『灰を駆ける者 ― ASH WALKER ―』   作:たーゆ。

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第11話「喧騒の中の静寂」④

 街灯の明かりが湿ったベニヤ板を淡く照らす。

夜気の中で白い息が揺らめき、スーツ姿の男——サラリーマンがゆっくりとリングの角に歩み寄った。

革靴の底が木をこするたび、きゅ、と小さな軋みが響く。ネクタイを緩め、ジャケットの肩を落とす動作には、

仕事帰りの疲労と、何かを押し殺してきた時間の重みがにじんでいた。

 

 

「……今日こそ……今日こそ……」

 その呟きは、誰に向けたものでもない。

拳を握るたび、掌に蓄積された鬱憤が、皮膚の下で音を立てるようだった。

彼はポケットから封筒を取り出し、無言で蓮司のリュックへと押し込む。

同時に、オプションA——足への制限——が課される。蓮司の両脚には薄いゴムチューブが巻かれ、

その動きに制約がかかる。足さばきの自由を奪う、小さな拘束具。

ジャケットを脱ぎ、腕を軽く回す。肩の筋肉がぎしりと鳴る。

 

 

 観衆のざわめきが遠のいていく。

サラリーマンの視界には、もう蓮司しかいなかった。

額の汗が頬を伝い、湿気が肌に貼りつく。怒りと緊張が体温を上げていた。

「始めるぞ」

誰かの声と同時に、男は踏み込んだ。

 

 

 右の拳が一直線に伸びる。

 ——ストレート。最も基本で、最も正確な攻撃。

体重を前足に移しながら、腕を矢のように突き出す。だが拳は空を切った。

蓮司がわずかに上体を傾けただけで、軌道は外れていた。

 

 

 続いて左の拳が弧を描く。

 ——フック。横から振り抜く強打。だが、それも届かない。

蓮司は体を少しだけ沈め、頭の位置をずらして避けた。

その動作は滑らかで、呼吸の一部のように自然だった。

 

 

 ヘッドスリップ——頭を左右にわずかに動かし、拳を紙一重で外す技。

ボクシングを知らない者には、ただ軽く首を振ったようにしか見えない。

だが、実際は首と肩と腰を同時に使い、最小限の回転でパンチの軌道を外す。

まるで風に身を任せるような動き。そこに力みはなかった。

 

 

 サラリーマンは舌打ちし、さらに拳を連打する。

「くそ……上司め……会社め……!」

言葉と拳が一体になって吐き出される。

彼の呼吸は荒く、肩が上下に揺れる。

足元のベニヤ板が軋み、湿気で滑る。

 それでも止まらない。止められない。

蓮司はサイドステップでわずかに横へ動く。

それは正面を外し、相手の攻撃の「線」から逃れるための横移動。

ほんの十数センチの移動で、相手の角度を変え、間合いを取り直す。

ゴムチューブが足に絡みつき、動きの幅を奪うたび、

彼は重心を微調整して転倒を避ける。

 

 

 怒りの拳が空気を切る音。

ベニヤ板に落ちる靴音。

観客のスマホが放つ小さな光。

そのすべてが混じり合い、リング全体が息をしているようだった。

「当たれよ……! 当たれってんだよ!」

叫びと同時に右ストレート。

 蓮司は腰を沈め、ぎりぎりでかわす。

拳が髪をかすめ、風が後ろ髪を揺らした。

 

 

 観客から小さな歓声が上がる。

「今の見た!?」「紙一重じゃね!?」

「すげぇ……全然動いてねぇのに避けてる……」

蓮司は無言で距離を取り直す。

その呼吸は静かで、打撃を受けた気配さえない。

 サラリーマンの肩が上下に揺れ、額の汗がぽたぽたとベニヤ板を濡らす。

五分。

怒りの波が打ち尽くされるように、男の拳が止まった。

最後の右ストレートが蓮司の肩をかすり、わずかに空気を震わせる。

 

 

 サラリーマンは肩で息をしながら、額を拭う。

呼吸が整うたび、怒りも少しずつ抜け落ちていった。

蓮司は膝を軽く曲げ、ゆっくりと拳を開く。

手のテーピングが湿気を吸い、重く指に張り付く。

リュックに戻すその仕草に、わずかな疲労の影もなかった。

 

 

 観客は静まり返る。

先ほどまでのざわめきが嘘のようにやみ、

ただ夜風と遠くの車の音だけが響く。

湿った匂いと、まだ消えない熱気。

その中で、蓮司の目だけが暗闇に沈んでいた。

 




アクションシーンの書き方とボクシングの技術的な解説はこれでいいでしょうか?

もしご指摘ございましたら遠慮なく言って頂けると幸いです!

よろしくお願いいたします!!
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