お狐フレンズ   作:佐倉シキ

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さようなら

 

 

 

 

狐太郎は満身創痍だった。

もはや生きていると呼ぶのも痛々しいほど、身体は無残に焼け、裂かれていた。爆発を受け止めた衝撃は、巨体の骨格を歪め、喉元から臍あたりまでの毛皮と皮膚を焼き焦がし、赤黒い肉が露わになっていた。裂けた皮膚の隙間からは熱を持った血が溢れ続け、地面には大きな血溜まりが広がり、焦げた匂いが濃く漂っている。

 

誰がどう見ても致命傷。その残酷な現実を、目の前の誰もが悟っていた。

 

「なんで!?どうしてあんな事をッ!!」

 

緑谷の声は張り裂けそうだった。震える手で、裂けた傷口を必死に押さえている。圧迫しても血は止まらず、指先まで赤く染まっていく。轟はすぐさま氷を生成し、火傷の箇所に当てて熱を奪い、八百万は慌てながらも治療器具を次々と作り出していた。

 

「最期の、最期に……俺様…ヒーローっぽい事、しちまったな……やば、イケ狐すぎる……」

 

炎と血にまみれ、息さえまともに吸えない状態でありながら、狐太郎はどこか馬鹿げた冗談めいた笑みを浮かべた。その声は掠れ、痛みに揺れ、今にも途切れそうなのに。

 

「最期とか言うなよ!!」

 

緑谷は泣き叫ぶ。声が震え、呼吸が乱れている。

 

「感謝感激雨霰、って感じだろう?……俺様のすんばらしい反射神経に慄け……」

 

狐太郎は、いつもの調子を無理矢理に取り戻そうとするかのように喋り続ける。だがその度に胸と腹の裂けた傷口から血がこぼれ、身体がびくりと痙攣した。

 

「もうしゃべらないでよ!お願いだから!!」

 

死んじゃうよ。そう言う緑谷の声は完全に涙で滲んでいた。滝のように涙を流す緑谷、それを囲むクラスメイト達の表情は耐え難い痛みに満ちている。轟も呆然と立ち尽くし、爆豪でさえ怒りとも悲しみともつかない、押し殺した表情で奥歯を噛み締めていた。福州は蒼白で、立つことさえままならない様子だった。

 

─────こんなにも、自分は誰かに思われていたのか。

 

その事実に気づくのが、よりにもよって死に際だなんて。なのに、不思議と胸の奥は晴れやかで、どこか軽かった。

 

最低最悪な人生だった。人を傷つけ、殺し、迷惑をかけてきた。その自覚はある。それでも、ほんの少しでも誰かを救えたのなら、それでいい。愉快だ。狐太郎の胸には、そんな勝手な満足が、あった。

 

「あっはは!……いやはや、エンターテイナー最後の大仕事さ!爆弾消滅マジック!バリアントプライドの悪あがきは2秒で終了!」

 

狐太郎の声は、なぜか妙に朗らかだった。

死が迫っている者の声にはとても聞こえないほどに。

 

「そう凹むなって、どうせ……近々死ぬ命だったんだ……有効活用できて何よりだろ……」

「そんなこと言わないでよ」

「言うぜ。何故なら俺はお喋りだから。オールフォーワン曰く、怪物は創造主に逆らってこそらしい。見事な噛みつきっぷりだろう。お前らを殺せって言われてたのに、生かしてやった」

 

軽口を叩いた瞬間、口の端から血が細く垂れた。

痛みは限界を超えているはずなのに、狐太郎はそれを意にも介さない。そこへ、ホークス達がドラコーを拘束して戻ってきた。険しい顔のまま、状況を見て即座に避難指示を飛ばす。

 

「爆弾でも稼働した……?」

 

狐太郎がぐったりしながら尋ねると、ホークスは短く頷いた。そのわずかな動きだけで、事態が深刻であることが伝わる。福州が顔を顰め、神殿の奥を見やった。

 

「……ドラコーは、みみっちい男だ。作戦が失敗しても、邪魔をした相手を吹き飛ばす準備くらい……最初からしていたんだろう。神殿にやってきた連中をまとめて殺すための、何かを……」

「……爆弾さ。この基地と、香明島を、丸ごと吹っ飛ばすほどのな……個性因子抑制剤を…散布して、俺様達の個性を封じ……逃げ足を封じたところで味方含めてここにいる奴らを丸ごとドカンだぜ……オールフォーワンは、それを利用して…お前らを島ごとまとめて吹っ飛ばすつもりだったんだ……ヒーローは、民間人を見捨てて逃げるなんて、出来ねぇだろ?だから、島ごとなのさ……」

 

狐太郎の声はひどく掠れていたが、その内容はあまりに重い。ホークスが再度避難を命じる声は焦燥に満ちていた。爆弾は島のあちこちに仕掛けられている。一刻の猶予もない。

 

「でもッ」

 

緑谷の声が揺れる。

島民を助けに行く。それはすなわち、狐太郎を置いていくという選択だ。巨体を運ぶには時間がかかる。麗日でさえ、この状況では他の人命救助を優先せざるを得ない。狐太郎1人に注力するより、島民に向かえばもっとたくさんの命を救うことができる。そもそも、連れて逃げたところで助かるような傷ではない。

残酷な現実だが、それを正面から言える者はいない。

 

その迷いを見透かしたように、狐太郎は薄く、意地悪そうな笑みを浮かべた。

 

「お優しくて甘ったるいテメェらには現実が見えてねぇみたいだな。ヒーローなんだから、これから死ぬやつよりまだ助けられるやつ助けろよ。そんな事もいちいち説明されなきゃ分からないのか、馬鹿だねぇ」

「化野くん……」

「お前らに死に顔見られるとかごめんだし、さっさとどっか言ってくれた方が大助かりなんだけどな〜!俺様今限界突破してるから。ほら早く、は〜や〜く!」

 

その声は震え、かすれていた。痛みは明らかに限界で、身体は小刻みに痙攣していた。それでも、彼は笑った。ヒーロー達を前に、最期の最期まで化野狐太郎として。

 

そうやって、いつものように軽口を叩く狐太郎の声音に急かされ、泣き腫らした瞳を隠しながら、クラスメイト達は一人、また一人と別れの言葉を置いていった。名残惜しさに振り返る者もいたが、狐太郎は「ほら行け行け」と言わんばかりに尻尾を揺らし、その背を静かに見送った。

 

残ったのは、緑谷と福州の二人だけだった。

 

緑谷が滲む涙の奥で必死に笑おうとしながら狐太郎に別れを告げると、狐太郎はどこか安堵したように、ゆっくりと、眠るように目を閉じた。

 

もう動かない。

 

その現実を刃のように受け止めながらも、緑谷は震える喉を押さえて振り返る。そこには、たった一人で神殿の奥をじっと見つめている福州の姿があった。

 

「福州くん、君も早く、避難しないと……」

 

嫌な予感が胸を刺し、緑谷の声は自然と小さく、か細くなっていった。

 

「島の爆弾は……俺がなんとかする」

「は……」

 

その返答は、声というよりも、衝撃に息が零れただけの音だった。

 

「どうにか、できるの……?」

「この神殿に仕掛けられてるやつは無理だ。島中の爆弾とはシステムが完全に別ものだろう。多分、ドラコーが直々に作って設置した独立系だ。俺の手じゃどうにもならない。

だが……島の方なら、まだ間に合うかもしれない。数ヶ月前、組織の実験に手を貸して、島全体に何かを仕掛ける管理システムを組んだ。表向きは島の管理用だと言われていたが……今思えば、あれが爆弾だったんだろう。

俺はバリアントプライドでシステム担当をやってた。だから、島に仕掛けられた方なら……止められる可能性はある」

「し、神殿のは無理って事は……」

 

死ぬ。ここに残るという選択は、死を意味する。

神殿に仕掛けられた爆弾と、島全体に仕掛けられた爆弾は、意図的に完全に別のシステムとして設計されている。それは技術的都合ではなく、ドラコーの性格と作戦思想そのものを反映した構造だった。

 

神殿の爆弾は、ドラコー自身が直々に設計、設置した独立したシステムである。外部からの介入を一切想定せず、解除権限も構造も、彼一人にのみ帰属する。これは裏切りや失敗が起きた場合に、そこに集まった者をまとめて始末するための処刑装置でもあるからだ。仲間であろうと部下であろうと、ドラコーは完全には信用しない。だからこそ、神殿の爆弾だけは誰にも触れさせず、誰にも止めさせない作りになっている。

 

一方で、島全体に仕掛けられた爆弾は別だ。

こちらは表向き島の管理や防衛、実験用インフラとして開発され、複数人の手を経て構築されている。実際には爆弾であり、個性因子抑制剤の散布装置でもあるが、その正体を知る者は限られていた。ドラコーにとって重要だったのは、自分が直接手を下さなくても、仮にその作戦を実行する時に自分や幹部が無力化されていても、確実に作動すること。だからこのシステムは、組織の技術者、かつて実験に関与した人間にも触れられる構造になっている。

 

つまり、神殿の爆弾はドラコーの悪意に満ちた保険なのだ。万が一に誰かが島の爆弾を止める事に成功して、バリアントプライドの作戦を台無しにしたとしても、その者の命だけは確実に摘み取る為の、保険。

 

だからこそ2つのシステムは分離されている。片方が止められても、もう片方が必ず残るように。誰かが裏切っても、誰かが善意で動いても、最終的に邪魔をした誰かが吹き飛ぶという結末だけは揺るがないように。

 

それが、ドラコーという男のやり方だった。

それでも福州は、気にした様子がない。

 

「行け。ここに長くいると、散布された薬剤を吸いすぎる。……また個性が使えなくなるぞ。犬でも、大抵は一度痛い目を見れば覚えるものだが……お前はどうなんだ」

「個性が使えなくなったら、君だって」

「問題ない……いや、これに限っては、俺にしかできない。爆弾の操作機構は……コンクリートと鉄で固めた部屋にある。鍵が完全に施錠された今、個性を奪われた人間には、どうにもできない場所だ。でも……異形型の俺は例外だ」

 

そう言うと同時に、福州の体が一瞬だけ霧に包まれた。霧が晴れると、その下から隠していた傷が露わになる。左腕は肘から先がなく、断面には乾ききらない血がまだ滲んでいる。それ以外の、隠して新しい怪我が露わになった。背中には槍で貫かれた穴が四つ。どれも深く、呼吸のたびにわずかに血が泡のように揺れた。胸元や脇腹にも切り傷や打撲の跡が散らばっており、立っているのが不思議なほどの重傷だった。

 

「……情けないが、幻術で誤魔化す力も残っていない。見ての通りだ。もう、大して長くは保たない。……だから、丁度いいだろう。最後に一つくらいは……褒められる事をしたい」

 

福州は頭を下げる。その仕草は軽いが、その体は明らかに限界だった。

 

「︎……緑谷。森で話したこと、覚えているか」

「うん、昔の話とか……」

「そうだ……俺にも、昔は夢があった。何も出来なくても……それでも夢だけは見ていた。ヒーローになれたら、と……馬鹿みたいにな」

 

その言葉は、森で語られなかった続きだった。緑谷は息を呑み、目を見開く。

 

「……今更、口にするのも気恥ずかしいが……やっぱり、憧れていたんだ。眩しくて……遠くて……手を伸ばすことすら許されない気がして……それでも、羨ましかった」

 

ゆっくりと福州は神殿の奥へ視線を向けた。その瞳には、恐怖ではなく決意が宿っている。

 

「だから……最期くらい、図々しい願いを言わせてくれ。……俺を、ヒーローにさせてほしい。島の爆弾は……必ず止める。行かせてくれ」

「嫌だなんて……言えないじゃないか……!」

 

声が震え、喉が詰まり、それでも必死に搾り出した言葉だった。

 

「……ありがとう、緑谷。狐太郎の友達でいてくれて……俺も、嬉しかった」

「君だって友達だ!」

 

その叫びは、緑谷の心の底からの真実だった。

 

福州はその言葉を聞いた瞬間、驚くほど優しい、心の底からの笑顔を見せた。そして踵を返し、神殿の奥へ向かって歩き出す。その足取りはふらつき、血の跡が点々と続いた。

 

緑谷は涙を拭い、眠る狐太郎に一度だけ視線を落とすと、決意の色を宿した瞳で走り去った。

 

 

 

 

    *     *     *

 

 

 

 

福州は血が滴る身体を引きずりながら、薄暗い神殿の奥へ向かった。光の届かない長い廊下を進み、広々としたホールへと出る。そこからさらに階段を降りると、空気が冷たくなり、湿った石の匂いが強くなる。そして辿り着いた地下の奥深くに、コンクリートで固められた秘密の部屋があった。

 

福州は意識して個性を使おうとしたが、体の奥からは何の反応も返ってこない。とうの昔に人間の形を保つ事はできなくなり、白い大きな狐の姿になっていた。

 

完全に封じられた。

ならやはり、自力で砕くしかない。

 

そう考えて足に力を入れコンクリートに爪をかけた、その時だった。

 

「やぁやぁやぁ〜!本日限定!俺様チャンネル•お狐フレンズのお時間でございます!パーソナリティはこの俺、耳ぴこぴこ&尻尾ふわふわの狐系男子化野狐太郎くんひとりっきり!!……と言いたいところだが、目の前で大親友が頑張ってコンクリ掘ってます!なのでこいつを巻き込むぜ!!ヤッホー!というわけで今回に限り2人ラジオだ!」

「っは!?狐太郎!?」

 

突然響いたその声に、福州は心臓が跳ねるほど驚いた。ありえない。狐太郎はすでに……

 

「おっと、これは相棒の貴重なビックリフェイスだぜ!まだそういう感情が生きていたようで何よりだ!」

「……ここには、誰もいない……なのに、なんでそんなふざけた調子なんだ……」

「それはね、俺が馬鹿みたいにおしゃべりだから」

 

狐太郎はどこか誇らしげにニヤリと笑い、自分の体から滴り落ちる大量の血をものともせず、巨体を引きずるようにして立ち上がると、そのままコンクリートの壁へと体当たりした。

 

鈍い衝撃音が地下の広間に重く響き渡った。

 

「いや〜まさかまさかさ、こんな形でふたりラジオやるとは思ってなくてさ」

 

地下の空気は冷たく湿っていた。ひび割れた石壁の奥深く、血の匂いと金属の焦げたような匂いが入り混じる空間で、狐太郎はいつもの調子で軽快に声を響かせていた。その声だけがあまりにも明るく、崩れゆく世界で異様に浮いていた。

 

「2人でラジオ……?なんで、俺まで巻き込まれてるんだ……俺は……喋るのは、得意じゃない。そもそも視聴者がいない」

「俺様は喋るの大好き大得意」

 

福州の声は落ち着いているようで、だがその爪先は震えていた。疲労と痛みと覚悟が身体の隅々まで染み込み、声の奥底にわずかに滲む。

 

「そんな場合じゃ……」

「初回が最終回、最終回が初回、ひどいスケジュールだぜ。いやまあ、別にこれは文句じゃないさ。ただの愚痴」

「ラジオなのに……相棒を無視するのか……すごいな、お前は……」

「おっとソロが爆速で相棒だと認めてくれたぜ!嬉しすぎて俺様もこれにはニッコリスマイル!いやぁ、まさかお前と並んで電波乗っ取る日が来るとはねぇ。長生きはするもんだ。多分あと1時間だけど!」

「……そうだな。たぶん……もう、1時間も……持たない」

「おいおい温度差!!BFF共演の初回件最終回の神回だぜ!?もっとこう……盛り上がる感じで行こうじゃねぇの!」

「盛り上がってどうする……そんなことしても……お前の寿命が削れるだけだ……もっと、合理的に考えろ……狐太郎……」

「やだ、相澤ティーチャー……!?」

「誰だそれは」

 

軽口が飛び交っているように見えて、実際はその合間に何度も沈黙が落ちた。息を吸うたび、胸の奥で軋むような痛みが走り、血の匂いが濃くなる。狐太郎は壁際に立ち、傷口から滴る赤い雫が床に点々と落ちていく。そのたびに、温度の低い石床に血が広がり、小さく鈍い音を立てた。

 

「俺様合理的には嫌〜。愉快なエンターテイメントってのは大体が非合理的なもんなのよ。つか合理的に死にに行くなんて超嫌なんだけど!?冷静沈着にゴートゥーヘルって感じ!?無理無理頭いかれぽんちかよ!

……そういやいかれぽんちのポンチってなに?フルーツポンチ以外で聞かないけど」

「関西弁が由来だ…坊ちゃんという意味の“ぼんち”が転化した……いかれぽんち。意味は、軽薄で間の抜けた男……死語だな……あまり良くない言葉だ……」

「流石だぜソロペディア。にしても軽薄で間の抜けた男……なるほど、俺だな!」

「反応に、困る……」

「ミスター軽佻浮薄と呼んでくれ!」

「呼ばない」

 

その瞬間、乾いた破裂音が地下に響いた。

 

長く根を張っていたようなコンクリートの壁が、一気に砕けて崩落した。粉塵が舞い上がり、視界を白く覆い尽くす。狐太郎は崩れる破片を跳ね除けて地面に着地したが、その衝撃だけで身体中の傷が悲鳴を上げる。灼けるような激痛が走り抜けた。

 

そのあまりの痛みに、狐太郎は喉の奥からこみ上げる鉄の味を吐き出すように、多量の血を口から溢れさせた。血は床に散り、赤黒く濡れ、狐太郎はぐらりと身体を揺らす。

 

「俺様三途の川が見えたわ今」

「まだ早い」

「確かにその通り、まだまだ死んでる場合じゃないぞ、頑張れ俺」

 

福州は自分の痛みを押し殺しながら、すぐ隣の機械に向き直った。個性因子抑制剤を散布する装置が唸るように稼働しており、薬剤が空気に混じって肌を刺すように触れてくる。手先まで痺れを走らせるその空気の中で、福州は手順を冷静に追い、装置の稼働を停止させた。

 

狐太郎は荒い呼吸をしながら爆弾の機器へ視線を向ける。

 

「俺たち、今から死ぬほどデカい仕事をやり遂げるんだ。死ぬ気で頑張るぜ!まあ頑張るのはほぼソロだけど。俺様は見守り係」

「死ぬ気って……気なんかじゃない。……事実、死ぬ」

「鋭いフォローをありがとう。そう、俺達の人生のフィナーレだ」

 

福州は、足元に広がる血の海を踏みしめながら爆弾の装置へ近づいた。指先は震えていたが、その震えがあっても操作の正確さは失われていない。

 

「このすんばらしい器用さ。俺様だったら絶対爪で破壊してるね」

 

狐太郎は動く気力が尽きてその場に伏せた。伏せた場所に、自分の血が溜まっているのを感じる。それでも彼は笑いながら福州を見ていた。

 

「狐太郎」

「何?」

「……こうして横にいてくれて、ありがとう……やり切るとは決めていたが…正直……緑谷には、強がった。爆死なんて……震えるほど怖かった……」

「おっとぉ!?急にしんみり路線!?やめてくれよ〜、泣いたらマイク湿るだろ〜?」

「マイクはない」

「まあ、それはそうだな……でもまぁ、うん。俺もそう思ってる」

 

福州は狐太郎のほうへ視線を向けた。狐太郎の体はひどく損傷しており、呼吸のたびに胸が痛ましげに上下する。皮膚は裂け、体毛は血で固まり、周囲の石床は赤黒い染みで覆われている。彼が今この瞬間も痛みに耐えているのは一目でわかった。

 

だからこそ、福州の胸には強烈な後悔と罪悪感が押し寄せていた。

 

「……ごめん、狐太郎。本当に……ごめん」

「どうした?急に」

「全部……俺のせいだ。俺が……愚かで、馬鹿で……軽率で……思い上がって……お前の人生を……狂わせた。だから……ごめん……」

 

狐太郎は視界が霞み始めている中で、その目で福州を捉えた。

 

「お前が俺に謝る必要なんかないさ……むしろ、謝るべきは俺の方だ。ごめんなソロ。お前の家族、俺が殺しちまった」

「……俺は、お前を恨んでいないし、怒ってもいない。俺が怒ってるのは……オールフォーワンに対してだけだ。お前が殺したのではない。殺したのはオールフォーワンだ。だから、アイツが憎い。だからこそ……緑谷達は……絶対に、殺させない」

 

福州は奥歯を噛み締めた。家族の人生も、友達の人生も、すべてを壊した元凶。ずっと胸の奥で燃えている黒い怒りが、静かに熱を増していく。諸悪の根源には、できるだけ惨めにくたばって欲しい。地獄へ落ちて欲しい。その思いが、痛みに揺らぐ視界の中で一層固く結ばれた。恨みを活力に手を動かし、島中に設置された爆弾との接続をすべて解除した。冷たい空気と薬剤の匂いが混じる室内に、福州の荒い呼吸だけが響いた。

 

「オールフォーワン、ね……」

 

狐太郎が低く呟くと、福州は配線から目を離さないまま話し出す。

 

「お前は……憎くないのか。全部の元凶だ。普通なら、殺してやりたいと思うだろう」

「んー?」

 

狐太郎は少し考える素振りを見せてから、拍子抜けするほどあっさり言った。

 

「だって勝てないじゃん?」

 

福州の指が、ほんの一瞬だけ止まった。すぐに作業を再開したものの、ゆっくりと顔を向けたその視線は何とも言えない形容し難いものだった。

 

「うわ、なにその目。やめてくれ。冗談冗談、冗談だって!」

 

狐太郎はケラケラと笑い、肩をすくめる。

 

「まあ嫌いだよ。そりゃあもう、結構嫌い。一応は俺を作った親、ってことになるらしいけどさ。嫌いなもんは嫌い。“素晴らしい!”とか褒めてくれたけど、ねぇ?」

「なら……」

「なんで雄英の連中と一緒に戦わなかったのか、って?そんなん一から十まで説明しなきゃダメ?俺様のことそんなに理解したいの?そ〜んなに俺の事が知りたいんなら仕方ないから教えてあ」

「いや、いい。当ててやる」

「マジで?じゃあやってみ!」

 

狐太郎は楽しそうに顔を上げ、作業を続ける福州を覗き込む。

福州は一瞬だけ彼を見やり、淡々と答えた。

 

「オールフォーワンもムカつくが、それ以上にこの世界が嫌いだった。優先順位の問題か?」

「え、引くわ……なに俺様検定一級?」

 

狐太郎は半目になり、心底呆れたようにため息をつく。

 

「そ。まあ簡単な話だよ。俺様はアベンジャーじゃない。アベンジよりリベンジ優先派。まあ……お前にこれ言うのは、ちょっと悪いけど」

「別に。個人の感情に、俺が口出しする気はない」

「ありがたいね。じゃ、ソロが爆弾解除するまでの暇つぶしに解説いきまーす。作業用BGMに俺様の解説をどうぞ」

 

そう言って狐太郎は顔を上げ、少しだけ遠くを見るように目を細めた。

 

「簡単に説明するとな、俺の中にはヘイトの天秤があるわけ」

「天秤?」

「そ。片方にユウちゃん達を殺しやがったオールフォーワン、もう片方に俺様たちに酷い思いをさせてきたこの世界……と言うと大袈裟か、まあ世間でいいか。俺の嫌いなものツートップだな。で、量ってみたら……世間の方が、ちょっとだけ重かった」

「……だから、あいつについた?」

「そうそう。あの人が世界をぶっ壊して魔王になるって言うからさ。利害一致じゃん?やば〜、ってなった。嫌いだけど褒めてくれる奴と、嫌いな上に石投げてくる奴ら。どっちがマシかって一目瞭然じゃん?やりたい事を最大限できそうな勢力を選んだってだけだぜ。

もしオールフォーワンがヒーローに勝てば、最後の最後に歯向かって死ぬもよし。もしオールフォーワンが負ければ、それはそれで俺はやりたかった世間への仕返しもできたし、オールフォーワンも負けた訳だし、良しって感じ。

中途半端なエンディングでどっちが勝つか分からないまま死ぬ事になったけど、まあこの感じだと勢いそのままにヒーローが勝つだろ。ヒーローってのはすんげぇ奴らだって分かったし」

 

一拍、間が空く。

 

「……タルタロスに入った直後くらいはね、まだオールフォーワンの方が上だったんだよ」

 

狐太郎は、あくまで軽い調子のまま続ける。

 

「でもこの世間さ、俺様に石投げて、化け物って指差して、追い回して。挙げ句ソロを追い詰めてさ。俺にはクソ最悪な印象しかないわけ。で、最後にタルタロスで7ヶ月放置だぜ?

そうやって放置されてる間にさ、オールフォーワンへの憎しみが、いい感じに乾いちまって。脱獄した頃には残念ながら、世間へのウザさの方が勝ってたの。外に出してくれないし人扱いしてくれないし飯少ないし薬くれないしすっげぇ見下してくるし……。

ちなみにさ、脱獄して一発目に何したと思う?」

「……エゴサーチ」

「そろそろ怖いぞソロ。ソロだけに」

「下らない」

「抱腹絶倒だろ。まあいい。正解だよ。俺が出て最初にやったのはエゴサだよ、エゴサ。収監中に期間を絞ってな。俺様の名前、ソロの名前、脳無、タルタロス。検索。いやもう、出るわ出るわ悪口の嵐」

「インターネットなんてそんなものだろう。よりにもよって本当にエゴサーチしたのか、お前……」

「どのくらいの人が俺に優しい言葉かけてくれてんのかなって思ってさ」

「選んだ場所が最悪すぎる……」

「完全な部外者の意見が見たかったのよ。だからありとあらゆるSNS見た。マジでクソ最悪だったけどな。分かってたけど。分かってたけども、分かってましたけどもね!俺様超絶根に持つタイプだから何書かれたか覚えてるぜ。

はい悪口独唱!『はよ死刑でいいだろ。税金の無駄やわ』『人じゃないんだから人権いらないだろ』『実験用として有効活用してから処分でいい』『薬殺して、どうぞ』『脱獄されたら困るから今のうちに始末しとけ』『ヴィランっていうか害獣だろ、さっさと駆除してクレメンス』『こいつ擁護してる奴も同罪だから一緒に閉じ込めとけ』『見た目バケモン中身もバケモン』『福州家全滅残当定期』『バケモノ飼ってた身内無能すぎwwなんで気付かんねんwwガイ」

「もう十分だ、よく分かった……」

「そう?まあこんな感じでさ。俺様が何したかとか、どういう経緯かとか、誰一人興味ねぇ。“怖い”“気持ち悪い”“よく分かんない”それだけで死刑死刑と、みんな軽率に俺様の死を望む。死が身近じゃねぇから簡単に死ねとか言ってくる。マジでムカついたな。テメェらが俺様の死をそんなにも願うんなら、俺様は逆にテメェらの死を求めるぜって感じ。

だから、あの後はむしろ出してくれたオールフォーワンに対してハグして感謝を伝えたい気分になってたね。

くそぅ、マッチポンプ親父め……俺様ってばチョロすぎるし馬鹿すぎる……」

「……本当に、間が悪い奴だな」

 

福州が、低く、どこか呆れたように呟いた。

 

「お、おまっ」

 

狐太郎は驚き即座に食いつく。

 

「よりによってお前が言う!?誰が言ってんだよそれ!堂々の“誰が言ってんねんオブ・ザ・イヤー”受賞だろ!」

「そんなものはない」

「あるよ!俺が今作った!というか、俺は間が悪いって言うか、ねずみ花火くらい感情が忙しないってだけだ!たまたま偶然なんかこんな感じの着地点になっただけで」

「それを間が悪いと言うんだ。少しズレていれば、なんの問題もなくヒーローになれたかもしれないのに……」

「そんなもうどうにもならない後悔なんてクッソどうでも良いね!そうはならなかったでその話は終了だ」

 

狐太郎は脚を組み替えて口角を上げる。

 

「ちなみにだけど、最初の質問に補足の答えだ。オールフォーワンに対してだが、今は普通に緑谷達にボッコボコにされちまえって思ってる。俺今負けて賢者モードだもん。今回の諸々でヘイト天秤はオールフォーワンの方が上になったぜ。マジでバッタよりあっちこっちに飛ぶから、俺の感情って。今はもう完全に緑谷派」

 

そうやって話していると、会話の終わりとほぼ同時期に、壁面に浮かび上がったスクリーンには神殿が爆発するまでのタイムリミットが点滅し始めた。島の爆弾の解除に成功した為、神殿を破壊する為の物が起動したのだ。残された時間は、もう数分程度しかない。後ろはシャッターが降り、逃げ道も封鎖された。秒針が重く落ちていくように、数字がじりじりと減っていく。

 

「爆発オチかよ、ド派手だけどクソ痛そう」

「確かに、痛そうだな……即死だと、助かるんだけど……」

「マジでそれな?」

 

福州は個性因子抑制剤を保護する部屋のすべての機能をシャットダウンし、薬剤そのものも完全に無効化していく。散布装置には万が一のための中和剤が備え付けられており、その薬液を注入すると、機械の内部で小さな化学反応音が響いた。今まで空気を刺すほどの鋭さを持っていた薬剤の匂いが、徐々に薄れていく。

 

「……なあソロ。これから死ぬけど、どう思う?」

 

無機質なカウントダウンを背に、狐太郎はまるで雑談でも切り出すような軽さで言った。

 

「……急だな」

「急もクソもないだろう。こういうのは死ぬ前にやっとく超絶大事なイベントだ。エンディング前の雑談タイムってやつさ!余命数分のラジオ生放送だぜ!?死ぬ話しないで何話すんだよ、天気の話か!?本日の天候は不安定です!雨が降り、爆発が起き、最後は血肉の雨!なお、明日の予報はありません!」

 

狐太郎の声はやけに明るく、緊張感を意図的に蹴散らすようだった。その隣でソロは変わらぬ姿勢のまま、短く息を吐く。

 

「……死ぬこと自体は、もう受け入れてる。二度目だし。今更感想と言われてもな、まあ怖いとは思うが……」

「クール!クールすぎて極寒!でもさぁ、気になるだろ?そうだな、死後の世界ってあると思う?」

「分からない。あったら面倒だな」

「即否定かい……いやぁ、でもだぜ?例えば輪廻転生とかはどう思う?転生物は昨今の流行りだ。俺様はあんまり好きじゃないんだけど」

「好きじゃないのに聞くのか」

「好奇心さ、来世は何がいいかなんて、友人同士で適当にする話題だろう。石油王の息子になりたいとか、すんごい美少女に生まれ変わりたいとか、なんかあるだろう」

 

福州は一瞬だけ視線を伏せ、すぐに前を見据えたまま答える。

 

「……もし生まれ変わるなら、人間はもういい」

「おっ、来た来た!じゃあ何になりたい?」

「……鳥。トビとか。高く飛んで、何にも縛られずに、ただ風に乗っていたい」

「渋ッ!?選択が渋いぜ!!もっとこう、ドラゴンとか不死鳥とかさぁ!夢見ようぜ!俺はね、神」

「現実的でいい」

「そうかい、それなら俺様は鹿だな」

「……鹿?」

「鹿!草食!平和!ツノがかっこいい!俺が初めて化けた動物だ。なんやかんやで、謎の思い入れがある」

「熊に襲われたり、猟師に撃たれたりするが」

「そこはほら、奈良公園の鹿だから」

「……危険回避が露骨すぎる」

「愛玩される側の勝ち組人生ってわけよ!なぁんも考えなくていいんだぜ。食って寝てるだけで愛されるなんて、最高の勝者だろ」

「それはそれで、果たして勝ちと言えるのかどうか……」

「細けぇことは良いんだよ」

 

狐太郎は前脚を組んで上に顎を乗せ、隣に姿勢よく座るソロを見る。爆弾の数字が確実に減っていくのが視界の端で分かる。

 

「……あのさ」

 

福州がこちらを見ると、なんとなく狐太郎は視線を逸らした。軽口を叩いていた表情がほんの一瞬だけ曇る。そうして悩んだ末、もう一度彼を見る。

 

「……これ、本当は絶対言っちゃいけないんだろうけどさ」

「……何だ」

「俺さ。今、自分の人生に……結構、満足してるんだ」

「……」

「家族も殺したし、お前の家族も殺したし、数えきれないくらい人も殺した。最低最悪だってのは百も承知だ。確かにクソみたいな事、許せない事は多いぜ?雑魚どもが石投げてきたこととか、ユウちゃん脳無事件とか、俺達への罵詈雑言とか、壁のクソ落書きとか、タルタロスの事とか。そこはしっかりとクソ最悪だと思う」

「……」

「でもさ、全体をこう……俯瞰してみるとさ、波瀾万丈で、クソみたいだけどほとんど退屈しなくて、全部本気で……今思うと正直、ドキドキワクワクが結構多くて、楽しかったかも。

森での自由な暮らしも、お前との旅も、福州家での3年も、雄英での時間も、本当に楽しかったし。

そんで大嫌いな世間に牙向けられたし、最後にはオールフォーワンにも噛みついてやった。嫌いな二つに大ダメージを与えてやれたわけだ。まあ結果は爆発オチだけど、病死よりは派手で最高だ」

「……地獄行きだな」

「そこはもう諦めてるさ!」

 

狐太郎は口角を上げて笑う。

 

「スタート最悪で、上がったり下がったりのジェットコースターみたいな人生だぜ。エンタメとしては満点だろ?」

「……エンタメとしても0点だ。お前が主役じゃなきゃ、胸糞悪くて最後まで見ない」

「俺様が愛されキャラで良かったってワケね。仮にこれがドB級だったらどうよ?」

「B級にしては中途半端だ。お前が怪物になりきれれば観客席でポップコーンを食べながら笑えたかもしれないが……結局お前は最後まで人間だった。友達は殺せない、情は捨てきれない、蹂躙と殺戮を好む割に優しさが中途半端に残っている。本当に、救いようがない」

「俺様ってば超絶優しいからさ、俺は俺のことを好きな奴は好きだし、そう言う奴は殺せないぜ。何故なら愛されキャラだから」

「お前本当に自分が愛されキャラだと思っているのか?図々しい奴だな。これから地獄に行く奴の態度にはまるで見えない」

「反省してビビって泣き喚いてた方が良かった?もうダメだー、最悪だー、何もかもがお終いだー、全部俺のせいだうわー、許してくれー、みたいな?」

「鬱陶しくて最悪だな」

「だろ?」

「俺みたいだ」

「反応に困るぜ」

「ミスターペシミストと呼んでくれ」

「呼ばない!」

 

狐太郎は愉快そうにケラケラと笑い、福州はそれを見てどこか暖かく目を細めた。今ここに聞こえるのはお互いの声と、刻一刻と迫るカウントダウンの音だけだ。

 

「さて、そろそろだな。地獄で閻魔にボッコボコにされて土下座してくるとするよ。殺した分だけ……となると俺様、永久会員コースだろうな。地獄の飯は何割引になるんだろう」

「……」

「たださ、死後の世界があるとして、天国にいるだろうユウちゃんに直接詫びられないのが心残りでさぁ。なあソロ、天国行けたら代わりに詫びといてくれよ」

「無理だな」

「即答!?」

「俺も……行き先は同じだ」

「え、死後までお揃い!?マジ!?ズッ友すぎんじゃん!!」

「言い方が軽いな」

「軽くもなるさ!今は11トンだけど数十秒後には21gになる訳だし!そんじゃ、名誉お狐コンビとしてさ!最後は派手に行こうぜ!」

「……爆発オチか」

「爆発オチさ!」

「……本当に、最後まで騒がしいな」

「最高の褒め言葉だぜ。だって俺様、おしゃべりパーソナリティの化野狐太郎君だからな!」

 

数字が、ゼロに近づいていく。

 

「さぁ逝こうか、親友!」

「……ああ」

「地獄で再集合な!」

「……遅れるなよ」

「そっちこそ!今度は早く会いに来てくれよな!」

「任せろ」

 

福州の返答は淡々としていたが、その声には奇妙なほど安らぎがあった。狐太郎は満身創痍の身体でそれでも笑う。

 

「……じゃあな、狐太郎。締めてくれ。俺の……親友」

「任されたぜ。そしてじゃあな親友、地獄でまた会おう。

というわけでお狐フレ〜〜ンズ!!ご視聴ありがとうございました!未来あるヒーロー達のご多幸をお祈りして、さらば!!

爆発オチなんてサイテー……!というわけで、あばよ!!」

 

狐太郎の叫びは、どこか清々しい響きを帯びて空気を震わせた。と、同時に轟音とともに爆風が炸裂し、2人の姿は一瞬で炎と濃密な黒煙の中に掻き消えた。爆発は周囲の空気を巻き込みながら巨大な火球となって膨れ上がり、瞬く間にすべてを飲み込んだ。建物は支えを失ったようにあっけなく崩れ落ち、数秒遅れて石と鉄骨の塊が重力に引かれて落下していく。切り立った崖も衝撃に耐えきれず、大きな断裂音を響かせながら崩壊した。

 

崩れ落ちた岩の破片が次々と谷底へ叩きつけられ、その上から滝の水が一気に流れ込み、白い飛沫が高く舞い上がった。水しぶきと粉塵が混じり合って世界が霞む。

 

すべてが収束したとき、そこにはもう何も残っていなかった。

爆風がさらっていったかのように、2人の姿も、先ほどまで存在した基地も、景色そのものが跡形もなく消え失せていた。

 

 

 

 

 

      *    *    *

 

 

 

 

「青山少年と、話はついた」

 

諸々の騒動が終わり、オールマイトは再び信用できる者たちと共に対策本部へ戻っていた。だがその表情は沈痛で、古傷の痛みとは違う重みがのしかかっている。相澤は青山の説得に当たっていて持ち場を離れられなかったため、オールマイトがヒーローたちを率いて緑谷たちのもとへ向かった。

 

しかし、彼らが辿り着いた頃にはすべてが終わっていた。

 

A組の生徒たちは避難した先の大型船の上で、声を上げて泣きじゃくっていた。涙を拭う余裕もなく、嗚咽が絶えずに漏れている。その光景は、オールマイトの胸に深く刺さった。

 

結果としてヒーロー達の島民の避難誘導は間に合わなかったが、明香島の爆発は免れた。ただ、バリアントプライドの基地は跡形もなく吹き飛んでいた。2人の亡骸がそこにあるにしても、発見されるのがいつになるのかすら見当がつかない。いや、あの規模の爆発の震源地にいたのだとしたら、亡骸すら残っていない可能性が高い。

 

(いつも、肝心な時に私は居ないッ!!)

 

心臓を握りつぶされるような痛みが胸に走る。自身の不甲斐なさに、腑が煮えくり返るような怒りが湧き上がる。それでも今は噴き出させるわけにはいかなかった。

 

オールマイトはゆっくりと息を吸い、強く吐いた。

 

「決戦の時は来た」

 

全てを終わらせるために。

 

オールマイトの窪んだ瞳には、かつての黄金の時代を思わせるほど強い光が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところ変わって雄英高校の屋上。

 

緑谷は風に吹かれながら一人、空を見上げていた。夕暮れ前の空は淡い橙色に染まり、遠くの雲がゆっくりと流れている。破壊されつくした街はセメントスたちの力で再建が進んでいる最中で、その作業音が遠くで微かに響く。

 

2人の亡骸は捜索されているものの、発見される可能性は極めて低いという。生命反応を探知できるヒーローたちが調査した結果、生存は完全に否定された。それだけだった。

 

遺体も見つからない。

弔いすらできない。

社会が崩壊した今、友を送る儀式すら叶わない。

 

緑谷は拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、痛みが走る。

 

誰も安心できない。不安と絶望が渦巻く世界だ。

 

「だから、全部終わらせるよ」

 

胸に渦巻く激しい怒りは、確かにそこにある。だが、敵はそれをぶつけてどうにかなる相手ではない。怒りに飲み込まれれば敗北する。

 

緑谷の瞳には、覚悟の光が宿っていた。

 

「大丈夫。僕が……僕達が、必ず勝つから」

 

皆が笑える世の中を取り戻すために。

 

誰に向けた言葉でもなく、しかし確かに誰かへ届くように。緑谷は空に向かってそう告げた。風がその声を運んでいく。

 

そして、揺れる制服の裾を整え、緑谷は静かに踵を返した。

 

オールフォーワンとの決戦が、確実に近づいていた。

 

 

 

 

 

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