけだ。
この猛攻撃の後に残るのは、疲弊した隙だらけの身体。
余力を残した手つきで柄を手の内にて回し、最後であろう一撃を遠心力を加えた刃先で弾く。
ガラ空きになった胴へ、斬撃を返さんと構え。
獲った。そう確信した。
「まだ、だぁっ!!!」
「なんですって……ッ!?」
甘い。
陽綱の豪剣は止まることを知らず、さらに斬撃を重ねる。
弾かれた刀を無理やり引き戻しての左一文字。まともに食らえば高い身体強度を誇ろうが関係なく両断する一太刀。
「ちっ」
防御が間に合わないと悟るや否や、忌々しく舌打ちをした死火は朔弥御前の柄頭を小指でこんと叩く。
瞬間、辺りに霊力が放出された。それは朔弥御前が持つ能力、『事象の返還』の発動。
月が満ち欠け、時間が過ぎる。それを巻き戻すように、再び美しい月は昇る。
「っ、なんと面妖な妖術……!」
「ゴメンね、アタシってば負けず嫌いなのよ」
猛攻撃に晒される前の、万全な状態に回帰した死火は自らに迫る横薙ぎの斬撃を容易く弾くと、今度こそ笑った。
笑みと共に朔弥御前を振り下ろした。
「まさか、真剣のアタシをここまで焦らせるなんて、これは腕の一本くらいは覚悟してもらわなきゃ、ネ」
今頃、目の前の褐色女の視界はゆっくりと動き、走馬灯でも見えていることだろうか。
だが、殺すつもりはない。これまでの分、お返しをして惨めな姿にしなければ溜飲は下がらないというものだ。
事実、陽綱の視界はゆっくりと緩慢に動き、死火の斬撃が、勝利を確信した隙が見えていたのは間違いではなかった。
「終わりだと、誰が言った!!」
「は?」
死火の顔から表情が剥がれ落ちる。理解を超える、とはこのことか。
高位の剣豪ですらなかなか振るうことはできない、一撃一撃が極まった必殺の斬撃。その四連撃を放った後にも関わらず、陽綱の目は淡々と次の斬撃を見定め、姿勢を低く構えを取る。
練り上げられた剣気が、更なる上があることを示す。
蛟の構え。放つは祓魔一刀流が奥義。
「────祓魔一刀流、燕子花!!」
それは精密な狙いにより、相手の防御を掻い潜る一撃を放つ祓魔一刀流の奥義。
空間を引き裂き、風を縫い止めるが如く、疾く力強い刺突撃。
死力を振り絞って放たねばできぬような必殺の四撃を放ってなお、これぞ必殺の一撃と豪語できるであろう精密な一撃が、死火を貫かんと迫る。
「ぜぇえええい!!!!」
だが、死火とて然る者。死線は腐るほど潜り抜けてきた剣豪。
女性らしさをかなぐり捨てたような野太い声が響く。喉を狙う豪速にして強靭な刺突を、精緻であって剛力なる剣捌きにて操る刃先で無理に弾けば、逸れた刺突斬がコンクリートの壁を深く抉り取る。
陽綱の晒した致命的な隙、そこに返す太刀を見舞う。
「見事……!」
羽々狩演武、死条克殺。
相手が強ければ強いほど、狙いを過たぬ者であればあるほどに。
その技は強く、より残忍に斬り返す。カウンターの一撃。
陽綱は、それを受けてばっさりと切り裂かれた胸元より血飛沫をあげ、にかりと笑みを浮かべて血溜まりに倒れ込んだ。
「……何が、見事よ。アタシに形代二枚も使わせるなんて」
それを見下ろす死火は紅形代を用いると、自らの捩れ曲がった両腕を回帰させる。
もはや最後は意地だった。この女に形代があれば、押し切られていたのは自分であっただろうという冷静な剣士としての分析が、余計に神経を逆撫でする。
「楽に殺してあげるとは思わないことね」
「は、はっ……それは、お手柔らかに……ごほっ」
「ったく。死にそうじゃないの」
動かせば死ぬだろう。それだけの傷だ。
その上、結構な騒ぎにしてしまった。ヤツらが来る前にこの女を紅形代で回復させ、さっさと持ち帰らなければ。
善は急げと腰の紅形代紙を千切り、女の胸元に当てがおうとした死火。そこに待ったをかけるように路地裏に第三者の声が響く。
死火にとっては今一番会いたくない者達であった。
「御用改めである!! 抵抗すれば斬る!!」
「っ! ホントに、鼻がいいヤツら……!」
赤い羽織がたなびいた。
何らかの組織に属していることを表す赤の隊服に身を包んだ三人の剣士が、死火に向けて刀を構える。
三人が三人、並々ならぬ剣気を纏う剣豪達。それが徒党を組み、群れを成して獲物を仕留めんと、刀という爪牙を剥き出しにする。
「不浄狩りの死火! ここで会ったがなんとやら! 抵抗しなければ手荒な真似はしない! だが、指一本でも動かしてみろ! すぐさま斬り捨てる! というか死合え!」
「ほんっとーに血の気の多い子達ねぇ……!」
彼らの言葉に、死火は舌打ちでもって返す。
彼らは戦狼組。
正式名称は特別剣祀機動隊戦狼組。国家公安委員会管轄の国内における刀剣類呪詛犯罪に対応する組織。
死火もまた、これまで幾度となく斬りかかられた。もはや顔馴染みのようなものだが、彼らからすれば今日こそここで斬り捨てると息巻いているらしい。
こうなった戦狼組の隊士達はしつこくて面倒臭い。
「はぁ、仕方ない……腹立たしいけどアナタ達を相手取りながら、その子を回収するのは骨が折れるもの」
「拙者たちから逃げるつもりか! 待てい!!」
「陽綱ちゃん、生きてたらまたヤりましょ♡」
それだけ言うと、死火は踵を返して路地裏の闇へと消えていく。それを追いかけた戦狼組の剣士達も。
途端に、静けさが戻る。
残ったのは、冷たくなりかけている陽綱ただ一人。
「……楽しかったな」
掠れた声で、すでに遠くなりつつある手指の感覚を思い返す。
剣士として、斬り結んだ熱に思いを馳せる。
あんなにも心躍ったのは初めてだった。
今日だけで三人も剣士と斬り合った。老戦士と戦い、この時代の新しい芽と戦い、頂点の一角であろう剣士と戦った。
「現世、か。まことに奇縁なりし人生よ」
できるなら、後に駆けつけてきた三人組とも、いやそれだけでなく、まだ見ぬ剣客達とも戦いたかったのだが。
どうにも、この身体ではもはや戦えまい。先の剣士のような蘇りじみた妖術でも使えれば。そんなふうに思うのだが、まあないものねだりだ。
「こひゅ……」
口から溢れでた血が逆流して喉を塞ぐ。息苦しさに悶えるような力ももはや残っていない。
なるほど。斬り合いの末の死とはこういうものか。なるほど、なるほど。
心地好い。閉塞感と寂寥感に満ちた、何もかもを否定された人生の末路とは大違いだ。
これを望んでいた。望み通りだ。
だが、誤算もある。
未練とはおさらばできると思っていた。だが、死の間際に立ってまだまだ斬り合いたいと願ってしまう。
難儀なものだ。
(誰だか知らんが、この身体にも礼を言わんとな)
もはや声も出ず。
だが、どこか懐かしさを感じる面影を見せた今の身体に、最期はその正体に意識を巡らせようと目を閉じて。
ふと、新しい足音に気がつく。
(……こいつは)
足運びからわかる。強い剣客だ。
それも先の偉丈夫と比べても見劣りのしない、洗練された剣客の。
惜しい。心底に惜しい。未来の世にはこれほどまでに強い剣士が跋扈しているというのか。
寝ている暇は無い。
もっと、斬り合いたい。
「浪士組が慌てているから来てみれば……お前、何をしている」
「……」
「第六班長ともあろう者が、なぜこんなところ……で……?」
自らを見下ろす女の目が見開かれる。
次いで弧を描いて笑った。
ああ、その顔は────
□
オレは活きていない。
ただ教えられたもの、与えられたものを指標にそれらしく人生を送っただけだった。
本当は、オレがどんな人間なのか、何を思っていたのかなど、誰も知る由も無かったろう。
オレに妖魔を討つ力があれば、祓魔一刀流の剣士として妖怪退治ができたのかもしれないが、例えそうであったとしてもオレは満たされなかったに違いない。
病んでいる。ただ、静かに狂っている。
『なんと、なんと無意味に費やした我が人生か』
オレは誰からも大門陽綱という偶像を求められ、真に求めることはできなかった。
求めたならば、斬っていた。
オレが活きていく上で必要だったのは、剣の道ただ一本。
朽ち果てるまでの長寿など、人並みの幸せなど贅沢なものは求めない。
ただ、死ぬその時まで斬って斬られて、斬って斬って斬って、斬られて斬られて斬られて、無惨な斬死体を晒したい。
死の間際に、願ったのは。
大往生などでなく、死地で果てさせてくれなかった運命への恨み辛み。
我が善にして無辜なる偽りの生を見ておられたならば、何卒、何卒。
────剣の地獄に産まれさせてくれ。
■勝負四番目
祓魔一刀流/大門陽綱
VS
佐神水鴎流/アラサカの剣士
目が覚めた。
どこかもわからぬ。何やら寺の、切目縁の上で寝ていたらしい。
死んだと思えば寺で目を覚ます。なんともおかしな縁。
だが、生きている。
もしくはしっかり死んで、またも奇縁に導かれたか?
まあ、なんだっていい。
身体が動く。次の獲物を、次の死合を探さねば。
「目が覚めたか」
「……アンタは」
紺色の髪の、まるで抜き身の刃のような冷たい相貌の女が立っていた。
その顔を、陽綱は知っていた。
「なんぞ、アンタがオレの死に目に現れる死神ってぇわけかい」
「いや、違うが」
「ははは、冗談は通じない御仁みてえだな」
ゆっくりと立ち上がる。
境内で斬り合うのは流石に初めてであったが、目の前の女は今にも斬り合いたくてうずうずしているらしい。
陽綱もまた同じように。妙に切なくなるほどの熱望が、溢れて自ずと柄を握らせた。
体面も、罰当たりも、今はどうだっていい。
まだ生きている、目の前に剣士がいる、剣が振れる。ならば、もはや。
「アンタがオレのことを助けてくれたんだろう」
「まあそうなるな」
「なら、お望み通り……」
野晒し真改を引き抜く。
境内を満たす静寂の中で刃の音だけが響いた。
呼応する。凪いだ女もまた、背負った七尺六寸ほどの大太刀をくるりと回しながら抜き放ち、あろうことか片手で持って右へ左へ空を薙ぐ。
「斬り合おう。もはやそれしかない」
「応」
目の前の女が、どうして自分を助けたのか。聞かなくても陽綱にはわかった。
意識を失う間際に見た女の笑み。あれは強さを求め、剣理に死地を見出した剣客の笑みだ。自分と同じ、鬼の笑みだ。
だからこそ、死の淵にあった己を生き存えさせたのだろう。
確信を持って視線を投げる。
「オレは祓魔一刀流の大門陽綱。アンタは」
「……佐神水鴎流、衣川窓」
今は立場など関係がない。
ただ一人の剣客として、目の前の懐かしい顔をした剣鬼を斬らねばならぬ。
アラサカの副長として界異を相手に日夜刀を振るう女は、この時ばかり、理由なく刀を振るうと決めていた。
もう止められる気がしなかった。
「いざ」
「尋常に」
「「────勝負」」
声が重なる。
地を蹴る音が重なる。
視線が重なる。
金属の打ち合う音が響いた。
「その大物で擦り流し主体か!! 当世の剣士はどいつもこいつも面白い!!」
「そういう貴様は教科書通りの祓魔一刀流、よくぞ磨き上げている……!」
苛烈な三撃、右袈裟、左袈裟、翻って逆袈裟。大太刀が風を引き裂き、空気を巻き込んで三度受け流す。
衣川が半身引いて、後ろに戻した大太刀を勢いよく弧を描き振り下ろす。逸らされた剣閃が参道の石畳を斬り砕く。
紙一重、左八双からの弾きでもって衣川の斬撃を逸らした陽綱は映って下段構え、斬り上げで後隙を狙う。
しかしそれより早く刀を引き戻していた衣川には届かず、斬撃はあらぬ方向へ走った。
「ははっ、強いなアンタ。さっきの赤髪といい、どうしてこうも強い剣士がゴロゴロと」
「私は誰より強いぞ、心して来い」
佐神水鴎流とは、理をなぞる剣。
祓魔師の本懐足るは超常を斬ることになく、超常に耐えうる己を保つことであるとする、流れの剣。
その剣技を知っていたわけではないが、少なくとも太刀から衣川の流派の本懐、理をなぞる在り方を読み取った陽綱は、面白いと笑んだ。
「悪いが、オレの方が強えッ!」
獰猛に笑う姿は獣の如く、されどその剣はまさに理想の体現斯くあれかし。
平正眼、右の水平斬り、弾かれ。勢いを殺さず一回転、石粒を踏み砕き、半身ごと引いた切先を閃突。
より速く、より疾く。戦で研がれ、鋭さを増した妄執の剣が衣川の反応を超えて、一条閃く。ぴっと左の頬に赤い一線が走った。
交差した二人の視線が、喜色と悦に染まる。
「……私の意識よりも疾いとはな。なるほど、あの女と遜色ない。いや、教科書通りという意味では勝るかもしれんな」
「まるで、実戦力は足りてねえって言いたげだな」
「そうだ。実戦力、総合力ならあの女の方が噛み応えがある」
衣川の言葉は冷静で脚色なく、褒めるような意図も貶すような意図もなく。ただ所感としての事実を述べるのみ。
だが、不愉快ではなかった。
実戦力が足りていない、などというのは言われるまでもなく陽綱本人がわかっていたからこそ。
死の間際まで誰かと刃を交わしたことなど一度も無かったゆえに。
「だが、貴様。それほどまでに磨き上げた剣技、表に出ればさぞ高名を馳せるであろうものを、なぜ今になって現れた」
「今日、生まれ落ちたからだ」
「是非も無し。ならば貴様の生誕を祝し、刃をくれてやる」
「望むところ」
衣川が切り払って距離を取ると同時、一歩で大きく後ろに退がれば、前に倒れるように勢い付いた重心移動、踏み込み突貫、刃を突き出す。
鋭い牙突きに祓魔一刀流が奥義、牡丹でもって迎え撃とうとして、刹那に押し出した刃を引き戻す。
迫る突きを身体を逸らし、横に飛んで転がりながら回避する。
「……これを読むか」
「あぶねえな。それをまともに受けてたら、死んでたぞ」
衣川の太刀筋がカウンター偏重の流派であることを見極めていたからこその対応。
もしもあのまま受け止め、押し返そうとしていれはその力を波のように返されて手酷い傷を負っていたことは想像に難くない。
「ならば」
脇を締め、踏み込む。上段からの真っ向、振り下ろしが陽綱に迫る。
それはただの唐竹割りにあらず。そこに宿るは佐神水鴎流の理。
「────断滅ノ章、鴎断!!」
「防げぬ剣か!」
佐神水鴎流・断滅ノ章、理に沿って理を断つ。
五番【鴎断】は純粋な質量操作技。一歩目の踏み込みより、穢れの厚み、遮る守りを貫通する直線切。
その太刀は防御を許さず、また衣川の極めた一閃は弾くことも容易にさせない。
回避以外の選択肢を取らせぬ、豪の太刀。
ゆえにこそ、弾く選択肢しかない。
豪速果断の太刀をしかと見極め、剣先を当てて弾き返す。
教科書通りで、それでいて教科書ですら理想と断じるような弾きをしてのける。
「せぇあ!!」
「さばくか……!」
「祓魔一刀流、牡丹!!」
そのまま鍔で迫り合い、押し込み、押し斬るべく膂力を総動員する。
集中が、身体に宿った才能を起こし、無意識下での反閇歩法の使用を許す。
元より高い身体強度を底上げして、一気に押し斬る!
「────流転ノ章、淵返し」
「……っ」
その間際に、ふっと衣川の太刀から適度に力が抜ける。逆らうことなく、しかし芯はそのままに流す。
流転ノ章とは受けず、切らず、滑らせて返す。
二番、【淵返し】はその最たる技であり、攻撃を退かずに流して、相手の態勢を崩す剣技。
そうして生まれた隙を、むざむざ見逃す者などいない。
「────反衝ノ章、回潮」
反衝ノ章、衝けば返す、打たれれば打ち返す。
空間の流れ、霊圧の流れを把握し、受けた穢れ、剣気の向きを反転。直後に切り返すカウンター、布石。
そう、この技で終わりではない。
淵返しにより崩れ、回潮により致命的になった隙を斬って捨てる。
「我が剣にお前は何れを見るものか! 受けよ、奥義……ッ!」
「ちぃっ!」
空絶ノ章。切って終えず、残して祓う。残穢も無念も全て祓い清める儀式的終式。
流転、断滅、反衝、三原理を一連の中で同時に展開。作り出した刹那に放つ空絶の追撃。
以って四原理、まさしく奥義なりし、佐保の剣理全てを体現せし一刀は────
「────佐神水鴎流奥義、蒼刃・四葩」
青く煌めいた刀身が剣閃を描く。
空間に波紋を落とし、それはやがて紫陽花のような一輪の花の模様を描き出す。
相手の流れを、太刀を滑らせ、斬り、返す。一合刹那の完全同調技。
必殺の斬に、相手自らの斬による威力を上乗せする。
相手が強ければ強いほどに、その一太刀は深く蒼く咲き誇る。
「……ごふっ」
衣川の放った蒼刃・四葩の剣撃と、返された自らの剣のダメージ双方を受けて。
血を吹き出しながら、陽綱は膝をついた。
刀だけは取り落とさなかったのは、せめて剣士としての意地か。
だが、もはや虫の息と言っても良い有り様であるのは誰の目から見ても明らかであった。
「……は、ははっ」
自然と笑い声が溢れていた。
美しく、冷たい剣技に感銘を受けた。
身体に力が入らない。今の一瞬、自分は負けた。
そう、初めて死地の中で清々しく負けを認めることができた。
先の赤髪との一戦は心躍ったが、斯様な奇術妖術を使われては、個人的には無効試合だったのだ。
「……終わりか」
勝負はついた。もはや先はない。
立ち上がれば死ぬ、何もせずとも死ぬ。そういう傷だ。
衣川が残心のままに問う。
その声にはやはり感情は見えなかったが、これ以上続けるという意志はないようであった。
今この時までは。
「馬鹿言うなよ。もっとだ」
「……!」
「オレは勝ち逃げなんざ許さねえ。ああ、そうさ……! 今から、オレは、アンタに」
血を吹き出しながら、ゆらりと立ち上がる。
その目は爛々と輝いて、まるで悪鬼羅刹のよう。
だらりと垂れ下がった腕を引き戻し、大樹の如き八相の構え。
その目は、まだ死んでいない。
大門陽綱という刀は折れていない。
彼岸より咲いた遅咲きの桜は未だ散ってはいない。
「アンタに、勝つ」
力強い宣言と共に、前に足を出す。
大気が揺れる。聖なる地の気が、鬼の剣気に飲み込まれる。
一歩、畏れを知らず。
二歩、死を想わず。
三歩、心は剣理の先に至り。
四歩、技は冴え渡って。
五歩、今宵我が生は咲き誇る桜の如く。
「これで、終いだ。アンタこそ、とくと仰ぎ見ろ!!」
「来るか、桜の剣士」
気迫に押されることなどない。
むしろ、この剣士を真っ向からさばき、より高みへ至らん。
大太刀を両手で構え、陽綱の一挙手一投足を見る。どんな動きにも見切って一撃を見舞い殺す。
交錯した視線が、自ずと笑った。
「感謝するぜ。今日、死合った全ての縁に」
「……幽世の鬼が。ならば、望み通り祓ってくれる」
歩みを止めぬ一歩一歩が、ついに衣川の間合いへ至る。
馬鹿正直な前進、愚直なまでに前へ前へ。
剣戟の先に死地を求める男に相応しい気迫だけの呆けた攻勢、否、無駄な足掻きか。
それこそが否である。
「祓魔一刀流奥義────」
そこにあるのは技か。
違う。
そこにあるのは業か。
それもまた違う。
衣川が打ち込む陽綱の間合い外からの斬撃、その全てを真っ向から弾き、弾けず傷を受けても前へ前へ。
そこにあるのは祓魔一刀流免許皆伝、大門陽綱という一人の男の覚悟。
死地にて咲き誇り、朽ちることなく咲き続けるという覚悟であった。
「空絶ノ章、虚潮」
身体の傷は再生する様子などない。穢れもない。当然今対峙する剣鬼はただの人でしかない。
だが、その勢いだけが止まることなく再生する。再活する。
ならば、その気勢を削ぎ殺す。
空絶ノ章十五番【虚潮】は、対峙する相手の再生、再構築を止める一撃。空位の一閃。
斬撃そのものを弾く余力もなければ、弾けたとて儀式的効果を伴うそれを防ぐ手立てもないだろう。王手だ。
「
「なに……!?」
だが、陽綱は克服せしめた。
首を狙う神速の斬撃を弾き、気勢を削ぐ術理を気合いのみで突破する。
今や、その身こそがある種の霊的絶縁体。
「……なるほどな。反閇歩法ではなかったか」
極まる。
愚か極まり、感極まり、ここに艶やかに咲き極まる。
技は至り、心は至り、生き様がついに至った。
「────彼岸桜ッ!!!」
被弾上等、斬撃上等。
一歩踏み込めば、死中に活を見出し、それを手繰り寄せる超高度剣戟術理。
祓魔師一刀流奥伝、【彼岸桜】。
一太刀が、擦り流さんと柳に構える衣川を、その太刀ごと断ち切った。
「斬り捨て、御免」
「見事」
血飛沫が二つ、宵の寺を彩って。
二つの人影が地に倒れ伏した。
□
オレの人生に価値はなかった。
そう思っていた。今でも、運命の不条理を恨んでいる。
だが、そう悪いことばかりではなかった。
死するあの日、奇怪な妖術師に死後を預けて良かった。
そして、あの日まで、人のふりをして生き続けたことを良かったと思っている。
今なら、そう思える。
オレは今、こんなにも満ち足りているのだから。
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アラサカは、所謂民間のタクティカル祓魔会社だ。
混迷極めるハロウィンの街で、人手不足に手が回らない境界対策課のバックアップとして、他のいくつかの企業と同じように警備の任を与えられていた。
さて。
その実働部隊副長を務める女は、戦の高揚を冷ますように瞑想していた。
立場ある自分は容易に誰かと斬り合い、命を奪い合うということができない。
今日という日はまさに副長にとって幸運な一日であった。
爽やかな夜風が血の匂いを運んだ。
「人の刃は神に届かず。されど神の理は、人の刃に宿る」
「……佐神水鴎流の理念か」
「来ていたのか、■■」
月は高く登り、まだ街の喧騒は覚めやらない。
そろそろ戻らなければ、と思うもののなかなか余韻は終わらない。
どうしたものかと切目縁にて正座し空を見上げていた副長に、参道を歩く女が声をかけた。
その顔に、先まで斬り合っていた女剣士を見て、ふっと副長の口元が緩む。
それを見て、珍しいこともあるものだと女、第六班長は目を見開く。
昔から変な奴だが、鉄面皮は少しだけマシになったのかとかつての相棒の変わりように喜びもしたのは、第六班長の人の良さか。
「しかし、窓。お前が形代を三枚も切った上に取り逃すとは、どんな奴だったんだ」
今度は副長が目を見開く番であった。
そして、本気で言っているのか、とでも言いたげな目で第六班長を見上げると、ついには堪え切れずにぷっと吹き出した。
たしかに。
形代は三枚使った。自分に使ったのは一枚だけだが。
その上で取り逃がしたのは、普段の自分の仕事を考えればおかしな話だ。
「むぅ、何も笑うことはないだろう。おかしな奴だな」
「ああ、なに。お前を笑ったわけじゃない」
それで。立ち上がり、寺を後にすべく参道を歩き出して。
くるりと振り返り、副長は口を開いた。
「────まるで、お前みたいな奴だったよ」
その言葉に、第六班長は首を傾げるばかり。
その様まで、彼女に似ていて。
副長はもう一度微笑んだ。
「……そうか。まあ、お前が楽しそうなら、それでいいさ」
つられて、第六班長もまた柔らかな笑みをこぼす。
そこには、数年分の溝など今この時ばかりは無いようにも見えた。
二人並んで歩き出す。すぐに別れる縁だとしても。
「せっかくだ。もう一つの本物、貴様ともやり合いたい」
「馬鹿を言え。仕事中だ」
「釣れない奴だな」
ハロウィンの夜は、まだ終わらない。
スペシャルサンクス
黒隊長さん(第六班長さん)
グミさん(アラサカ副長さん)
キタミさん(篠裏・トヲリ・コンラッドさん)
霧島さん(死火さん)