デビルサマナー葛葉ライドウ 対 神魔狩りのツクヨミ 作:木下望太郎
――その頃、廃ホテル屋上にて。
仮面の中で、満月のツクヨミは何度目か分からぬ舌打ちをした。
「ちいぃっ! いい加減じっとしてやがれ!」
先ほどから連続で神魔を顕現させ、間断なく攻撃をしかけている。火車を飛ばし、相手がかわしたところへ鳳凰の火を放ち、瀬戸大将が槍を構えて逃げ道を塞ぎ。追い込んだところを、鬼人のバットが巻き起こす旋風が打つ。
そのはずが。
バティンは全てをこともなげにかわし、満月の隣に立っていた。片手を腰の後ろ、もう片手を口元に当ててあくびを噛み殺す。
「ふぁ……失敬。どうものんびりとしていらっしゃるご様子、いささか待ちくたびれましたな。いえいえお気になさらず、ご自分のペースでいらして下されば結構で」
長方形の仮面が隠す目元に指をやり、あくびと共ににじんでいた涙を拭う。毒々しい紋様の蛇の尾が腰の後ろでしなった。
「てンめええぇっ!」
防御のためそばに配していたケルベロスが跳びかかるも、三つの口で宙を咬むだけに終わった。
満月の歯噛みの音が仮面の内で響く。
この調子だ、戦闘開始からこの方。のらりくらりと――ではない、まさに目にも止まらぬ速さで――攻撃をかわされる。鳳凰の一撃が入った他はかすりさえもしていない。
さらには、その神速を以て細剣を何度も繰り出されてきたが。これはどうにか急所をかわし、致命傷を避け続けてはいる。とはいえ、満月の白い装束はすでにいくつもの箇所に血がにじみ、マントと同じ色になり始めていた。加えて、先ほどのように完全に隙を突きながら何もしてこないことさえあった。
考えたくはないがつまりはこうだ――
手にした細剣をハンカチで磨き、刀身を打ち返し眺めながらバティンが言う。
「さてさて、あまり手早く片付けては失礼と思い、加減しておりましたが。そろそろ、お気はお済みになりましたかな」
満月へと向けた切先が、暮れなずむ日を受けて鈍く光る。
「それでは約束どおり、そろそろ
満月は唾を飲み込む。その後で肩を揺すり、笑ってみせた。
「おいおいマジかよ、勘弁してくれ……と言ってやりたいところだが」
仮面のあごに手をかけると、顔を覆う部位を前へ開いて額の上へと持ち上げ、素顔を見せた。歯を剥いて笑う。
「残念ながら、本気を出してなかったのはお前だけじゃなかったんだな。俺にはまだこの札がある」
満月の示した札を、離れた場所にいたいつが眼鏡を持ち上げて凝視する。
「その札は! 古の時代に満月のツクヨミだった人物をモデルに創られたという、幻の……!」
満月は大きくうなずき、札の表側をバティンに示した。そこには斧を構えた
「『坂田金時』。ご存知……ってソロモンの悪魔が知ってるかどうかはともかく、
バティンは口元を手で隠して微笑む。
「なるほどなるほど、威力は確かにございますでしょうな。ですが――」
満月は札をひらひらと揺らしてみせる。
「当たるものか、って言うんだろ? 確かに
バティンの目を真っすぐににらむ。
「俺はこの札を信じている。俺自身を信じるように、かつての満月のツクヨミたるこの札を。こいつの力ならかすっただけで、お前をぶっ飛ばしてくれる、ってな。宣言しておくぜ……俺をさっさと殺さなかった自分を、恨みながらお前は死ぬ」
バティンが頬を吊り上げて笑む。
「ほほう……そこまでおっしゃるのなら期待しても良さそうでございますね。よろしゅうございます、
腰を落とし、弓を引き絞るかのように腕を引いて身構えた。
満月は唇をなめ、仮面を閉め直す。
「行くぜ。待ったなしだ、いざ
叩きつけるように放った神魔札が燃えるような赤い光を放つ。そのただ中から現れた男も光を受け、焦がれるように赤く見えた。
「凄い……! これが幻の札の――」
思わず両手を握り締めた、いつの声をよそに。
「で?」
満月の目の前で首をかしげ、バティンは満月の目を見つめていた。鼻と鼻とがぶつかるような距離で。体には傷どころか、塵の一つもついてはいない。腰だめに構えた細剣の切先は、満月の喉に突きつけられていた。
満月は仮面の内で優しく微笑む。
「で? じゃねえよ。え? だろ」
そうして、仮面越しにバティンへと口づけ。肌を刺す細剣ごと、そっと抱き締めた。
「え……」
つぶやくバティンの、背中で。満月が手の内に隠した札が赤い光を上げた。
「創成神魔札。『ダゴン』」
青年が指揮者のように腕を打ち振るうのと同時。裾の内から湧き上がる水が流れを成し、波となり
釣り上げられた魚のようにお互いが床へ叩きつけられたが、先に身を起こしたのは満月だった。
仮面の顔部分を上へと開く。中から盛大に水が流れ落ち、呼吸がようやく自由になった。身を折り曲げて咳き込んだ後、犬のように首を振るって髪の水滴を飛ばした。
「どうだ……お前がいくら素早かろうがな、確実に狙い打てる地点ってのがあるんだよ。それは――」
いつが眼鏡を持ち上げながら早口で声を上げる。
「そうか! どんなに素早かろうが、相手が狙うのは満月さんの命、つまり『満月さんに剣が届く地点』には確実にやってくる! 問題は相手が素早すぎて攻撃を当てられない、言い換えれば『攻撃を当てられる時機が分からない』! あえてそこで大技を宣言し挑発することで、満月さんの大技をかわした直後に『相手の攻撃時機を特定』! 場所とタイミングをほぼ確定させた上で確実に当てるため自分もろとも広範囲に攻撃! わずかな時間にこんな作戦を構築しリスクを背負った上で実行し成功させるなんて……! さすがです、さすが過ぎます満月さん!」
満月は動かしかけていた口を開けたまま、所在なさげに視線をさ迷わせていた。
「あー……うん。そうだ。その、つまり……要は俺様の勝ちってことだ! さぁて、お次はトドメを――」
濡れそぼったまま伏していたバティンが立ち上がる。不機嫌げに振るった蛇の尾が水滴を跳ね飛ばした。
「ふん……確かに策は当たったようでございますが。見くびらないでいただきたい、一撃当たったところでどうだというのです。依然、貴方を殺すことなど造作もない」
満月は濡れたままの肩を縮こめ、片手で自分の体を抱きながら札を出した。
「行ってこい、火車~」
適当に放った札から
「ふんっ、こんなもの――」
バティンは確かに軽くかわした。直後、バランスを崩したように何度か歩を継ぎ、足をもつれさせて床へと倒れた。
「あ? な、な……」
目を瞬かせながら洩らした声は震えていた。いや、その肩が脚が、全身が震えていた。顔は体温を失ったかのように血色が引いていた。
同じくがくがくと震える肩を両手で抱き、歯を打ち震わせつつ満月は言った。
「俺のダゴンが起こすのは水流じゃない。『洪水』よ。洪水の後、何が来るか知ってるか? 『病』――疫病だ」
どうしようもなく震える膝に力を込め、背を丸めて悪寒をこらえる。鼓動のたびに
「大量の水は本来付着するはずのない場所にまで雑菌を運び、湿った環境は菌類や細菌の格好の温床となる。ダゴンはそうする、俺はそうした。神魔仕込みの病疫で、俺もろともお前をなぁ!」
バティンは立ち上がろうとしたが、体を支えようと床についた腕が震えてくず折れた。同じく震える足で懸命に床を蹴り、倒れたまま後ずさる。
「な、なっ……だが、貴方も同じでしょうに! そんな状態で戦いになるとでも――」
そのとき。満月の耳には、聞き慣れた音が届いていた。待ち望んでいた者たちの足音が。
寒気にがちがちと鳴る歯の間から、ほう、と満月は息をつく。
「ったく遅いぜあいつら……いつ、迎えに行ってやれ」
「はい、すぐに」
満月たちが上ってきた屋上のドアをいつが開ける。とたん、丸々とした獣が尻尾を打ち振り、待ちかねたように満月へと全力で駆け寄った。
身をすり寄せ、何度も顔をなめてくるその犬の頭を、満月も何度もなでてやった。
「よぉしよし、よく来たなポチコロ!」
ライドウと対峙したときに満月が放ったものの一体だった。ライドウはこれらを斬らず、刀の横腹で払いのけるに留めていた。満月はそれをあえて回収せず、屋内をうろつくに任せていた。子犬のようだったそれは、今は中型犬ほどの大きさになっている。
舌を出し、ヘッヘッヘッ、と小刻みな呼吸を繰り返すそれを、バティンは顔をしかめて見ていた。
「新たな神魔……ですが、そんな動物が来たところで――」
新たな足音が聞こえ、満月はドアの方へ向けて何度か手を叩いた。
「よーしこっちだ、来いワンスケ!」
どどっ、どどっ、と足音も重く駆け来る新たな張子犬は大型犬のサイズを越え、子牛ほどの大きさがあった。
バウバウと吠えるそれにのしかかられ、満月は床へと押し倒される。
「何……?」
不審げなまなざしをよこすバティンへ満月は言う。二体の犬に半ば下敷きにされ、ひたすら顔をなめられながら。
「なに、俺の張子犬どもは成長期でな。敵の神魔を喰えば喰っただけ、強く大きくなっていく。だいぶつまみ食いしてきたようだな――おっ、もう一匹も来たな」
屋上を揺らす地響きがあった。その揺らぎはゆっくりと規則正しく続き、そのたびに大きくなった。まるで階下から、巨大な何者かが上がってきているかのように。
「な、な――」
バティンが目を瞬かせる間に。
出入口のドアが蝶つがいごと、柱のような前脚で弾き飛ばされて落ちた。地の底から響くような声を上げ、足音の主がようやく姿を見せる。
「グァオ……オォ、ォォ……」
それは通路いっぱいにみちみちと満ちた、歪んだ犬の巨体だった。ぬいぐるみのように柔らかな体を無理やりに押し込め、ずりずりずずぅ、と壁を床を天井を擦りながら、屋上へと近づいてきていた。
やがて、燃えるような金色の目をした頭が、ずぽ、と通路を通り抜け。前脚が、胴が後脚が、尾まで全てが通り抜ける。
身を震わせた後、屋上を揺るがして四肢を踏み締める。満月とバティンを見下ろした。
「ゴゥアオオオォォォ……ンン……」
そして天へと背を反らし、雷鳴のような地響きのような遠吠えを上げた。
二体の張子犬が嬉しげに吠え、満月は寝転んだまま手を伸ばす。
「大きくなったな~タマサブロー! よく帰ってきた!」
「えっ、えっ」
尻を床につけたままのバティンが何度も目を瞬かせ、三匹の犬を順繰りに見る。
満月は上体を起こし、目標物を指差した。
「よーしお前ら、お預けはなしだ! 喰っていいぞ」
三匹の犬は獲物を見た。小さなポチコロが舌なめずりをし、大きなワンスケが犬歯を剥く。巨大なタマサブローは、肉食恐竜の如き牙が並ぶ口を開けた。
「えっ、えっえっえっ、えっ」
尻を擦るように後ずさるバティンを、満月は再び指差した。
「タマサブロー! 【お手】ぇ!」
巨大な前脚が振り落とされ、バティンのいた位置でひどく湿った音がして。
後ろに控えるいつが、眼鏡の前に手を掲げて顔を背けていた。
それで勝負はついただろうが、犬どもはさらに飛びかかり、尾を振りながら食事にありついていた。
先ほど使った神魔札を掲げ、満月は反対の手で指を鳴らす。
「よーしダゴン、『病』は解除だ」
全身を襲っていた悪寒が引くのを確認し、満月はマントをはためかせて跳ね起きた。
濡れた長髪を片手でかき上げ、バティンのいた辺りへ強く指を差す。
「フッ……思い知ったか。これが俺の、俺たちの正義の力だ」
「そうですね」
そういうことにしておきましょうね、と続けたいつへ、満月は顔を向ける。濡れた背を丸め、両手で自分の肩をさすりながら。
「それより、なんかまだ寒いんだが……大丈夫かな俺? 顔色悪くない?」
「全身を濡らしている水も解除させれば良かったのでは」
あ、とつぶやき、ダゴンの札を取り出すが。札の絵は色を失い白黒の状態――力を失い、しばらくは使えない――。
かちかちと歯を鳴らしながら満月は座り込み、身を丸める。
「あ~寒、正直、おかゆとか食べたい……なんかあったかいものない?」
「食欲があるなら大丈夫だと思いますが……のど飴とか食べます?」
「うん」
飴を口に含む満月へ、口元を血に染めた犬どもが寄り添う。ぬいぐるみのような体にふかふかと埋もれた。これならどうにか暖は取れそうだ。
息をついた満月の横でいつがつぶやく。
「というか、鳳凰を