久しぶりにベッドではなく、布団で寝たせいだろうけど体がとても痛い。
お嬢様の屋敷に住み込みで働く前までは布団で寝ても違和感はなくて、むしろ落ち着くぐらいだったのに……。
俺ははからずも生活水準を上げてしまっていたのだろう、下げるのはかなり苦労すると聞くけれど、うん、これが普通なんだから馴れろよ、俺。
とりあえず朝食を作って、着替えて学校に行かないと。
来月には俺も高校二年生なんだから、しっかりしないとな。
「……そういやアイツ、何が好きなんだろ」
妹は昔、パンをスープに浸けて食べるのが好きだった。
インスタントのコーンスープに、安物のトーストもしていない食パンを浸し、ニコニコ笑いながら美味しい美味しいと喜んでいたのは覚えている。
しかし、成長してもう高校一年生になろうとしている彼女が昔のままとは思えない。
俺に作れる物が好物なら、全力で笑顔にしてやるんだ。
お兄ちゃんは頑張ったんだぞって、料理上手いんだぞって言って、美味しさと下らない会話で失った時間を取り戻すんだ。
「とりあえず、コーンスープでいいかな」
あの頃の彼女が好きだった味よりも、俺の味を好きになってもらえると嬉しいな。
食べながらお兄ちゃんは料理上手なんだぞとか、彼氏とかいるのかとか、普通の兄妹のように過ごしたい。
そんな事を考えながら着替えていると、机に置いてあったスマホが震えて少し動いた。
画面には、お嬢様からのメッセージがあって。
『今日の朝食はメイドの藤川が作りましたけど、いまいちでした、美味しい物が食べたいです』
「お嬢様に会いたいですし、ちゃんと夕飯は作りに行きますよ」
俺を必要としてくれている。
そんな言葉に少しだけ舞い上がる自分がいた。
好きな人から求められて、彼女の目の前じゃ絶対に言えない言葉を誰もいないアパートでつぶやいた。
多分俺、今気持ち悪いぐらいニヤついてんだろうな。
春休みまで学校と屋敷と妹の捜索をして過ごしていたが……俺は甘かった。
一人暮らしをして一ヶ月が経っても、妹の居場所は分からない。
海外にいる親父に聞いても、母の連絡先を知らなかったし、昔の家には別の家族が住んでいた。
唯一俺が知る電話番号に連絡してみるも、そもそも使われていないと言う冷たいアナウンスが流れるだけ。
春休みを全て使い、心当たりある場所全てを回ったけれど、見つからない。
「……この町には、もう居ないのかな」
お嬢様も心配してくれているし、色々と探してくれているらしいがそれでも見つからない。
だけど、諦めるつもりは無い。
これまでの俺だって、妹を探してきたんだから、今の俺が見つけられなくても諦めたりなんかしない。
「神様とやらがいるのなら、どうか……どうか」
意味のない祈りだと知りながら、俺は毎日心の中で妹を想い、探し続けた。
隣町や母の実家も行ってみたけど、それでも彼女は見つからない。
気がつけば春休みは終わり、新学期が始まっていた。
新入生が少し緊張しながらも、新しい生活に胸踊らせる中、俺はただ、祈っている
どうか妹に会わせて下さい。
そして、俺達兄妹に普通の生活を送らせて下さい。
そんな気持ちで、俺は新学期をスタートした。
神は死んだなんて言葉を聞いた事がある。
俺自身見えない物を信じるつもりは無いし、神なんて概念はもってのほかだ。
それでも、すがりたい気持ちは分かる。
見えない奇跡とやらが起こる事しか抗う術がないのだから、仕方ないだろう。
だけど、奇跡は存在した。
神はもしかしたら、いるのかもしれない。
高校の新入生として、彼女が現れた。
伸びた黒く長い髪。
身長は俺よりも低くて安心したけれど、彼女が背伸びをすれば並ばれてしまうだろう。
それらは問題じゃない、元気に成長したって事だからな。
問題なのは……。
「追妹ゆうまです、はじめましてじゃ、無いよな?」
「……追妹……お、お兄……ちゃん、なの?」
一年生の教室で一人だけ、彼女は浮いていた。
それは発達した女性らしい体つきだけが原因ではない、眼帯を着け、腕と足に包帯を巻いている事も原因だろう。
崩れた包帯からは、真っ赤で、焼けたような跡が覗いている。
足には打撲跡のような傷、腕には切られたような跡もある。
「ゆうこ、久しぶりだな」
見える片目には光がまるでない。
お嬢様のように喪失しているのではなく、光が失われている。
昔の彼女は太陽のようなキラキラとした光を宿していたのに、今じゃ雲一つ無い新月の夜空のような瞳になってしまった。
何も希望を抱いていない、そう錯覚させる雰囲気すら抱いてしまう。
酷い、あまりにも酷すぎる。
どうして彼女があんな目に会わないといけないんだ。
何をしたってんだ、ふざけるな。
俺がもっと早く見つけていれば、もっと強ければ、彼女がこんな目に会わずとも済んだかもしれない。
俺の……俺のせいだ。
「……お兄ちゃん」
「その体……どうした」
「体?」
「ああ、あまりにも……」
いや、いちいち傷の事を聞いても仕方ない。
勿論犯人は見つけ出すつもりだが、それを教室で話させるつもりは無いし、彼女の居場所を壊したくない。
今必要なのは、彼女を保護する事だ。
学校で何かあったとは考えられない。
中学で……それもない。
ならば、それ以外の時間で、彼女は何かに巻き込まれている。
それから、俺が守るんだ。
「そう……ついてきて」
「え、あ、ああ」
座っていたゆうこが立ち上がり、俺に背を向けてスタスタと歩き出す。
雰囲気や背格好には、昔の面影がどこにも無い。
そして俺の視線は、彼女の後ろ姿のある一点を視界の中心に捉え、意識してそこから視線をずらし、気がつけばまたそこに向かっていく。
制服のスカートから伸びる、痛々しい包帯の巻かれた足、そこに目が行くべきなのに、俺の目はスカートのラインが描き出す、柔らかな尻の丸みに吸い寄せられていた。
歩く度に、腰まで伸びた黒髪が揺れ、隠されていたうなじが覗く。
俺の知る彼女では無い、魅力的な体つきなった彼女を値踏みするかのような下衆な視線だ。
……やめろ。
頭の中で、理性が叫ぶ。
こいつは妹だ。
傷ついていえ、可哀想な、守るべき家族だ。
なのに、兄である前に、俺の中の"オス"が、最悪の形で現れようとしている。
昔とはあまりにも違う体型になり、少しの思い出のみでしか血の繋がりを理解できない状態で、目の前の妹を"メス"として見てしまっている。
拳を握りしめ、爪が掌に食い込む痛みで、汚らわしい思考を打ち消そうとする。
だが、一度焼き付いてしまった感情が、脳から消えない、消えてくれない。
頼むから、どこかに消えてくれ。
「来て」
「悪い、今行く」
彼女の体に刻まれた無数の傷跡に対する怒りと、成熟した女性の体へと成長した彼女への劣情。
俺が守ると決めた家族だと言う決意と、魅力的なメスが目の前にいると言う現実が俺の中で混じり合い、思考をぐちゃぐちゃにする。
クソッ、相手は妹なんだぞ、落ち着けよ俺!
そんな想いと戦いながら、妹についていくと、そこは人気の無い校舎裏だった。
よく入学してすぐでこんな場所を見つける事ができたなと感心する一方で、ここなら彼女に何があったのかを聞いたとしても、周囲に聞かれる事はないだろうと確信した。
ここなら聞いてもいいだろう。
「何があった」
「いろいろ、でも言いたくない」
妹は背中を向けて、目を会わせてくれなかったが、少しの無言の後で彼女はくるりと振り返った。
光のない瞳が俺の目をじっと見つめる。
そして、まるで俺の心の中の汚らわしい欲望を、全て見透かしたかのように、彼女は静かに、そして絶望的に美しく、微笑んだ。
「その目、知ってる」
「……え?」
「お兄ちゃんも家族だから……そうだよね、分かってた」
作られた笑顔。
まるで、慣れてない営業の笑顔のようなソレを向ける妹は、絶望しきったような冷たい、生気を感じない声で。
「お父さんみたいに、私の体を使いたいの?」
小さく、だけどはっきりと。
彼女の身に何があったのかと、俺の邪な視線に気付いているぞと、言葉を発した。
妹は俺の目を知っていると言った。
さっきの俺のような、メスを眺めるようなオスの目を知っていると言ったんだ。
その後に出てくる"お父さん"という言葉は……多分だが、母さんが再婚して出来た新しい父親の事だろう。
一つ一つの最悪が、一つの悪夢に繋がった。
ボロボロの彼女。
家族と聞いて、自分の体を使うのかと問う精神状態。
そして、目を見てそれに既視感があると告げた言葉。
そのれらが、最悪の形を作っていく。
「ごめんな……ごめん……」
「お兄ちゃん、何で泣いてるの?」
俺が早く見つけていればこんな事にはならなかった。
俺が弱くなければ、妹はこんなにもボロボロにはならなかったハズだ。
大量の押し潰されそうな後悔と、その父親に対する怒りで頭が爆発しそうになっている。
痛い、頭が痛い。
「ゆうこ……俺がお前を……」
守るんだ。
もう二度と、お前に怖い思いはさせたくない。
その為に俺は準備をしてきたんだから、そんな父親のいる家じゃなくて……俺と暮らせばお前を……。
「……殴るなら、目立たないお腹でお願いします」
「な、殴るわけないだろ!?」
「分かってる、服脱ぐの遅かったから、罰を受けるんだよね?」
「ゆうこ! 俺はお前を殴ったりしない!」
俺の伸ばした腕を、彼女は罰の為に殴られると勘違いした。
そして、殴らないでくれではなく、殴るなら目立たない場所を殴れと……日常的に暴力まで振るわれているのだろう、諦めのような言葉まで飛んで来る。
俺は腕を引っ込めてから、どうすればいいのか分からなくて、何故殴らないのだろうかと困惑する妹を……抱き締めた。
「お前を守る為に、俺は努力したんだ! 一人暮らしもして、金も稼いでる、だからお前は……」
俺が想いを言葉にしようとした時。
妹は俺の頬に触れながら、俺の唇にキスをした。
驚きで固まる俺の目に飛び込んできたのは、どす黒い、絶望しか残されていない妹の瞳だけだった。
「お兄ちゃんは、純愛プレイがいいんだね」
俺の言葉は……彼女に希望の灯り一つも灯せなかった。
俺の言葉は、彼女に届かなかった。
彼女の言葉は、俺を貫いた。
校舎裏に、夕暮れのチャイムが遠く響く。
俺と妹の間には……再開を望んだとは思えない程冷たくて、こんなにも近くにいるのに離れているような空気感だけが残っている。
「好きだよ、お兄ちゃん、愛してます」
中身のない言葉を囁かれ、どれだけ密着していても、俺の中のオスは身を潜めていた。
こんな彼女にソレを向ける気なんておきないからって理由じゃない。
彼女を守る為に、早く動かないといけないという焦燥感と、自己嫌悪と、怒りが俺を支配していたんだ。
彼女を家に帰してはいけない。
無理にでも、俺の部屋に住ませないと、彼女はさらに傷付くに決まってる!
「こい!」
「あっ……お兄ちゃん……場所変えるの?」
「ああ、お前の為に用意した場所がある!」
彼女の手を掴み、俺は歩いた。
普段よりも早足で、一刻も早く帰る為に彼女をつれていく。
「そんなに焦らなくても……私は逃げないよ、お兄ちゃん」
不思議そうに俺を見る彼女と共に、俺はアパートに戻ってきた。
妹が平和に暮らせる、兄妹の失われた日常を取り戻す為の努力して手に入れたこの場所を紹介すると、妹はポツリと呟いた。
「声は、あんまり出さない方がいいの?」
その一言に込められた様々な意味に俺は対応できなくて、言葉を失ってしまったんだ。