普通→友好に切り替わる頃を想定しています。
主人公の名前は『海野あかり』
ふいに、机の上の携帯が振動する。
週明けの小テストに向け勉強をしていた佐伯瑛は、顔を上げ携帯を手に取った。
日曜日のこの時間に電話をかけてくるやつは一人しかいない。
いつの間にか覚えてしまった番号からの着信であることを確認すると、自分の頬が緩んだことに気が付かないふりをしながら、電話に出た。
「……もしもし。番号見ればわかるって。どうした?」
「今度の日曜日、水族館に行かない?」
「お前……本当物好きだな」
電話の主、海野あかりはバイトの同僚かつ、同じ高校の同級生だ。
自分を押し殺して優等生を演じている瑛の本当の姿を唯一知っている相手でもある。
瑛は日頃カピバラみたいだ。と思っている、どこかぼんやりした雰囲気の海野が珊瑚礁で働くことになった時、ピーク時には最小の行動で最大の効率が求められる飲食バイトなんて彼女には絶対に向いていないと思っていた。ところが、意外にも仕事モードの彼女は周りをよく見て、よく考え、よく動く働き者だった。
彼女が働き始めて数か月、着実に戦力になりつつある海野を内心頼りにし始めていた頃、海野から頻繁に遊びに行こうと誘われるようになった。
高校生活はあくまで将来のための踏み台。無駄なことを極力したくなかった瑛は初めその誘いをほとんど断っていたのだが、気まぐれで誘いに乗ってみると、海野と過ごすのは案外楽しく、今では張り詰めた日々の良い息抜きになりつつある。
いつものように数分遅れではばたき駅に着くと、アクアブルーのカーディガンに軽やかな生地のスカートを履いた海野を見つけた。私服の彼女は大抵ひらひら、ふわふわした服を着ている。
生まれつき顔がいいため、昔から告白はされてきたが、碌にしゃべったことがない女子と付き合う気はさらさらなかった瑛にとって、私服の女子と遊んだ経験はないに等しかった。ひらひらした可愛らしい服を着た海野と並んで歩くのは少し緊張する。
瑛を待つ海野は、時折携帯で時間を確認したり、「待ち合わせここだったっけ?」と首を傾げたり、「いや、今日は水族館だから……」と自問自答したり忙しそうだ。コロコロ表情を変え、一人コントを繰り広げる海野の様子に笑いをこらえながら、瑛は声をかけた。
「よう。待ったか」
「佐伯くん!大丈夫だよ」
「……ならもう少し遅れても問題ないか」
「もう!」
少しひねくれた冗談を言うと、思った通りのリアクションが返ってくる。ほんと、からかい甲斐があるやつだ。
「冗談だよ。行くぞ」
丁度瑛の肩くらいの位置にある海野の頭に、チョップをお見舞いする。
「痛っ待ってよ!」
慌てて付いてくる海野の声を背中に感じながら、今日もなんやかんや楽しいのだろうと瑛は思った。
薄暗い館内に差し込む青い光が、まるで海中にいるような錯覚を起こさせる。
大水槽の前で足を止めた瑛は、それぞれが光を受けてキラキラと輝きながら、集まって泳ぐ姿が印象的な鰯を眺めながら呟いた。
「水族館に来ると、海の底にいるような気がするんだ」
独り言のつもりだったが、意外にも海野は「わかる気がする」と頷いた。
「海って、私にとっては広すぎてちょっと怖いものだと思ってたけど、この街に引っ越してきて珊瑚礁で働くようになって。毎日波の音を聞きながら過ごしていたら段々落ち着く存在になってきたんだよね」
海野のその言葉は自分が小さい頃から海に抱く感情そのもので、やっぱりこいつとは気が合うなと思った。でも、なんとなく気恥ずかしくて口には出さない。海野になら、いつか夜明けの空と海がひとつになった、あの景色を見せてやりたい。そこまで考えて、いや、夜明けまで一緒にいるシチュエーションってなんだよ!と一人ツッコミした。
「佐伯くん!あそこの売店、こだわりブレンドコーヒーとクロワッサンだって!」
海野が突然、瑛の腕をビシバシ叩きながら、はしゃいだ声をあげた。結局食い気なんだこいつは。でも、目の付け所は悪くない。
「こだわりブレンド?それは見逃せないな。よし、敵情視察だ!」
「イエッサー!早く並ぼう!」
学校の奴らには絶対見せないふざけたノリも、同じテンションで乗っかってくれる海野の前ではついついやってしまう。
クロワッサンは生ハムとレタスを挟んだ総菜系と、板チョコを挟んだスイーツ系の2種類があった。
「うう……甘いのとしょっぱいの……どっちも捨てがたい」
隣で海野が唸る。こいつの悩む顔も、喜ぶ顔も、最近なんだか見ていて飽きない。
「馬鹿だなあ、2つ買って分けりゃいいだろ」
両方を買って手渡してやると、「佐伯くん、いや佐伯様天才!」と満面の笑みで寄っかかってくるから、慌てて払いのけた。
「じゃあな、また」
「佐伯くんまたね!今日は楽しかった!」
「……まあ、結構息抜きになったし、悪くなかった」
「もう、素直じゃないんだから」
俺が見えなくなるまでブンブン手を振る海野に見送られながら、駅を後にする。
帰り道で沈む夕日を見ながら思う。普段はカピバラみたいにぼんやりしてるくせに、嬉しい時は犬みたいに全身で喜びを表現するあいつ。暗くなるのも早くなってきたし、次は家まで送ってやるか。
瑛はそこまで考えて、はたと気が付いた。「次は」なんて、いつから当たり前みたいに思うようになったんだ。
高校生活は将来への踏み台――そう割り切っていたはずなのに。
でも、この無駄なはずの休日の過ごし方を案外気に入っている自分がいる。そんな自分に苦笑しながらも、悪い気はしなかった。