デビルサマナー葛葉ライドウ 対 神魔狩りのツクヨミ   作:木下望太郎

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第一話  満月のツクヨミ、まつろわぬ者に秘宝を売り飛ばす

 

 ――その戦いの始まる、少し前。

 

 黴臭い広間の中、闇に覆われた天上を見るともなく見上げ。満月のツクヨミは、ふん、と鼻を鳴らした。

 

登美(とみ)のり子の奴め、よくもまあこんな辛気臭い場所を指定したもんだ」

 

 (ほこり)を払うように白いマントとジャケット――十六夜月(いざよいづき)のそれとは違い、やや余裕のあるサイズ。ただしマントの裏地は燃えるような赤だ――を払い、男としては長い黒髪を揺すった。

 

 傍らで、彼の金鵄(きんし)――神武東征を助けたといわれる瑞鳥(ずいちょう)から名を取り、ツクヨミを補佐する任に当たる者はそう呼ばれる――たる少年、武内 いつが小型の懐中電灯をあちこちに向けていた。

 

光が舐めていくのは明かりの灯らぬシャンデリア、傾いたままぶら下がる額縁入りの絵画。剥がれた壁紙が垂れ下がる壁の地肌にはいくつも、品の無い言葉がスプレーで書き殴られていた。(かび)(まだら)に彩る絨毯(じゅうたん)の上には、(ほこり)の積もった円テーブルがいくつも、テーブルクロスをかけられたまま並んでいた。

 都心を離れた山上、寂れた観光地の廃ホテル。その広間が、相手が指定した取引の場所だった。

 

 眼鏡を押し上げ、いつはブレザーの学生服を羽織った肩をすくめる。

「こんな取引ですからね、気の利いた店で食事でもしながら、とはいかないでしょう。何せ、僕らは重大な裏切りをしようとしているんですから」

 

 深紅の仮面――フルフェイスヘルメットのように頭全体を覆う形、顔面に大きく鳥居の意匠をあしらったもの――を小脇に抱え、満月は首を横に振る。

 

「二つ間違っているな、いつ。一つ、裏切りならもうしちまった」

 

 満月が懐から取り出したのは指輪。黒い大理石のような素材から削り出されたもので、表面には幾何学的な文字らしきものが刻まれている。

 ソロモンの指輪。満月らが所属する組織――維持正常化機構日本支部――の保管庫に、厳重に仕舞い込まれていた秘宝。ソロモン王の伝承にあるとおり、この秘宝を手にする者は七十二柱の悪魔を始め、様々な超常の存在――組織ではそれらを『神魔(じんま)』と総称している――を顕現(けんげん)させ、使役することができるという。

 

「二つ、『僕ら』のじゃあない。『俺の』裏切りだ。俺担当の金鵄(きんし)だったことをせいぜい恨むんだな」

 

 いつは首を横に振る。薄く微笑んだ。

「いいえ。僕らの、ですよ。どこまでも、お供します」

 

「いい子だ」

 満月は唇の端で笑って、指先で、つ、といつの頬をなぞる。

 

 いつが口を開きかけたとき、離れた所から声が響いた。押し出すような張りのある、脂の乗った女の声。

「そろそろいいか? ご歓談のところ悪いが」

 

 いつの間にそこにいたのか。二人から十歩ほど離れた場所で、その女はいた。まるで玉座に座るかのように、豪奢な――かつては豪奢であったろう、(かび)(こけ)に彩られた――椅子に、背を反らすかのように深くもたれていた。

 

「照れるじゃないか、これからがいいところだったんだ。じっくり見物してくれても良かったんだぜ、登美(とみ)のり子」

 

 素早く身を引いて女へと懐中電灯を向けるいつとは対照的に、満月は頬を緩めて笑みを投げかけていた。ただしその目は、値踏みするように相手の目の奥へと向けられていた。

 

 登美(とみ)のり子と呼ばれた女は鼻で息をつく。

()れるな、それより時間が惜しい。約束のものをここへ」

 長い髪をかき上げ、目の前のテーブルを一つ、指で叩く。一流ブランドのものらしいスーツの胸元で、勾玉(まがたま)の首飾りが場違いに揺れた。

 

「ああそうだな、時間は大事だ。お前がもう少し遅れたら、こいつを池の鯉にくれてやるところだったぜ。それより、そっちのものは」

 満月は指輪を手の上で(もてあそ)び、視線で窓の外を指した。垂れ下がるカーテンの向こう、階下には庭園が広がっているはずだ。荒れ果てたそこにまだ鯉がいるかは、自分で言っておいて疑問だったが。

 

 のり子は背を反らせたまま、あごをしゃくる。その先、満月らの背後のテーブルには。いつ置かれたというのか、大振りなアタッシェケースが載せられていた。

 

 のり子から目を離さぬまま、満月がケースの方へ回る。ふたを開けた中には、隙間なく札束が詰まっていた。

 いつの方へケースを押しつける。

「確かめとけ、新聞紙でも混ぜられてたらかなわん。後はこいつが約束のものだ」

 指輪を示してみせ、言葉を継ぐ。

「一つ聞かせろ。こんな(やく)い代物、手に入れてどうする気だ? 一企業の社長には過ぎたブツだぜ」

 

 のり子は笑みも見せず、射るように指輪を見据える。

「それこそお前が聞くには過ぎたことだ、満月のツクヨミ。ただ、その金。使うなら早い方がいいだろうな」

 

「何だと?」

 

 のり子はそこで初めて笑った。全てを見下すような、()めつけるような眼差しだった。

「じきに使えなくなるからな。何しろ、この国は程なく破壊し尽くされる。この私が()ぶものによってな」

 そこで言葉を止め、むしろ優しく微笑んだ。

「安心しろ。生きていれば訪ねてくるがいい、今日の報酬を改めて渡してやろう。我が復讐が果たされた後の、新たなる正しき国の――国津神、長髄彦(ながすねひこ)の肖像が入った紙幣をな。フフ、ハハハハ……!」

 

 背をのけ反らせて笑い出すのり子に、満月は口の端を吊り上げて笑った。

「面白い女だ。お(つむ)の中身が、って意味でな」

 

 人差指を頭の横に当て、ネジを巻くように回してみせてから、のり子へと指輪を(ほう)った。

 

 手にした指輪を打ち返し眺めた後、のり子はそれを指にはめた。立ち上がり、満月らに背を向けて歩き出す。

 

「契約は果たされた、互いにここまでだ。()く去るがいい」

 ヒールの音を残して遠ざかる背が陽炎(かげろう)のように揺らいだ。次の瞬間、紫の炎にも似た光を残し、その姿がかき消えていた。

 

 未だ札束を調べているいつへ、満月は声をかける。

「行くぞ。上だ」

 

「えっ?」

 

 もはやいつの方は見ず、歩き出しつつ満月は言う。

「さっきここらをうろついたとき、注連縄(しめなわ)を張った扉があっただろ。この建物の中であれだけが埃一つ積もってない真新しいものだった、奴があらかじめ張っておいたんだろう」

 

 約束の時間よりもかなり早く来た満月は、暇潰しの探検と称していつを連れ回し、廃墟の中を巡っていた。忍び込んだ者の落書きを横目に歩き回り、いくつも貼られていた――霊障を鎮める意味があったのか、ただのいたずらか――古い御札を踏みにじって。

 

「奴があの指輪で何をしでかす気か知らないが。おそらくはここで何かするつもりだ。奴が漏らした長髄彦(ながすねひこ)の名、記紀神話にあるまつろわぬ神の名だ。その子孫か何かが、この国を征した天津神に復讐しようということか……?」

 

 先住の国津神を滅ぼしあるいは勢力下に加え、天より降り来た――ということになっている――天津神らがこの国を征した。なぜなら、この国はそもそも天津神の祖たる伊耶那岐命(いざなきのみこと)伊耶那美命(いざなみのみこと)が生んだものだからである――ということになっている――。

 それが『古事記』『日本書紀』に記された、この国の神話的歴史。神話の形にぼかされた歴史である、たとえば先住の者を押し退けて、後から来た者が現在へ連なるこの国を形作った、というような。

 

 登美(とみ)のり子からは初対面で裏切りを持ちかけられたが。その身には満月らツクヨミと同じく、何らかの神の気配が感じられた。あるいはそれが長髄彦(ながすねひこ)か、それに連なるいずれかの国津神か。 

 

「何にせよ。面白くなりそうだ」

 

 そうだ、面白くはなるだろう。今の決まりきった世よりも。組織に鎖で首をつながれてそのつまらぬ世を維持する、今のツクヨミの在り方よりも。

 

「見世物としては悪くない。ひとつ見物していこうぜ」

 

 慌てて札束を詰め直していたいつはようやくケースのふたを閉め、小走りに後を追う。

「なるほど……妙なものがあるとは思いましたが、注連縄(しめなわ)は古来より結界とされ、つまり神道(しんとう)――日本古来の神々を奉る教え――系の儀式が行なわれる場。長髄彦(ながすねひこ)の名が出たからには、奴がそこを使う可能性が濃厚ということ。さすが満月さん! ここを見て回ったのはただの遊びじゃなかったんですね!」

 

 歩調を緩めず満月は歩く。

「罠でも仕掛けられてたら不愉快なんでな。俺様はコソコソと卑怯な真似をする奴が大嫌いなんだ」

 

「な、なるほど! でも満月さん、僕たちも割とコソコソして組織を裏切ってるような気も――」

 

「…………」

 満月は口を円く開け、それからはっきりと顔をしかめた。無言のまま、いつを待たずに廊下を走り出す。

 

「ちょ、待って下さい、満月さん、満月さーーん!」

 

 間延びしたいつの声と、騒がしい足音が廃墟にこだまする。

 

 

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