エ・ランテル冒険者組合の二階。
組合長室へ呼び出されたクレアは、机を挟んで向かいに座る男を胡乱な目で見ていた。
プルトン・アインザック。
この街の冒険者組合を預かる男であり、施療所を立ち上げた頃から何度も顔を合わせている。
度々冗談混じりに冒険者にならないかという勧誘は受けているが、今回はおそらくズーラーノーンの襲撃の件だろう。
「先に言っとくけど、私、冒険者になる気ないわよ」
「それは知ってる。今日は勧誘じゃなくて依頼だ」
「何の?」
「証人になってほしい」
アインザックは机の上の書類をクレアの方へ押し出した。
一番上。
見覚えのある二人の名前。
漆黒の二人である。
これを見て、クレアの眉が上がる。
「先日のズーラーノーン襲撃だ。街を救った功績は文句のつけようがない」
「だったらいいんじゃない?」
「そう簡単なら呼んでない」
アインザックは疲れたように眉間を揉んだ。
「カジット。ヴィエラ。グロム。あんたの話が本当なら、どいつも通常の冒険者に任せられる相手じゃない。それを、あの二人はほとんど一方的に潰してる」
「一応、カジットをやったのは私ね。まあいてもいなくても結果は変わらなかったでしょうけど」
「うむ」
別の書類。
冒険者の階級。
銅から始まり、鉄、銀、金、白金、ミスリル、オリハルコン。
そして最高位のアダマンタイト。
「俺は、あの二人を上へ上げたい」
「実力的には文句ないでしょう」
「最高位の看板ってのは、好き嫌いで渡せるもんじゃないんだよ」
アインザックは書類を指で叩いた。
「街の衛兵はゾンビの処理で手一杯。ヴィエラとグロムをまともに見た奴は少ない。本人たちの申告だけで『化け物を倒しました、はいアダマンタイト』じゃ、後から揉める」
「つまり私に見たことを話せって?」
「それが一つ」
「もう一つは?」
「腕を見たい」
アインザックは悪びれずに言った。
「蒼の薔薇と付き合いがあるそうだな」
「……誰から聞いたのよ」
「遊びで組合長をやってるわけじゃあない。あんたが竜王国で連中と一緒に暴れてきたことくらい把握してる」
「暴れてない。働いてきたの」
「大差はないだろ」
クレアが睨む。
アインザックは気にせず続けた。
「王都支部からも、蒼の薔薇があんたの腕を高く買ってるとは聞いてる。なら、ちょうどいい」
「嫌」
「まだ何も言ってない」
「模擬戦でしょ」
「話が早くて助かる」
「嫌だって言ってるの」
アインザックは深く息を吐いた。
「頼む。俺だって、得体の知れない新人を最高位に押し上げるのには慎重になる」
「本人に普通の昇級試験受けさせればいいじゃない」
「普通の試験で測れると思うか?」
「……まあ、思わないけど」
モモンはあの時の戦いではほとんど力任せに圧殺していた。
あまりにも大きな力の差で、相手が得意とする土俵そのものを潰していた。
「それに、モモン本人も了承済みだ」
「は?」
「下の訓練場で待ってる」
「なんでよ……」
*
訓練場へ降りると、漆黒の巨体が立っていた。
全身鎧に二本の大剣を背負っている。
隣には、相変わらず人間離れして整った顔のナーベ。
クレアを見るなり、ナーベの視線が僅かに冷えた。
「このガガンボがモモンさ…んを試す?冗談は――」
「ナーベ」
「失礼いたしました、モモンさん」
モモンが低い声でクレアへ向き直る。
「突然の依頼ですまない」
「ほんとよ。私は今日休みのつもりだったのに」
「謝罪しよう」
「素直ね」
クレアは少し調子を狂わされた。
ナーベは明らかに何か言いたげだったが、モモンに一瞥されて口を閉じる。
アインザックが訓練用の武器を用意させていた。
クレアには先を潰した短剣が二本。
モモンには、通常の人間なら持ち上げるだけで苦労しそうな木製の大剣。
「短剣、そんなに得意じゃないのよねぇ……」
「本気でやる必要はない」
アインザックが二人へ言う。
「殺しはなしだ。俺が止めたら終わりだ」
「注文が多いわね」
「お前らみたいなのはすぐにやり過ぎる」
クレアは短剣を逆手に持ち、軽く振った。
重心が違う。
いつものスティレットほど馴染まない。
対するモモンは大剣を構える。
クレアは目を細めた。
やはり妙だ。
力の抜き方。足の置き方。
剣の角度。腰の高さ。
戦士として洗練されているようには見えない。
なのにもかかわらず、あの日、その身体はクレアの目でも追い切れないほど速かった。
「始め!」
アインザックの声。
クレアが消えた。
少なくとも、見ていた組合職員にはそう見えた。
真正面から踏み込み。
直前で左へずらす。
一本目をモモンの手元へ。
受けさせる。
同時に身体を沈め、二本目を脇腹へ滑り込ませる。
モモンの大剣が間に合った。
木と木がぶつかる。
乾いた音。
クレアが後ろへ弾かれた。
自分から飛んだ。
受け止めたら、手首を持っていかれる。
「……相変わらずね」
小さく呟く。
モモンが踏み込む。
大剣が横薙ぎに振られた。
遅い。
少なくとも剣筋だけなら。
クレアは屈んで潜り、懐へ入る。
胸元へ一本。
首筋へもう一本。
寸止めするつもりだった。
しかし、モモンの身体が、あり得ない速度で後ろへ下がった。
剣士の足運びではない。
ただ強く地面を蹴った。
それだけに見える。
なのに間合いが消えた。
(ほんっと、気持ち悪い)
クレアは笑った。
今度は一段速くする。
左右。
前。
死角。
武技を重ねる。
短剣の軌跡が何本にも増えたように見えた。
モモンは全部に間に合わせた。
上手いわけではない。
むしろ、一つ一つの受け方には無駄がある。
それを膂力と速度で無理やり正解にしている。
*
モモン――アインズは、内心で別の意味で焦っていた。
(速い! いや、対応はできる。できるが……どこまで見せればアダマンタイト級として自然なんだ!?)
クレアの短剣が次々と飛んでくる。
避けるだけなら容易い。
受けることもできる。
問題は。
どれほど容易そうに受ければよいのか。
ナーベに聞くわけにもいかない。
そもそも彼女の人間基準も怪しい。
(このくらいか? いや、今のは少し速すぎたか?)
一歩下がる。
クレアの目が光った。
まずい。
何かを観察されている。
「随分余裕ね」
「そちらこそ」
格好をつけて返す。
クレアがもう一度踏み込んだ。
今度は低い。
短剣が脚を狙う。
アインズは大剣で受けようとして。
少し。
ほんの少しだけ力加減を誤った。
バキン。
訓練用の大剣が、クレアの短剣を叩いた瞬間に折れた。
破片が飛ぶ。
クレアの手から短剣が消え。
訓練場の端の壁へ突き刺さった。
沈黙。
「……」
「……」
アインザックが額を押さえた。
「もういい」
「いや、今のは――」
「もういい。十分だ。これ以上やると訓練場の修繕費が増える」
モモンが静かに剣を下ろした。
クレアは壁に刺さった短剣を眺める。
「……戦士長より力あるって評価、上方修正しといて」
「分かった」
「あと剣はかなり下手」
ナーベの眉が吊り上がる。
「貴様――」
「ナーベ」
「……失礼いたしました」
モモンの声でナーベが止まる。
クレアはそこを見てほんの少し。
目を細めた。
*
組合長室へ戻ったアインザックは、証言書の最後へ署名した。
書類が束ねられる。
「これで手続きを進める。少なくとも実力不足で文句をつける奴はいないだろう」
「アダマンタイト?」
「ああ。ズーラーノーン撃退の功績もあるし、今日の確認で実力も十分だ。負けん気が強いやつらに喧嘩をふっかけられるかもしれんが……そこは勘弁してくれ」
モモンは軽く頭を下げた。
「感謝する」
「感謝するのはこっちだ。街一つ救われてるんだ」
アインザックは椅子にもたれた。
「しかし、クレア。お前も面倒な立場になったもんだな」
「施療所の責任者の聖女。王女殿下の側近。蒼の薔薇の知り合い。これで、エ・ランテル初のアダマンタイト級とも懇意になった」
「姫様が悪いのよ。あいつ、人が使えそうだと思ったらすぐ仕事押しつけてくるんだから」
「……王女殿下のことか?」
モモンが尋ねた。
「他に誰がいるの」
「随分と……気安いのだな」
「そう?」
クレアは心底分からないという顔をした。
「帰ったら今日の分は文句言っとく。どうせ笑って紅茶出して終わりだけど」
ナーベが僅かに眉を寄せる。
「主に対する態度として――」
「ナーベ」
また。
モモンが止めた。
「その者たちには、その者たちなりの関係があるのだろう」
「……承知いたしました」
クレアは二人を見比べた。
「そっちはお堅そうね」
「何がだ?」
「主従関係」
「……」
*
少しだけ、羨ましい。
そんな感情が浮かんだ。
アインズが何かを命じれば、ナザリックの者たちは喜んで従う。
失敗すれば自身の死を願い、褒めれば涙を流す。
自分が間違っているかもしれないと口にしただけで、それを深遠な意図へ変えてしまう。
かつての仲間たちの子供のような彼らのことは愛おしい。
だが、もし自分がくだらない仕事を押しつけた時に、面倒だと顔をしかめて、帰ってきて文句を言い、それでも次の日には同じ場所で言葉を交わす。
それは、あの頃のような心地よい関係になるのではないか。
(いや。何を考えているんだ私は)
精神抑制が働くほどではない。小さな感情だった。
アインズは、それをそのまま胸の奥へ沈めた。
*
一階の受付へ戻ると、見覚えのある青年が依頼票を手に立っていた。
「ンフィーレア?」
クレアが呼ぶと、青年が振り向く。
「あ、クレアさん。どうしてここに?」
「仕事。そっちは?」
「薬草の採取です」
差し出された依頼票。
目的地はエ・ランテル近郊でカルネ村周辺と書いてある。
「この前の研究施設でのことで、同じ種類の薬草でも育った場所で中身が違うかもしれないって思ったんです」
「それで色んな場所の薬草を集めるの?」
「はい。カルネ村の周辺は森との境目に色々な種類の薬草が生えやすくて、昔からよく採りに行ってるんです」
アインザックも依頼票を確認する。
「護衛は?」
「それが――」
「私ッスよー!」
受付の向こうから、修道女姿の女が大きく手を振りながら現れた。
わざとらしい、太陽のような笑顔を浮かべている。
クレアの顔が一気に嫌そうになる。
「何であんたがここにいるのよ」
「護衛のお仕事ッス。研究協力者サマは大事にしろってユリ姉に言われてるんで」
「大丈夫なの、それ」
「ひどいッスねえ。私、治癒も戦闘もできるスーパー神官ッスよ?」
「一番危ないのが護衛についてるようにしか見えないわ」
ルプスレギナは楽しげに笑い、ンフィーレアとクレアを交互に見た。
「でも薬師サンも困っちゃうッスよね!いつも聖女サマに守ってもらって、今度は私みたいな美少女までついてくるなんて目移りしちゃうッスね~!」
「クレアさんには、いつも助けてもらってますからね」
「へえ。仲良しなんスね」
「まあね」
クレアも気にした様子がない。というより話を早く打ち切るための相槌を打っている。
ンフィーレアの方は仲良しという表現に多少は照れているようだった。
ルプスレギナは少しだけつまらなそうな顔をしている。
アインザックが依頼票へ視線を戻し、呼びかける。
「カルネ村なら、村の近くまで街道がある。泊まりになるなら先方にも話を通しておけよ」
「大丈夫です。村には知り合いがいるので」
「知り合い?」
「はい。エンリさんっていう――」
そこで。
ンフィーレアの声がほんの僅かに上ずった。
クレアが横を見る。
ルプスレギナも見る。
ンフィーレアは気付かないふりをして依頼票へ視線を落とした。
「……村の人です。採取場所もよく教えてくれるので」
「へえええ」
ルプスレギナの声が伸びた。
「何ですか」
「いやあ? 何でもないッスよ?」
笑顔が。
明らかに何でもない顔ではない。
クレアも数秒考え。
理解した。
「ああ」
「何ですか、クレアさんまで」
「別に~」
「絶対何かありますよね!?」
仲が悪そうだがこの二人には似たところがあるとンフィーレアは思っている。
両方と付き合いがある身としては、何か仲良くなるきっかけがあればよいとも思うのだが。
ルプスレギナがンフィーレアの肩へ腕を回した。
「いやー、カルネ村楽しみッスねえ。エンリちゃんってのは、どんな子なんスか?」
「ちょ、近いですって! それに何で名前覚えてるんですか!」
「今聞いたからッスよ」
「そうじゃなくて!」
クレアは少し離れた場所から、その様子を眺めた。
さっきまで自分とンフィーレアを並べて面白がろうとしていた女がもっと分かりやすい玩具を見つけてしまったらしい。
「……ご愁傷様」
「クレアさん、助けてください!」
「嫌よ」
「即答!?」
クレアは笑う。
その少し後ろでモモンだけが、ンフィーレアの依頼票へ何気なく視線を落としていた。
「先ほどの研究と言うのはプレアデス紹介か?」
一瞬、空気が止まる。
「……ご存じなんですか?」
「――」
漆黒の兜の中でアインズは固まっていた。
(やらかした~!)
プレアデス商会との研究協力。
ナザリックでは当然のように報告されているが、モモンが知っている情報ではないはずだ。
「最近、商会と施療所の関係は街でも話題になっている」
誤魔化すように言葉を重ねる。
「研究についても、耳に入っていたのでな」
「そうですか」
ンフィーレアは納得したようだった。
アインザックも特に疑問を持っていない。
あの騒動を考えれば、プレアデス商会と施療所の動向は十分に噂になる。
クレアはこの全身鎧の男にはまだまだ知るべきことがあることを直感した。
(ただの力任せの馬鹿ってことはないと思ってたけどね。ま、少しずつ探っていきましょ)