別に神様から許される必要なんてなかった気がする。 作:ぞんぞりもす
僕が友だちと遊ばないことや友だちの話を一切しないことについて、両親はかなりもやもやしていたらしい。だから朝陽と仲よくしていることを自分のことのように喜んでいる部分があった。どうして同性の友だちがいないのか、どうしていきなり異性と仲よくなれたのかなどについては目をそらす方針らしい。何かにつけて「私たちのときにもそういう子はいたけど」と、僕ではなく自分自身を慰めるように両親は口にした。
人間関係について言えば、僕は異端だったし、そんな僕と付き合っている彼女もまた異質だった。
僕たちは友だちと呼べる関係値の他人を築くことができない。朝陽は人気者ではあったけれど、そこに神秘性、不可侵性を有していたのもまた事実だ。僕らは教科書の貸し借りや問題の解き方を聞かれるくらいならできている。ただ、〝遊ぶ〟となると話は別だった。僕らは同年代の遊び・衝動に理解と共感を示せるほどには
そんなでも二人とも嘆くことはなかった。慣れきっていた。
「僕は基本的に人に近づかないから、友だちの増えようがないんだよね」
僕が口にすると、朝陽も同調した。
「自分からぐいぐい行くタイプの人って私たちから距離を置くからね。あともう残ってる人は内気な人たちで、そこにも私たちはアクションを起こしにいかないから関係が深くならないまま終了! ってなっちゃうんだよね」
僕たちは二人きりで、適切な人間関係を築けないね、という話をした。今日は運動会なのにそっちのけだった。社会から孤立することを恐れず、かえって楽しんでいるふしがあった。自分が社会から半分はみ出していることを、長く続く縁石の上を両手を広げて歩くように。
僕たちには危機管理能力に乏しいところがある。使い古した諦めという感情は、スリルによってしか熱を与えられないのかもしれない。
僕たちはグラウンド端の小高くなった木陰で休みながら綱引きを見ていた。二人きりだった。緑色のベールが日差しを遮り、砕けた陽光がときおりとなりの肩で踊る。
初夏の風が頬を抜け、ポニーテールの仲間になれなかった横髪を耳へ流している。朝陽はくすぐったそうに横髪を耳へかけた。
「私たちのほう勝ったんじゃない?」
「何色?」
「ヒント、私のおでこ」
「白色かぁ」
「緑だよ!」
遠くの標識を眺めるようなうっすらとした目が見開かれ、僕を捉える。勢いよく動いた首に、遅れて尻尾が空を切った。
朝陽は上下ともに長袖のジャージを着ていた。チャックを一番上まで上げているせいで首がほとんど隠れている。風に揺れた木の葉が陽をちらちら注ぐのと同じリズムで、ジャージの襟がちょっぴりそよぐ。白い首だった。
普段はストレートだから後ろまで黒色が広がっているが、今日ばかりは違って、首の細さが浮き彫りになっている。活発な印象と淑やかな感じが一流店のカフェラテみたいに同居していた。
背後に木立があるせいか、茶色の梢が彼女の白を際立たせる。日焼けしても白いままだと思った。
「えっなに、もしかして私のこと褒めてたの?」
「うん。君の白は……あ~……ホイップクリームよりも白い。甘い香りのしそうな白だ。清潔だ」
「舐め回したくなるくらいに?」
「そうそう。甘そうだしね――まてまてまて、近づいてこないで! えっなに正気!?」
朝陽は体の向きを変え、僕を正面に据えて近づいてきた。僕は後ずさることもできないまま、せめてもの抵抗として体を斜め後ろに倒していく。
素手が草をむしった。不安は漠然としているのに、緑を殺した水分は鮮やかに把握できた。湿り気のある土は冷たかった。指先や爪から冷感が突き抜けて僕を凍らせた。
備考として、僕にはあまり筋肉がない。つまるところ腹筋も割れていない。腹筋が捩れて痛かった。
朝陽は猫のようにしなやかに背筋を伸ばして僕に迫った。
「勝機はあったかな」
朝陽の影はとうとう僕に重なった。
僕は背中、肩、頭の順に草むらへ軟着陸する。緑の甘い香りがした。後ろ髪とジャージの首周りの隙間から、葉先がちろちろ僕のうなじを撫でる。
「今ってどんな気分? 自分から勝負を吹っかけて負けたのはどんな気分? ポケモン勝負だったら全財産が奪われてるよ?」
「ポケモンってそんなにハードな世界だったっけ」
「身ぐるみ剥がされちゃうよ」
「嘘か本当か遊んだことないから判断できないな……」
「そうだなぁ」と僕は脳内のタンスを開けまくる。
朝陽は光を遮り続ける。奥に控える緑のベールは、影のせいで深緑に見えた。言葉の隙間を埋めて葉の隙間から陽光がちらつく。
ここでもしも朝陽がポニーテールじゃなかったら。僕は垂れた後ろ髪にくすぐられて、さらに翻弄されたのだろうか。それも悪くないと思った。
「蜂蜜から激突されたハチの気分」
「ただの事故じゃん」と面白そうに朝陽は言った。それから間を置いて「でも知ってる?」と言う。
僕を艶やかに誘う声に、思わず体が強張った。
「ハニートラップって、トラップのほうから寄ってくるんじゃない?」
「……まんまと引っかかった。僕の負けだよ」
「ところで何に負けたの? 惨めな
「うーん。何に負けたんだろう……ていうか、よく分からないものに説明を求める当たりがさぁ」
「いじわる?」
「性格悪いなぁって」
「ちょっとぉ! ちくちく言葉だよそれ!」
木の葉の揺れる音、各組の声援、電車が線路をがたごと進む音が遠のいて聞こえる。影の奥には深緑があって、ときおり光と白と空色が映る。洗濯されたばかりみたいに空は澄み渡っていた。若葉のにおいがした。頬を葉が撫でている。
「でも私の勝ち」と朝陽は笑った。彼女の声は決して大きくはなかったけれど、僕には鮮明な一撃として耳に届いた。
しばらく見つめ合って、やがて僕は口を切る。
「いつまでこうしてるの?」
「罰としてもう一分このままね」
「虫に刺されるんだけど」
「怪我は男の勲章だよ」
「だっさい怪我だなぁ……甘んじて受けよう」
「帰ったらムヒ塗ってあげる。知ってた? ムヒって、比べるものがないくらい優れた商品になりますようにって願いも込めて無比とかけてるんだって」
それきり朝陽は閉口した。逆光と言えど、こうして長いこと見つめ合っていると恥ずかしさが募る。
沈黙は周囲の音が埋めてくれた。しかし僕たちの視線は交わったまま、何にも邪魔されることがなかった。
よーいどんで鳴る銃の音を聞き逃す権利さえない彼女が不憫に思われた。途端に胸が締め付けられて息が苦しくなった。朝陽は平気そうな顔をしているけれど、その痛みは僕の想像を絶するだろう。そのことに唐突に気が付き、とても哀れに思った。
手を上げようとして、その手は朝陽と僕の狭間で停滞し、そのまま宙ぶらりんでぷつりと切れた。重力に引かれて落ちてしまった。
「きれいな顔。好きになっちゃいそう」
「もうなってるんじゃないの?」
「毎日惚れたっていいでしょ! ていうか陸空、鉢巻きは? 持ってきてないの?」
ぷんぷん怒る調子を一転させて朝陽は言葉を紡ぐ。僕の額を小さな手がまさぐり、朝陽は僕が鉢巻きをつけていないことに戸惑い、僕は彼女との接触に戸惑った。
車は急には止まれないなんて言うけれど、朝陽の場合は、慣性を振り切るほどの圧倒的な勢いでブレーキからバックまでをやってのける。そしてバックも最高速に乗るまでが早い。運転している彼女は慣れっこなのだろうが、最近になって助手席に乗るようになった僕からすれば異様な光景である。
彼女の世界は速く、いつでも鮮やかだった。
体が弱いからこそ激しく動くことができず、普通ならば世界が緩やかになってしまうはずなのに。彼女には、こうしなければゆったり流れる人生に侵食されてしまうという怯えがあるのかもしれなかった。
「荷物置き場にある気がする」
「ある気がするってなに!? 開会式のときつけてたよね!?」
「どうだっけ……誰も僕に気を払わないからさ、なにかあってもバレないんじゃない?」
「バレるバレないの問題じゃなーい!」
「なんだか体温を測られてるみたいだ」
「これがこの状況じゃなかったら、私に熱がありますね! とか言ってあげるけどさー!」
肺を空っぽにするまで叫んだあと、朝陽はくつくつ笑いながら、いよいよ体を重ねてきた。彼女はそのまましばらく動かなかった。
朝陽は息を切らしていた。呼吸の荒さが、命の吐息の熱さが、重ね合わせた箇所から伝わってくる懸命な拍動が、痛ましい。僕らは別々のリズムで生きているのだと、否応なしに理解させられてしまう。
僕は現実から目を背けたくなった。だから何も考えないようにしようと考えながら、じっとしていた。