時系列としてはUSJ襲撃、雄英体育祭、職場体験と怒涛のイベントが終わり、期末試験を控えつつも少し落ち着いてきた頃。
そして保須市でのステイン逮捕騒動の後、ヴィラン側でも何やらきな臭い動きが見え始めた頃。
雨が降る夜の公園の東屋で、二人が出会う“はじまり”のお話です。
幼い頃のあたしの『ステージ』は、ダンボール箱でできていた。
マイクはどこにも繋がっていないただのオモチャだったし、スポットライトも天井のLEDライトだけ。スピーカーなんてものはもちろん無くて、まだ未発達な声帯を震わせて、めちゃくちゃな音程で歌を歌っていた。
それでも、あたしにとっては正真正銘の『歌』であったし、即席のステージの上に立てば心は立派な『歌姫』であった。
そんなあたしの歌を聴いたお父さんとお母さんは、優しく頭を撫でてくれながら笑って言った。
「天音の歌声は、聴いていて自然と笑顔になれる声だなぁ」
「いつかきっと、みんなを笑顔にする素敵な歌手になるわ」
「ホント!? あたし、ぜったいぜったい『かしゅ』になる! それであたしのうたで、みんなをいーっぱいえがおにするの!」
……あたしの発現した“個性”は『歌』だったけれど、そうでなくとも歌を歌うことが好きな気持ちは変わらなかっただろう。
けれど。この“個性”があったお陰で、あたしは今の「ヒーロー志望」の道を歩いていけてるのだと思う。
いつか観たテレビの中。男の子たちはオールマイトを始めとしたヒーローとヴィランの大捕物に夢中だったけれど。
あたしは不安に震える要救助者たちを、笑顔で励まして勇気づけるヒーローの姿に釘付けになった。
――あたしが目指すべき理想の姿は、『コレ』だ。
そう確信した瞬間、あたし――
自分の『歌』で誰かの命と心を救う、
しとしとと冷たい雨が降る夜の街を、制服姿の一人の少女が駆け抜けていく。
まだ使い込まれていない学生鞄を腕に抱え、はっ、はっ、と息を弾ませながら足を動かす。両サイドをハート型のシニヨンに結わえた、セミロングのピンクブロンドが、雨粒に濡れて艶めいて輝く。
ローファーの底が出来たばかりの水溜まりを踏んで、パシャッと大きく飛沫を立てた。
「ああもう……! なんで折り畳み傘を忘れた日に限って雨が降ってくるかなぁ……。しかもこんな遅くなった頃に……」
とにかくどこか、雨を凌げる場所を探さなくては。
少女――歌羽根 天音は、慌てて視線をあちこちに彷徨わせる。これ以上雨に晒されると風邪を引いてしまうだろうし――何より、鞄の中身をあまり濡らしたくはない。とはいえ、今走っている間に周囲を見回したところ、雨宿りに良さそうな場所は見つからなかった。
そのうち、そこそこ広い緑化公園沿いの歩道へと差し掛かる。そこでふと、天音は公園の入り口前で立ち止まった。足を踏み入れるか少しの間迷ったものの。ええい、もう雨宿りができるなら木の下でもなんでもいいや、と意を決して一歩足を踏み出した。
夜の公園は所々にポツンと電灯が立っているものの、それでも先がはっきりと見通せないほどに暗い。空気に混ざった湿り気も相まって、少し不気味な印象を天音に齎した。やっぱり入らなきゃよかったかも……という後悔が胸の内によぎった時。
「あ……あそこ、いいかも」
薄桃色の彼女の瞳が、ポツンと隅に建つ木造の東屋を映す。こじんまりしてはいるが、屋根はしっかりとした造りであることが窺える。
ちょうどよかった、あそこで少しの間雨宿りしていこう。そう思い、彼女は深緑色のプリーツスカートの裾を揺らしながら、ぱたぱたと東屋へ走り寄った。
「ふぅ〜……よかったぁ、びしょ濡れになる前に雨宿りできて……」
東屋は近くの電灯で仄明るく照らされるのみで、あまり視界が鮮明な空間ではない。風も大きくは吹いていないため、聴こえてくる周囲の音はポタポタ、パタパタ、ポツポツ、といった軽やかな雨音だけであった。
雨の音は嫌いじゃない。むしろ、その不規則なようで調和の取れた音は、こちらの心を落ち着かせてくれたり、軽やかに弾ませてくれたりする。
けれど、天音の今の心境は、そこまでウキウキと弾んだものではなかった。
「鞄の中も……濡れてない。教科書……ノートに……」
鞄の中身を確認する天音の目に、一冊の大学ノートが入ってくる。ピンク色の表紙に『あたしの曲ノート!』と大きくポスカで書かれたそれは、彼女にとって命よりも大事で、喉の次に大切なノートであった。
「『コレ』も濡れてない……よかった」
ホッと安堵の息を吐き、唇に微笑みを乗せたのもつかの間。天音の顔から笑顔が抜けていき、後には物憂げな表情だけが残る。
鞄から取り出したノートの表紙に視線を落とし、天音はそっと目を伏せた。
――自分の“個性”で、大好きな『歌』で、みんなを笑顔に出来たらと。みんなを救けられたらと。そんな「理想」を胸に雄英高校の門を叩いて、ここまで進んできた。
それでも、がむしゃらに前に進んでいるといつしか壁にぶち当たるものだ。
USJでの
あたしの『歌』は、誰かを傷つけるためのものではない。誰かを癒し、励まし、救うためのものだ。……そんな理想を掲げたとしても、結局のところそれを叶えるだけの力がないと意味がない。USJ襲撃事件でもその事実を痛いほど実感したし、雄英体育祭では一回戦で轟と戦って惨敗してしまったのも――しかも“個性”の力を半分しか使っていないという彼と――、それを裏付ける証拠となってしまった。
極めつけは、緑谷や飯田、轟の口から聞いたり、ネットニュースや動画サイトなどで見た『ヒーロー殺し』ステインの逮捕劇である。最終的にステインはその場に居合わせたプロヒーロー・エンデヴァーが倒したという話らしいが。話に聞き及んだ大立ち回りよりも一番衝撃的だったのは、ステインの掲げる『ヒーロー像』に世間の人々が数多く賛同していたことだ。
「ヒーローは見返りを求めず、自己犠牲の果てに得る称号でなければならない」……彼が訴えるその英雄像は、天音が目指す『理想像』に近いものがあるが。ステインのそれはあまりに極端すぎて、賛同しきれない部分があった。今活動しているプロヒーローたちの並大抵でない覚悟や、これまでの苦労を嘲る思想である。
そして何より、その理想にそぐわない者を『贋物』と断じ『粛正』という名の殺戮を行う彼の行為は、暴力を殊更嫌う天音の目には「横暴」にしか映らなかったのだ。
それなのに、世間では彼を『本当の英雄』と称える者も多いことに、天音は少なからずショックを受けていた。
「今のプロヒーローたちはステインの言うような覚悟が足りない」「オールマイトのような自己を顧みず人を救ける精神が、今のヒーローには必要だ」……SNSやネット掲示板などで語られる、批評家気取りの大衆たちの言葉が、天音の胸に深々と突き刺さっていく。
……やはり。力がないと、みんなの心は変わらないのだろうか。もっと強くならないと、みんなの心を変えられないのだろうか。あれからずっと、その考えが彼女の頭の中に巡っては、もやもやと色濃い靄を生み出している。
それでも。天音の胸にある信念は変わらないどころか、職場体験を通じてより強固なものへと変わっていった。体育祭でありがたいことに幾つかの事務所から指名をいただいた中、『音』と関連した“個性”を持つヒーローたちが集まる事務所を体験先として選んだ結果。『音』を通じて民間人を救助し、励まし、守るヒーローやサイドキックの姿を目にし、「やっぱり、あたしはあたしの『歌』でみんなを救けたい」と改めて強く思うようになったのだ。
……それでも、悩みは完全に晴れたわけではない。むしろ、「ヒーローは必ず皆強くあらねばならないのか」と、「あたしは『歌』でみんなを笑顔にしたいのに、そのためには誰かを傷つけるための技を磨かなければいけないのか」と、余計に強く悩むこととなってしまった。
代わりばんこに色んなことをぐるぐる考えながら、天音は現在に至る。
「……あたし、あんまりくよくよ悩むタイプじゃないんだけどなぁ」
今日何度目かわからない溜息を吐いてから、天音はぽつりと呟く。大抵のことは「気にしない気にしない!」と笑って済ませる、自他共に認める雄英一のお気楽娘(1年A組女子命名)なはずの彼女だが。自分のアイデンティティに関わる事柄だからか、どうにもいつもより悩んでいる期間が長い。今までの人生の中で最長記録でなかろうか。
あまりに長く悩み続けているためか、最近は日々の学業にもあまり身が入らない状態が続いている。今日もヒーロー基礎学の実戦訓練でドジをやらかしてしまい、女子を始めとするA組の面々はおろか、訓練を監督していたオールマイトにも「どうした歌羽根少女! いつもよりドジさ加減がストップ高だぞ!」と心配される始末であった。
……「いつもより」は余計だと思うんだけどなぁ。
「あたしは……どうしたいのかな。戦いたいのかな。歌いたいのかな」
頭の中で繰り返し浮かび上がるその疑問を、天音は口に出してみる。そうしてみたところで、何も悩み事は解決しないのだけれど。
「……キミ、」
ぼんやりと物思いに耽る天音の背中に、その声は掛けられた。
「髪も服も濡れたまま放置すれば、風邪を引くぞ」
低いけれどよく通る、若い男の声だった。雨音の中にあってもはっきりと天音の鼓膜を揺らす声には、険の一つも含まれていなかった。
はた、と目を丸くして天音が振り返ると、東屋の奥――辛うじて電灯の光で照らされた木製のベンチに、『誰か』が腰掛けているのが見えた。姿形ははっきりとわからなかったが、その輪郭が『細身の男性』を象っているのは判別出来た。
「あ、えっと……」
まさかこの東屋に先客がいるとは思わず、天音は戸惑い咄嗟に言葉が出なかった。自慢ではないが、そこまで他人の気配に疎い方ではないと自負している。しかし、声を掛けられるまで「そこに誰かがいる」という事実にすら気づかなかったことに驚き、余計に挙動不審になってしまった。
天音が当惑しているうちに、ベンチの上の人影はぬるり、と緩慢な動作で立ち上がる。そしてコツ、コツ、と靴音を響かせながら、こちらへと近づいてきた。
そして。灯りに照らされたその姿を視界に入れた瞬間、天音は息を呑んだ。
線の細い、色白な肌をした美しい青年であった。顔立ちは中性的に整っており、長い睫毛に縁取られた深紫色の瞳は涼やかで、真っ直ぐに天音を見下ろしている。右側のサイドが長めの、アシンメトリーな銀色のショートヘアが、艶やかに光を照り返していた。
歳は――そこまで離れていないような気がする。大学生辺りだろうか。細い体躯を包むスタンドカラーの白いシャツと黒のテーパードパンツといった装いは、シンプルながらも彼の美貌を引き立たせていた。
……別段、天音は男性への免疫がないわけではない。小学校・中学校と共学であったし、幼い頃も男子の中に混ざって遊ぶことも多かった。今のクラスも比較的男子の比率が多めであるし、男女を隔てる精神的な壁も一切ないために交流も気兼ねなく出来る。教師陣と接する機会も多いので、年上の男の人に慣れていないというわけでもなかった。
けれど――目の前の青年が今まで天音が出会ってきた男性の中で、一番綺麗な顔と浮世離れした雰囲気を持っていたものだから。思わず見とれて動けなくなってしまったのだ。
「……コレを、」
と、青年はテーパードパンツのポケットから取り出したハンカチを、天音の前に差し出してきた。ハンカチを持つ手には黒い革手袋を嵌めており、それが余計に彼のミステリアスさを浮き立たせている。
「使ってくれ。女性があまり身体を冷やすものじゃない」
声色は無機質で、冷たさを帯びているようにも聞こえるが。掛けてくれた言葉そのものは優しく、口調も穏やかであった。
一瞬、彼に見とれすぎて反応が遅れたが、我に返り天音は「え!? あ、えっと……」と困惑を表に出すことが出来た。
受け取るかどうか迷ったものの――天音は持っていたノートを急いで鞄にしまい込み、そっと差し出されたハンカチに向け手を伸ばした。
「あ……ありがとう、ございます」
受け取ったハンカチは白いガーゼ生地で、皺ひとつなく几帳面に折り畳まれている。
……実のところ、ちゃんと自分のハンカチを持ってはいるのだけれど。相手の厚意を無下にするのも悪いと思い、天音はお言葉に甘えて手を伸ばしたのであった。……決して、相手がイケメンだからというわけではない。決して。
今だ水滴が付着している髪や、制服にそっと布地を押し当て、天音は水気を丁寧に拭く。髪は幾分か湿ってしまっているが、制服はしっかりと雨粒を弾き、撫でるだけでおおよその水分を払えてしまった。流石、天下のヒーロー養成所・雄英高校の制服である。撥水機能もばっちりだ。
ハンカチで水気を拭いながら、天音はちら、と横に立つ青年の姿を窺い見る。彼は東屋の軒下から空を見上げて、今の天気の様子を観察しているようだった。その横顔すらとても整っていて、己の心臓が一際大きく高鳴るのがわかった。
しばらくその横顔をぽー……っと眺めていると、彼の方も横目でちら、とこちらを見遣ってくる。視線がかち合い、慌てて天音も雨空へと目を向けた。
「……雨、止みませんね」
なんとなく無言が気まずくて、とりあえずありきたりな話題を口に出してみる。ありきたりすぎて自分でも呆れてしまうが、彼の方はこちらの会話に応じてくれる気があるようだった。
「いずれ止むだろう。空気中に含まれる水分量は多いが、空に浮かぶ積乱雲はそろそろ消えそうだ」
「わかるんですか?」
「空の様子と、体感の湿度で大体わかる。にわか雨を生み出す積乱雲は、長くても1時間程度で消えるからな」
「へぇ……すごいですねぇ」
思わず嘆息すると、隣の青年は小さくふ、と息を零す。見れば、色の薄い唇の端が小さく持ち上がったのがわかった。怜悧な光を帯びた紫の瞳が、穏やかな温度を宿す。
その柔らかな表情が、さらに天音の胸をきゅん、と甘く締めつけた。
「キミは……その制服を見たところ、雄英高校の生徒か?」
「え……ええ、そうです。ヒーロー科の、まだ1年ですけど」
青年の表情に釘付けになっていた天音は、彼の質問に数拍遅れて答える。彼女の答えに、青年は「ふむ、」と小さく首を傾げた。その動きに合わせ、左耳に付けられたシルバーの正六角形のピアスがシャラ、と揺れる。
「雄英のヒーロー科が、こんな遅くまで出歩いていていいのか?」
「あはは……実は許可をもらってボイトレのスクールに通ってるんです。声に関する“個性”なので、重点的に鍛えないと」
「なるほど。やはりプロヒーローを目指す卵は努力家だな」
感心したような彼の褒め言葉に、天音はわたわたと両手を振ってしどろもどろになる。
「そ、そんなことないですよ! あたしまだまだひよっこですし……!」
顔を真っ赤に染めつつそこまで口にしてから、天音はゆっくりと力なく俯いた。
「……それに。クラスのみんなに比べて、あたしの実力はダメダメなので……。ドジばかりやらかすし、『救けたい』って想いばかり強くて、力が全然伴ってないし……」
そこまで零してから、ハッと我に返る。こんな弱音、初対面の人に話すことでもないし、急に辛気臭い話を聞かされて彼も困惑しているだろう。
やっぱり今のはナシ、と取り繕おうと天音は口を開きかけ、
「……それでいいんじゃないか?」
という思いもかけない言葉に、「え?」と素っ頓狂な声が出た。
「今の現代社会じゃあ、そういった『誰かを救けたい』という想いすら持てない人間が多い。“ヒーロー”という『抗体』が台頭している世の中、『他人を慮る』という心を持てる人間こそ……何よりも尊いと、オレは思うが」
顔を上げると、青年は真っ直ぐに天音を見つめていた。その表情は乏しいものであったが、声は真摯な色を帯びており、嘘でもおべっかでもないことはすぐにわかった。
どくん、と天音の心臓が一際大きく高鳴る。
「キミは今、実力こそひよっこかもしれない。けれど……その『救けたい』という想いが本物であり続けるのであれば。いつかきっと誰かを救える『ヒーロー』になれるさ」
その言葉は。あまりにもあたたかく、そしてあまりにもやさしく。悩み惑う天音の心に深くじんわりと沁み込んでいった。
天音の視界が、ぼんやりと滲んでいく。目に雨粒が入ったわけではなく、自らの瞳から溢れているものだと気づいてから。焦って手の甲で目元をゴシゴシと拭う。
「ご、ごめんなさい。急に泣いちゃって……。う、うれしくて、つい……」
なんとか誤魔化そうと溢れ出てくる涙を拭っても拭っても、次々零れてくる。どうしよう、どうにかして止めなきゃ、とパニックになる天音の目尻に、そっと『何か』が触れる。
「あ……」
いつのまに取っていったのか。青年が先程渡してくれたハンカチを押し当ててくれていた。
「……目元。擦ると痕になるぞ」
相変わらず無表情な彼だったけれど。その手つきがあまりにも優しかったものだから、天音の頬が先程よりも熱を持つ。
「あ、ありがとう……」
もう一度彼からハンカチを受け取って、目に当てて涙を吸い取っていく。その姿を見て、青年がまた口元を柔らかく緩めるので、天音は逸る心臓の鼓動を抑えようと必死だった。
「雨に涙まで……いっぱい、拭いてもらってばっかりですね」
「ハンカチは用途が広い。マスク代わりにも使えるし、応急手当にも、汚れや水分を拭き取るのにも使える。勿論、誰かの涙をなかったことにも……な」
真顔でそんなキザっぽいことを言ってくるので、天音は思わず吹き出してクスクス笑う。
「面白いことを言いますね……ふふっ」
「笑う所か? ……まあ、笑ってくれたなら、いいか」
どうやら真面目な発言だったらしい。心外だと言わんばかりに首を捻っている彼に、天音は今度こそ大きく笑い声を上げた。
……と。そこで、東屋の外から雨音がしないことに、天音は気がついた。空を見上げれば、黒い雨雲が(完全にではないが)晴れていて、降り注いでいた雨も止んでいる。
「わあ……お兄さんの言った通り、止みましたね!」
「ああ……思ったより早かったな」
天音も青年も、東屋から一歩踏み出す。湿気を多分に含んだ風が、二人の頬を心地よく撫で、髪を柔らかく揺らした。
「じゃあ、あたしはそろそろ帰らなきゃ。ハンカチ、貸してくれて本当にありがとうございました。洗って返します」
ぺこり。頭を深々と下げて礼を告げる天音に、青年は首を横に振ってみせた。
「構わない。……ハンカチも、返さなくていい」
「え? でも……」
そんなの申し訳ない、と口に出そうとして、躊躇う。「返したい」という思いは口実で、本当は彼に「また会いたい」という気持ちの方が強かったからだ(勿論、返したいという気持ちも嘘ではない)。
そんな邪な気持ちを隠すように、天音は突然鞄をまさぐる。そして中に入れた『のどケアグッズ入れ』として使っているポーチの中から、マヌカハニー入りのど飴を一粒取り出し、青年の前へと勢いよく突き出した。
「あの! これ……どうぞ! ほんの気持ちですが……」
「…………ありがとう」
彼は最初、いきなり目の前の少女にのど飴を見せられて困惑したようだが。やがて手袋で覆われた掌を差し出してくれたので、その上にぽん、とのど飴を置く。青年はしげしげと掌の上ののど飴を見つめた後、大事そうに握り込んでポケットの中へとしまった。
それを見届けた天音は、鞄を両手で持ちながら青年の前を数歩歩き。それから立ち止まって、くるりと後ろを振り返った。
「あの! ……また会って、くれますか」
素直な天音の言葉に、青年は目を瞠る。そんなことを言われるとはつゆほども想定していなかった、という風な表情であった。
「……またここにオレが居るとは限らないぞ」
「あ……そうですよね……」
あはは……と苦く笑って頬を掻く天音に、青年は悪戯っぽく目尻を緩ませる。
「……冗談だ。また会いに来るのなら、来週の同じ曜日の同じ時間に、この公園の東屋に居る」
「……! はいっ!」
途端に弾けるような笑顔を浮かべる天音に対し、青年は眩しいものを見るかのように目を細めた。
「あ! あと名乗ってませんでした! あたし、歌羽根 天音っていいます! お兄さんの名前は?」
そう元気よく手を挙げて自己紹介する天音に、青年は少しの間押し黙ってから、やがて口を開く。
「……
それが、オレの名だ。
元気いっぱいの天音とは対照的な、ごく静かな名乗りであった。
「病田、さん?」
「屠識、でいい。……さん付けも、敬語もいらない」
「わかった! じゃあ『屠識くん』で!」
青年――屠識の希望に柔軟に応じた天音は、大きく手を振りながら今度こそ踵を返す。
「じゃあね、屠識くん! ハンカチと、やさしい言葉をありがと〜! また来週!」
そして、行きと同じようにプリーツスカートの裾を揺らし、パタパタパタ……と足音を響かせながら駆けていった。
「うわ〜〜〜〜!! 雨宿りしにきただけなのに、まさかあんなカッコいい人と会えるなんて……! ……ちょっと轟くんとか心操くんとかと雰囲気似てたけど、少し違うような……」
不思議な人だったな。
呟いて、公園入り口前で足を止める。スカートのポケットに入れた彼のハンカチを改めて取り出して、すん、と匂いを嗅いでみた。
微かに、保健室で嗅ぐような消毒液の香りがする。……気がする。
――屠識くんはお医者さんなのかな。それとも医大生? 若く見えたから、医大生かな。
そこまで考えてから、羞恥心が湧き上がっては顔全体がカッカと熱くなる。
「ちょ、ちょっと気持ち悪いかな、あたし……。というか、さっき屠識くんの前で思いっきり泣いちゃって恥ずかしかったな……」
でも、あんなやさしい言葉を掛けてくれて……うれしかった、な。
掌の上のハンカチをじっと見つめてから、キュッと握り締める。それから鞄の中にしまい込んだ後、火照った頬を夜風で冷ますように、無我夢中で走り出した。
歌羽根 天音、高校一年の初夏――突然訪れた初恋であった。
「……雄英高校のヒーロー科、か」
東屋の前。雨に濡れた地面に立ち、走り去っていく天音の後ろ姿を見つめながら――病田 屠識は呟いた。
細い顎に手を当てて、何事かを思案するように遠い目をする。
「ふむ……何かに利用出来るかもしれないな」
その声色は、先程まで彼女と話していたトーンよりも遥かに冷たく、感情というものがごっそり抜け落ちていた。
まるで、人間味をどこか別の場所に置いてきてしまったかのように。
天音は知らない。自分が恋した相手が、今世間を騒がせている
そして、屠識自身もまた、気づいていない。
……この出会いが、後に自分の人生を、そして自分の行く末を大きく変えるものになることを。
この物語は、『歌羽根 天音』という少女が最高の
『病田 屠識』という青年が、一人の少女に救われる物語である。
後に悲恋として後世に語られる、「“個性”社会のロミオとジュリエット」。
世界中の誰もが知っていて知らない、この世で最も危険で最も儚い恋物語は、ここから始まるのである。
以下、簡単にヒーロー側オリ主(女主人公)の設定。↓
・歌羽根 天音(ウタハネ アマネ)
ヒーロー名:アイドルヒーロー「メロディア・ハート」
個性:歌
学校・学年:雄英高校ヒーロー科1年A組(出席番号5番)
出身校:経明中学校
誕生日:12月6日
身長:158cm
血液型:O型
出身地:東京都
好きなもの:歌うこと、作詞作曲、シュークリーム
性格:天真爛漫でちょっとドジ
雄英高校ヒーロー科1年A組の女子生徒の一人。
「誰もを笑顔にする」アイドルヒーローを目指し、日々邁進中の少女。
歌羽根'sボイス:天使のような歌声。聴く者全てを感動させる。
歌羽根'sアイ:薄桃色。星のようにキラキラしてる。
歌羽根'sヘアー:ふわふわなピンクブロンドにハート形のお団子二つ。どうやって結っているのか。
歌羽根's全身:甘い物を我慢するという弛まぬ努力でスタイルキープ。
歌羽根'sスカート:ちょっと短いかもしれない。
歌羽根's胸:割と大きめかも。
個性
個性は『歌』。
“歌声”を媒体にして音波・共鳴・精神干渉を引き起こす個性。
天音が発する透明感のある歌声の音波は、聴く者の脳波や心拍数に作用し、苦痛を緩和したり、心を落ち着かせたりする“癒し”の効果を持つ。簡単に言うと「1/fのゆらぎ」の強力バージョン。
キャラのイメージは「女児向けアイドルアニメの主人公」。子供っぽいけど人一倍努力家な女の子。
ICVは豊崎愛生。