▽前回のあらすじ
セーフハウスでの発熱により十六歳の元の姿に戻った花梨は、ヒロと共に急ぎマンションへ戻り、思い出の黒いドレスに着替える。ヒロの機転で完璧な変装と大人びたアップヘアを施した二人は、周囲の目を欺くため、数々の運命が交錯する鈴木財閥の船上パーティーへと足を踏み出すのだった。
第247話
ぱくぱく。
◇
船内に一歩足を踏み入れた瞬間、そこは別世界だった。
豪奢なシャンデリアが放つ光のシャワーが、ミッドナイトブラックのドレスに降り注ぎ、生地に織り込まれた無数のラメを星空のように煌めかせる。
「わぁ……本当に豪華だね、ヒロお兄ちゃ……ヒロさん!」
思わず声を弾ませた花梨は、ハッと周囲の目を意識して言い直す。
突如戻った十六歳の身体。大人の女性らしい見た目になっているとはいえ、中身のあどけなさが零れそうになるのを、彼女は必死に堪えていた。
そんな隣で、彼女をエスコートするヒロは――いつもと違う雰囲気を纏っていた。
明るい金のボブカットのウィッグに、知的な印象を与える伊達眼鏡。顔の輪郭をシェーディングで少しだけ変え、肌はファンデーションでトーンダウンした小麦色。一見すると外国人のビジネスマンか、あるいは映画のワンシーンから抜け出してきたような、スタイリッシュな青年になりきっている。
「ああ。鈴木財閥のパーティーだからね。あまり目立ちすぎないように……と言いたいところだが、今の君は少しばかり輝きすぎているな」
ふと、横から向けられる視線に気づいた花梨は、ヒロの新しい姿をまじまじと見上げて目を丸くした。
「ねえ、ヒロさん……その金髪と眼鏡、すごく似合ってる。お髭も剃って、お肌も小麦色だし……なんだか、零お兄ちゃんに雰囲気が、似てる……?」
「ああ、これかい? 少し……知り合いの金髪の男を参考にさせてもらってね。これくらい大胆に変装しておいたほうが、かえって人々の目も欺きやすいと思ってさ」
少し得意げに、けれど優しく微笑むヒロに、花梨は「ふふっ、似合ってるよ、ヒロさん!」と無邪気に笑いかける。
ヒロは苦笑しながら、周囲の招待客が花梨に注ぐ熱い視線を優しく遮るように、さりげなく彼女の背中に手を添えた。
花梨は、サングラス越しに会場を見渡した。ノンアルコールカクテルのグラスを軽く揺らすと、氷がカランと涼やかな音を立てる。
会場の喧騒は心地よいBGMのようで、花梨は自然と高揚感に包まれた。大人としてこの場に立っているという緊張感と、ヒロという信頼できるパートナーが隣にいる安心感。
今の自分なら、どんなトラブルにも立ち向かえる気がした。
「……あ、あの人たち、すごくおしゃれだね。あのドレスの人、色がすごく綺麗……!」
「サングラス、外さないようにね」
「あっ、はーい!」
ヒロにやんわりと注意をされつつ、花梨は楽しげに周囲を観察しながら、パーティーの空気を満喫する。
彼女はサングラスの奥で、自分を狙う者の姿を探すことはしなかった。ただ、今この瞬間を、ヒロと分かち合うことだけに集中していた。
一方、そんな会場の片隅で――。
キッドは園子の父・鈴木史郎に扮して招待客と挨拶を交わしていた。
「ははは、いやぁ~このたびは、お忙しい中ご参加いただきまして、ありがとうございます」
開会の挨拶をするため、ステージに向かいながら、キッドは明るい笑顔を見せる。
ちらりと周囲を見渡せば、煌びやかな人々が各々立食パーティーを楽しんでいた。
(さっすが、鈴木財閥の記念パーティーだぜ……財界人がウヨウヨいやがる……)
「鈴木会長! こちらです」
「あー、はいはい」
スタッフに呼ばれたキッドは、ニッと口角を上げステージに上がると、中央にセットされたマイクに向かった。
「我が鈴木財閥も今年で早や60周年……これもひとえに、皆様のお力添えの賜物でございます……」
(さあ、
キッドは集まった客たちを見渡し、
「今夜はコソドロのことなど忘れて……500余名が集まった優雅かつ盛大な船上パーティーをごゆるりとお楽しみください……」
キッドがそこまで言ったときだった。
「その前に……」
「え?」
「今夜は特別な趣向が凝らしてあります……」
女性の声が聞こえて振り返ると、園子の母・【鈴木朋子】が小さな箱を意味深に持ち上げ、続けた。
「乗船する際に、皆様にお渡ししたこの小さな箱……。さぁ、お開けください……それは愚かな盗賊へ向けた、私からの挑戦状……」
朋子の言葉に会場内はざわつき、皆一斉に小さな箱を開いていく。
中に入っていたのは、大きな黒真珠だった。
「こ、これは!?」
客の驚きの声が聞こえた。
「そう……我が家の
高らかに掲げられた小さな箱と、その宣言に、会場内でひときわ大きな声が上がった。
「もちろん、本物は一つ……それを誰に渡したかを知っているのも、私一人……後はすべて、精巧に造られた模造真珠というわけです……。さあ皆さん、それを胸にお着けください! そしてキッドに見せつけてやるのです!! 盗れるものなら盗ってみなさいとね!!」
朋子が説明すると、客たちはそれぞれ真珠を身につけていく。
「もちろん……船が洋上にいる三時間の間に、どれが本物か、彼に判別できたらの話ですが……」
(……そうくるか。さあて、どうすっかな~……)
不敵に笑う朋子をステージに残し、キッドはそっとその場を後にした。
(鈴木会長の格好じゃ動きにくいな……お次は……)
朋子が仕掛けたトラップを突破するには、鈴木会長の姿では動きにくい。もっと別の誰かに変装する必要があった。
「あ、会長、どちらへ?」
「あ~、トイレに行ってくるよ。すぐ戻る」
スタッフに呼び止められて笑顔で返し、キッドは歩き出した。向かう先はトイレ――。
途中、皆が黒真珠に夢中になるなか、たった一人、料理を美味しそうに食べているサングラス姿の女性を見つけた。
艶やかな黒髪は上品に結い上げられ、露わになった白いうなじが、黒いドレスとの対比でひどく印象的だ。
サングラスに隠れて顔立ちは窺えないものの、鮮やかな色の口紅を引いた唇が、妙に大人びた雰囲気を醸し出している。
一見すると随分と妖艶な女性なのに、本人はそんなことなど気にも留めず、料理に夢中になっているらしい。
(……普通、女性なら宝石に興味がありそうなもんなのに……変わった姉ちゃんだな)
キッドはクスリと笑うと、その女性の脇を通り過ぎた。
女性は彼に気づくことなく、次の料理へと手を伸ばしている。
そのまま、二人はすれ違った。
……キッドが消えても、会場内はざわついたままだった。
「リン。ほら、君も真珠を着けないと」
ヒロが花梨に黒真珠の入った箱を手渡す。
豪華客船へ乗り込む直前に決めた偽名――。今夜、ヒロを呼ぶときは「ヒロさん」、花梨は「リン」と名乗ることにしていた。
「あ、えへへ。この白身魚のフリッターがすごくおいしくって! もう三つも食べちゃった♪」
「……はぁ。もう、君って子は……楽しそうで何よりだよ」
花梨はそう言いながらも、視線だけは未練たっぷりに料理の並ぶテーブルへ向けていた。
「…………」
そして、そろり。
ヒロが目を離した隙に、もう一つ取ろうと手を伸ばす。
「……リン」
「ん?」
「さっき三つ食べたよね?」
「だって美味しいんだもん!」
花梨は悪びれる様子もなく、きらきらと目を輝かせた。
「……ふふっ。そうだね。じゃあ、もう一つだけ」
「やったぁ~♡」
嬉しそうにフリッターを取る花梨を見て、ヒロは思わず苦笑する。
こんなふうに何の心配もせず、美味しいものを美味しいと笑える時間が、彼女にとって少しでも長く続けばいい。
そんなことを思いながら、ヒロもまた、穏やかに微笑んだ。
◇
トイレにやってきたキッドは、鈴木会長の変装を解き、給仕スタッフの格好をしていた。
「まずはスタッフに変装して……お次は……」
次の手は、もうすでに考えてある。
本物の
「……毛利蘭か……。こんな形で接触することになるとはなぁ……」
先日、快斗は花梨の真実を知りたくて蘭への接触を試みたが、途中で思い留まり、断念した。
まさかこんなに早く出会うことになろうとは……。
「今回は獲物目当てだけど……彼女のそばにはあのボウズもいるし、花梨の手掛かりが探れるかもな……」
(今度こそ……何か掴めるかもしれねぇ)
キッドは淡い期待を胸に、会場へと戻った。
戻って間もなく、背後から声がかかる。
「あの、すみません」
「っ!? ど、どうされましたか?」
(び、びっくりした……!)
驚くのも当然だ。声をかけてきたのが、次の変装相手――蘭だったのだから。
探す手間が省けて助かった。即座に