デビルサマナー葛葉ライドウ 対 神魔狩りのツクヨミ   作:木下望太郎

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第三十話  十六夜月の正義

 

「な……あ……」

 切り札となるはずの剣が地上へと落ちていった、手すりの向こうに目をやったまま、十六夜月(いざよいづき)は目を瞬かせていた。床に倒れたまま、起き上がることも忘れていた。

 

 遥か高みからアンドロマリウスの声が降る。

「フ.ハハ、ハハハ! どうした、抱えていたのはそんなに大事な武器だったか? もはや打つ手なし、といった風情だな。ヴァル、ヴァル、ヴァル……」

 

 顔を上げた先には巨大な敵がいると分かっていながら、十六夜月(いざよいづき)はそのままでいた。立ち上がろうとも、戦おうとも思えなかった。

 

 再び声が降る。

「さあ、どうする正義の味方よ。もはや戦う意味もあるまい、一思いに楽になるかね? それとも落し物を探しに行くかな、いい考えだ。小生の拳を避け続ける自信があるのならな。逃げ出した方がまだしも良かろう、運があれば生き延びられるかもな? いっそ投降してはどうだ、態度次第ではこちらの気が変わるやも知れんぞ? どうする、さあ」

 

 目を瞬かせたまま、十六夜月(いざよいづき)の口が敵の言葉を繰り返す。

「どうする……どう、する……」

 

 ライドウも満月もいない。

 主力となる神魔札――渡辺綱、広目天、青龍、がしゃどくろ――は失われた。

 救援はいつ来るか分からない、そもそもむつたちがどこまで逃げられているかも分からない。

 切り札とするはずだった、天羽々斬(あめのははきり)は失われた。

 そして目の前にそびえる、巨大な敵。

 

 ため息が出た。腹の底から出た、体の芯さえ一緒に吐いてしまったかのような、深く長いため息だった。

 ――(かな)うわけがない。十六夜月(いざよいづき)一人で、どうするといったところで。

「……どうしようも、ないじゃないか」

 

 アンドロマリウスが、天を衝くような巨体をのけぞらせて笑う。

「ハハ、ハハハハハ! どうすると聞かれて、どうしようもない、だと! 何もしないということか、その程度だったか貴君の正義は! 実に実に滑稽(こっけい)だよ、ええ? 正義の味方よ」

 

 空気を震わす笑い声が鼓膜を打ったが。それでも、そのとおりでしかなかった。立ち上がることさえ、しようとは思えなかった。

 

 アンドロマリウスが弓を引くように拳を振りかぶる。未だ神装の残り火くすぶる腕を。

「さて、もはや用もなし。せめて安らかに……死ねい!」

 

 その拳が、迫るのが、いやにゆっくりと、見えた。

 

 

 

 ――十六夜月(いざよいづき)は――いや、まだその名では呼ばれていない、そう呼ばれるとも知らない小さな男の子は――画面の方へ身を乗り出し、食い入るようにテレビを見ていた。彼の敬愛する、正義のヒーローの番組を。

 横で、むつ――まだ髪をピンクに染めてはいない、小さな女の子――が、あきれたように息をつく。

「ねー。これ、そんなに面白い?」

 

 男の子は弾かれたように女の子の方を振り向く。

「面白い、というか、そういうんじゃないんだ! もっとこう、大事なことを教えてくれるというか、男として、いいや人間としての何? 生き方、そう生き方を見せてくれているといっても良くて――」

 激しく身振り手振りを交えてなおも語った後、続けた。画面の中のヒーローを指差して。

「――ぼくも! ぼくも、こうなるんだ! 正義の味方に! 平和を、ぼくが守るんだ!」

 

「あっ、そ」

 女の子はまた息をつき、菓子を手に取る。

 

 男の子は彼女の空いた手を取る。

「それで! 君のことも守るから、ずっと」

 

 女の子は菓子を口に運ぶ手を止めていた。

「ふーん。……覚えとく」

 男の子の目を見つめ。それから、慌てたように目を逸らせた。――

 

 

 

「ぅ……ぁ……」

 自分の(うめ)き声で目を覚ました、十六夜月(いざよいづき)は。もはや小さな男の子ではない今の十六夜月(いざよいづき)は、瓦礫(がれき)の中にうつ伏せで倒れていた。

 

 何があったのかをゆっくりと思い出す――アンドロマリウスの拳が迫り、自分の体が反射的に、倒れ込みながら横へと跳び。どうにかかわすことができた、拳が打ち上げた瓦礫片(がれきへん)の嵐に飲み込まれはしたが。

 そうして、わずかな時間気を失い、夢を見ていたということか。昔の夢を。

 

 アンドロマリウスの拳はすぐ近くで、未だ柱のように床へと突き立っていた。神装の炎はもはや消え去り、黒く焦げた肌をさらしている。

 十六夜月(いざよいづき)は目を瞬かせながら、その腕を、じっと見ていた。

 

「無駄な足掻(あが)きを。だが、ここまでだ」

 床を貫通した拳を瓦礫(がれき)に埋めたまま、身をかがめた巨人はもう一つの腕を振りかぶる。

 

 十六夜月(いざよいづき)は、未だ握っていた刀を杖に立ち上がり。痛みに軋む体を、歯を食いしばって動かし。渾身(こんしん)の力で跳び、迫る巨大な拳をかわした。

 

 直後、激痛に頬を引きつらせながらも脚を突っ張って踏み留まり。大上段に振りかぶった刀を、体ごと倒れ込むように振るった。

「ぅ……おおおぉっ!」

 白夜の刀から清冽(せいれつ)な光が溢れ、寄り集まって白い刃と化し。床に打ち当たっていたアンドロマリウスの腕へと飛ぶ。

 

 刃は敵の腕に食い込みはした。が、両断にはほど遠く、肉を裂いて黒い血を吹き上がらせたのみだった。力を解放した白夜の刀は輪郭を陽炎(かげろう)のように揺らしてかき消える。

 

「何ぃ!?」

 だがアンドロマリウスは声を上げ、慌てたように腕を引き上げようとしていた。

 

 先ほど振り落とされた腕に、神装の刃を以て傷をつけた。十六夜月(いざよいづき)の狙いどおりの箇所に。

その反対側には、すでに深い傷があった。渡辺綱(わたなべのつな)が敵の攻撃を防いでくれたとき、腕の半ばまで斬り込んでいた傷が。

 

 腹の奥から声を上げる。

「逃がすな、やれ!!」

 放つ札から現れた『雪ムスメ』が長い髪をなびかせ、雪のように白い手を振るう。その先の空間から吹雪が(すさ)び、敵の拳と床をもろともに氷で覆った。

 

「続けぇ!」

 さらに放つ札から飛び出す白い獣、『飯綱(いづな)』が傷口へと向かう。振り上げた爪の先で空気が渦を巻き、風圧の刃を形作る。

 

「おのれええ!」

 アンドロマリウスが怒号と共に、焼き土造りの二腕を射出する。

 片方の拳が、風圧の刃を打ち防ぎつつ飯綱(いづな)を叩き落とし。もう一方の拳は床を打ち、拳を繋ぎ留める氷を砕いた。

 アンドロマリウスはかがめていた巨体を起こし、床についていた生身の二腕を持ち上げる。

 

 そのとき、十六夜月(いざよいづき)は。すでに、狙った箇所へと取りついていた。渡辺綱がつけた傷ではない、もう一つの狙うべき箇所へ。

 傷のある方の腕ではない、神装の炎で焼け焦げた方の腕。そこによじ登り、しがみついていた。目当ての箇所で。

 

 ――上手く神魔の攻撃が決まって、片腕を両断できればそれはそれで良し。

 だが真の狙いは、そちらへ敵の気を引きつけることだった。つまり、そちらへ神魔で攻撃することで、防御のために敵が土偶の二腕を使ってしまうように仕向けた。十六夜月(いざよいづき)への攻撃にではなく。

 そして、床に埋まってすぐには引き抜けない、もう一つの生身の腕。焼け焦げた腕の途中に、狙いのものは刺さっていた。

 

「良し……!」

 片腕と両脚で巨人の腕にしがみつきながら、十六夜月(いざよいづき)が片手で握ったのは。満月が放っていた修羅の槍。柄は神装の炎に燃え落ち、穂先だけが浅く刺さっていた。

 

 満月が放った槍は敵の傷口に当たる前に、この腕で防がれていた。十六夜月(いざよいづき)はその腕に打ち倒された後で、そこに槍が残っていることに気づいた。

 神装は破壊されるか、神力を解放することで消滅する。逆に、わずかしか刺さらなかった修羅の槍は内に秘めた破壊の神力を解放せず、消滅してはいなかった。

 

 そして今。アンドロマリウスが、何事かといぶかしむように。十六夜月(いざよいづき)のしがみついた腕を、目の届く位置へと持ち上げていた。胴体の前――狙うべき、ライドウが裂いた傷口の前に。

 

 槍を引き抜く十六夜月(いざよいづき)は――決して下を見ないようにしながら――知らず、歯を()いて笑っていた。

 

 ――なあアンドロマリウス、正義の悪魔よ。

 俺とお前の正義は、まるで違うものかと思っていたけど。案外似た者同士かも知れないな。

 お前が契約を決して破らず、守ろうとするように。

 俺も約束を守りたい。今ここでお前を倒さないと、あいつを護るって約束が守れない。

 だから、行くよ。――

 

「ぅおおおおぉぉぉっっ!!」

 十六夜月(いざよいづき)は敵の胸へと跳び。全ての力を込めて、振り上げた槍を突き刺した。

 

 

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