リースが試食会で『普通』と評価をして仁が内心落ち込み、さらにごちそうした料理も『普通』と評価された左門、二人の料理人魂に火が付いた日のトラットリア左門はいつにもまして美味しいと他のお客からは高評価だった。
閉店後、いつもの面々―――朝霧家と鷹見沢家の夕食が始まるや否や、仁がラウに話しかけてきた。
「リースって子、実はラウの隠し子とかじゃないのか?」
「俺にあの年齢ぐらいの子がいたら其れは不味いだろう、俺を犯罪者にする気か仁」
「金髪なのは似てるのになー」
「兄さん、まじめに話をして」
「あいたっ」
菜月のしゃもじ攻撃は今日も絶好調のようだ。
「リース、というのはいったいどなた?」
さやかとミア、そして麻衣が不思議そうにしていた。そんな二人にラウが簡単に説明をする。
「今日、物見の丘でイタリアンズに全力でじゃれつかれていた子供だ。金髪碧眼で長髪が特徴的な少女でな、物言いは端的でハッキリとしている。こちらが衣類を犬の毛だらけにしてしまった詫びにトラットリア左門での食事に誘ったのだが―――彼女は食べた料理全てに『普通』という評価をしたものだから、仁とマスターの料理人魂に火が付いたみたいでな…」
「だから今日の料理はいつもより凄く気合入っていたんだ…」
「普通の子供なら料理を食べたら表情や仕草に変化があると思うのだが、リースに至っては全くと言っていいほど変化がなくてな。黙々とではあるが、食べてはいたから恐らくは気に入ったのだろうと考えられる」
得心がいった様子の三人にラウは追加で情報を補足する。
リースの食べている時の様子…あれはどう表現していいのか戸惑っているようにもラウには見えたのだが、真実は彼女のみぞ知る。
「そういえばラウさんは拝月教を信仰されていたんですね、知りませんでした」
「あら、そうなのラウ君?」
「まぁ食事時の祈りなどはしていないから、意外に思われるかもしれないが…信仰しているとはいっても休みの日などに礼拝堂に行って祈りを捧げているぐらいだぞ」
「地球の方にも同じ宗教を信仰されている人がいるのね」
自分たちと同じ宗教を信仰していることが嬉しいのだろう、フィーナやミアが笑顔を見せた。「宗教に生まれは関係ないからな」と返答しつつも、ラウはどこかリースの事が引っ掛かっていた。
なぜ彼女はラウの名前を聞いた途端、目を見開いたのか―――信じられないものをみたというよりも、探していたものを見つけた時のような表情をしていた気がしていた。
差し伸べた手を素直に握ったという点も、ラウには自分に対して興味関心があるように思えた――――最悪の場合、リースも自分と似たような立ち位置であることも考慮に入れなければならない。それはラウにとっては好ましくない想定だった。
「――――ラウ君?大丈夫?」
「…ああ、大丈夫ださやか。心配させてしまったようだな、すまない」
「それは別にいいんだけど…」
「マスター、近々土日を休ませていただきたいのですが…例年通り、王立月博物館の特別展示会の準備を行うアルバイトがあるので」
「ああ、いいぞ。ムリだけはしないようにな」
※
「…………何とも言えないわね、これでは」
カレンは大使館内にて改めてラウ=ル=クルーゼの情報を整理していたが、大まかな概要は以下のとおりである。
ラウ=ル=クルーゼ。
年齢は恐らく20代前半と思われる、性別は男。
長い金髪を三つ編みにしており、容姿端麗、趣味はピアノと博物館見学。
地球人でありながら珍しく拝月教を信仰しており、地球にある月人居住区の人間とも交流があり、定期的に王立月博物館に通っている。
その関係からかは不明ではあるが、王立月博物館のアルバイト募集がある際には積極的に応募している模様。
10年前より突如として現れたかのように、それまでの記録が一切残っていない。
10年ほど前から鷹見沢家と生活を共にするようになっている。
鷹見沢家が経営するトラットリア左門という飲食店に勤務しており、同時期より定期的に泊りがけで遠出しているようだが、詳細は不明。
また10年ほど前に出没し始めた人型機動兵器が現れている間は姿を確認できず、何らかの関係性があると思われるが詳細は不明。
カレンは頭を抱えそうになっていた。
月の姫であるフィーナ=ファム=アーシュライトが地球に留学するという提案をした際にスフィア王国内で揉めに揉めたが、その一因が彼にあったからだ。
留学が正式に決まるまでにフィーナ姫には内密にホストファミリーの身辺調査も行われたのだが、周囲の人間含めて綺麗なものであった―――唯一の不安要素が隣人のラウであった以外には。
ラウのみ素性が判らない。
フィーナ姫が留学中は常に監視をつけているものの、今までは怪しい行動は特にしていない―――――――例の人型機動兵器の出没時間と、彼が監視の目を潜り抜けて姿を消していた時間が一致している以外は。
まるで自分が人型機動兵器のパイロットですと言わんばかりの行動であり、何の目的があるのかすら想像できない。
自分の親友でもある穂崎さやかの友人を疑いたくない。しかしフィーナ姫の安全を考えるならば懐疑的に成らざるをえない。月の貴族たちが騒ぐのも無理はないとカレンは思った。
しかし、フィーナ姫の留学中はカレンが駐在武官として護衛にあたることで月の行政府としては貴族達をなんとか納得はさせることができた。
もっともそれもある組織の意向が働いてこそ、実現できたものであったのだが――それはさておき。
ラウ=ル=クルーゼ。
いったい、彼は何者なのか。
孤児であるにしても、何らかの記録は残っているはずであるが―――それがない。
出身地も、どのような環境で育ってきたのかも、何をしていたのかもわからない。
博物館の応接室で話した限りでは、『何か』を隠していることは間違いがない―――本人が言外にそれを認めたのだから。
密命のことを知っていた件もある、どこまで彼がこちらの情報を知っているのかが判らないのが不気味だった。
まるでとてつもない『何か』を経験してきたかのような…彼が発していた威圧感にカレンはあの時に気圧されていたのだ、彼自身はただ話していただけだったが……なにか大きな隔たりがあったように感じたのだ。
彼はいったい何を知っているのだろうか。
彼はいったい何の目的をもって動いているのだろうか。
彼はいったいどんな経験したから、あのような威圧感を発したのか。
それを把握するためには彼と交流がある親友をどこかで疑いながらも、私公ともに信頼して接していかなければならない―――そんな矛盾がカレンには辛かった。
水曜日、それはトラットリア左門の定休日でもある。
家長の左門に前日から泊りがけで外出する旨を話してから、監視の目が途切れる一瞬を狙ってラウは誰も見ていないところにつくと、黙々と作業を始める。
フィーナたちの事。カレンの事。リースの事。自分の運命の事。
それらを考えながら、約束を守り続けるために作業を続ける。
こつこつ、こつこつと。
通常の人間なら正気を疑うような所業であろう多岐に亘る偉業を、彼は誰も知られずに行い続ける。
確認しては作業、確認しては作業―――――延々とそれを繰り返して。
ふと思い出されたのは暑い夏の日に、出会った彼女の言葉。
10年前のあの日から。
これが最後の任務という確信が持てた―――全てはあの約束から始まったのだ。
夕食後、朝霧家のリビングにてニュースを見ていたフィーナがふと思い出したかのように表情を変化させて隣にいた達哉に話しかけた。
「―――――そういえば、達哉はロームフェラ財団って聞いたことはあるかしら?」
「ロームフェラ……確か月と地球の交流促進を目的に設立された財団だっけ、月学概論の授業にでてきたなぁ」
「そう、その財団なのだけれど……地球の方々にも代表が姿を決して見せないというのは本当なの?」
「すくなくとも俺は知らないな…凄い技術の特許をたくさん持ってることぐらいしか」
ロームフェラ財団。
その存在自体は認知されているものの――――肝心要の財団の主目的である『月と地球の交流促進』については、残念ながら理念そのものがあまり賛同されていない。
それとは裏腹に多数の歴史的な発明を元に確立させた技術の特許を多く取得している――――それを基盤にした産業で莫大な権益を誇っており、地球の一般人からするとそちらのほうが有名だったりする。
「今回の留学の際にも尽力していただいたようだから、お礼を言いたくて……代表の方にお会い出来たらと思って財団側に面会を申し込んだのだけれど『代表は都合が悪く、ご留学中にはお会いになれないとのことです。誠に申し訳ございません』と言われてしまったわ…代わりに副代表の方と電話会談してお礼をいうのが精一杯だった」
「フィーナさんが申し込んでも駄目だったってこと?」
麻衣も会話に参加してきた。
月と地球の接点といったら、地球側では満弦ヶ崎を除くと一般人はロムフェーラ財団ぐらいしか知らない。地球連邦政府にも少なくない影響力を持っており、くわえて財団のトップが決して姿を見せないというのも有名である点から―――幽霊組織だの悪の組織だの色々とインターネットで噂されているが、相手する必要などないといわんばかりに財団側はそれに関して一切の対応をしていない。
「ええ…月政府を通しての公式な依頼でも駄目だった。10年ほど前から月に寄付という名目で巨額の資金を送ってきているのだけれど、その規模が年々倍になっていって……今では月の政治にまで一定の影響力を持つほどの規模にまでなっているわ、その反発からか月の貴族の約半数ぐらいは、地球にありながら月の統治にまで影響を齎すロムフェーラ財団に良い印象を持っていないの」
なんとも形容しがたい複雑そうな表情を浮かべつつ、フィーナは言葉を続けた。
「財団側は寄付金を『軍事目的以外』、『一定額を月と地球の交流の費用に充てる』といった条件を月側が満たすなら、残りは何に使っても内政干渉する素振りをみせないの。だから今のところはスフィア王国としても損をしていないから月の貴族たちも不審に思いつつも、資金提供を許容しているといった所ね」
朝霧家の家長であるさやかが家にいるときはめったに見せない、ほややんとしてない真面目なトーンでフィーナの言葉を引き継ぎつつ、話を続ける。
「5年前に王立月博物館の経営が傾き始めた時に手を差し伸べてくれたのも、そのロムフェーラ財団よ…おかげで今も博物館が存続できているわ。それに月と地球の交流促進をうたっている財団があるからこそ、月と地球はセフィリア様亡き後も交流が出来ているといってもいいぐらいよ」
財団抜きでは国際交流の断交もあり得たでしょうね、とさやかが呟くのを達哉たちは茫然として聞いていた。実際に地球連邦政府内には未だ根強く反月派閥が存在しており、公にはしていないが彼らの中には月と再度の戦争を望む過激派がいる―――それぐらいに月と地球の隔たりは現実として大きいのである。
「私個人としても、月への留学する時に留学費用の支援とかしてもらったからお礼を言いたいんだけど…いつ問い合わせても『申し訳ありませんが、代表はお会いできる状況ではありません』って門前払いされちゃっているわ」
「フィーナや姉さんでも無理なのか…代表の人、なんでそんな頑なに姿を見せないんだろう?」
「何か理由があるんだろうけどねー…もしかして一人で全部やっているからとか?」
「さすがに一人で全部ってことはないだろ、麻衣」
あはは、と笑いあう朝霧兄妹。つられて皆が笑顔になる朝霧家であった。
『代表、よろしかったのですか?』
「かまわん、これまで通りの対応を続けろ」
『――――しかし、月の王女…ひいては次期女王でもあるフィーナ=ファム=アーシュライト様の申し出まで断ったとなると…月における我々の今後の行動に支障をきたしかねません。実際、スフィア王国側からも圧力がかかったようです』
「月への応対はこれまで通りだ――――地球連邦政府の方はどうなっている?」
『フィーナ様の地球留学に際して、地球連邦政府の内部が紛糾した件については収まりがついた模様です。地球連邦政府側から留学に関して譲歩を引き出せたのですが、まだ反月派閥に属する過激派の抑えつけが完璧ではないようです。ご注意ください』
「……あの石頭共から譲歩を引き出せただけでも上出来だ、担当者には追加で報酬をやらんとな」
『了解しました。それとNDPについてですが、メサイアを始めとした例の計画の開発は今のところ順調だとのことです、予定通りに運用可能かと』
「そうか。引き続き開発を急がせろ――――あぁ、お前には今の内に言っておかなければならんな……最悪の場合はお前の判断で財団を動かしても構わん」
『――――――お体の調子が、よろしくないのですか』
「調子自体はいいのだが―――――いつ死んでもおかしくない身体だ、これまではだましだまし延命できてきたが……念には念を押したくもなる」
『――――…そうですか』
「始まった以上はいつか終わりが来る―――私だけがその道理から外れるわけにもいくまい。他には何かあるか?」
『いえ、急ぎの要件はありません――――それでは失礼します』
「ああ」
男は電話を切った。
男は誰にも見られていないところで、ひっそりとため息をつく。
10年前からずっとこうしてきた。月と地球、双方の人類の為にも、彼は決して表舞台に立とうとはしなかった。
本来ならば、彼は一躍時の人になってもおかしくはないほどの成果を出しながらも頑なに拒否する。
ロームフェラ財団、それは10年前に彼が興した財団だ。
月と地球の人類の交流促進をうたう組織は、いまでは月と地球の双方に少なくない影響を齎すまでに成長した。
彼は時代の寵児とすらいえるほどの才覚を持ちながら、決してそれを表に立って披露しようとしなかった。
彼以外にいったい誰が僅か10年で財団をここまで大きくできただろうか。
軍事、経済、政治――――それらをはじめとしたほぼすべての分野で財団は一定の影響力を保持している、財団が生む権益を思うがままにふるえば―――世界は動かざるを得ないほどだ。
それを生み出し、育み、大成させた流れを主導したのがたった一人の手に拠るものだと誰が信じられるだろう。
男は代表になんども疑問を投じた、なぜ表に出ないのかと。
それでも彼は決して表舞台に出ようとはしなかった――――今はまだその時ではない、と。
代表と電話していた男とて、直接あったことは最初の一回しかないのだ―――基本的に電話越しでしか相対することがない事を不審に思わないでもなかった。
しかしその男は代表にはある恩義があるが故、忠誠を誓っている。
それは財団職員も同じであった。
財団に所属する者が――――その大多数が神でもなく地球連邦政府でもなく、代理人を通して代表から確かな救いを享受できたからだ。
その影響か職員の士気は旺盛であり、みな意欲的に働いてくれている。
彼は自分がやってきた事が結実していく様を感じて、嬉しく思った。
あとは、自分が約束を果たすだけだった。
7月9日、日曜日のトラットリア左門にて。
「すまんな、ラウ。お前さんも海水浴行ってきてよかったんだぞ?」
「お気遣い有難うございます。しかし仁が保護者役として行っている以上、店を回すには人手が必要ですし、俺はあまり海水浴に興味がないので大丈夫です」
「……そんなに嫌だったのか、前に性別を間違われたのが」
「――――俺が男だと説明しても、『かまわない、むしろイイ!』と男女問わずいい寄ってくるのです…さすがに嫌にもなります」
「そうか…悪かったな、今日の賄いは気合い入れて作るから元気出せ」
「…ありがとうございます」