『灰を駆ける者 ― ASH WALKER ―』   作:たーゆ。

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第8話「喧騒の中の静寂」①

 西木屋町通と六角通の角地。

かつて工事現場だった跡地に、鉄パイプとベニヤで組まれた簡易リングが立っていた。

街灯の下、薄汚れたベニヤが湿った夜気を吸い込み、淡く影を落とす。

空気は重く、皮膚にまとわりつくような湿り気を帯びていた。

舗道には汗と雨が染み込み、夜の光を鈍く反射している。

 

 

 蓮司が働く“殴られ屋”は、毎晩20時から23時まで。

時間を区切るのは、警察の目を避けるためだった。

もともとグレーな仕事だ。これ以上、踏み込みを受けるわけにはいかない。

蓮司には、この仕事以外の生き方を知らなかった。

殴られて金を得る以外の“術”も、“理由”も、すでに失っていた。

 料金は30秒1,000円の前払い制。

客の平均は1~3分。狙ってよいのは頭と胴体のみ。

加えて、五つのオプションがある。

・オプションA:足をゴムチューブで縛り、動きを制限する(+500円)

 

・オプションB:スポーツチャンバラ用のエアソフト剣を使う(+1,000円)

 ──短刀、小太刀、長剣、杖、棒、槍の中から一本

・ オプションC:蓮司が避けず、一方的に殴られる(+2,000円)

 

・ オプションD:マジックテープ式8オンスグローブでスパーリング(+2,000円)

 

・ オプションE:素手で殴り合う決闘(+2,500円)

 

注文の多いのはA、B、C。

Dはときどき、Eはまずない。

誰も、本気の殴り合いなど望んではいなかった。

それでも、蓮司はこの仕事で一晩に40万円以上を稼ぐ。

 

 

 必要な金は衣食住、そしてサプリメント類――

EAA、マルチビタミン、マルチミネラル、カルシウム、亜鉛、マカ、ホエイプロテイン。

残りの大半は貯蓄に回す。

金を使うことにも、もう意味はなかった。

 

 

 リングの端で、蓮司は黙々とテーピングを巻く。

掌は汗ばんでおり、白いテープが指にまとわりつく。

小さく息を吐き、貼り直す。

湿気が多く、手元の感覚がいつもより鈍る。

 周囲には、観客がちらほらと立っている。

スマホを構える者、息を潜める者、ただ通り過ぎる者。

空気には酒と揚げ物の匂い、タバコの煙、そして川沿いの湿った土の匂いが混ざる。

熱気が重く、リングの上はひときわ息苦しい。

 

 

 それでも、手は止まらない。

テープのざらつき、遠くのバイクの排気音、虫の声――

それらすべてが混ざり合い、奇妙に静かなリズムを作っていた。

 準備を終えると、蓮司は軽く拳を握り、

拳と拳の間に生まれる“距離”を確かめるように、前後に小さくステップを踏んだ。

視線は冷ややかで、相手の体格や立ち位置を、無言で計測している。

 

 

 リングの外から、大学生くらいの青年が一歩前に出る。

緊張と興奮を抱えたまま、リングの中へ足を踏み入れる。

その瞬間、蓮司と目が合った。

わずかな沈黙が、夜の喧噪を切り裂く。

この3分間――

誰も言葉にしないまま、互いの力と虚無を測る時間が、静かに始まろうとしていた。

 




今日は午前にも投稿してみました!

読んでいただけると嬉しいです!!
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