『灰を駆ける者 ― ASH WALKER ―』   作:たーゆ。

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第20話「臨界」⑤

 チンピラどもは全員倒れた。 制圧は完了した。  

本来なら、ここで終わるはずだ。  

だが、蓮司は止まらなかった。

 

 「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 荒い呼吸。  

肺が熱い。喉が焼ける。  

心臓が早鐘を打っている。  

だが、頭の中のノイズが消えない。  

 まだだ。まだ足りない。  

こいつらはまだ動いている。  

動いているものは、また起き上がる。  

起き上がれば、また誰かを傷つける。  

また、何かを奪う。  

また、俺を檻の中に閉じ込める。

 

 (壊さなければ)

 

 完全に。  

二度と、その手で何も掴めないように。  

二度と、その口で誰も嘲笑えないように。

 蓮司は、うずくまって呻いている金髪の男に歩み寄った。  

男は鳩尾の激痛で涙と涎を垂れ流し、這いつくばって逃げようとしていた。  

 

 「た、頼む……もう……」

 

 その懇願の声が、蓮司の耳の中で変質する。  

『許してくれ』とは聞こえない。  

それは虫の羽音のような、不快な雑音だった。

あるいは、かつての自分が泣き叫んでいた声の反響か。

 

 『助けてくれ』  

 

 あの夜、炎の中で聞こえた声。  

それを無視した自分の罪悪感が、歪んだ正義感となって暴走する。

 

 ドンッ。

 蓮司の足が、男の脇腹を蹴り抜いた。  

サッカーボールを蹴るようなフルスイング。  

 

 「あぐッ!」  

 

 肋骨が数本、まとめて砕ける感触が足裏に伝わる。  

乾いた枝を踏み折るような、もろく、儚い感触。  

それが、今の蓮司に奇妙な安らぎを与えてくれる。  

 壊れた。

形あるものが壊れると、なぜこんなにも安心するのだろう。

 

「まだだ……まだ動くな……」

 

 蓮司は呟きながら、今度は仰向けに倒れている無精髭の男の元へ。  

男は気絶しかけているが、手だけが微かに動いていた。

痙攣するように開閉する指。  

その手が、何かを掴もうとしているように見えた。  

 ナイフか? 石か? それとも誰かの希望か?  

いや、何も持っていない。  

だが、蓮司の歪んだ視界には、その手が凶器に見えた。  

自分を殴った拳。  

自分を閉じ込めた鍵を持っていた手。

 

 (その手で、何をした)  

 (その手で、誰を殴った)

 

 蓮司は右足を高く上げた。  

そして、無防備に投げ出された男の手のひら目掛けて、踵を振り下ろした。

 グシャリ。

骨と肉がアスファルトの間で潰れる、湿った音。  

中手骨が粉砕され、腱がすり潰される感触。  

 

 「ギィャアアアアッ!」

 

 意識を失いかけていた男が、激痛で覚醒し、絶叫を上げる。  

手の甲が陥没し、指があらぬ方向へ曲がっている。  

赤黒い血が噴き出し、新しいアスファルトの隙間を埋めていく。  

だが、蓮司は無表情のまま、その手をグリグリと踏みにじった。

 

 「……黙れ」

 

 絶叫が耳障りだった。  

静かにしろ。静寂を返せ。  

蓮司は男の顔面を蹴った。  

 靴のつま先が、鼻梁を捉える。  

ボキリ、と軟骨が折れ、前歯が砕ける音。  

血飛沫が蓮司の靴を汚すが、彼は気にも留めない。

 

 「ひ、ひぃ……!」

 

 最初に腕を折られた短髪の男が、這いずりながら逃げようとしている。  

恐怖で失禁し、股間を濡らしながら、必死に地面を掻いている。  

蓮司はゆっくりと振り返った。  

逆光を背負ったその姿は、夕闇の中で黒く巨大に見えた。  

男には、それが人の形をした「闇」そのものに見えただろう。

 

 「……待て」

 

 蓮司が追いつく。  

逃がさない。  

一匹たりとも、この灰色の世界から逃がさない。  

男の髪を掴み、強引に引き起こす。  

男の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。  

 

 「やめ、やめてくれ! 悪かった! 謝るから! 金なら払う!」

 「……黙れ」  

 蓮司は淡々と言った。声に感情の色がない。  

 「……金もいらない。俺が欲しいのは、静寂だ」

 

 膝蹴り。  

顔面への直撃。  

鼻の奥が潰れ、男が崩れ落ちる。  

それでも蓮司は止まらない。  

倒れた男の腹を蹴り、背中を踏みつけ、腕を関節の逆方向へ踏み抜く。

 

 ドカッ。バキッ。グシャッ。

 破壊音が、路地裏にリズムを刻む。  

それはジムでのサンドバッグ打ちと同じだった。  

 無心。  

ただ、目の前の物体を破壊する作業。  

相手が人間であることなど、とうに忘れていた。  

 彼らはただの「ノイズ」であり、叩けば消える「バグ」でしかない。  

一発蹴るたびに、脳内のフラッシュバックが一つ消える。  

一発踏むたびに、耳鳴りが少しだけ遠のく。  

だから、やめるわけにはいかなかった。

 

 「はぁ……はぁ……」

 

 息が上がる。  

汗が目に入る。  

視界は真っ赤に染まっている。  

夕日のせいか、返り血のせいか、

それとも自分の目が充血しているせいか。  

 分からない。  

ただ、足元の男たちが動かなくなっても、

肉塊のように沈黙しても、蓮司の足は止まらなかった。

 

 動かなくなった手首を、さらに踏む。  

砕けた肋骨を、さらに蹴る。  

過剰な暴力。

無意味な破壊。  

だが、そうしなければ、自分の中の怪物が暴れ出して、

自分自身を食い破ってしまいそうだった。

 

 (消えろ、消えろ、全部消えてなくなれ)

 

 心の中で呪詛を吐きながら、蓮司は機械のように足を振り下ろし続けた。  

その姿は、かつて彼が最も憎んだ「邪知暴虐な大人」そのものだった。  

虐げる者。

奪う者。  

 皮肉にも、彼らを排除しようとする過程で、

蓮司自身がその畜生へと成り果てていた。  

だが、今の彼にそれを自覚する理性は残っていなかった。  

あるのは、底なしの狂気と、終わらない悪夢への抵抗だけ。

 

 新しいアスファルトの上で、三つの体が沈黙していく。  

その中心で、蓮司だけが踊るように暴力を振るい続けていた。  

夕闇が完全に夜へと変わろうとするその瞬間まで、

彼の「制圧」という名の破壊劇は終わる気配を見せなかった。

 

 

 




少し更新が空いてしまい、すみません。
体調(メンタル面)の不調があり、数日お休みしていました。
明日からは通常通り投稿していく予定です。
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。
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