※この作品はフィクションです。
※登場するキャラクターは創作であり、実在人物の人格・行動を反映する意図はありません。
栗祓がその紙を持ってきたのは、梅雨が明けきらない灰色の午後だった。部屋の湿り気を吸った空気が肌に張り付くような、気味の悪い日。あの独特の柔らかな笑みを浮かべながら、悪巧みしてる様子を見て、雨六は、「また変なの持ってきたな」と半ば確信していた。
「雨六さん、これ……ちょっと見て欲しくて」
栗祓は、封筒から一枚の“白い紙”を取り出した。真っ白。線も罫も何もない。ただの紙。だが妙に質感が生々しく、見た目より“重さ”を感じさせた。
「……紙、ですよね?」
「そう。紙なんだけど、紙じゃない感じなんだよ。ほら」
栗祓がライターを取り出し、紙の端に火を近づける。炎は、紙に触れた瞬間にすっと避けるように流れ、まるで紙が火を拒んでいるかのように燃え広がらない。
「燃えない紙でしょうか……これは、また……変ですね」
「でしょ?」
栗祓は嬉しそうだった。
雨六は、また面倒な事に巻き込まれた予感が背筋を通るのを感じた。
「これ、どこで?」
「知人から譲ってもらったんですよ。本人曰く、『持ってると破滅する紙』みたいで」
その言葉に、肩をすくめた。
「はい出ました。また“呪い系アイテム”。前もありましたよね。呪われた正月飾りとか、夜中に笑い出す雛人形とか」
「いやいや、今回はガチですよ。持ってた奴、本当におかしくなったから」
栗祓の声は、どこか真剣だった。軽い悪戯心に満ちたいつもの調子ではない。
「それとね……この紙、持っていると“悪魔”を見るらしいんです」
「悪魔……?」
「うん。人の形してるけど、人じゃない。骨みたいに痩せてて、目が真っ白で、背中に羽根があって……名前は“リューク”って言うんだって」
雨六は思わず吹いた。
「絶対、誰かの創作作品でしょ」
「まあ、私もはじめはそう思っていたんですけど……」
栗祓は言葉を濁し、視線を逸らした。その一瞬に、妙な違和感を覚えた。
「で、雨六さん。触ってみてよ」
「え? まあ……触るだけなら」
少し間をおいて紙に触れた。指先に、ぞくりとした冷気が走る。湿気た部屋の空気とは違う、底冷えのような感覚。
「あれ……」
「来ました?」
「いや、何も……」
そう言いつつ、雨六は部屋の隅を見た。つい、何かが立っている気がして。
だが、そこには誰もいない。
ただ、薄暗い影が床に落ちているだけ。
「あのさ、雨六さん」
「はい」
「この紙、実は“死を呼ぶ紙”なんですって」
栗祓の声が低く、湿り気を帯びる。
「名前を書かれた人間は死ぬ。そういう話」
「……」
雨六は、ここで初めて“笑わなかった”。
燃えない紙。触れた感触。背筋の冷たさ。先ほどの影。
一瞬だけ、現実と冗談の境目が揺らいだ。
「まあ、ただの都市伝説ですけどね」
栗祓は、急に明るい声で笑ってみせた。
「でも、面白いでしょ?」
「……面白いですか、ね」
少し遅れて笑った。
雨六の、その様子見て、栗祓はニヤリと笑う。
というのも、実は栗祓は、紙の正体を知っていたのだ。
“デスノート”。
本物のノートの、切れ端。
元の持ち主は、名前を書いた。何人も。
そして、結果を見て、恐怖し、ノートを破り、捨て、逃げた。
だが切れ端は、切れ端でも“効力”は変わらない。
ただ、雨六はまだ知らない。
今は、“ただ触れただけ”で済んでいると信じている。
本当は、その瞬間――
紙は、彼の中に“見える資格”を与えていた。
部屋の隅に落ちる影。
背の高い、骨のように痩せた影。
真っ白な目の、笑っている影。
雨六は、気付かないふりをした。
気付いたら、終わりだと思った。
「雨六さん、また変なものあったら、見せに来るよ」
栗祓は楽しそうに手を振り、去っていった。
扉が閉まる。
静寂。
部屋の隅で、何かがかすかに笑った。
カサ……紙が揺れる。
「……やっぱり、今日も変な一日だな……」
雨六は小さく呟いた。
影はまだ、そこにいる。