疾風走破と黄金姫   作:火屋

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第二話 燃え残った報告書

 

応接室には、紙の擦れる音がかすかに響いていた。

 

クレアは椅子に深く腰掛け、腕を組んでいる。

 

ラナーは向かい側で、机の上に積まれた報告書を一枚ずつ並べていた。

 

 

「……趣味悪いわね」

 

「何のことでしょう?」

 

「分かっててやってるでしょ」

 

 

ラナーは答えず、一枚の羊皮紙を取り上げた。

 

 

「モモンさん。漆黒の鎧。剣士としての技量は稚拙だが膂力は戦士長以上の可能性も。クレアが正面からの戦闘を避けるべきと判断する程度。

 ナーベさん。魔法詠唱者。少なくとも第五位階以上を容易に扱う。両名とも出自不明」

 

 

次の紙。

 

 

「ズーラーノーン所属、カジット。旧知の人物、死霊系魔法を扱う魔法詠唱者。推定第六位階相当まで扱う。

 非常に強力ですね。うまく駒にできたら良かったのですが」

 

「忠誠心があるようには見えなかったから状況次第だったかな。まあ、今回は厳しかったね」

 

「同じく、ヴィエラ。吸血姫で近接戦闘のスペシャリスト。加虐性が非常に強い異常者。モモンに圧殺されたと。

 腐肉の巨人グロムの方はナーベに消し炭にされる。この二人とはズーラーノーンでの接触はなかった。

 幹部としての噂程度には情報を持っていたということですね」

 

「まあね。どっちも実働してる幹部ではあったから。ズーラーノーンには生きてるのか定かじゃないやつも多い」

 

「これらの報告は至極真っ当ですね」

 

「仕事だからね」

 

 

また一枚。

 

 

「アインザックさん。冒険者組合長としての能力、性格、交渉上の癖。

 リィジーさん。薬師としての技能、孫への執着、金銭への反応。事細かに調べましたね?」

 

 

そして、一枚の紙を机の中央へ置く。

 

ンフィーレア・バレアレについての報告書。

 

 

『若年ながら優秀な薬師。祖母リィジーの後継候補。施療所運営に不可欠』

 

『性格は温厚。危険性なし』

 

『薬学知識は極めて高い。継続的な協力関係を推奨』

 

 

それだけだった。

 

 

「十分じゃない?」

 

「いいえ」

 

「何が足りないのよ」

 

「評価です」

 

「書いてあるでしょ。優秀な薬師。危険性なし」

 

「それは表面上の役割と印象です」

 

 

ラナーが紙を指先で整える。

 

 

「あなたは、役に立たない人についても、役に立たない理由を書きます」

 

「……褒めてる?」

 

「ええ、とても」

 

 

クレアは眉間に皺を寄せた。

 

 

「戦えないなら、どの程度戦えないのか。嘘をつくなら、どんな時に嘘をつくのか。

 あなたは善悪より先に、そういうものを見るでしょう?」

 

「仕事だからね」

 

「ですから、ここだけ妙なのです」

 

 

どれも間違ってはいない。

 

だが、クレアが人間を見る時の癖があまり感じられない。

 

 

「この方についてだけ、あなたは途中で評価を止めているように見えます」

 

「考えすぎよ」

 

「そうでしょうか」

 

「薬師よ。戦う人間じゃない。書くことがなかっただけ」

 

「では、リィジーさんは?」

 

「婆さんは怖いから」

 

「ンフィーレアさんも怖いかもしれませんよ?」

 

「どこがよ」

 

「分かりません」

 

 

ラナーは微笑んだ。

 

 

「あなたが書いていないので」

 

 

クレアは舌打ちした。

完全に遊ばれている。

 

ラナーはまだ答えを知らない。

 

少なくとも、タレントの内容までは。

 

だが。

 

何かがある。

 

そこまでは確信している。

 

 

「……ずっとこれ調べてたわけ?」

 

「様々な可能性を考え、気をつけて見てはいました」

 

「あんたのそーゆーとこほんと嫌い」

 

「知っています」

 

 

ラナーは楽しそうに紅茶を口へ運んだ。

 

 

 

 

プレアデス商会との騒動が収まった夜。

 

ラナーの頭に残った違和感は、ひどく小さなものだった。

 

なぜ、彼女たちはンフィーレア・バレアレ本人を求めたのか。

 

優秀な薬師。

 

それだけなら理解できる。

 

だが、プレアデス商会の技術は、彼の薬学など必要としていない。

 

あの商会は、人間の常識では考えられない精度で、ゴミを価値ある品へ変えてみせた。

 

そんな者たちが、若い薬師一人へ執着する理由。

 

さらに。

 

その要求を口にした瞬間。

 

クレアは、ほんの僅かに反応した。

 

目線。

 

呼吸。

 

指先。

 

普通なら見逃す程度の変化。

 

だが、ラナーは見逃さなかった。

 

情報のない場所を。

 

クレアの報告は文章こそ雑だが、必要な情報を嗅ぎ分ける能力は高い。

 

危険。利用価値。敵意。執着。人間関係。

 

彼については……

 

 

 

 

「何を隠しました?」

 

 

ラナーは、とうとう迂回をやめた。

 

クレアは鼻から息を吐く。

 

 

「何も」

 

「そうですか」

 

「そうよ」

 

「では、そのように扱いましょう」

 

「……は?」

 

 

予想していた言葉と違い、クレアは眉を上げた。

 

ラナーは報告書をひらりと持ち上げる。

 

 

「危険性なし。特筆すべき能力なし。薬師としてのみ有用。そういう人物として扱います」

 

「……」

 

「今後、必要が生じた場合には、私の方で改めて調べますね」

 

 

クレアの指が止まった。

 

 

「何を?」

 

「何でも」

 

 

あっさりした返事。

 

 

「出自。魔法適性。そしてタレント。人間関係。他国との取引や関係。プレアデス商会がなぜ関心を持ったのか」

 

「待ちなさいよ」

 

「何でしょう?」

 

「勝手に調べる気?」

 

「何もないのでしょう?」

 

 

ラナーが首を傾げる。

 

 

「でしたら、問題はありませんよね」

 

 

クレアは睨みつけた。

 

数秒。

 

ラナーは急かさない。

 

この女は、こういうところが一番嫌いだ。

 

逃げ道がないと知っているから待てる。

 

 

「……性格悪い」

 

「それも知っています」

 

 

クレアは窓の外へ目を向けた。

 

既に夕日は沈みかけている。

 

石造りの街並みが、赤から藍へ変わっていく。

 

昼間。

 

硬い黒パンを二人で齧った。

 

 

『一人で食べるの寂しいじゃないですか』

 

 

馬鹿みたいな言葉。

 

あんな男が。

 

自分の持っているものが何なのかも知らず。

 

 

「……才能よ」

 

「はい?」

 

「タレント」

 

 

ラナーの表情から、笑みが消えた。

 

ほんの僅かに。

 

それだけで十分だった。

 

 

「ンフィーレアには、ものすごいタレントがある」

 

「内容は?」

 

「どんな魔道具でも使える」

 

「……どんな?」

 

「職業も、信仰も、使用条件も無視して。少なくとも本人はそう言ってた。実際、神官じゃなきゃ動かせない杖を使った」

 

 

ラナーが動かなくなった。

 

数秒。長い沈黙。

 

その頭の中で何が繋がったのか。

 

考えるまでもない。

 

叡者の額冠。

 

巫女姫。

 

法国。

 

そして。

 

ぷれいやー。

 

 

「いつ知りました?」

 

「エ・ランテルに来て少ししてから」

 

「なぜ報告しなかったのです?」

 

「……」

 

 

答えは簡単だった。

 

政治的な理屈などない。

 

未来予測でもない。

 

戦略でもない。

 

 

「嫌だったから」

 

「何が?」

 

「あんたに教えるのが」

 

 

ラナーの瞳が僅かに細くなる。

 

クレアは睨み返す。

 

 

「あんたは利用するでしょ」

 

「ええ」

 

 

迷いすらなかった。

 

 

「叡者の額冠を試します」

 

「……でしょうね」

 

「もし本当にあらゆる魔道具を使用できるのであれば、法国が秘匿している遺物でも使えるはず」

 

「だから黙ってたのよ」

 

「合理的ではありません」

 

「知ってる」

 

「世界の外から来る存在へ備えるという目的から見れば、極めて重要なことです。行為の情報魔法も使えるでしょう?」

 

「知ってるって言ってるでしょ」

 

 

クレアの声が少し強くなった。

 

ラナーは黙る。

 

 

「分かってるわよ。それくらい。あんたに言えば調べられる。

 法国のことも、ぷれいやーのことも、今よりずっと早く分かったかもしれない」

 

「では?」

 

「でも嫌だった」

 

 

吐き捨てる。

 

 

「あいつは薬師であたしは治癒師、それで十分だと思ったのよ」

 

 

昼間の光景。硬いパン。どうでもいい会話。

 

 

「自分から言ったのよ。もっと人を助けたいって。

 私の負担を減らしたいって。そのために自分のタレントを使いたいって」

 

「……」

 

「馬鹿でしょ。あんなもの見せたらどうなるかも知らないで」

 

 

クレアは笑おうとした。

 

 

「便利な道具よ。あいつは」

 

「……」

 

「法国なら絶対に放っておかない。あんただってそう。プレアデス商会だって、実際に欲しがった」

 

「だから、書かなかった?」

 

「巫女姫はもう見たくない」

 

 

クレアは一瞬だけ目を閉じた。

 

冠を被せられた少女。

 

最後には何の役にも立たない子供へ戻って死んだ少女の顔が、一瞬だけ浮かんだ。

 

 

「使えるからって、使い潰していい理由にはならないでしょ」

 

 

静かな声だった。

 

ラナーは何も言わない。

 

 

「だから報告書にも書かなかった。書けば、あんたは気付くと思ったから」

 

「なるほど」

 

 

ラナーは机の上へ目を落とした。

 

 

「私を欺いた」

 

「そう」

 

「私があなたへ与えた信頼を利用した」

 

「そうね」

 

「私の計画を妨げた」

 

「……そうよ」

 

 

一つずつ。

 

逃げられないように置いていく。

 

クレアは目を逸らさなかった。

 

 

「後悔していますか?」

 

「してない」

 

「そうですか」

 

 

ラナーは紅茶を一口飲んだ。

 

 

「では、一つだけ確認します」

 

「何よ」

 

「ンフィーレアさんは、このことをご存じですか?」

 

「……何を」

 

「あなたが彼について何を隠したのかを」

 

「知る必要ないでしょ」

 

「なぜです?」

 

「危ないからよ」

 

「誰にとって?」

 

「……」

 

 

クレアの眉が動く。

 

 

「本人が知ったら、余計なことするかもしれない。あいつ、研究馬鹿で好奇心の塊だし」

 

「もし、危険を知ったうえで、それでも試したいと言ったら?」

 

「止める」

 

「誰が?」

 

「私がよ」

 

「そうですか」

 

 

ラナーは、それだけ言った。

 

責めるでもなく。

 

呆れるでもなく。

 

ただ一度、頷いた。

 

 

「何よ」

 

「いえ」

 

「言いたいことあるなら言いなさいよ」

 

「クレアが決めるのですね」

 

「……」

 

 

クレアは返事をしなかった。

 

 

「法国も、そう言うのでしょうね」

 

「一緒にするな」

 

 

低い声。

 

ラナーは否定しなかった。

 

肯定もしない。

 

 

「私は、あいつを守った」

 

「ええ」

 

「法国とは違う」

 

「そうかもしれません」

 

「何、その言い方」

 

「私には決められませんので」

 

 

ラナーは報告書を指先で撫でる。

 

 

「私は、報告されていれば使ったでしょう」

 

「……」

 

「あなたは、それが嫌で隠した」

 

「そうよ」

 

「でしたら、私に任せたくなかったのでしょう?」

 

「当たり前でしょ」

 

「では、クレアにも任せない方が公平ですね」

 

 

一瞬。

 

クレアは意味が分からないという顔をした。

 

 

「は?」

 

「本人に決めてもらいましょう」

 

「……あんた、本気?」

 

「ええ」

 

「ンフィーレアに全部言うの?」

 

「クレアが」

 

 

即答。

 

 

「何で私なのよ」

 

「私が言う理由もないので」

 

「処罰?」

 

「そう呼びたければ」

 

 

ラナーは可愛らしく微笑む。

 

 

「もっと他にあるでしょ。報告役から外すとか」

 

「その方が楽でしょう?」

 

「……」

 

「ですから駄目です」

 

 

やっぱり性格が悪い。

 

クレアは頭を抱えた。

 

 

「何をどこまで言えばいいのよ」

 

「全部です」

 

「全部?」

 

「タレントがどう利用され得るのか。法国が知れば何をする可能性があるのか。

 私へ報告していたなら、私が何をしたのか」

 

 

ラナーはそこで一度区切った。

 

 

「そこは、きちんと伝えてくださいね。

 私が言えば、私に都合よく誘導するかもしれませんよ?」

 

 

クレアは口を開き。そして、閉じた。

 

 

「それから」

 

「まだあるの?」

 

「なぜ、クレアが隠したのかも」

 

「……それ要る?」

 

「本人が決めるためには、必要では?」

 

「……」

 

 

クレアは目を逸らした。

 

厄介だった。

 

法国の話も。

 

ラナーの話も。

 

ナザリックの話も。

 

全部、まだいい。

 

一番言いたくないのは。

自分が勝手に心配して。

勝手に怒って。

勝手に黙ったことだった。

 

 

「明日で構いません」

 

 

ラナーは報告書を束ねた。

 

 

「話してください」

 

「……あんたも来る?」

 

「いいえ」

 

「何でよ」

 

「あなたが選んだことですもの」

 

 

クレアは立ち上がった。

 

扉へ向かい、途中で振り返る。

 

 

「姫様」

 

「はい?」

 

「怒ってないの?」

 

「怒っていますよ」

 

「そうは見えない」

 

「怒鳴ればよろしいですか?」

 

「それはそれで嫌」

 

「難しいですね」

 

 

困ったように笑う。

 

クレアは舌打ちして、部屋を出た。

 

 

 

 

翌朝。

 

バレアレ薬店の前。

 

クレアは立っていた。

 

朝日が眩しい。

 

通りには既に人がいる。

 

パン屋の窯から煙が上がり、荷馬車が石畳を軋ませて通り過ぎていく。

 

いつもなら何の躊躇もなく開ける扉。

 

そこへ手を伸ばして。

 

止まる。

 

昨日までなら。

 

黙っていればよかった。

 

知らなければ、ンフィーレアは薬師のままでいられる。

 

そう思っていた。

 

だが。

 

それを決めたのは、誰だ。

 

クレアは顔をしかめた。

 

 

「……くそ」

 

 

剣を抜く方が、よほど簡単だ。

 

化け物へ突っ込む方が。

 

人を殺す方が。

 

ずっと。

 

一度だけ大きく息を吸う。

 

そして。

 

扉を叩いた。

 

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