魔法科高校の優等生〜四葉の黒太子〜   作:うに・とらひこ

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2094.08:新人戦

2094年8月。

 

九校戦の熱気が、富士の演習林を灼いていた。

 

だが、その熱狂は、国立魔法大学校付属第四高等学校の生徒たちにとっては、どこか遠い出来事でしかなかった。

 

8月6日(金)から8月8日(日)。九校戦・本戦の前半戦。

 

結果は惨憺たるもの――ただし、あまりにも順当だった。

 

国立魔法大学校付属第一高等学校が、他校を蹂躙したのだ。

 

七草真由美、渡辺摩利、十文字克人。

 

この三名を筆頭とした一高の選手団は、出場したすべての競技で優勝をさらい、その圧倒的な力で他校の希望を容赦なく叩き伏せた。

 

----

 

8月9日(月)、新人戦・初日。

 

新人戦・スピード・シューティング、一次予選。

 

競技の開始を前に、四高の選手団に与えられたボックスシートは、本戦の熱狂から切り離されたように冷え切っていた。

 

四葉元弥は、ボックスシートの一席に座り、眼下のフィールドを無感情に見下ろす。

 

(完璧な勝利だ)

 

元弥の思考は、今まさに始まろうとしている新人戦ではなく、昨日までに突きつけられた本戦の結果に向けられていた。

 

特に、七草真由美の戦績。

 

彼女は、自らに課された責務を、完璧すぎるほどに果たした。

 

懇親会で垣間見せた、十師族の長女としての重圧、七草家内部の不協和音、そして『銀狐』佐伯少将の影。

 

そのすべての政治的ノイズを、彼女は自らの実力だけで黙らせてみせた。

 

それは、七草家の長女として、婚約者として、元弥が想像していた以上の完璧な結果だった。

 

(あなたの力は、見せてもらった)

 

元弥は、冷たい指先を組む。

 

(次は、俺の番だ)

 

懇親会で、彼女は嫉妬に揺れた。

 

四高副会長・百目鬼 葵(どうめき あおい)とのやり取りの中で、政治家の仮面の下に隠していた生身の感情を、一瞬だけ覗かせた。

 

だが元弥が求めているのは、そんな生ぬるい情のやり取りではない。

 

彼女が七草真由美として完璧な勝利を収めた以上、四葉元弥として、同じく完璧な勝利で応えなければならない。

 

この新人戦で、四高の非主流派を率いて完全優勝を成し遂げること。

 

それだけが、彼女の勝利と釣り合う、唯一の答えだった。

 

F.L.T.の介入。

 

四葉の力の公然たる行使。

 

そのすべては、この瞬間のためにある。

 

榊原理久生徒会長ら主流派の理論への逃避を、この結果で内側から破壊する。

 

(真由美さん。あなたの本戦が完璧だったからこそ、俺の新人戦は、もはや一つの失敗も許されない)

 

(この勝利で、あなたに、そしてあなたを狙うすべての敵に、四葉の力を――俺の覚悟を見せつける)

 

彼の胸にあるのは、勝利への渇望というよりも、共犯者への責務感に近い、冷徹な情熱だった。

 

「始まるわね」

 

隣から、計算された、しかし今は緊張を帯びた声がかかる。

 

副会長の百目鬼葵だ。

 

彼女は生徒会役員として、そして元弥の同調者として、この初戦を見届けるためにボックスシートにいた。

 

「新人戦・スピード・シューティング。本当に、彼女を出すのね、四葉君」

 

彼女の視線の先、フィールドには、四高の制服をまとった一人の女子生徒が、不安げに、そして周囲のすべてを拒絶するかのように苛立たしげに立っていた。

 

雷 朱音(いかづち あかね)、一年B組。

 

元弥が、この初日の切り札として選んだ、第一の駒だった。

 

「ふぅん。あれがB組の『問題児』ね」

 

百目鬼の隣で、広報の伏見玲が、面白そうに呟く。

 

「榊原会長、ただでさえF.L.T.の件でご機嫌斜めなのに、B組の、あんな情緒不安定そうな子で初戦を落としたら……四葉君、生徒会でどうなるか」

 

「玲、静かに」

 

百目鬼が、その軽口を制する。

 

「でも、リスクが高いのは事実よ。彼女、まともにCADを扱えるの?」

 

百目鬼の指摘は、生徒会役員として、純粋に四高の評判を気にした、合理的な懸念だった。

 

「元弥……」

 

元弥の斜め後ろに座っていた、新人戦メンバーの鳴瀬晴海(なるせ はるみ)が、低い声で尋ねた。

 

鳴瀬晴海。

 

彼は、元弥が四高一年男子の中で唯一話ができると評価している男だった。

 

 

百家・庶流である鳴瀬家の一員として、彼は榊原会長のような理論一辺倒の狂信者ではなく、魔法師の血統と政治が絡み合うこの国の『常識』を、骨身に染みて理解している。

 

元弥がF.L.T.を介入させた真意を、その政治的意図も含めて理解し、支持している数少ない味方の一人だ。

 

「元弥の選抜に異論はない。君を信頼している」

 

鳴瀬は、A組・B組といった表面的な区別では判断しない。

 

「だが、彼女は雷のエレメンツの系譜だ。俺たち百家の人間なら常識だが、エレメンツの力は個に依存しすぎる。特に彼女は、精神的な飢餓――あの不安定さを制御できていない。この初戦、俺たちの戦略の初手として、あんな『爆弾』を投入するのは、リスクが高すぎないか?」

 

(鳴瀬の分析は完璧だ)

 

元弥は、フィールドから目を離さずに、その懸念を肯定した。

 

百家としての常識に則った、実に正しいリスク評価だ。

 

(だが、その常識的なリスクを取らなければ、あの完璧な勝利を収めた七草真由美と、同じ盤上には立てない)

 

「リスクは承知の上だ」

 

元弥は、静かに答えた。

 

鳴瀬の懸念は正しい。

 

だが、鳴瀬は知らない。

 

そのリスクを制御するための、もう一つの非常識――一学年下の従弟(いとこ)、司波龍夜から非公式に提供を受けた、『CAD自動調整AI』の存在を。

 

雷朱音。

 

測定上、あまりにも不安定なサイオン。

 

だが、その瞬間最大出力、特に破壊力に関しては、A組の鳴瀬をも凌駕する。

 

そして、彼女の精神。

 

常に苛立ち、何かに飢えている。

 

エレメンツの末裔に見られるという、強すぎる依存癖。

 

あるいは、彼女らの一族が主と呼ぶ存在への、絶対的な忠誠の渇望。

 

2094年8月現在、彼女はまだ、その主を見つけていない。

 

彼女のツンケンした態度は、その飢餓と焦燥を隠すための、脆い鎧だ。

 

(『問題児』、か)

 

元弥は、冷ややかに心中で呟く。

 

(榊原会長の理論では、彼女は計測不能の不良品だろう。だが、俺のからすれば、彼女は調整(チューニング)さえ合えば、最強の火力だ)

 

そして元弥は、すでにその調整を行っていた。

 

F.L.T.の最新鋭CAD。そして、龍夜のAI。

 

鳴瀬の言う通り、F.L.T.のハードウェアだけでは、彼女の精神ノイズは抑えきれない。

 

だが、龍夜のソフトウェアは、彼女の精神が乱れる前にその乱れを予測し、CAD側が最適化する。

 

彼女は、自分の力を制御する必要すらない。

 

ただ、引き金を引けばいい。

 

元弥のサポートに、感情は一切ない。

 

ただ、新人戦を完全優勝するため――それ以外の理由など、存在しなかった。

 

「……始まりました」

 

百目鬼の声が、緊張を帯びる。

 

スピード・シューティング。

 

新人戦では男女の区別がないこの競技は、純粋な魔法処理速度と精度が問われる。

 

朱音が、競技用のCADを構える。

 

その姿は、まだB組の『問題児』のそれだった。

 

不安定に揺れる視線、制御できないサイオンのノイズがオーラのように彼女の周囲に立ち昇っているのが、元弥の席からでも見て取れる。

 

「ダメだ、あれは」

 

鳴瀬が、技術的な観点から、小さく呟いた。

 

「サイオンが最初から乱れている。あれでは、魔法が……」

 

だが、競技開始のブザーが鳴った瞬間。

 

朱音の構えるCADが、F.L.T.の刻印を淡く輝かせた。

 

元弥は、自席の端末で、彼女のバイタルとサイオンの波形データをリアルタイムで監視していた。

 

(……AI、起動。サイオン波形、強制同期。彼女の飢餓による精神ノイズを、CAD側が物理的にフィルタリングし、必要な起動式だけをロードする)

 

――閃光。

 

朱音の魔法ではない。

 

F.L.T.のCADが放つ補助光が、朱音の魔法式を導いた。

 

破裂音と共にターゲットが、連続して砕け散る。

 

それは、朱音が本来持つ雷の不安定な破壊力ではない。

 

龍夜のAIとF.L.T.のCADによって、完璧に安定させられた、常時8~9割の出力。

 

雷という荒ぶる神の力が、技術の鎖によって制御され、ただひたすらに正確にターゲットを処理していく。

 

「嘘だろ……」

 

今度は、鳴瀬が声を失った。

 

「なんだ、あれは……起動シーケンスが、クリーンすぎる。彼女の(ノイズ)が、完全に消えている……? CADが、彼女の魔法を補正しているのか……?」

 

百目鬼と伏見も、言葉を失っていた。

 

彼女たちは、これが雷朱音の力ではなく、彼女を制御している四葉元弥の力であることを見抜き、戦慄していた。

 

A組の優等生たちを遥かに凌駕する、圧倒的なタイム。

 

彼女の魔法は、もはや不安定などではない。

 

それは、四葉の手によって完璧に制御された、兵器のデモンストレーションだった。

 

最後のターゲットが、派手な音を立てて砕け散る。

 

電光掲示板に、「第一位」の文字が灯った。

 

「やった」

 

「勝ったぞ!」

 

四高ブースが、数秒の沈黙を破るように、爆発的な歓声に包まれた。

 

「元弥」

 

鳴瀬が、興奮を抑えながらも、元弥に振り向く。

 

「君の言った通りだ。いや、それ以上だ。あの不安定なエレメンツの力を、あれほど完璧に安定させるなんて。F.L.T.の技術力か……」

 

(いや、違う)

 

元弥は、鳴瀬の分析が半分間違っていることを知っていた。

 

(これはF.L.T.の技術(ハード)ではない。司波龍夜の技術(ソフト)だ)

 

だが、彼はその核心を、信頼する鳴瀬にさえ明かすつもりはなかった。

 

「データ通りの結果です」

 

元弥は、ただ一人、その熱狂から距離を置き、冷静に息を吐いた。

 

F.L.T.のCADとAIの有効性は証明された。

 

榊原会長らが、いかに実戦の前で無力か――その最初の証明が、完了した。

 

彼は、ブースの熱狂には一切興味を示さず、思考を、遥か遠い場所にいる共犯者へと飛ばしていた。

 

(見ましたか、真由美さん)

 

(あなたの完璧な勝利に対し、俺もまた、最初の完璧な一手を打ちました)

 

(あなたの本戦での圧勝と、俺の新人戦での全勝。その二つが揃って初めて、俺たちの同盟は、あの大人たちを黙らせる力となる)

 

彼の胸にあるのは、勝利の余韻ではなく、ただ、自らに課した責務を一つ果たしたという、冷たい安堵だけだった。

 

----

 

音が、遠かった。

 

雷朱音は、自分が勝ったという事実を、まだ認識しきれずにいた。

 

新人戦・スピード・シューティングでの優勝。

 

しかも全予選を一位通過しての優勝だ。

 

(信じられない……)

 

あれほど荒れ狂い、彼女を苦しめていた雷が、まるで優しい誰かに手を引かれるように、素直に言うことを聞いたのだ。

 

朱音は、茫然と、自分の手――CADを握る手を見つめた。

F.L.T.のCAD。

 

あの人が、「これを使え」と、命令するように渡してきた道具。

 

ざわめきが、現実味を帯びて耳に戻ってくる。

 

「すごいぞ、雷さん!」

 

「B組に、あんなのがいたなんて!」

 

「かっこよかった!」

 

周囲の称賛。

 

今まで彼女に向けられていた視線とは、まるで違う。

 

「情緒不安定な、面倒くさい女」

 

「いつキレるかわからない、危険な『問題児』」

 

そんな言葉を投げられてきた彼女を見る目が、今、変わっていく。

 

この、暖かく、受け入れられるような感覚は、何だろう。

 

彼女を苦しめていた飢えが、初めて、満たされていく。

 

(この力を、安定させてくれた)

 

(この勝利を、与えてくれた)

 

朱音は、雷に打たれたように、顔を上げた。

 

応援席で朱音の勝利を喜ぶ四高生ではない。

 

ただ一人、熱狂から切り離されたように、冷静にブースから彼女を見ている男。

 

四葉元弥。

 

彼だけが、彼女をただ見ている。

 

(……)

 

朱音の、魂の奥底。

 

一族の血に刻まれた呪い。

 

常に何かを求め、焦燥し、苛立ち、飢え続けていた、あの虚無。

 

その虚無が、今、一つの形を見つけた。

 

(この人、なの?)

 

(この人なら、私のこの飢えを満たしてくれる?)

 

それはまだ、確信ではなかった。

 

だが、彼女の魂が、初めて他者に対して明確な方向性を持った瞬間だった。

 

朱音は、無意識のうちに、頬を染めていた。

 

それは、勝利の喜びだけではない。

 

初めて自分を制御してくれた存在への、戸惑いと、感謝と、そして何よりも強い興味。

 

危うい依存の、最初の産声だった。

 

----

 

元弥は、フィールドに立つ雷朱音が、真っ直ぐに自分を見つめていることに気づいた。

 

彼女が、笑っている。

 

だが、その笑顔は、勝利の喜びや感謝のそれではない。

 

先程までの刺々しいオーラは消え、代わりに、熱に浮かされたような、奇妙な期待がその瞳に宿っていた。

 

「おめでとう、四葉君」

 

隣で、百目鬼副会長が、冷静な声で言った。

 

「雷さんは、見事に期待に応えたわね」

 

「ええ。データ通りの結果です」

 

元弥は、朱音の視線に気づいてはいた。

 

だが、彼はそれを、単なる勝利による高揚あるいは感謝という、合理的な、しかし間違ったカテゴリーで処理した。

 

(他人の好意など、天候と同じだ)

 

彼がそう結論づけるのは、冷酷だからではない。

 

むしろ逆だ。

 

彼が『心理掌握』を使えるがゆえに、他人の表面的な感情や一時的な熱狂が、いかに移ろいやすく、信頼に値しないかを、知りすぎているからだ。

 

そんなものに価値はない。

 

彼がネガティブな感情を他人に向けることはないが、同時に、ポジティブな感情を真に受けることもない。

 

七草真由美の、政治の盤上での葛藤と嫉妬と、そして覚悟。

 

それらすべてを内包したあの感情に比べれば、他のあらゆる好意は、元弥にとって分析対象以上の意味を持たなかった。

 

百目鬼のことも、話の分かる上級生としか認識していないのと同じだった。

 

「だけど、雷さん……」

 

百目鬼副会長は楽しそうに、しかし警告するように続けた。

 

「ずいぶんと四葉君に懐いてしまったみたい。あんな顔をさせちゃって。あれは、君の計算のうち?」

 

(あんな顔?)

 

元弥は、百目鬼の言葉の真意を、本気で理解できなかった。

 

彼にとって朱音の表情は勝利による高揚以外の何物でもない。

 

懐くという言葉の、その奥にある私情を、彼は意図的にフィルタリングした。

 

元弥は、葵の指摘を、唯の上級生としての軽口として処理し、意識から外した。

 

(いや、面倒なことになった)

 

彼がそう感じたのは、朱音の好意に対してではない。

 

朱音という駒が、自分の想像以上に使えることが証明されてしまったこと。

 

そしてこの力を、榊原との対立という、より大きな盤面でどう利用していくか――その次への思考が始まったからだ。

 

駒が強すぎることは、時に盤面全体のバランスを崩す。

 

彼の脳裏には、あの期待に満ちた顔ではなく、もう一つ、本戦で圧勝した真由美の完璧な笑顔だけが焼き付いていた。

 

政治的な共犯者と、依存の兆候を見せる駒。

 

九校戦という盤上で、元弥は勝利と同時に、最も厄介な呪いを手なずけなければならないことを静かに悟った。




投稿が遅くなり、申し訳ない……(。>ㅅ<)՞՞

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