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荒い呼吸でなんとか自我を保つ。
人の波に逆巻きながら小さくなっていく背中を追い続ける。肩が他人と触れ合うたびに、世界から酸素がなくなっていくような気分になる。周りの人を掻き分けて進むほど、見覚えのある紫色の髪は色褪せていく。
(待って……!)
彼女の足取りを辿るように進む。
けど、足跡などどこにあるというか。
(……え)
気がつけば人々に埋め尽くされた足跡に彼女の痕跡は全て消されていた。聞き覚えのない誰かの声がする。見ず知らずの誰かの息遣いがする。友達の名を呼んでいる。
声が出ない。
自分が想いを伝えるための繋がりを他の誰かが使っている。相手から繋げてもらうための繋がりを他人が奪っている。
私から
寒々とした冬のような分厚く灰色がかった雲がのしかかる。
(待って、嫌だ……)
足跡は人々の足に覆い隠され追うこともできない。追う相手自体、ぼんやりとしてしまっている。
紫髪の、ツインテールで、つ……
「……
朦朧とした意識の中で、幻覚を見ていたようだ。
初星学園内の誰にも見つからない階段の踊り場で眠っていた。手が悴んでいる。冷え性にしても、ひび割れるような痛みを覚えるのはいつ以来だろうか。
けれど、手が赤いのは冷えただけが原因ではない。
痛みを覚えた右手を包むように左手で隠すと、手毬は弱々しく立ち上がる。
春らしく桜が舞う快晴の青が目に染みる。目が痛みに耐えかねて自分の足元に視線を落とすと影だけが落ちていた。
窓の向こうとこちらとで、まるで世界が違うようだ。
それでも世界は回っている。
窓の向こうで自分と同じ制服の生徒たちが歩いているのだ。
階段を降りようとした時、自分の顔が見えた。自分のものとは思えないほど悲嘆に暮れた顔をしていて、消し去るように痛む右手を擦り付けた。
[第2幕 勇往邁進!
ここが私のゲキだ!!]
かつて【厄災】と呼ばれる存在がいた。
あらゆる世界、あらゆるユニバースに破滅を齎さんとする闇【厄災】を討ち払うため巨人たちが集結した戦いが繰り広げられる。
世界の人々は巨人たちを世界を救う最後の希望と信じていた。
しかし【厄災】の勢力は凄まじく巨人たちは押され、世界は闇に閉ざされた。
けれども希望は途切れない。
誰かの祈りが最後の巨神【テガソード】を降臨させ、巨人たちは己の力を彼の指輪に託し、【テガソード】の活躍によって【厄災】は討ち払われた。
「これがユニバース大戦と呼ばれる神話だ」
「ユニバース大戦……」
咲季は実感のなさを認めるように呟くと、学園から事務所として与えられた教室の中で視線を彷徨わせる。この教室は炎の化物 ファイヤキャンドルによって焼き払われた校舎の中にある。窓の外を眺めれば、折られたはずの庭木が青空へ伸びたままになっていて、自分の記憶がおかしいのではないかと疑ってしまう。
長机に置かれた小さな手鏡を覗き込む。自分の頬に化け物に炙られた痕は残っていない。
いや、初めからなかったというのが正しいのか。
何が起きているのか教えて欲しい、と頼んだのは咲季だが、だからといって突然神話がどうのこうのと話が進んでいくとは思いもしていなかった。
「なら、昨日戦った化物も厄災なの? プロデューサーが持ってた指輪はそのテガソードという神様のものなのね?」
手鏡の側に並べて置いてあるふたつの指輪を咲季は手に取る。ひとつは炎を結晶化させたような輝きを持つ赤い指輪。もうひとつは美しい光沢を持つ
クオンは少しめんどくさそうに顔を顰めてから話を再開させる。『ここら辺はそう単純じゃなくてね』とホワイトボードのボード面を半回転させると、再びペンを走らせる。
––––ユニバース戦士。
テガソードと契約し、己の願いを叶えるために全ての指輪を集める争奪戦に挑む者たち。中でも【テガソード】と一体になれる金のテガソードを持つ戦士たちを【ゴジュウジャー】と呼ぶ。
指輪の個数は全てで54個。【ゴジュウジャー】の五つの指輪を除くものは【センタイリング】と呼称され、それぞれがひとつの【スーパー戦隊】の力を基としている。
––––ブライダン。
ノーワンワールドと呼ばれる別世界からの侵略者集団。目的は不完全な人間世界を再生成し、女王【テガジューン】が望む完全な世界にすること。そのために女王の力を増幅するために戦士たちから指輪を奪おうとしている。
ガリュードの力は、ユニバース戦士たちに対抗するために作られた【テガジューン】の切り札。
––––厄災。
あらゆる世界を滅ぼそうとする存在。【戦隊五十古事録】および【テガジューン】いわく、巨人たち、そして人の祈りによって生まれた【テガソード】の宿敵。ユニバース大戦の際に【テガソード】に敗北している。
––––現状
ブライダンが【テガジューン】と【テガソード】の婚姻を無理やり成立させ、破滅の王子を誕生させた。そして世界の再生成を行った。
しかし、再生成は失敗し歪な世界になった。
ファイヤキャンドルはテガジューンのことを忘れ、クオンは28歳から19歳に若返った。
––––打開策
この世界に現存する指輪をできるだけ多く集め、世界を再破壊する。
「現時点で起きてるのはテガソード側の【ゴジュウジャー】とテガジューン側の【ブライダン】の戦い。そして、ユニバース戦士同士の勝ち残り」
「色々ありすぎて処理しきれないわ……」
とりあえず、【厄災】は無視していい。神とか女王の名前と武器の名前が一緒のせいで分かりづらい。別世界ってなに?結婚で世界が終わったの?スーパー戦隊って?あなたもうすぐアラサーなの?
混乱する頭の中を整理しつつ、咲季はひとつだけ気持ちを吐き出すことにした。
「まず、一言いいかしら」
「なにかな」
指輪を握りながら立ち上がると、威圧的な態度で指をさす。ガタンッとパイプ椅子が音を立てて倒れる。
そして、咲季がほえた。
「あなた思いっきり悪人じゃない!!」
「善人なんて一言も言ってないじゃないか」
「ぐっ……そうかもだけど」
真剣な怒りなど気にもとめず、けろっとした態度で淡々と口にするクオンの顔つきに咲季はたじろいでしまう。
「だったらなんで化物たちの邪魔をしたのよ。それに––––」
––––なんでわたしを助けてくれたの?
思い出すのは短剣を手にして、自分を守るように立つクオンの姿。怪人を撃ち抜いて救ってくれた姿。怪物の攻撃から周囲の人々を短剣を使って避難させていた。
思い返すだけで胸の中が熱くなる。
それだけの安心感をクオンから感じていて、だからこそかつて存在していたらしい【厄災】同様に、人を苦しめる【ブライダン】の仲間だとは思いたくなかった。
「言ったろ。ストレスがたまる職場でね。叩き伏せたくなることが多いが、私怨で今後の計画を乱すつもりはない。でも上司の目につかないこの世界でなら、叩き潰してもいいかと思っただけ」
『人が死ぬのよ』と咲季が噛み締めながら言う。地面に染み込み、広がっていく赤い沼が脳裏によみがえる。
「知ってるよ。でもね、僕がブライダンに居なくてもその席には別の誰かがいたし、仮に席そのものがなくても奴らは侵略してたよ。なら、僕がやっていても変わらない」
「話したりして止めることだって」
「無理だ」
気さくにも思えた声が一転して低く、冷たくなる。暗い瞳が咲季を貫く。その瞳は何を言っても変わることはない、極寒の中の氷山のようだった。それは触れれば皮膚が砕けてしまいそうなほどの諦観。
そして、明確な嫌悪感をクオンは吐き出す。
「ブライダンはそのためだけに作られた人形だ。特定の人間への想いはあっても『人間は不完全で作り変えなければいけない』という設定から作られている以上、平気で『人類のため』と嘯いて世界を作り変えて
一言一言が冷気を伴っている。聞くだけで凍えてしまいそうだ。その吹雪は口にしている本人にも向けられているようにも思えた。
「そして僕も自分のために他人を踏み潰す。まっ、バグがあったら違う結果になるかもな」
一瞬にして、暗い瞳に明かりが灯る。
「なんでわたしに話したの」
ニヤリと笑うクオンに咲季は物怖じしない態度で言う。
「私がその……」
「変身」
「そう、変身。変身したあの姿。本来ならあなただけでなれるんじゃない?」
「その通り。本来はもっと別の姿なんだが……でも何かしらの不具合で君がいないと僕はガリュードになれない」
「だったら、わざわざ自分の信用を損ねる必要がある? わたしが協力を拒否する可能性が思いつかないわけないでしょ」
「後々真実が露呈して、関係に不備が出るよりは先に伝えておいた方がいいからね」
「まるでわたしが協力すると分かっているみたい」
咲季はクオンと対峙している。けれど、彼は子供を見るような目で見返してくる。クオンは確信めいた微笑みを浮かべている。
まるで勝手知ったる仲かのようだ。
「僕には分かるよ。キミは協力する。可愛い妹がいる身のキミが、危険があると分かっていて彼女を助けることができる力を手放すはずがない」
「……ええ、そうよ。でも指輪はあと53個もあるんでしょ。別にあなたのものじゃなくても」
「そうかな。代わりになるものがあるならそれでいいと思うよ」
頷きながらクオンは続ける。
「妹を嫌いになる前に僕に変わる力を見つけられるなら、だけど」
「なんですって?」
咲季は自然と威嚇しながらクオンに詰め寄っていた。
「わたしが
「ああ」
「ありえないわ! そんなこと……」
化物に襲われた時のことを思い出す。
自分は妹のことだけを考えていただろうか。一瞬でも、疎ましく思っていたのではないか。
躊躇う咲季にクオンは付け入る。耳元で囁く声は堕落へ誘う天使を想起させる。
「もしかして気づかれてないと思ったのか? キミは思いの外ジャンク品だね……今まで花海佑芽に負けないために、何度も競技を変えて戦いつづけてきたんだろ」
「ッ……」
「でも花海佑芽の肉体は育ち、対する自分は体格に恵まれずなす術がない。だから最後の競技として肉体だけがものを言わないアイドルを選んだ。違うかい?」
そこまで知っているのか––––と改めて戦慄する。
「誇りも希望も奪われれば、全てが激情に変わる。愛おしさは憎しみに、希望は絶望になる」
クオンはまるで味わったことがあるかのように咲季に告げる。
「その時キミは、妹も……姉である自分も愛せなくなる」
咲季はたじろぎながらクオンを睨む。睨みつけるので精一杯になりながら、強がって『そんなことはない』と懸命に楯突く。矛を向けた先はどこだろうか、と分からなくなる。
「でも、安心するといい。この世界では僕がいる。キミの才能を100%引き出せる僕がいる」
(ああ、そうか。取引なんだ)
別に自分に才能があると思っていたわけじゃない。体格も恵まれていないし、純粋無垢にアイドルを目指しているわけでもない。本当に目利きの良い人は自分を選ばない。
選ばれるのは佑芽だ、と。
でも、弱さや不純にまみれている自分を選んでくれる人がいたとしたら、きっと、同じく邪な人間なのだろう。
「分かったわ、協力してあげる」
「なら、テガジューンの指輪はキミが持っておけ。変身できない僕が持っていても意味がないからね」
「この【ゴジュウジャー】の指輪も持っていていいわよね」
「ダメだ」
「なんでよ?」
「それはほ……」
飛び出しかけた言葉を口の中へ引きずり戻したクオンは、繕った弁を語る。
「キミは戦場に妹を送り出したくないだろ」
「……それってもしかして」
「ああ、恐らく花海佑芽はその指輪を選ばれてる。放送室で僕が来る前から不自然に手を伸ばしてただろ」
「わたしが持っていたら、あの子がいつ戦士になって怪物と戦い始めるか分からない……ということね」
炎の怪物と戦う佑芽の姿を想像して、不安と恐怖が胸の中でザワザワと音を立てる。灼熱の炎で身を焼かれて焦げ死ぬかもしれない、大剣で斬り裂かれて身体を欠損するかもしれない。
想像だけでも耐えられない。
俯く咲季を眺めながらクオンは思う。無意味な行為だと。
「分かったわ」
咲季は赤い指輪【ゴジュウウルフリング】をクオンの手のひらに返す。クオンは咲季を見つめる。彼女のラベンダー色に輝く瞳は、小さくも強い意志が宿っていて、輝きにふさわしい様を示す。
「貴方は指輪を集めるためにわたしを利用する。わたしはトップアイドルになるために利用する。それでいい?」
クオンは頷くと、話の穂を継ぐ。
「それでは、花海咲季さん。大前提としてアイドルにとって一番大切なものはなにか分かりますか?」
「この流れからプロデュースに行くのね!?」
「当然です。僕はあなたのプロデューサーですから」
「……」
スイッチを切り替えたように突然デスマス口調に変わるものだから、咲季は居心地の悪ささえ感じてしまう。落ち着かない気分のまま考える。
「アイドルとして大切なもの……顔の良さとか」
「それもあります」
「も……ってことは正解じゃないのね。そうね……歌のうまさや運動神経とか?」
「それもあります」
「ならなんなの?」
「花海さんが言っているのはあくまで技術面の話です。所謂、ビジュアル、ボーカル、ダンスというアイドルに必要な3技能」
「アイドルの良さを測るのに使われる尺度ね」
「僕が言うのはこの三つを伸ばすのに必要な根底の話です」
「つまり表現力、とかそういうもの?」
「近くなりましたがもっと具体的にしてください」
咲季は首を傾げながら模索し、地中深いところで繋がる根っこを見つける。
「……思想?」
「その通りです。流行り廃りを加味した楽曲やライブというフィルターを通して他人に魅せる、そのアイドル個人の人間性、とも言えますね」
咲季は首を縦に振り理解を示す。
「アイドル活動というのは風変わりなコミュニケーションと言えます。SNSなどでの私生活の切り売りのような草の根活動に始まり、ライブや……売れてくればテレビ出演や握手会など。それらを含めた全てが、ファンとのコミュニケーションです」
昨日、クオンが『貴方たちはどこにいても見られているということを忘れるな』と口にしていたのを思い出す。私生活での振る舞い自体が今後関わる人たちへの印象になる。そういった話だと咲季は捉えていたが、一歩先の考えがあるらしい。
「このご時世、可愛い、カッコいい、歌が上手い、ダンスが上手い……それら外面だけの良さでは替えがききますし、世間からは、あの曲を歌う人、という曲を本命として見られる可能性もあります」
人差し指を立てて、必要な条件を提示する。
「必要なのは、花海咲季でなければいけない理由作り」
「わたしじゃなければいけない理由」
何かに取り組む以上、世界で1番になりたい。
咲季の偽りのない本心だが、これはあくまでアイドルである咲季のための理由。客がなぜ
「入学首席で容姿端麗で運動神経抜群、学業優秀でこんなにもアイドル向きなわたしがわたしなだけじゃダメなの?」
「客からしたらスタートラインに立つ前提条件ですよ」
「……私だけの武器が必要ってわけね」
クオンは頷きながらプロデューサーとして真剣な顔つきになる。熱のある黒い瞳にあてられて咲季も自然と背筋を正す。
「それでは……花海咲季さん」
クオンは口を一度閉じる。そして、際立たせるように、咲季に今の世界の有り様を示す。
「作り替えられ、いずれ意味を持たなくなるこの世界において、貴方は何者ですか?」