別に神様から許される必要なんてなかった気がする。   作:ぞんぞりもす

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高1-7

 結果として、僕が異常だったのはあの夜だけだった。僕は他者に見せるべきではない人間性を封じ込め、通常通りの振る舞いを取り戻した。

 

 その日はまだ夏休み中だったけれど、「マンションに戻る」なんて家族を言いくるめ、僕らは海を目指す。午前中にマンションにすべてを置き、午後二時をめどに電車に乗る。

 田舎は基本的に一時間に一本、二両編成の電車が走る。二時台に出る電車は二時電なんて呼ばれる。それは厳密には二時四三分発の電車だった。

 

 僕の住んでいるところはそんなところで、電車から見ることのできる風景もまた、その時間間隔に見合うだけののどかなものだった。田園にそよぐ緑色の稲の先、その音が蘇るほど光景が生き生きとしている。

 

 目的の駅で電車を降りた僕は、木造の古い駅舎を見回す朝陽を先導する。

 

「名前しか知らない駅って感じ。いまだに自動改札じゃないの?」

「このへんだと無人の改札もあるよ」

「無人!?」

「白い箱? みたいなのに切符を入れる感じ」

「それどうやって切符買うの?」

「さぁ。分かんない。僕も話で聞いたことあるだけだし」

 

 僕は朝陽にスマホを預けていた。朝陽はスマホを僕のマンションに、偶然、置き忘れてしまったのだ。彼女のポケットから取り出される自分の四角い端末に不思議な感じを覚えながらも、僕は駅を出る。

 

 

 炎天下の夏日、陽炎の立ち上るアスファルトにアイスが落ちていた。近づいてみると、それは陽光を受けてきらきらと輝く。まるで、忘れ去られている事実さえも忘れるように。実際の現実逃避よりもずっとずっと清潔な逃避だった。

 ビー玉がビー玉以上の価値を持っていたころ、僕はちゃちな宝の地図を広げてそこかしこを闊歩した。各地のすべてには名前がついていて、徒歩圏内が僕のすべてだった。そのときに戻れるなら、ここはなんて名前になるだろう。

 

 

 国道から遠ざかるように二度折れた路地は、静かだった。左手に見える砂浜と海に向かって、僕らはゆったりしたペースで歩いた。下り坂をあえてそのようにして歩くのはちょっと変だけれど、無意識に選んでいる。

 

 潮のにおいの染み込んだ夏風はべとっとしていた。胸いっぱいにそれを吸うと、となりに立つ少女の甘い香りが混じっている。

 もしも彼女と出会わなかったら、僕はこの光景を知らないままでいた。そういう確信のもと「僕の未来は君のせいで膨らんでしまったな」と独り言のように呟く。

「え~」と朝陽はわかりやすく頬をふくらませる。「じゃあ私のもそうだよ。お互い様!」彼女は道をある程度下ったところで、「走ってみる?」と僕の手を掴んだ。

 

「転ぶ気がする」

「じゃあ、私たちの歩き方であるこっか」

「そうだね。僕たちの歩き方」

 

 僕たちが訪れた場所は海水浴場と言うよりも、寂れた砂浜と言ったほうが正確だった。

  晴れが続いていたから空気は乾いていて、だから砂にも水気はなくて、軽い。くたびれたスニーカーの底と新しめのスニーカーの底は、さくっと揃って砂に沈んだ。足跡が残った。並んだ思い出のように、模様が若干異なっている。

 

「別に君が……その、なんだろう。大きな……人のまとまりにまざりたいと思うのなら、そうすればいいと思うよ。僕は僕のできることしかできないし、両手を広げたところで、届く範囲は限られている」

 

 思いがけずこんな言葉が飛び出てしまうくらいに、僕は昨晩の事態に動揺しているらしかった。

 太陽が見渡す限りを照らしている。深い緑、くろぐろとした青、不純物にあふれた砂浜、僕たちが歩いてきた鼠色。この薄暗さとも薄汚れているともつかない微妙な配色が、現実だ。

 

「私を抱きしめるのには十分な大きさだよ」

 

 朝陽はそう言って笑った。

 

 しばらく砂浜をぶらついた僕らはそのへんの食堂で――国道沿いに一つしかなかった――昼ご飯とも夜ご飯ともつかないご飯を食べた。そして今度は一昨日の花火大会の会場に足を伸ばした。

 

 広々とした海の向こうへ太陽が沈んでいく。僕らはぎりぎり日の入りに間に合った。彼女の生は狭く窮屈だから、せめて景色だけでも雄大であってほしくて、はたしてそれは叶ったろうか。

 僕は横顔を盗み見る。いつもの角度、見慣れた景色。長いまつ毛がぴんとする感じも、そのまんま。自信が持てないな、と僕はバレないように自嘲した。

 

「コンビニでアイスでも買おうよ」朝陽がとなりを見た。だから目が合った。「缶ジュースでもキメながらさ、ちょっとした雑談に大輪の花でも咲かせて」

「そうだね」と僕は笑い、二人で進路を変える。

 

 その昔は僕も会場にいた。みんなの世界から弾き出されたゴミが世界を彩っているのを、さらに外側の世界で眺めていた。そのとき何を思ったのかは覚えていない。それ以外の景色や道中も、まるで失敗作の絵を灰色のクレヨンでぐちゃぐちゃにするみたいにして隠されてしまっていた。

 

「どうしたの?」と朝陽が首を傾げる。

「ん?」と僕も首を傾げる。

「手、力入ってたよ。無意識?」

「……そうだね。無意識だった」

「そっか。考え事?」

「うん。全部クレヨンに塗り潰されてる」

「ふぅん」

 

 日が没した。残照だけが僕らの明かりとなった。風前の灯火で、僕らは紙飛行機をどこまで飛ばせるだろう。飛んだってどこまで視認できるだろう。

 少ししてから、朝陽は「なんにもないね」と言った。「一昨日は特別だったのかもしれないけどさ」と彼女は続けた。

 

 結局コンビニで買ったアイスは、砂浜に戻る前に食べ終えてしまった。手を繋いだ僕らの片手には、それぞれ自販機で買った缶ジュースが握られている。朝陽が「缶ジュースがいい」と駄々をこねたのだった。

 

 朝陽は一度大きく息を吸い込み「はぁ~」とわざとらしい大声とともに吐き出す。

 

 音が舌という湿った草原を抜け、衝動となって飛び出る。言葉が弾み、踊り、揺れ動く。櫓太鼓を囲んで盆踊りをする祭りの日みたいに、きらめく鉄塔を囲って僕らが踊る。はしゃぎ回って、走って歩いて、話して笑って。

 夜というには少し明るい、黄昏時にすら置いていかれた僕らだけの宙ぶらりん。

 

 重たい疲労を全身で引きずり、僕らは帰る。

 

 電車の窓が何度も僕の後頭部を殴りつけた。それでも僕の意識はまどろみの中をたゆたっていた。

 こんなふうに保健室のベッドの中とか、早退したあとの家で過ごす午後とか。そういう中途半端に引き伸ばされた時間がちぎれて……僕が滅多に感じることのできない浮遊感。これを彼女は常に感じているのかもしれない。そんな中で地に足をつけ続けようともがくことは、きっと想像を絶するくらいにしんどいんだと思う。

 

 僕は「こうして、何時間にも及ぶデートと逃避行は幕を閉じました」と言った。眠たげな声に自分で笑ってしまう。

 朝陽は背もたれから背中を離して「どうしたの? いきなり」と僕を覗き込む。

 

「おとぎ話の終わりっぽくしたくてさ」

「デートなんてワード出てこなくない? おとぎ話に」

「おとぎ話のおとぎっぱなし……」

「なんか楽しそうだねその話」

「このままとどまり続けたい。あるいはどこかまで揺られ続けていたい」

 

 僕は漠然と思っていたことを口にした。けれど、僕らはどちらも許されていなかった。

 

 体力が切れて、僕も彼女もほとんど無口だった。無音の幕が僕たちを包み込み、世界の音をそっと遠ざける。カーテン越しに聞いたような音はやわらかな心にそっと触れた。

 

「難しいね」

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