【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
大通りへ戻るにつれて、血の匂いが強くなっていった。
シエルは白い杖を握り締め、負傷者たちが集められている方へ急いでいた。
走っている間も、先ほどアウラから聞いたフーバのことが頭から離れない。
アストルを出てからドゥル=ブルムへ着くまで、同じ街道馬車で過ごした男だった。
サラと共に護衛を務め、道中で何度も気さくに話してくれた。決して長い付き合いではない。それでも、つい最近まで普通に話していた人間がもうこの世にいないのだと思うと、胸の奥が重く沈んでいく。
蘇生の魔法が頭をよぎらなかったわけではない。
けれど、すでに多くの負傷者を治療した今、成功するかどうかも分からない蘇生に大量の魔力を注ぎ込めるほどの余裕はなかった。
その魔力があれば、まだ生きている人を何人も救えるかもしれない。
今は立ち止まってはいられない。
まだ助けられる人たちはいる。
大通りへ出ると、先ほどまでとは状況が大きく変わっていた。
動いている死者の数はかなり減り、冒険者や騎士たちも押し返し始めている。しかし、戦いの跡は至るところに残されていた。砕けた石畳や倒壊した屋台、割れた窓。道端には動かなくなった死者が折り重なるように倒れ、その間では怪我を負った者たちが座り込んだり、地面へ寝かされたりしている。
「誰か! 布を持ってきてくれ!」
「こいつも怪我してる!」
「歩ける奴は向こうへ移動しろ! 重傷者を先に運ぶぞ!」
あちこちから切羽詰まった声が飛び交っていた。
シエルは最も近くにいた負傷者へ駆け寄った。
腕を深く切られた男が、仲間に肩を貸されている。布を巻いてはいるものの血は完全には止まっておらず、顔色も悪い。
「傷を見せてください」
「え?」
「すぐに治療します」
戸惑う男の前へしゃがみ込み、シエルは白い杖を傷口へ近づけた。
完全には治さない。
出血を止め、後から通常の治療を受けられる程度に留める。
盾の会で負傷者を治療した時と同じように、自分の力が目立ちすぎないよう魔力を抑える。
「ヒール」
淡い光が男の腕を包み、開いていた傷が僅かに縮まった。流れ続けていた血も弱まっていく。
シエルは完全に傷を塞ぐところまでは治さず、続けてもう一つの魔法を重ねる。
「リバイタライズ」
今度は淡い光が傷口へ薄く残った。対象自身の治癒力を高め、時間を掛けて傷を癒やしていく魔法だ。
「ひとまずこれで大丈夫です。しばらく治癒効果は続きますから、無理をせず安全な場所まで移動してください」
「お、おお……」
男が自分の腕を見て目を丸くする。
「血が……止まった」
「嬢ちゃん、今の……回復魔法か?」
声を上げたのは、治療を受けた男ではなかった。
近くにいた別の冒険者が、驚いたようにシエルを見ている。
「あんた、教会の聖職者様か?」
「いや、この嬢ちゃんって……」
「ああ。さっきの子じゃねえか?」
「ほら、あのでっけえ骨の腕出してた──」
「でも、さっきと格好が違うぜ? さっきはもっとドスケベな──」
「え?」
何を言われているのか分からず、シエルは一瞬目を瞬かせた。
ドスケベ……はあの鎧だろうが、骨の腕?
「嬢ちゃん、回復魔法まで使えるのかよ!?」
「い、いえ! これは!」
咄嗟に否定しかけて、シエルは慌てて口を閉じた。
きっとアウラのことと間違えているのだろう。
だが、ここで「自分ではない」と言ってしまえば、では先ほどの少女は誰だったのかという話になる。何より、今はハイレグアーマーこそ着ていないが、アウラと同じ変装をしている。
下手に説明するわけにはいかない。
シエルは手にしている白い杖を慌てて持ち上げた。
「こ、この杖のおかげです!」
「杖?」
「はい。少しだけ回復魔法が使える魔道具なんです」
「魔道具で回復魔法を……?」
冒険者たちの視線が、一斉に白い杖へ集まった。
シエルの背丈ほどもある白い杖。先端には大きな青い宝石まで付いている。実際には見た目が豪華なだけの杖なのだが、こういう時ばかりはその大袈裟な外見が役に立った。
「……確かに、すげえ杖だな」
「こんな魔道具、見たことねえぞ」
「そ、そうですよね。とても珍しいものなんです」
何とか誤魔化せたらしい。
シエルはそれ以上追及される前に、声をあげる。
「負傷している方たちをこちらに連れてきてください! 回復魔法を使います!」
その声を聞いた者たちは、負傷している者たちを運び、シエルの近くまで連れてくる。
脚を傷つけた者。
肩を深く裂かれた者。
頭から血を流している者。
これだけの人数を一人ずつ治療している余裕はない。
少し目立ってしまうのは間違いないが、時間を掛ければ、救える人も間に合わないかもしれない。
シエルは多少目立つことは覚悟して、広範囲の回復魔法を使うことを決めた。
「ヒーリンググレイス!」
シエルを中心に淡い光が広がり、周囲に寝かされていた負傷者たちをまとめて包み込んだ。深かった傷がゆっくりと塞がり、止まらなかった出血も次々と弱まっていく。
完全に治してしまわないよう意識して魔力を抑えているが、それでも十人以上の負傷者を一度に回復する光景は、周囲の冒険者たちにとって十分すぎるほど異常だった。
「すげぇ……回復魔法、初めて見たけど、こんな一気に治せるのか?」
「バーカ、んな訳ねえだろ。俺も教会で治してもらったことあるけど、この嬢ちゃんの方が何倍も凄えぞ」
回復魔法を扱う聖療教会の聖職者は、そのほとんどが戦闘とは無縁だ。
こんな危険な場所まで出てくるとは思えない。
だからこそ、シエルの治療を目にした者たちの驚きは大きかった。
「こっちも頼む!」
「この人、血が止まらないんだ!」
「こちらに連れてきてください! この辺りに寝かせていただければ回復魔法を使います!」
最初は遠巻きに見ていた者たちも、何人かの治療が終わる頃には次々と負傷者を連れてくるようになった。
シエルもできる限り急いだ。
一人でも多く。
まだ間に合う人を、一人でも多く。
そうして大通りの端へ向かいながら治療を続けていた時だった。
「駄目だ! また血が滲んできた!」
少し離れた場所から、焦った声が聞こえた。
見ると、大通りの端に数人の冒険者が集まり、人垣を作っている。その中心には誰かが横たわっているらしく、何人もの男たちが慌ただしく動き回っていた。
「布、もっと持ってこい!」
「もうねえよ!」
「だったら服でも何でも裂け! 血を止めろ!」
どうやら、かなりの重傷者らしい。
目の前の負傷者たちを回復し終えたシエルは、すぐにそちらへ向かった。
「どうしました!?」
「嬢ちゃん!」
先ほどシエルが回復魔法を使っているところを見ていたらしい冒険者が、縋るように振り返る。
「回復できるんだよな!? 頼む、こいつを見てくれ!」
「はい!」
しかし、その横にいた別の男は苦しそうに顔を歪めた。
「でも……もう手遅れかもしれねえ」
「何言ってんだ!」
「分かってる! 俺だって助けてえよ!」
人垣の向こうでは、誰かが地面へ寝かされている。
「教会まで運ぶしかねえだろ!」
「馬鹿! この状態で動かしたら途中で死ぬぞ!」
「だったら聖職者を連れてくればいいだろ!」
「来るわけねえだろ! まだ街の中に死体が歩いてんだぞ!」
誰も諦めたくないのだろう。
だからこそ意見がぶつかり、怒鳴り合いに近くなっている。
「それに……教会で回復魔法なんか頼めるほど金持ってねえぞ」
「だからって、このまま死なせるのかよ!」
「そんなこと言ってねえ!」
「俺が出す!」
一人の冒険者が怒鳴った。
「足りねえなら俺の分も出す! こいつには助けられたんだ!」
「俺だって出す!」
「俺もだ! みんなで集めりゃ何とかなるだろ!」
「でも、こんな状態じゃもう──」
「見せてください! 回復魔法を使います!」
シエルは人垣の中へ割って入った。
「その人を──」
そこで言葉が止まる。
最初に見えたのは、地面へ横たえられた大きな身体だった。
胸から脇腹にかけて何重にも布が巻かれている。それでも出血は止まりきっておらず、白かったはずの布は広い範囲が赤黒く染まっていた。腕や脚にもいくつもの傷があり、周囲には血を吸った布が何枚も転がっている。
かなりの血を失っていることは、治療の知識があるシエルでなくても一目で分かる。
そして、その短い黒髪が目に入った瞬間。
シエルの足が止まった。
「…………え?」
頭の中が真っ白になる。
見間違えるはずがない。
「ヴェルノ……?」
返事はない。
いつもなら名前を呼ぶだけでも、必要以上に大きな声で返事をする人なのに。
嬉しければ笑い、悲しければ大泣きし、腹が立てばすぐ顔に出る。少し心配になるくらい感情を隠さない子だった。
その顔から、今はほとんど血の気が失われていた。
「ヴェルノ!」
シエルは周囲の目も、自分が変装していることも忘れて駆け寄った。
人を押し退けるようにして地面へ膝をつき、ヴェルノの顔を覗き込む。
「ヴェルノ! 聞こえますか!?」
「お、おい、嬢ちゃん!?」
「ヴェルノ!」
頬へ触れる。
冷たい。
呼吸もひどく浅い。
胸が僅かに上下しているのを確認し、まだ生きているのだと分かって、ようやく息をすることができた。
「どうして……こんな……」
「知り合いなのか?」
近くにいた冒険者が尋ねたが、シエルには答える余裕がなかった。
「こいつ、ずっと怪我人を庇ったり、運んだりしてたんだ」
別の男が、苦しそうに説明する。
「死者に囲まれた奴がいると助けに戻って、何人も助けて……その途中で腹をやられたんだ」
男の声が震えている。
「俺たちで何とか血を止めようとしたんだけど、全然止まらなくて……」
だから周囲にいる者たちは、これほど必死になっていたのだ。
ヴェルノに助けられた人たちが、今度はヴェルノを助けようとしている。
「嬢ちゃん……」
男が恐る恐る尋ねる。
「頼むよ。回復魔法を使えるなら、こいつを助けてやってくれよ」
シエルは答えず、ヴェルノの傷へ目を向けた。
深い。
あまりに深い傷だ。
今までのように「死なない程度まで」で止めていい状態ではなかった。
出血だけ止める。
最低限だけ傷を塞ぐ。
杖の力で治しているように見せる。
自分が何者なのか知られないよう、力を隠す。
ここへ来るまで、ずっと気をつけていたことだった。
けれど、目の前で今にも消えそうな呼吸を繰り返しているヴェルノを見た瞬間、そんな考えは全部吹き飛んだ。
ここで力を隠して、それでヴェルノが死んだら。
きっと一生後悔する。
「……少し、離れてください」
「え?」
「お願いです。少しだけ離れて!」
自分でも驚くほど強い声が出た。
周囲の冒険者たちが顔を見合わせながらも、素直に後ろへ退く。
シエルは白い杖を投げ捨て、掌をヴェルノへ向けた。
「ヴェルノ、大丈夫だから」
意識があるのかも分からない。
それでも、声を掛けずにはいられなかった。
「今、治しますから──グレーターヒール!」
魔力を解放する。
先ほどまで負傷者たちに使っていたものとは、比べものにならない量だった。
淡い光がヴェルノの身体を包み込む。
「な……」
周囲から驚きの声が漏れた。
深く裂けていた傷が、まるで最初からそこに傷などなかったかのように消えていく。
「す、すっげ……」
「傷が……一瞬で消えた……」
誰かが何かを言っている。
けれど、シエルの耳にはほとんど届いていなかった。
傷は塞がった。
けれど、それまでに失った大量の血まで戻ったわけではない。
まだ足りない。これだけでは安心できない。
「サングイス・レストア!」
さらに魔力を注ぎ込む。
身体を包んでいた光が強まり、青ざめていたヴェルノの顔に少しずつ血色が戻ってくる。今にも止まりそうだった呼吸も、徐々に深く、規則正しいものへ変わっていった。
「ヴェルノ……」
死なないで。
シエルは声には出さず、心の中で何度も願った。
自分を探すために、こんな遠くまで来た子だ。
自分を見失った責任まで背負い、知らない街で金を稼ぎながら探し続けてくれた。
それなのに──こんなところで死なせるものか。
「お願い……」
光がもう一段強くなる。
「す、すげえ……」
「さっきまで死にそうだったんだぞ……」
「この娘……一体何なんだ……?」
冒険者たちが呆然と見守っている。
今までシエルが見せていた回復とは、明らかに違っていた。
そんな周囲の視線さえ、今のシエルにはどうでもよかった。
やがて、ヴェルノの呼吸がはっきりと安定する。
「ヴェルノ!」
もう一度、名前を呼ぶ。
「……ん……」
微かな声が返ってきた。
「ヴェルノ!?」
シエルは慌てて顔を近づける。
ヴェルノの瞼が、ほんの僅かに持ち上がった。
まだ焦点の合っていない瞳が、すぐそばにいるシエルへ向けられる。
「分かりますか? ヴェルノ!」
瞳が僅かに動く。
栗色の髪。
いつもとは違う化粧。
普段のシエルとは、まったく違う姿をしているはずだった。
それでも、ヴェルノの唇が、ほんの少しだけ動いた。
「……シエル……様……?」
「……っ」
声というより、吐息に近かった。
周囲の冒険者たちには聞こえない。
すぐそばまで顔を寄せていたシエルにだけ、どうにか届いたほどの小さな声だった。
「ヴェルノ……」
どうして分かったのか。
髪も違う。
顔の印象だって変えている。
それでも、ヴェルノには分かったらしい。
「私です。ヴェルノ、私です」
ヴェルノの手を握り、シエルがそう答えると、ヴェルノの表情がほんの僅かに緩んだように見えた。
けれど、それ以上言葉を返すことはなかった。
再び瞼が閉じる。
「ヴェルノ!?」
近くにいた冒険者が慌てて声を上げた。
「大丈夫だ、嬢ちゃん」
「息してる! さっきよりずっとしっかりしてるぞ!」
シエルはすぐにヴェルノの胸元を見る。
ゆっくりと、規則正しく上下している。
先ほどまでとは違う。
もう今すぐ命が消えてしまいそうな呼吸ではなかった。
「……良かった」
全身から力が抜けた。
シエルはその場に座り込んだまま、ヴェルノの大きな手を両手で包む。
温かい。
先ほど触れた時よりも、ずっと。
その温かさを確かめるように、両手に少しだけ力を込める。
今度は、間に合った。