俺は妹を守る為に妹を傷付けた   作:紫糸ケイト

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パラノイア

 

 藤川さんが入院してからしばらくの間、彼女の当番の全てを俺が引き受けた。

だから俺は、朝昼晩の三食を作る事もあったんだが……。

 

「本当に貴方、どうしたの?」

 

「えっと……今度は完璧なはずなんですけど」

 

「これ、見えない?」

 

 フォークの先には小さな白色欠片が乗せられている。

白色の物は使ってないし……あれは……卵の殻だ。

レシピは完璧だったけど、思い返せば藤川さんにしつこく卵を使う時はまず卵だけをボウルに入れろって言われてたのに……俺は普通に他と混ぜている中に割り入れてた。

 

「す、すいません!」

 

「今日の朝食にはスプーンもフォークも無し、昼食には飲み物が無い、そして夜はパスタの具材として卵の殻を入れる……私の知らない世界の料理のフルコースを食べさせてくれるのはありがたいけれど、私は食器を使って飲み物と共に普通の食事がとりたいの」

 

「作り直します!」

 

 お嬢様の手元にある皿を下げて、持ってきたカートに乗せる。

こんなミスは……これまでしてこなかった。

ちゃんと作っているはずなのに、何故こんなにも初歩的なミスをしてんだよ。

こんなんじゃ、藤川さんの代わりにも、彼女に料理を学んだという経験にも……クソッ!

 

 ミスが増えている。

最初はお嬢様に味がダメだと言われて、レシピを何度も見てその通りに作っていた。

そうしたら次は食器、今じゃ異物混入。

呆れた表情で腕を組む彼女の瞳は、確実に俺を責めている。

だけど、俺にはあの瞳がミスの事だけを責めているようには思えない。

 

「最近の貴方は本当に変ですよ」

 

「……すいません」

 

「何か、変わった事でもありましたか? それが心配だとか、精神的に追い詰められていたりしませんか?」

 

「な、何もありませんよ、あはは」

 

 今この状況を普通に考えれば、さっきの言葉は彼女が心配している以外の意味を持たないはず。

だけど、頭で分かっていても俺には別の意味をに聞こえてしまう。

彼女が俺の罪を知っていて、それを断罪しようとしているのではないかと、自分でも被害妄想だと分かるレベルの荒唐無稽な物に怯えてしまっている。

 

『愛してくれてありがとう、お兄ちゃん』

 

 越えてはいけない一線を越えた事。

これは確かに俺の中に罪として残り続けていて、それを誰かに責められる事が、たまらなく怖い。

 

「…………」

 

 お嬢様の鋭い視線を感じながら、俺は料理を作り直し、家に帰ってきた。

玄関を開けると、妹が出迎えてくれる。

新しい包帯やガーゼで生々しい傷跡が覆われてはいるものの、これまでの何かに怯えた彼女はそこにはいなくて。

 

「おかえり、お兄ちゃん! はい、お仕事お疲れ様のキスね」

 

 年頃の女子らしい笑顔を見せながら、俺に抱きついて頬にキスをする。

こんなルールは定めていないし、求めてない。

だが、俺は拒否できずにいる。

"もう既にキス以上の事をしたんだから"と脅されないように、二度とあの夜の話を聞かなくてもいいように。

俺は防衛策として、妹に何か言うのを止めた。

 

「ただいま、ゆうこ」

 

「くんくん……むむむ、お兄ちゃんから美味しそうな匂いと、神目さんの匂いがする!」

 

「お嬢様の所で仕事してたからな、食材の残りを貰ってきたからお前にも同じ物を作るよ」

 

「あ、手伝える事があったら言ってね」

 

 妹の精神は歪んだルールから脱しつつある。

このままいけば、彼女は普通に暮らせるだろう。

だが、俺の精神状態が普通じゃない。

お嬢様、クラスメイト、教師、通行人、そして妹。

ありとあらゆる視線に怯え、断罪を恐怖して、普通の生活が出来ていない。

まだ自覚があって、せめて妹には察知されないよう振る舞う演技が出来ているけれど……。

 

 俺は、罪の重さに押し潰されそうになっている。

 

「えへへー」

 

「どうした、俺が料理してんのがそんなに面白いか?」

 

「ううん、ただ毎日お兄ちゃんの料理が食べられて幸せ者だなって思ったの!」

 

 彼女の笑顔。

少し前に望んだ彼女の普通でさえ、今の俺には普通には見えていない。

 

 この秘密を隠して生活を続けて一ヶ月前が経ち、もうすぐ梅雨になろうとしていた。

我ながらよくここまでもったなと褒める一方で、未だこの恐怖は消えず、強くなり俺を襲っている。

 

「ゆうま君」

 

「どうしましたかお嬢様……じゃなくて、神目さん」

 

「妹さんの件ですけど……」

 

「妹ですか? お嬢様と同じで最近はアイツの好き嫌いが分かってきまして、それをどう食べさせるか考えたり……そうそう、この間なんて好きだって言ってたコーンスープを作ってやったのに、好きじゃなくなったって言われて作り直したり……それから」

 

 お嬢様は腕を組んだまま、ポカンとしている。

この瞬間だけは彼女のトゲが姿を消していたが、すぐに元の彼女に戻っていく。

 

「ずいぶんと早口で、聞いてもいない事まで話すのですね」

 

 お嬢様の目付きが一瞬だけ、柔らかな物から鋭い物になったのを俺は見逃さない。

でもここで止まったら妹の話になる。

なんでもいい、罪にたどり着かせないようにしないと。

 

「……それぐらい、元気になったって事ですよ」

 

「それはなによりですが、私は貴方が心配なんです」

 

 妹と俺の関係について聞かれたくなかったけれど、どうやらお嬢様は俺の話をしたかったみたいだ。

隣の空席に座りつつ、彼女は俺をチラチラと見ては視線をずらしたり……手遊びを始めたり。

今の俺が言うのは変な話だが、いつものお嬢様じゃない。

学校じゃディスプレイの向こう側のような、綺麗でありつつも冷たい存在だった彼女が、屋敷にいる時のような動きを見せている。

 

「俺ですか?」

 

「妹さんと暮らし始めてから、貴方が貴方じゃなくなっていくような気がするんです」

 

 俺は俺だ。

でも、彼女の指摘は当たっている。

間違っても、答える訳にはいかないけれど。

 

「心配してくれてるんですね、ありがとうございます」

 

「こ、これはあくまで雇用主として従業員の心配をしているだけですからね!」

 

「わかってますよ、それでも心配してくれてありがとうございます」

 

「ですから……その……」

 

 またチラチラと瞳が俺を捉える。

俺が彼女の瞳を見ている事に気づいたみたいだが、何故か顔を少し赤らめてプイと何も書いてない黒板の方を向いてしまう。

まるで、何かを言い出すタイミングを探しているような……なら、言わせる訳にはいかない。

 

「神目さん、そういや最近会えてませんが藤川さんは」

 

「今は私と話をしているのに、他の女性の話はしないで下さい!」

 

 お嬢様が大きな声で話すなんて珍しい事を、クラスメイトは見逃さなかった。

昼休みの始まりで教室にはかなりの数の生徒が残っているけれど、そのほぼ全ての視線が俺とお嬢様に突き刺さる。

やめろ、見ないでくれ。

 

「私は藤川よりも魅力的ではないかもしれません、貴方にワガママを言って面倒をかけた事も認めますけど……今目の前にいるのは私です」

 

「……すいませんでした」

 

 頭を下げると、お嬢様は小さくため息をついた。

やはり今日の彼女はおかしい。

普段なら反省とは言葉ではなく、実績で示せとか言うはずなのに。

彼女は何も言わず、そして何かを決めたような表情を浮かべているだけだった。

 

「遠回しにアピールしてきたつもりですが……わかりました、ついてきて下さい」

 

「何処に行くんですか? ここでは出来ない話ですか?」

 

「貴方に、一人の女性として伝えたい事があるの」

 

 変わってしまった俺のいつも通り、恐怖と戦いながらお嬢様に連れられて、俺は今、体育館のど真ん中にいる。

あのお嬢様が俺なんかに"女性として伝えたい事がある"なんて言ったもんだから、話はすぐさま学校中に広がっていき、クラスメイトや、他のクラスの生徒、他の学年の生徒……妹まで体育館に来ている。

 

 そして、そんな中央にはもう一人……お嬢様がいる。

これじゃまるで、裁判じゃないか。

目の前の裁判官が判決を下すのを、周囲のみんながまだかまだかと待っている。

そんな光景に、地獄にしか見えない。

 

「こんなに見られていると、恥ずかしいですね」

 

「なら止めた方がいいです、それが……」

 

 無理だ。

ここには視線の壁が作られている。

 

「いえ、私の勇気を見届けてもらいますので……私、神目あてらの想いを聞いて下さい」

 

 ここから抜け出す事は許されないだろう。

頬を染めて、もじもじとしたお嬢様を放って俺一人逃げる事なんてなおさら許されない。

男女問わず、刃となった視線を俺の喉元に突き付けてきやがる。

なら、乗り切るしかない。

 

「想い、ですか?」

 

「はい、私の……貴方に対する想いです」

 

 お嬢様がそう語り始めると、ざわついていた空気は消えていく。

そしてここに残ったのは、水中のように重く静かな空気感と。

キラキラとした目と、親指を立てて何かを伝えようとする妹。

それから、これまで見てきた中でもっともお嬢様らしくない。

まるで、恋する乙女のような、神目あてらさんだった。

 

 

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