別に神様から許される必要なんてなかった気がする。   作:ぞんぞりもす

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中途-2

 保健室の沈黙を打ち破った朝陽は、カーテンを勢いよく開けて第一に窓を見た。そして感極まった声で「まだ降ってる……!」と呟いた。

「朝陽ちゃん」と視界の端で有坂先生が立ち上がり、ベッドへ向かった。それから僕に話したのと似たようなことを話し始めた。

 

 

 保健室にある丸テーブルは、教室の机よりも小さい。それと支えが中心にしかないので、端に手を添えて力をかけただけですぐにガタつく。

 これは保健室の常連になって気づいたことだった。丸テーブルで勉強するのに飽きた僕は、ストレス解消グッズのぐにぐに君を揉んで話を聞き流した。

 

 有坂先生が怒ることはない。ちらと様子をうかがうと、朝陽の反応は僕と似たりよったりのしゅんとした感じだった。

 

『腹の中が読めないよ』

 

 とライン(・・・)するが、スクールバッグから通知音が聞こえることはない。僕たちは互いに通知を切っていた。

 ときおりこんなふうに、スマホを持ってきちゃいけない場所でやり取りをする。学校の図書室や昼休みが多かった。秘密の儀式めいていて楽しかった。バレたらいけないスリルを味わうことを、僕たちは心のどこかで楽しんでいる。これが有坂先生の言うところの、ネジが緩んでいく過程なのかもしれない。であればもう手遅れだ。ドライバーなんて人生にちょうどよく落っこちていないし、失敗によって締めるしかないと思うから。

 

 

 ひと通り話し終えると、先生は職員室に用事があるからと保健室をあとにした。騒がしかった校内が静まり返っていることに僕はいま気がついた。もしかしたら朝活動のチャイムがどこかのタイミングで鳴ったのかもしれない。

 

 

 朝陽はかけ声とともにベッドから腰を上げて、保健室の片隅に置かれたスツールに向かう。それを持ってきて僕のとなりに座った。

 

「よく揉んでるよね。ストレス溜まってるの?」

 

 椅子は触れていないが、片腕は触れていた。彼女は体を横に傾けた姿勢でむりやり僕にくっつこうとする。しまいには安定のために僕の腕を抱いた。

 

「いや、癖なんだよ。手遊びというか。揉んでて気持ちいいし」

「ふぅん。もっと気持ちいいものあるけど」

「すいぶんとユーモラスな冗談だね。ゴールデンブザーも取れるだろう」

「きっつ」

「きついのは君の冗談でしょ」

「なんだと思ったの?」

「胸」

「わ、デリカシーない!」

「胸部装甲」

「ブラジャーのことそうやって言う人初めて見た……ていうか胸部装甲もなかなかデリカシーないからね?」

 

 笑いをこらえきれなくなったのか、朝陽は手で口を押さえてくつくつ笑った。そして、発作が起こるかもしれないと冷や汗をかく僕の気など知らずに、ひとしきり笑ったあと深呼吸をした。

 

「朝からすっきりしたら、なんだか眠くなってきちゃったな……」

「赤ちゃんかな?」

 

 朝陽は「ふはは」と喉が開いたような笑い声をあげた。天井を仰いだ拍子に前髪が弧を描いて後ろに舞った。そして僕の腕をぎゅっと抱きしめる。肩口に小さな顔が寄った。上目遣いはとろんとしていた。

 

 僕はぐにぐに君を定位置に戻した。できる限り形を整えたのだが、片手が使えないせいで不格好だった。五個の中で、その一つは浮いていた。歪んでいた。人間だったらここできっと迫害が起こるのだろう。

 

 僕たちはしばらく静かだった。先ほどの騒がしさがまるで嘘のように、校内は静まり返っている。保健室には、雪と曇天といきすぎた清潔によく似合う静寂が募った。灯油ストーブと加湿器が稼働していたけれど、それらの音が余計に僕らの無言を際立てている気がした。

 

「……行かなくていいの?」

 

 穏やかな声だった。

 

「読書なんて家でしてるし、宿題とかも全部済ませてるし」

「そっか」軽い声で返事したあと、朝陽は思い出したようにつけ足した。「借りてたやつ今度返すよ」

「それで言えば僕も漫画読み終わった。あとで買う」

「今度アニメ二期始まるよ」

「せっかくなら一期から見ようかな」

「一気! 一気!」

「古い大学生みたいなノリだね」

「何歳で言ってるんだか」

「二八」

「びみょうじゃん」

 

 朝陽は今度、静かな笑い方をした。また静かになった。

 

「あぁ、二倍ってこと?」

 

 僕たちはぽつりぽつりと言葉をかわした。それは演奏者が覚えていない楽譜を確認しながら音を出すような、まばらの間隔でおこなわれた。演奏者が譜面を読んでいる合間の無音を気にしないように、僕たちも空隙を気にしなかった。

 おそらく、僕たちは互いの譜面を読み合っていた。譜面には一人ひとりの過去に基づいた違う形の文字が書かれているのだと思う。少しずつ解読していくことを交流と呼ぶのだ。自分を押しつけることは、決して交流とは呼べない。

 

「冬休み入ったらときどきそっち行ってもいい? またゲーム見たい(・・・)

「となりで寝ちゃうんじゃないの?」

「そうかも。でも見てると落ち着くから」

「落ち着くかなぁ……一人でぶつぶつ言いながらやるのって儀式めいてない?」

「えーでも急所負けとかでも陸空って怒らないし。落ち着くよ。すごい人だとプロコン投げるんだよ?」

「それはそれだけ本気でやってるからでしょ。反動で悔しいんだよ。僕はそこまでガチってない」

 

 保健室は白い。彼女の肌もまた白い。「むぅ」と朝陽は唇の先を突き出した。よく映える瑞々しい赤だった。採れたての果実とかトマトみたいだった。

 

「私と温度が似てるからすごくいいの」

「そうかぁ」

 

 物事に当たる温度か、あるいは生き方の温度だろう。

 どちらかというと朝陽は元気系だ。熱血系と表現する人も多いと思う。特に僕たちと同年代の若い人たちは、表こそが人の本質であると解釈するふしがある。逆だ。コインの裏にこそ人の本質は潜んでいる。僕がこんなふうに考えられるのは人生経験などでなく、読書経験を人生に重ねているからだろう。

 

 朝陽は諦めに寄っている。あがいたところでどうにもならない体質がそうさせたのだ。そして冷え切っているからこそ、かえって熱く振る舞うことができる。見込みがゼロであれば嘘をつくのも気楽にできるだろうから。

 

「朝活動が終わるまではいるよ。たぶんそのころには有坂先生が戻ってくると思うし」

「私もひと眠りしたら授業出ようかなー」

「雪に夢中で授業そっちのけじゃないの、それ」

「かも」

 

 顔を見合わせて笑った。僕たちの空間には安らかな倦怠感が横たわっている。

 

「雪ってそんなに魅力ある?」

「うーん……魅力とかじゃないよ。珍しいからつい見ちゃうの。これから何が始まるんだろうって思ったら、それがたとえ自分がまざれないことであってもわくわくするでしょ?」

 

 その言葉に心臓が斬りつけられる思いがした。朝陽の青さゆえの希望は、きっとそうして何度も赤い花を咲かせたことだろう。

 顔を歪めそうになるのをぐっとこらえる僕をよそに、朝陽はいたずらっぽく笑った。

 

「それに、もしも魅力的なものに視線が釘付けになるなら、私はずっと一つ前を見てないといけなくなっちゃうし。けっこう近いのかなーとかって。関係ないって言われててもね」

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