【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど   作:もろきゅー

120 / 132
120話 暗闇に灯る

 ティナ視点


 

 

 やがて揺れは収まり、それ以上大きな振動が起こることも、どこかが崩れるような音が聞こえてくることもなかった。

 それでも、さっきの轟音がまだ耳の奥に残っているような気がして、私は杖を握ったまま、本館へ続く頑丈な扉をじっと見つめていた。

 

「ラ、ラルフお兄様……!」

 

 不安そうな声に振り向くと、リリア様がラルフ様の服を両手で掴み、怯えた顔で兄の顔を見上げている。避難室へ入った直後までは気丈に振る舞おうとしていたけれど、さすがに今の揺れには驚いたらしい。

 

「大丈夫だ、リリア」

 

 ラルフ様は努めて落ち着いた声で答えると、安心させるようにリリア様の頭を優しく撫でた。

 

「何が起きたのかは分からないが、ここは避難室だ。こういう時のために造られた場所なんだから、そう簡単にどうこうなる場所じゃない」

「で、でも……今の音……」

「ええ、大丈夫ですとも」

 

 護衛についていた騎士の一人も、リリア様を安心させるように柔らかな笑みを浮かべた。

 

「この避難室は、ブルム家の方々を有事からお守りするために造られた場所です。壁も扉も非常に頑丈ですから、ちょっとやそっとのことでは壊れません」

「その通りです」

 

 もう一人の騎士も頷き、胸を張ってみせる。

 

「それに、万が一ここまで賊が入り込んできたとしても、我々がおります。リリア様はもちろん、皆さんにも指一本触れさせませんので、ご安心ください」

「……本当ですの?」

「もちろんですとも」

 

 二人の騎士が揃ってそう断言すると、ようやくリリア様の表情から僅かに強張りが消えた。

 

 それを見て、私も少しだけ肩の力を抜いた。

 そうよね。ここはそもそも、こういう時のために造られた避難室なんだ。

 分厚い石壁に囲まれ、入口には見るからに頑丈そうな金属の扉がある。護衛の騎士も二人いるし、ラルフ様もカイトもいる。それに私だって一応魔法使いだ。マルルゥとの訓練のおかげで以前よりずっと魔法の扱いも上手くなったし、今なら前よりもちゃんと戦えるはずだ。

 

 それからしばらく経っても、扉の向こうからは何も聞こえてこなかった。

 騎士たちも一度抜いた剣を鞘へ戻し、いつでも抜けるように手を添えたまま警戒を続けているものの、先ほどまでの張り詰めた様子からは幾分落ち着きを取り戻している。

 

 リリア様も時折入口の方へ目を向けてはいるけれど、さっきのようにラルフ様へしがみつくことはなくなっていた。

 

 それでも、このまま何もせずに黙って待っていると、また不安になってしまうかもしれない。

 そう思った私たちは、少しでも気を紛らわせるために、アウラの話をすることにした。

 

「それでね、あの子ったら見た目よりずっと子供っぽいところがあって。真っ黒なシャツとパンツを履いて、その上から黒いローブまで羽織って、自信満々な顔で『格好いいだろ』って」

「あははっ! アウラったら、結構お子様なんですわ!」

 

 さっきまで不安そうだったリリア様の瞳が、ぱっと明るくなる。

 うん。やっぱりこういう話をして正解だったみたいだ。

 

「いや……しかし、アウラ殿なら何を着ても似合いそうだな。あの美しい曲線……特に尻が……」

「まあ、お兄様ったら!」

 

 ラルフ様がうっとりした顔で余計なことを口走ると、リリア様が呆れたような声を上げた。

 そのやり取りを見ていたカイトも苦笑する。

 

「まぁ、実際アウラさんって何でも似合うところはあるよね」

「確かにアウラって、とっても顔が整ってて綺麗ですわ。そういえば、アウラはどこの出身なんですの?」

「えーっと……どこでしょう。そういえば、アストルの街で会ったけど、それ以前はどこにいたのか聞いたことなかったですね」

「そうなんですの? でも、あの瞳の色とか、この辺りの方とは少し違うように見えますの」

 

 言われてみれば、確かにそうだ。

 あの子には謎が多い。どこから来たのかも、自分の昔のこともほとんど話したがらないし、私だって最初の頃は色々と不思議に思っていた。

 正直なところ、アウラが本当に聖女なんじゃないかと考えたことだってある。

 

 けれど、アウラ本人は違うと言っている。

 だったら、それでいい。

 それに、アウラが悪いやつじゃないことくらい、私はよく知っている。むしろ、自分の命まで使って他人を助けようとするような大馬鹿者だということも。

 いや──仮に本当に聖女だったとしても、そんなことはどうだっていい。

 アウラはアウラだ。

 私たちの友達なんだから。

 

 その後も、村にいた頃のカイトの失敗や、私が魔法でやらかした話なんかをしているうちに、リリア様の不安そうな表情は少しずつ薄れていった。

 こういう時に何を話せばいいのかなんて、私には分からない。それでも、黙ったまま怖いことばかり考えさせているよりは、きっとずっといい。

 

 そう思った、その時だった。

 カチ、と小さな音が鳴った。

 

「……え?」

 

 誰が声を漏らしたのかは分からなかった。

 ほとんど同時に、全員の視線が入口へ向く。

 音がしたのは、本館へ続く扉の方だった。

 

 カチャ……。

 カチ、カチ……。

 

 今度は聞き間違いじゃない。

 金属同士が擦れ合うような小さな音が、扉の向こうから断続的に響いている。

 けれど、内側からは誰も触れていない。

 それなのに、頑丈な扉の錠が、まるで向こう側から何かに探られているような音を立てていた。

 

「全員、下がれ!」

 

 護衛騎士の一人が鋭い声を上げた。

 さっきまでリリア様を安心させていた柔らかな雰囲気は一瞬で消え、表情も声も騎士のものへと変わる。

 

「リリア様を奥へ!」

 

 もう一人も即座に剣を抜き、二人揃って扉の前へ出た。

 私たちは避難路へ続く奥の扉近くまで下がり、ラルフ様はリリア様を自分の背後へ庇いながら剣を抜いた。カイトも腰の剣を引き抜き、私も杖を両手で握って構える。

 

 心臓が嫌な速さで鳴り始める。

 ここは安全じゃなかったの?

 さっき騎士の人たちも、大丈夫だって言っていたのに。

 カチ、と最後に一度だけ音がして──。

 カチャンと明らかに、錠の外れる音がした。

 

「……嘘」

 

 誰も鍵を開けていない。

 それなのに、重そうな扉がゆっくりとこちら側へ開いていく。

 騎士たちが剣を構え、私も息を止めた。

 

 僅かに開いた隙間から、まず長い黒髪が見える。

 続いて、地味な色のローブ。

 やがて扉が完全に開くと、その向こうから一人の女の人が、恐る恐るといった様子で顔を覗かせた。

 

「あ、あのぉ……失礼します……」

 

 あまりにも場違いな声だった。

 長い黒髪に、整った顔立ち。年齢はそれほど上には見えず、地味なローブを羽織った姿だけを見れば、どこにでもいそうな大人しそうな女の人に見える。

 けれど、その人は今まさに、秘密の通路を通り抜け、鍵の掛かった避難室へ勝手に入り込んできたのだ。

 

「貴様、何者だ!」

 

 騎士の一人が剣先を突きつける。

 すると女の人は、怒るどころかびくっと肩を震わせ、困ったように眉を下げた。

 

「うぅん……ちょっとお聞きしたいことがあるだけなんですぅ……」

「それ以上近づくな!」

「ですから、争いたいわけでは──」

 

 騎士が地面を蹴った。

 相手が何者なのかは分からない。けれど、秘密の通路を抜け、鍵の掛かった避難室まで勝手に入り込んできた時点で、味方であるはずがない。

 

 騎士の剣が大きく振り上げられる。

 その瞬間だった。

 

「え?」

 

 何かが動いた。

 女の人の袖の下から細長いものが飛び出し、一瞬で騎士の首へ巻きつく。

 

「うがっ!?」

 

 鎧を着た騎士の身体が、冗談みたいに床から浮き上がった。咄嗟に首へ巻きついたものを掴もうとしたけれど、それよりも早く身体を高く持ち上げられ、そのまま勢いよく横へ振られる。

 

 ドンッ!

 鈍い音と共に壁へ叩きつけられた騎士は、そのまま床へ崩れ落ちて動かなくなった。

 

「そ、そんな……!」

 

 死んではいない。

 そう思いたい。

 でも、確かめに行く余裕なんてなかった。

 

「もう……別に争いたいわけじゃないんですけど……」

 

 女の人は心底困ったというように眉を下げる。

 その右手には、いつの間にか細い鞭のようなものが握られていた。

 

「ちょっとお話を聞きたいだけなんですよぉ……」

 

 そう言いながら、私たちの方へ目を向け──。

 

「あっ」

 

 突然、顔を明るくした。

 

「リリア様~。ここにいらっしゃったんですね」

 

 まるで街中で知り合いを見つけたかのような声だった。

 

「ちょうどよかったです。あのぉ、リリア様にちょっとお聞きしたいことが──」

「あ、あなたは……」

 

 リリア様が怯えながら目を見開く。

 

「リゼットさん……?」

 

 知っている人なの?

 そう思った直後だった。

 

「うぉぉぉぉおおおお!」

 

 残っていたもう一人の騎士が雄叫びを上げて突撃する。

 

「もう……」

 

 リゼットと呼ばれた女の人が、ほんの少しだけ困ったように頬を膨らませた。

 次の瞬間、再び鞭が動く。

 騎士が剣を振り下ろすよりも早く、その胴体へ鞭が巻きついた。

 

「ぐっ!?」

 

 騎士の身体が浮き上がり、今度は天井へ届きそうなほど高く持ち上げられる。

 そして、そのまま勢いよく壁へ叩きつけられた。

 

 ドンッ!

 

 大きな音が避難室の中へ響き渡る。

 騎士は床へ崩れ落ちたものの、こちらは僅かに呻き声を上げながら、なんとか身体を起こそうとしていた。

 

「うーん……皆さん、話を聞いてくれなくて困ってしまいますね……」

 

 リゼットは頬へ手を当て、本当に困ったように首を傾げる。

 

「私はちょっとお話したいだけなんですが……」

 

 何なの、この人。

 言っていることと、やっていることが全然合っていない。

 私が杖を握る手へ力を込めた、その時だった。

 

「……これはこれは」

 

 リゼットの背後から、落ち着いた声が聞こえた。

 

「あの時のお嬢さんではありませんか」

 

 通路の向こうに立っていたのはゲオルグさんだった。

 いつもの執事服ではなく、身体には革の胸当てを着け、右手には抜き身の剣を持っている。

 表情そのものは、普段屋敷で見かける時とほとんど変わらない。穏やかで落ち着いた、いつものゲオルグさんだ。

 

 それなのに、何故かまるで別人のように見えた。

 立ち方も、剣の持ち方も、纏っている空気も鋭い。普段、穏やかな執事として振る舞っている時からは想像もできないほど隙がなく、黙って立っているだけなのに、不思議なくらい頼もしく感じられた。

 

「あら……」

 

 リゼットが僅かに目を丸くする。

 

「覚えているんですか?」

「もちろんでございます」

 

 二人は知り合いらしい。

 ゲオルグさんは避難室へ入ってくると、倒れている騎士たちを一度確認してから、リゼットへ話しかけた。

 

 どうやってここまで入り込んだのか。

 何のためにブルム家へ来たのか。

 落ち着いた口調で問いかけている。

 

 リゼットも相変わらず困ったような顔をしながら、何か小さな箱のようなものを取り出したり、自分たちが探している相手について話したりしていた。

 

 その中で聞こえてきた言葉に、私は思わず眉をひそめた。

 ──聖女様。

 話を聞いているうちに、どうやらリゼットたちはアウラを聖女だと思い込み、そのアウラを探してここまで来たらしい。

 

 また聖女だ。

 アウラ本人は違うと言っているのに、一体どれだけの人があの子を聖女だと思っているんだろう。

 それに、仮に本当に聖女だったとしても関係ない。この人たちにアウラを連れていかせるつもりなんて、絶対になかった。

 

 ところが当のリゼットは、アウラがここにいないと聞くと、「このまま帰ったら怒られる」だの何だのと、心底困ったような顔でふざけたことを言っている。

 

 何なのよ、本当に。

 人の友達を勝手に聖女扱いして追い回して、そのために屋敷を襲ったっていうの?

 腹が立ったけれど、それ以上考える前に、ゲオルグさんがほんの僅かにこちらへ視線を向けた。

 正確には、ラルフ様へ。

 ほんの一瞬だった。

 そして次の瞬間には、もう何事もなかったようにリゼットとの会話へ戻っている。

 

 けれど、ラルフ様には何かが伝わったらしい。

 僅かに表情が変わった。

 

「……行くぞ」

 

 小さな声だった。

 

「え?」

 

 ラルフ様はリリア様の手を掴むと、避難室の奥にある扉へ向かう。

 

「カイト、ティナ。来い」

「でも──」

「早く!」

 

 強い声に押されるように、私も動いた。

 ラルフ様が奥の扉を開ける。

 その瞬間、背後からリゼットの声がした。

 

「あ、ちょ、ちょっと~……」

 

 こちらへ顔を向けようとしたリゼットの前へ、ゲオルグさんがすっと移動した。

 抜き身の剣を構え、その進路を塞ぐように立ちはだかる。

 

「ラルフ様!」

 

 私は避難路へ入りながら、思わず声を上げた。

 

「ゲ、ゲオルグさんはいいんですか!?」

「ゲオルグは俺たちを逃がそうとしてるんだ! 行くぞ!」

「でも!」

 

 もう一度だけ振り返る。

 扉の向こうでは、ゲオルグさんが剣を手に、リゼットの前へ立っていた。

 その姿が、閉まり始めた扉によって少しずつ見えなくなっていく。

 

 そんな……。

 でも、ゲオルグさんなら大丈夫。

 さっきだって、あんなに落ち着いていた。

 きっとすぐにあの人を倒して、私たちを追いかけてきてくれる。

 そう思うしかなかった。

 

 やがて扉が完全に閉まり、私たちは薄暗い避難路の奥へ向かって走り出した。

 足を踏み入れると、壁際に埋め込まれた魔道灯が一つ、また一つと淡い光を灯していく。屋敷から避難室へ向かう時に通った隠し通路と同じ仕組みらしいけれど、こちらはあの通路よりもずっと長い。

 

 灯りは私たちの少し先までしか点かず、数十メートルも離れれば、その先は完全な暗闇に沈んでいる。逆に、通り過ぎた後の灯りもしばらくすると一つずつ消えていくため、まるで私たちの周囲だけが薄明るい光に包まれたまま、暗闇の中を移動しているようだった。

 

「暗いわね……」

 

 思わず呟く。

 天井は大柄な男の人でも普通に歩けるほど高く、通路も二人くらいなら並んで走れるだけの広さはある。それでも、どこまで続いているのか分からない地下道を走っていると、どうしても閉じ込められているような息苦しさを感じてしまう。

 

 石造りの壁は少し湿っていて、地下特有の冷たい空気が肌にまとわりつく。私たちの靴音は何度も壁へ反響し、まるで別の誰かまで後ろから走ってきているように聞こえた。

 何度か緩やかな曲がり角を抜けているうちに、今自分たちがどちらの方向へ進んでいるのかさえ分からなくなりそうになる。

 

「あれ……?」

 

 そこで私は、左側の壁にだけ、青みがかった細長い石が一本の線を描くように埋め込まれていることに気づいた。

 装飾にしてはあまりにも地味だし、曲がり角を越えてもずっと途切れずに続いている。

 

「ラルフ様、この青いのって何ですか?」

「ああ。方向を間違えないための目印だ」

 

 走りながらラルフ様が答える。

 

「街の外へ向かって進む時は、青い線が必ず左側に来るよう作られてる。逆に屋敷へ戻る時は右側だ」

「なるほど……」

 

 それなら、窓も何もない地下で何度曲がったとしても、進む方向を間違えることはない。

 非常時に使う場所だからこそ、誰でもすぐ分かるように、こんな単純な仕組みになっているのかもしれない。

 

 その後も似たような石造りの通路が延々と続いた。

 前方では私たちの接近に合わせて魔道灯が淡く灯り、代わりに通り過ぎた後ろの灯りが一つ、また一つと消えていく。

 

 誰も口を開かなかった。

 今はとにかく、ゲオルグさんがあの人を食い止めてくれている間に、少しでも遠くへ逃げる。それだけを考えて、全員が黙って走り続けていた。

 

 そんな中で、リリア様だけは何度も後ろを振り返っていた。

 けれど、その度に見えるのは、さっきまで自分たちが走っていた薄暗い通路と、遠ざかるにつれて一つずつ消えていく魔道灯だけだ。

 ゲオルグさんの姿は、まだ見えない。

 何度目かに振り返った後、とうとう我慢できなくなったようにリリア様が口を開いた。

 

「……ラルフお兄様」

「どうした?」

「ゲオルグは……大丈夫ですわよね?」

 

 ラルフ様の足が、ほんの僅かに遅くなった。

 

「ゲオルグも、後から一緒に来ますわよね?」

「……当たり前だろ」

 

 少しだけ間を置いて、ラルフ様が答えた。

 

「ゲオルグは昔、騎士団長だったんだぞ。あの歳になった今でも、そこらの騎士よりずっと強い」

「本当ですの?」

「ああ。そんじょそこらの奴なら、あっという間に一捻りだ」

 

 わざと軽い調子で言いながら、ラルフ様は走る速度を少し落とし、隣にいたリリア様の頭を軽く撫でた。

 

「だから心配するな。俺たちはゲオルグに任せて、先に安全な場所まで行けばいい。そうしたら、あいつもすぐ追いついてくる」

「……はいですの」

 

 リリア様が小さく頷く。

 私も、その言葉を信じたかった。

 いや、信じるしかなかった。

 ゲオルグさんなら大丈夫。

 きっと、あとから追いついてきてくれる。

 そう自分にも言い聞かせながら走り続けていると、やがて進行方向の左側に、主通路より少し狭い別の通路が現れた。

 その入口の壁には、塔を象った紋章が彫られている。

 

「こっちの道は何ですか?」

 

 カイトが走りながら尋ねた。

 

「市街へ出る道だ」

 

 ラルフ様は一瞬だけそちらへ視線を向けたものの、足を止めようとはしなかった。

 

「ブルム家が管理してる建物の地下に出る。屋敷だけが襲われた時なら、そっちへ逃げる手もあるんだが……」

「今は街の中にも魔物がいるんですよね」

「ああ。市街がどうなってるか分からない以上、わざわざ街の中へ戻る理由はない。このまま街の外へ向かうぞ」

 

 ラルフ様は迷わず主通路を選び、私たちもそのまま後に続いた。

 青い線は変わらず左側の壁を走り続けている。

 さらに長い通路を進んでいくと、今度は右側へ新しい支道が伸びていた。こちらの入口には、交差した二本の剣を模した紋章が彫られている。

 

「剣……?」

「騎士団の詰め所だ」

 

 ラルフ様が答えた。

 

「正確には、詰め所の地下にある倉庫へ繋がってる」

「騎士団なら、安全ではないんですか?」

 

 私は思わず尋ねた。

 街の外まで走り続けなくても、騎士が大勢いる場所へ逃げ込めるなら、その方が安全なんじゃないかと思ったからだ。

 けれど、ラルフ様はすぐに首を振った。

 

「普段ならな。だが、今は街の中に魔物が出てる。騎士団もほとんど出払ってる可能性が高いし、詰め所自体がどうなってるかも分からない」

 

 さらに前を向いたまま続ける。

 

「それに、敵がこの屋敷まで狙ってきた以上、街の中に残るのは危険だ。今はとにかく、城壁の外まで出た方が安全だ」

「分かりました」

 

 私も頷き、騎士団へ続く支道を通り過ぎた。

 そこから先も、長い地下通路が続いていた。

 どれだけ走ったんだろう。

 

 地下だから外の景色も見えず、距離の感覚がまるで分からない。同じような石壁と、淡く灯る魔道灯ばかりが延々と続いているせいで、ずっと同じ場所を走り続けているような錯覚さえしてくる。

 

 それでも、身体だけは正直だった。

 最初に走り始めた時より、確実に足が重くなっている。

 呼吸をするたびに胸が苦しく、喉も乾いてきた。カイトも荒い息を吐いているし、ラルフ様だって肩を上下させながら走っている。

 そして、一番小さなリリア様はもっと辛そうだった。

 

「お、お兄様……」

 

 とうとうリリア様が足を止めた。

 

「はぁ……はぁ……も、もう……走れませんわ……。ちょっとだけ……待ってくださいませ……」

 

 膝へ手をつき、苦しそうに呼吸を繰り返している。

 無理もない。

 私たちですらこんなに辛いのに、リリア様はずっと小さな足で一緒に走り続けてきたんだから。

 

「ああ、悪い」

 

 ラルフ様も足を止め、すぐにリリア様の前へしゃがみ込んだ。

 

「ついつい急ぎすぎた。ほら、背中に乗れ」

「いいんですの?」

「ああ。遠慮するな」

「でも、お兄様も疲れて──」

「お前一人背負ったくらいでどうにかなるほど軟じゃないさ」

 

 そう言って、ラルフ様が背中を向ける。

 リリア様は少しだけ迷ったものの、すぐにその背中へ身体を預け、首へ腕を回した。

 

「ラルフお兄様……ありがとうですの」

「しっかり掴まってろよ」

 

 ラルフ様はリリア様を背負ったまま立ち上がる。

 さすがに先ほどまでと同じ速さでは走れないものの、それでも休んでいる余裕はない。

 再び全員で走り出した。

 

「この先が街の外に通じてるんですよね?」

 

 カイトが荒い呼吸の合間に尋ねる。

 

「ああ。もう少しだ」

 

 ラルフ様が前方を見ながら答えた。

 

「この道は城壁の下を抜けて、その向こうまで続いてる。この先に鍵の掛かった内扉があって、その向こうに小さな前室がある。さらに奥の外扉を抜ければ、もう城壁の外だ」

「外に出たら、どこへ行くんですか?」

「出口から少し離れたところに見張り台がある。普段なら兵士が詰めてるはずだ。まずはそこへ向かう」

 

 その言葉を聞いて、ほんの少しだけ希望が見えてきた。

 もう少し。

 あと少し走れば、街の外へ出られる。

 そこまで辿り着けば兵士たちと合流できるし、少なくともこの暗い地下道を走り続けなくて済む。

 そう思っても、疲れ切った身体はなかなか言うことを聞いてくれなかった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 息をするたびに喉が痛い。

 いつもならそれほど気にならない背中の荷物まで、どんどん重くなっていくような気がする。

 

「ティナ、大丈夫?」

 

 隣を走っていたカイトが、心配そうに声を掛けてきた。

 

「荷物、持とうか?」

「はぁ……はぁ……だ、大丈夫よ」

 

 強がりながら首を振る。

 

「そっちだって疲れてるでしょ」

「まだ平気だよ」

「じゃあ……出口まで着いたらお願いする」

「うん、任せて」

 

 本当は今すぐ渡したいくらいなんだけど。

 でも、あと少しなんだから頑張ろう。

 そう自分へ言い聞かせながら走っていると、やがて前方の薄暗闇の中に、これまでとは明らかに違う大きな扉が浮かび上がった。

 

「あった!」

 

 思わず声が出る。

 今まで通り過ぎてきた支道のものとは違う、見るからに重そうな金属製の扉だった。

 

「よし!」

 

 ラルフ様の声にも力が戻る。

 

「あそこだ! あの扉を開ければ前室に出る。その先の外扉を抜ければ、もう城壁の外だ!」

「本当にもう少しね……!」

「ああ。二人とも、最後まで気を抜くなよ!」

 

 リリア様を背負ったまま、ラルフ様が少し速度を上げた。

 私も最後の力を振り絞る。

 扉までは、もうそれほど遠くない。

 あと少し。

 本当に、あと少しで外に出られる。

 

 その時だった。

 

 何となく──本当に何となく、後ろが気になった。

 私は走りながら振り返る。

 私たちが通った後の魔道灯は、数秒もすると順番に消えていく。だから、後ろはずっと暗闇だったはずだ。

 実際、すぐ後ろには何も見えない。

 暗い通路だけが、どこまでも続いている。

 

 けれど、その遥か奥。

 

「……え?」

 

 小さな光が見えた。

 魔道灯だ。

 一つだけ、ぽつりと灯っている。

 最初は、消え忘れた灯りなのかと思った。

 でも──。

 

 その少し手前にある魔道灯が点いた。

 さらに、その手前。

 また一つ。

 

「……違う」

 

 思わず足が遅くなる。

 

「ティナ?」

 

 カイトがこちらを見る。

 

「何か……来てる」

「え?」

 

 暗闇の中で、灯りが次々と点いている。

 私たちが走ってきた時とは、比べものにならないほど速い。

 

 一つが点いたと思ったら、すぐに次。

 その次。

 さらに、その次。

 

 まるで暗闇の中を何かが恐ろしい速さで駆け抜けているように、魔道灯の光がこちらへ向かって凄まじい勢いで近づいてくる。

 

「ラ、ラルフ様……!」

 

 自分でも分かるほど、声が震えた。

 ラルフ様も足を止めかけ、こちらへ振り返る。

 

「何だ、あれ……」

 

 その時、遠くから奇妙な音が聞こえてきた。

 

 シャァァァァァァ──。

 

 何かが凄まじい速度で、地面の上を滑ってくるような音。

 最初は微かだったそれが、魔道灯の光が近づいてくるのに合わせて、みるみる大きくなっていく。

 

 シャァァァァァァ──!

 

「……何よ、あれ」

 

 暗闇の向こうで、また一つ魔道灯が点いた。

 その次も。さらに次も。

 

 何かが──。

 凄まじい速さで、私たちを追いかけてきている。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。