「何者か、とはいったいどういうことかな?」
ラウははぐらかす様にして返答する。しかしカレンもそれは想定済みだったようで書類を取り出すと、ラウの目の前に提示した。
「貴方が孤児であることは間違いないのでしょう、スフィア王国側で確認が取れていますから――――しかし10年前から突如として貴方は存在している、10年前より前の記録が全く残っていないのは不自然です」
「…それは、そうだろうな」
「また、10年前より定期的に泊りがけで何処かに出かけているようですが……足取りが全く掴めないのも不自然でなりません」
「………」
「私はフィーナ様の今回の留学に対して月側の責任者でもあります。可能な限り不安要素は排除したいのです」
ラウはカレンが提示した書類を流し読みしていた――――なるほど、想定通りによく調べてある。これは期待できそうだな、とラウは心の中で安堵していた。
接触してくるであろうことは予想していたが、少々予想よりも早かったことに驚いたぐらいで他は概ね予想通りだったからである。
「説明したところで納得はしないだろう」
「…説明する気はない、ということでしょうか」
「―――――人の夢、人の業…その行き着く果てがどんなことになっていても知る勇気が貴女
にはあるのか?」
「…?いったい何のことです?」
「ああ、そうだったな――――俺の事を怪しむのは結構だが、フィーナ姫の結婚相手ぐらい自由に選ばせてやったらどうだ。フィーナ姫ならば相手を間違うということもあるまい。今の国王とて身分違いでありがならセフィリア女王と結婚したのだろう?」
「――――――――――どこで、そのことを」
カレンは現在の月の国王であるライオネスから密命を受けていた、それはフィーナ姫の結婚相手を選ぶのはカレンに任せるというものだった。
そのことはライオネスとカレンのみしか知るはずのないもの、しかし目の前の人物は密命の内容を知っていたことにカレンは警戒感を顕著にした。
「さっきもいったが…それを知る勇気があるのなら調べればいい。そうすれば、いずれ全て判ることだ」
そう言い放つとラウは席を立ち、応接室を後にしようとする。
「待ちなさい!貴方はいったい何を――――」
知っているのですか、と続くはずだったカレンの言葉はラウが応接室の扉を閉じたことによって聞こえなくなった。慌ててカレンが扉を開けて後を追おうとして扉を開けると、もう彼の姿はどこにもなかった。
「――――あら、来てたのカレン。どうしたの?慌てているみたいだけど…」
たまたま通りがかった、カレンの親友であるさやかの声がどこか遠くから聞こえるかのような錯覚にカレンは陥っていた。
※
何事もない平和な日常こそ、ラウにとって非日常だった。
それまでの自分が受けてきた経験からしたら、刺激がない事こそが刺激的で。
朝霧家や鷹見沢家の面々との他愛のない日常会話、お客とのやり取り、たまに弾くピアノ、そして料理修行。別段料理人に成りたいというわけではなかったが、『筋がいい』とピアノ以外で褒められたことが思いのほか嬉しくて、ラウ自身が意外に思うほどに頑張ったり。
そんな平和な日常、生きることを望む命が平和に生きられる世界。
こんな世界が作りたくて、かつての自分たちは頑張ってきたのだと、そう思えた。
「………あれは、いったい何だ…?」
久々に物見の丘を散策していたラウだったが、けもくじゃらの丸まった何かが動いている。
リードが付いていることから、飼い犬だろうが――――そこまでみてラウは気が付いた、あれは朝霧家で飼っている犬たちだ。
カルボナーラ、ペペロンチーノ、アラビアータという名前があり三匹を総称してイタリアンズとかいう。命名は菜月であり、昔ナポリタンという名前の犬がいたのだが……それはイタリアンではないということが命名してから発覚したというのは今でも朝霧家と鷹見沢家における笑い話の一つになっている。
「は、はなせー!」
けもくじゃらの中から声が聞こえてきた。
「こら、お前たち何やってるんだ――――――ってラウさん?」
「こんにちは」
「こんにちは、フィーナ、達哉…これはいったいどういうことなんだ?」
「俺たちイタリアンズの散歩に来たんですけど、物見の丘についてから自由行動にして運動させてたんです。そして帰る頃合いになったんでイタリアンズに集合かけても戻ってこないから、変だなと思って様子を見に来たら…」
「このありさま、というわけか」
「そうです…こら、お前たちいい加減にしなさい!」
達哉の一声に一斉におとなしくなるイタリアンズ。
その隙をついて中から絵にかいたかのような金髪碧眼の少女が、衣類や長い金髪をボサボサにしてしまいつつも息をつくように出てきた。
「ぷはっ」
「災難だったな、君」
「イタリアンズが見ず知らずの子にじゃれつくのって中々ないんですけどねー…」
「衣類や髪が凄いことになっているわね」
三匹もの犬に一斉にじゃれつかれたせいだろう、衣類や髪に犬の毛が散見された。さすがにクリーニングに出さないといけないだろう。
「君の名前は?俺はラウ=ル=クルーゼという」
そうラウが自己紹介をすると少女が顔を見開いたかと思うと、端的に話した。
「………リース。リースリット=ノエル」
「リース、か。とりあえず君の衣類が台無しになっているから、クリーニング代を出させてほしいのだが構わないか?」
「え、悪いですよラウさん。飼い主である俺が払わないと」
「まぁ、ここは年長者の顔を立てるということにしておいてくれ。達哉もあまり資金が潤沢ではないだろう?」
うっ、と思わず声を出す達哉をみて朗らかに笑うフィーナ。そしてその周囲をリードが絡まない様に器用にくるくる回るイタリアンズ、何故かラウのことを凝視しているリース。
これもまた平和の一部なのだろう、とラウは思った。
「ラウ、お前…エステルを知っている?」
「あぁ、俺は拝月教を信仰しているから―――その関係で知っているな。地球に新しく赴任してきた司祭で高潔な人物だと思っている」
「……エステルには黙っておいて」
「ふむ、了解した――――ちょうどいい、リース…ちょっと料理の試食に付き合ってくれないか?」
「料理?」
「ああ、鷹見沢仁――――俺の友人が新作のドルチェを作ったらしくてな、ちょうど今日がお披露目なんだ。俺も試食するがどうだ?」
「……かまわない」
「達哉たちも散歩が終わってからでもいい、バイト前だが早めに来てくれると助かる。食べて感想をもらえると仁も喜ぶだろう」
「ありがとうございます」
そういって達哉とフィーナはイタリアンズを伴って立ち去っていった。
一方のリースはというと、相も変わらずラウの事を見ていた。ラウは何かしてしまったかと考えるも、特に思い当たる節もないので流すことにした。
「では行くとしようか、リース」
そういうとラウはリースに向けて手を差し伸べた。
「ん」
リースはおずおずとだが手を伸ばし、そしてラウの手をしっかりと握った。
そして二人は歩き出した。
一緒に歩けるようラウがリースの歩幅に合わせて歩く、そして二人の後ろ姿は夏のさざなみの中に消えていった。