少年の日の思い出が戻らないことと、等しく。
瓦礫の横たわり鉄柱の聳え立つ一角に、一人の男が歩いていた。
遺物を収集するための鞄に、大型のバッテリー式・ビームライフル。パッチワークされた襤褸布が風に揺られて、金糸で模られたエーデルワイスが乾き切った空気に舞った。
──―探掘者を名乗るものは、みな筋金入りの異常者だ。
家族が病にでも罹った無謀な男か、自殺志願者か、あるいはバベルの支援が目当ての詐欺師か。
銃に撃たれて死ぬことを厭わない人間だけが、旧世代の遺跡の中でもとびきりの危険地帯に踏み入り、現代の文明では理解も及ばぬ宝を手に入れる資格を持っていた。
カンッ、カンッ、カンッ、カンッ。
表面の弾痕に戦闘の痕跡を残してなお錆びることもない、張り巡らされた鉄の道を行く。
ただ奥へ。地図の一つも広げることはなく、天上の陽を仰ぐこともなく。
行く当てもなくさまよう男は、ある種亡霊にも似ていた。
「嘆きの地」。数少ない帰還者がそう呼ぶ場所は、まさに前文明の墓場と言って差し支えないだろう。破損した自立兵器の残骸、どこかの「失敗作」、そして探掘者たちの亡骸。
名もなき人間が眠るのに、これほど丁度いい場所が他にあるだろうか?
ピピピピーピピーピピーピピピピーピー・・・・・
どこからともなく流れる不快音。
男は暫く愛用している拾い物———幸いにも大型のバッテリーを内蔵した、腕一つ分もあるライフルを構えた。
ピピピーピピピピピーピピ・・・・
耳を劈く高音とともに、灰色の円盤が角から飛来した。
内臓された機銃が火を吹くよりも先に、男の構えた砲口から蒼い閃光が放たれる。
ビュウン、と独特の駆動音を立てて、ライフルが駆動する。
人間二人分も長さのあるビーム弾の———バベルの技術にも匹敵するであろうビーム砲の照射を受けて、遺跡を守っていた自立兵器は大きな風穴を開けて墜落した。
「・・・・」
花火のような音を立てて爆ぜた兵器の亡骸は、聳え立つ鉄骨の一本を大きく揺らして消える。
それを醒めた目で見下ろしていた男は、自身の第六感が突如警告を発したのを感じた。
──それは、白い翼だった。
両肩に白いユニットを備え、蒼い空を翔ける。
天使はあんなに高くを飛べるのか、と。
ただ無垢に、男は思量した。
音もなく、白い両腕がこちらを向く。脳内に鳴り響く第六感の警告は黄色から赤に変わり、致死性の危険を知らせている。
不思議と、足は動かなかった。ただ、遥か青のキャンバスに映る眼前の天使を見つめていた。
「当該区域の侵入者を確認。排除開始」
ギュギュギュギュギュギュギュギュギュギュギュン!!!!
両腕から放たれた光の機銃が、殺戮の嵐となって地上に吹きつけた。
とっさに体を隠した襤褸に穴が空いて溶けていく。その大きさゆえに雨ざらしの憂き目にあった大型のライフルは、無惨にも表面を溶解させて爆ぜた。
──―降り注ぐ青い死を目の前にしてなお、男の心は凪いでいた。
むしろ男の心中を占めていたのは、やっと死に場所を見つけた、という感慨にも似た感情だった。
思えば、死に場所を探す生涯だった。それが、何を冒険者の真似事のような真似をしていたのか。
最後まで主を守ろうと身を曝すこの襤褸を翻して、ただ目前の運命に体を委ねようとした時──―
しかし結局のところ、運命は変わらないのだ。
どうせなら、美しい翼を見たまま死ねればよかった。
こちらに堕ちてくる白い少女を見ながら、ただそう思った。
突き刺さったニ対の刃によるものか、鉄骨の崩れた遺跡の下。
風化により谷底になったそこに、運悪く命を取り留めた一人の男が座っていた。
「・・・・・」
「・・・・・」
人間が習性のように焚いた火の傍ら。
目線の先には、両肩の翼を失った一機の少女が、男を無機質な瞳で見つめていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
──―残エネルギー、ごくわずか。素体機能に問題なし。武装ユニットの九割を喪失。
戦略判断。・・・安全が確保でき次第、別素体を用いて現素体の回収を試みる。
少女は冷徹な翡翠の瞳にわずかな計算を宿して、少女は目前の不確定要素に目を向けた。
「なあ、あんたは「天使」なのか?」
「・・・・私は天使ではない」
そうか、と男は呟いた。
「あんたほど高く空を飛んでる天使は、見たことがなかったからな」
「当機は
「そうか。じゃあ、あんたは?」
彼女は自己の発言が機密に抵触しないか、一瞬の思考の後に唇を開いた。
「軌道機兵」
「キドー機兵・・軌道機兵か」
男は小さく苦笑すると、炎に目線を戻した。
淡くゆらめく炎が、ただ小さくぱちぱちと音を立てる。
彼女は男の様子を見るうち、その身に羽織っていた外套に目を留めた。
「・・・その花は?」
「知らないのか? エーデルワイス。軌道騎兵からすると、珍しいものなのかもな」
「何故、そこに?」
「なぜって、刺繍だよ」
「防護用の戦術装備に刻むには、あまりにも・・・」
彼女はところどころが溶け落ちた花弁を見て、言い難い矛盾を感じた。
「ああ。これはもともと、スキー用だったんだ」
「スキー。冬季のスポーツの一種」
「ああ、俺は、もともと北方の出身で・・・。いや、少しだけ待ってくれ」
そこで言葉を区切ると、彼は鞄から小さな一つの瓶を取り出した。
──―いつの間にか、空からは薄らと雪が降りはじめた。
男は鉄骨に積もった薄雪をかき集めて小さな器に注ぐと、そこに琥珀色の液体を注ぎ込んで喉を潤した。
「・・・北方にかつて、小さな国があった」
男は頬をほんのりわずかに炎の色に揺らして語り始めた。
_____________
数年前。
北方の厳しい寒さに晒される小さな国で、少年は雪をかき分けていた。
「母さん! 終わったから、またスキーに行っていいかい!」
「・・・学校の課題だけはちゃんとするのよ。今度全国大会なのでしょう、頑張りなさいね」
「うん!」
「いやぁ、全く自慢の息子だな。雪を統べるのが北方の男。将来はいい男になるぞぉ、北方一の!」
「あなた、落ち着きなさって。気をつけていってくるのよ」
「はい、母さん! 行ってきまーす!」
白銀の世界に包まれた、小さな故郷。
深雪に守られたその季節には、軍靴の音に気づかずにいられた。
──―スキーが好きだった、と男は語った。
少年は坂の上に板を並べると、体を前に傾けた。
しゃあ、と清らかな音を立てて、雪煙が疾走する。
足を少し傾ける。体を少し後ろに。
学校一のコントロールで身体を止めた少年を、麓で友人たちが出迎えた。
「あいかわらずうまいなぁ。僕もやりたぁい」
「へへ、そのうち出来るようになるぜ」
少年は照れくさそうに、しかし胸を張って答えた。
「そうだ。こんどあの子全国出るんだってよ」
「あの子って?」
「いつもここにくる、雪の模様を羽織った子だよ」
「エーデルワイスの子だ」
子供の会話はピンポンのように弾んで留まりもない。伝言ゲームかカートゥーンのような会話が、小人のような少年たちの間で続く。
「全国出るんじゃ、一緒じゃん!」
少年は指をさされた。
「たしかに。もしかして、僕より滑りが上手いのかなぁ」
「ちがうちがう。スケートの選手なんだって」
「スケートかぁ。じゃあ違うね」
少年は会話をおぼろげに聞きながら、「エーデルワイスの子」を思い出していた。
白い美しい花があしらわれたカバンをいつも持ってくる少女。彼女がスケートの選手だとは知らなかったが、同じ場所でスキーをする仲間であったことは疑いようもない。
もっとも、彼女はここにいつも来るわけではなく、当然彼ら友人グループと特別の関わりがあったわけではなかったが。
「じゃあ、応援しようよ」
「いいね。応援しよう。勝手に」
「エーデルワイスの子、頑張れ−」
「できれば見に行くからねー」
その場にいないことをいいことに──―あるいは、その場にいてもそうしたのかもしれないが──―彼らは「エーデルワイスの子」の応援を始めた。
幸せな、冬の時間だった。
「お母さん、お母さん」
どうしたの、といいながら女性は少年を抱き止めた。母からはいつだって、野苺の香りがした。
「エーデルワイスの子が、大会に出るんだって」
「そうなの」
「スケートの全国大会。応援するの」
「えらいわねぇ」
母に褒められると少年は少し照れくさい気持ちになって、頬をほんのり暖炉の色に染めた。
「母さん。エーデルワイスをつけてよ」
「何につけて欲しいの?」
少年は少し考えて、家に入ってまだ着ていた上着を指差した。
「ここにつけてよう、エーデルワイス」
──―その頃に、母に刺繍してもらったんだ
ひと冬の冒険と敗北は、少年を少し強くした。
来年は、勝ちたい———
心に炎を灯した少年の瞳を、彼の母は、お父さんに似てきたわね、と一言称した。
雪が溶け始め緑の芽吹く季節、人々は活気に満ちて、高原にはクロッカスが咲き誇る。
その花々を踏み躙って、鉄鋲と薬莢が故郷に踏み入った。
雪解けを待った、帝国の宣戦だった。
「逃げるんだ、母さんを連れて。できるね。お前は北方一のいい男だ」
「父さん」
「ここにはまもなく帝国がやってくる。──―帝国親衛隊が通れば、サーベルの一本も残らない。その後に兵士が雪崩れ込んでくれば街に何が残るだろう」
少年は偉大なる男の胸に縋りついた。
「父さんは、父さんはどうするの! 一緒に逃げようよぅ」
「父さんは、戦争予備役なんだ。国が降参と言うまでは、戦わなければいけない。
わかってくれ、俺の愛しい息子よ。これまで何度となく雪の季節まで耐え忍び、そして刃を退けてきた故郷の歴史にかけて、父さんは戦わなければいけないんだ」
「やだぁ! やだぁ! 父さん! 父さぁん!」
「行け!!!」
少年が聞いた中で最も大きな声で———最も悲しく、そして最も赫赫たる声をあげて、父は少年を叱責した。
「今日の夕方に、ドーリアを経由してバベル行きの夜行が出る。それに間に合うように行くんだ」
「・・・父さん」
「さらばだ、父さんの最も愛した、たった一人の息子よ。
この背中を覚えておくんだ。北方の男の最も偉大な誇りは、誰かを守って戦うことであると」
──―父は、帝国との戦争で死んだ。母さんは・・・後を追うように倒れた。ああ、言えてよかった。親父の背中を覚えている人が増えて。
科学の技術を集めた地、バベル。
その内側にまで、その知らせは届いていた。
青年は一人、街を歩く。
星導エネルギーを扱う工房は死が隣り合わせ。決して楽な仕事ではなかったが———そこで培った最新の技術は確かに彼の血肉となり、この街においてさえ少なくない稼ぎを与えていた。
──―その稼ぎで養うべき相手は、もういない。
この街に辿り着いて、5年。それは父と母の死から、およそ同じ月日が経っていたということでもあった。
『──────ゼ戦争慰霊碑の完成。慰霊祭の開──────』
風に舞う記事の欠片が、否が応にも青年にそれを意識させた。
もはや帝国となった故郷──―帝国が我が物顔で戦争の犠牲者を、父の死を語る。その屈辱感が、青年の胸を支配していた。
「相変わらず仕事が早いですねー」
研究部から『製品』を回収しにきた少女が感嘆の声を漏らす。
北方の子供は、みな冬に家の仕事を手伝う。長い農閑期が培った文化は、波の寄せるバベルの地でも確かに息づいていた。
積み上がった「代金」を見て、考える。
その結果は、ひと月の休暇だった。
──────あの後、故郷にも行ったよ。
青年が慰霊碑に刻まれた父の名前を見た時。
彼の瞳から、五年ぶりに涙が溢れ出た。母の死以来のことだった。
雫が頬を伝って、滴り、凍りつく。
懐かしき故郷の冬が、彼の心に穏やかな雪を積もらせる。
雪が降る。白雪が様変わりした街を覆い始めた。
雪に煙る遠景は、あの日に見た景色のように彼の心を慰めた。
「────」
その時、白鷺のような影が視界の端を過ぎった。
「──?」
それは、懐かしい外套を纏った白銀の少女だった。
目を奪われた。思わず振り返って、青年は人混みの中の銀を追った。
雪に包まれた故郷で、一人彷徨い歩く彼女は、彼があの日置き去ってきた故郷の一片だった。
青年は柄にもなく、声をかけようとした。その時──―
「お待たせしましたわね」
「あら、やっぱりこの辺りは落ち着くかしら」
帝国の──帝国親衛隊の軍服を纏った二人の女が、彼女に話しかけた。
思考が凍りつく。黒の軍服に挟まれたリバーシのように、彼女の認識が揺らぐ。
彼女に目を凝らした、その先に。白く染まった———帝国親衛隊の、軍帽。
「・・・・」
男は立ち去った。
全天を閉ざす白雪だけが、彼の道行を見送った。
──―それ以来、俺が二度と故郷に行くことはなかった。昔の話だ
帝国に飲まれた故郷は二度と戻らない。
父の守った誇りすら帝国に利用され、その跡を継ぐはずの、故郷の子供ですら──帝国軍の・・・親衛隊の一員となったのだ。
その事実は、深く男の心を打ちのめした。
「今のお前には・・・工房は任せられない。今のお前さんの作業は、前にも増して死にたがってるみたいで見ていられねぇ」
工房を出た後、探掘者になった。
裾の短くなったコートを取り出した。一人前になったときに工房を借り、故郷で身を守るために着られていた伝統的な外套へと作りなおしたものだった。
その身に外套を羽織った。ほんの少しだけ、野苺の香りがした。
──―冬が終われば、雪は溶ける定め。
人が行ったことがないエリアに行く旅を繰り返した。
バベルと帝国から、支援の申し出があったが———探掘者は、こうした支援を受けるのが一流の証らしい———断った。
溶けゆく雪に冷水をかけて、夏を凌げるものか。
エーデルワイスが、冬を越せないように。
辿り着く先は、自分が一番よくわかっていた。
「その故郷の名前は?」
「・・・忘れちまったよ。故郷の名前なんて」
「そんなわけが──―」
「人間ってのは、弱いのさ」
軌道機兵は口を閉ざした。理屈ではない彼の言葉に、一定の道理を感じたからであった。
少女はふと少しだけ、
ウィスキーは、とうに地面に置かれていた。
針を手に外套を縫いながら、男はそっと語りを終えた。
彼女はそれを、じっと聞いていたが・・・体を壁に預けて、目を閉ざした。
「私は少し眠る」
「そうか。好きにしてくれ」
男の言葉を聞いて、彼女は衛星軌道上にある「素体」の一つに意識を飛ばした。
不思議と不安はなかった。ただ、意識の片隅に降る雪のことを想っていた。
____________________
薄い薄い大気を、白い流星が突き抜ける。
機動力に特化した前世紀のコアがもたらす莫大な推進力は、ハイエンド・クラスの民用型すら凌駕する超高高度の巡航速度を与えていた。
戦争マシンが跋扈する危険地域に放置した素体を回収するため、彼女は空を翔ける。
先の撃墜を招いた砲撃を回避すべく慎重に降下すると、すぐに目的の崩落痕が見つかった。
「・・・・」
火は消えていた。
その側で、男は体を丸くしていた。
「・・・・」
上半身と下半身を分かつ、大穴が空いていた。
鞄に兼行していたのだろうか。小型のサーベルを手に自立兵器を串刺しにして、体をくの字に曲げたまま死んでいた。
「・・・・」
意識をリンクしていない素体には傷ひとつない。
丁寧な当て布があしらわれ補修された外套が、数少ない跳弾の被害を防いでいた。
雪原のような白の生地の端を彩る、氷のような蒼のグラデーション。確かにあしらわれた、エーデルワイス。
彼女は自身の素体を回収した。
スラスターを起動すれば、この裂け目の上は数秒にも満たない。
とうに雪は止み、空には蒼が広がっている。茜の差す余地もない、確かな蒼だ。
「キャヴァリーへ、こちらスカイセーバー。冬季の──―」
遠い遠い北風が、ほのかな粉雪を蒼い空に運んでいた。
”帰ったら皆に伝えてくれ。ロゼのエーデルワイスは、まだ枯れていないと”