手に汗を握る、とはこのようなことを言うのだろうか――――
カレンは心のどこかで自分の手を客観的に見つめていた、秘密裏とはいえあのロームフェラ財団の代表と会談する事となったのだから。
カレンが達哉たちに課した試練までの時間は、そのままカレンにとっても財団との交渉をし纏めなければならない期限でもあった。
普段はよくても副代表との電話会談というのに――――連絡してみると、今回に限って向こうの代表から『直接会談したい』という旨の連絡があったときにカレンは悪寒を禁じえなかった。
出来れば直接会談して纏めたい――――そう思っていた状況下で、まるで自分たちが何時、どうのような状況で、何を求めているのか見透かされているかのように彼女には感じられたからだ。
これまでいくら問い合わせても誰にも顔を見せなかった財団の代表がくる……それだけで歴史的な会談になるだろうが、素直に喜べる相手ではなかった。
財団を相手に下手をすれば戦争になる――――フィーナ姫たちにもそう言ったが、それはカレン自身にも当てはまることだったからだ。
全ては月の繁栄のために。その一心を以てカレンは不安になる自分自身を叱咤激励し、時間を待つ。
そして時計の針が20時を示すとほぼ同時に、連絡が入った。
『――――カレン様、20時に面談の予定があるという男性がみえられてますが…』
「――――通してください」
言葉短く、しかしはっきりとカレンは返答した。
しばらくすると徐々に二人分の足音が近づいてきた、一つは大使館付きのメイドのもの。
もう一つは―――カレンも知っている、足音だった。
ドアが開かれるとスーツ姿の青年がカレンの執務室へと足を踏み入れてきた。
その人物にカレンは驚きつつも、なんとか表情には出さずに応接用の椅子へと案内した。
お互いに座るとメイドが紅茶を二人の前に出してきた。
カレンが話すタイミングを計っていると、向こうから話し始めてきた。
「――――――初めまして、とでもいうべきかな?それとも数日ぶりというべきかな……カレン=クラヴィウス駐在武官殿」
「…ラウ=ル=クルーゼ、貴方が代表だったのですね」
「少し違うな」
「……?」
カレンが訝しむ。目の前の人物はそれを見て、正面からカレンを射抜くようにして見定めてから名刺を差し出した。
「改めて自己紹介させていただくとしよう。俺がロームフェラ財団の代表である…レイ=ザ=バレルだ」
「――――偽名だった、ということでしょうか」
名を偽る理由――――推測でしかないが、あまりいい理由ではないだろう。目の前の人物は確かに『ラウ=ル=クルーゼ』として10年間生きてきたのだ。
恩人である鷹見沢左門にすら名を偽るほどの理由があることは、それだけ秘密にしたいことがあるとカレンは踏んだ。
「ラウ=ル=クルーゼという名前の方が偽名ということなら正解だ…さて、カレン=クラヴィウス。そちらから俺に話があると聞いてきたのだが、一体何の要件かな?こちらとしても応えられる事は出来る限り応えたいのでな…詳しい話をお願いしたい」
そういうと、レイから感じるプレッシャーが増していくのをカレンは背筋を思わず正してしまうほどに感じ取っていた。
「……先ずはフィーナ様に関して財団の支援があったことに対して感謝をします、ありがとうございました。おかげさまでなんとかご留学の実現、及び短縮期間を二週間にこぎつけることが出来ました」
「それならば良かった…微力ながら力添えした甲斐があったというものだ」
目の前の男性が僅かに微笑みを見せた。
その表情とは裏腹に緩むことがない雰囲気に一瞬だけ飲まれそうになりかけるが、カレンはしっかりと本題を切り出した。
「―――――ここからが本題です…財団としては月と地球が戦争になった場合、財団はどう動きますか?」
その言葉にピクリ、と眉を動かしたかと思うとレイは思案気な顔になった。
「――――基本的に今の財団は民間組織だ。よって不干渉の立場だが…貴女からみて月と地球が戦争になるという可能性が生じているのか?」
「以前の貴方の言動から察するに、もうすでに知っているかもしれませんが……フィーナ様と朝霧達哉さんが交際を認めるように私に言ってきました。もしそれが認められる場合、下手をすると月と地球の間に更なる隔たりが広がりかねません」
「………そうだな、身分違いの恋愛など悲劇につながるのが相場と決まっている。今までは、だが」
目の前の男は『今までは』といった。まるで二人がそうならない可能性を信じているかのように。そんな彼を意外に思いつつ、カレンは言葉を続けた。
「…そうですね。しかしお二人は本気です、それゆえに試験を課しました。その試験に関連した助力をしないでいただきたいのが一件。もう一件は、もしお二人が婚姻するとなった場合にも財団は何もしないでいただきたいのです」
「下手に祝福すると財団の息がかかった婚姻であるものであると邪推されない、かといって反対すれば下手な反発を買う可能性があるからか」
「その通りです」
頼む、何もしないでくれ――――その一心がカレンの心の中で大きくなっていった。
そんな彼女を安心させるかのようにレイは口調を和らげて話を繋げる。
「――――そんなに身構えなくとも大丈夫だ、こちらから自発的に何か行動を起こすということはない。財団としてはあくまで『月と地球の交流促進』という理念のもとに動いているのだからな……念のために月と地球の戦争という最悪のケースに備えているはいるが」
「最悪のケースに備える…ですか。つまり、もうすでに財団は月と地球の双方に対する何らかの攻撃能力を得ていると思っていいのでしょうか?」
「さて…それはどうかな」
とぼけるようにつぶやいたかと思うと、レイは出されていた紅茶を飲み始めた。
「……質問を変えましょう。月や地球でお二人のご婚姻に対する暴動などが発生して月と地球が断交する可能性がありますが、その場合でも財団は『月と地球の交流促進』という理念を曲げませんか?」
「――――如何様な事態になったとしても、財団としての理念を曲げることはない。それだけは約束があるので断言できる」
「約束…?」
「彼女との約束だからな」
「……失礼ですが、その方の名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「セフィリア=ファム=アーシュライト」
※
レイは目の前の人物が呆気にとられるのをじっと見つめていた。
「――――俺は彼女に命を救われたからな、その恩返しでもある」
レイの脳裏には10年前のある夏の日、セフィリアに命を救われた後で交わした言葉が思い出されていた。
『私はね……いつか、あの子たちが自由に遊べる世界を作りたいの。月と地球の壁なんて壊しちゃって、皆が幸せになれる世界を』
そういうとは一枚の写真を取り出していた。レイがみせてもらうと、恐らく隠し撮りされていたのだろうと思われる写真には一組の少年と少女が一緒になって楽しそうに遊んでいる姿が写っていた。
少女の髪の色がセフィリアによく似ている、おそらく娘なのだろうとレイは考えていた―――――――その割にはセフィリアが妙に若々しかったので親戚の子の可能性もあるが、レイは直感で年齢に言及するのは避けた。
『作りたい、ではなく作ってみせるという気概がなくてはいけないのでは?』
『…え?』
『―――――壁を乗り越えるというのではなく壊すと貴女はいったのです。それには生半可な
準備では成せる事も成せないでしょう』
レイ=ザ=バレルは自分の今までの経験を総動員して、言葉を続けた。
『運命だから、とかそんな一括りでどうにかなってしまうほど人の命は軽いものでしょうか――――自由に生きられるのなら、どんな命でも生きたいはずです。【運命だから】という諦めではなく【運命だったんだ】という受け入られるような世界を構築する必要があると。俺はそう、信じています』
運ぶ命とかいて運命というぐらいだから……一体、命は何を運ぶのだろう。
時間?記憶?技術?
どれも命が育てはするが運ぶものじゃない。じゃあ、一体なにを運ぶのか?
それは人によって違うのだろう。ならば、世界そのものを変えてしまう必要がある。
レイに諭されたセフィリアはポカン、とした表情を浮かべると一拍子おいてからクスクス笑いだした。
『――――そうね、壁(固定概念)を壊す。それぐらいの気概がないと変わっていけないわ、世界(人類)は』
『俺はあなたに命を救われた…だから、微力ながら何か手伝わせていただきたい』
『判った。私は月の女王として変えてみせるわ、この世界を――――レイ、貴方も手伝ってほしい』
『了解しました。あなたが月の女王として世界を変える必要があるというのなら…そのための計画を練らなければなりません。それが俺に出来る恩返しです』
『―――――運命の為の計画、か…どこかロマンチックで素敵ね』
『Destiny Plan……俺が居た世界にはそう呼ばれた計画がありました。最も、かつてのPlanでは人生を運命に当てはめていく方向性でしたが……今回のそれは運命を広げていく真逆の方向性になります』
『可能性を広げ、それを提示された人々が自分の足で選択した未来に向かって前に進めていける世界―――とてもいいわ』
『もっとも、それには月側からだけでは変えられないでしょう―――――しかし、地球からも変わっていけば、固定概念を壊すことも容易くなる。自分はその為に地球にて活動して地球側の概念を変えていきたいと思います』
『そして私が月を変える、そうすることで月と地球の間にある壁を一気に壊す』
『そのためのNewDestinyPlan…それを早期に策定して実行したいと思います』
『ありがとう、レイ。そして巻き込んでしまう形になるわ、ごめんなさい』
『……先程も言った通り、俺は貴女に命を救われました。だからそんなに気に病む必要はありません。これは自発的な恩返しですので』
『ちなみにあのロボットは貴方の指示通りに匿わせてもらったわ。よく意識を取り戻したばかりでアレを此方の誘導に従って操縦できたわね』
『ありがとうございます…しかしレジェンド、か』
『レジェンドっていうのね、あのロボット』
『…正確にはモビルスーツの一種ですが――――何でしょうか、その期待に満ち溢れる眼差しは。絶対に乗せませんよ』
『――――ケチなのね』
『ケチ云々ではなく、一国の代表が軽々しく軍事兵器であるモビルスーツに乗るなんて駄目でしょう。月と地球の関係とやらを調べましたが…過去に戦争になった事もあるようですし、緊張関係にある双方を下手に刺激するのも悪い』
『女王の命である、乗せなさい』
『話を聞いてましたか?』
『いいことを教えてあげましょう。バレなければいいのよバレなければ』
『………』
――――どうあがいても俺が乗せる流れだな、これは。
10年前にレイの前では、やたらと好奇心旺盛なおてんば娘といった様子を見せていたセフィリアだったが公式の動画や紙幣などの肖像画を見ると凛として威厳のある姿を見せていたのだから人とはわからないものだとレイは考えていた。
「…その話が本当だとして、何か確たる証拠があるのでしょうか」
カレンがレイの話に疑問を投げかけてくる。カレンからしたら、レイは命を救われたとはいえ…会ってそれ程間もない少年にあのセフィリアが地球側の概念を崩すという壮大な任務を任せるとは思えないからだった。
「俺としては信じてもらうほかがないな――――あぁ、そういえばこんなデータもあるんだった」
レイがカバンからUSBメモリを取り出すと、カレンに差し出した。
「私がセフィリアから預かっていたものだ。セフィリアが話していた内容ではそれは『月側の政府関係者のみ見る事を許可される』ものらしい。クラヴィウス駐在武官殿、貴女ならば見れるのではないかな?」