出来るだけ無いように気をつけてますが、ゼロにするのは難しいので報告していただけると非常に助かります!
カルネ村へ向かう街道は、エ・ランテルを離れるほどに轍が浅くなっていった。
荷馬車の荷台で薬草籠を押さえながら、ンフィーレアは何度目か分からないため息をつく。向かいには修道女姿のルプスレギナが座り、朝からずっと機嫌が良い。
「いやー、楽しみッスねえ」
「薬草採取ですからね」
「エンちゃんのいる村ッスからね~」
「会ったこともないのに友達みたいな呼び方じゃないですか!?」
冒険者組合を出てからずっとこの調子だった。
クレアは助けてくれなかった。むしろ別れ際に「頑張ってね~」とだけ言って、妙に楽しそうに送り出した。
何を頑張ればいいのかは聞きたくない。
やがて畑と木柵が見え、荷馬車が村の入口へ近づくと、畑仕事をしていた少女がこちらに気づいた。
「ンフィー?」
「あ、エンリ。久しぶり」
荷台から降りる動きだけが、さっきまでより少し速い。
ルプスレギナは何も言わなかった。ただ口の端だけが持ち上がった。
エンリは以前と変わらない様子で近づいてきた。
「また薬草を採りに来たの?」
「うん。今回は同じ薬草を何か所かで集めたくて。森の中と畑の近くとかできるだけ場所が違うと嬉しいんだけど」
「それなら、案内しようか?村の周辺でも何カ所かは心当たりあるから」
「本当? 助かるよ!」
その横からルプスレギナがぬっと顔を出した。
「初めましてー。護衛のルプスレギナッス。いやあ、薬師サンからお名前はよーく聞いて――」
「言ってません!」
「今日はじめて聞いたッスね」
「もう!」
エンリが笑い、ンフィーレアは耳まで赤くしながら薬草籠を持ち直す。
ルプスレギナは満足そうにニヤニヤとンフィーレアを眺めていた。
*
村から少し離れた森の縁では、ンフィーレアの方が頼りになった。
「これは同じ種類ですけど、日当たりが違います。こっちは土も湿ってますね」
採取した株を布の上へ並べ、根と葉を傷めないように土を払う。場所ごとに紐の結び方を変え、どこで採ったものか分からなくならないよう印をつけていた。
エンリも慣れた手つきで周囲を探す。
「こっちにもあるよ」
「ありがとう!できれば大きいのと小さいのを両方――」
その時、茂みが大きく揺れた。
エンリが顔を上げるより早く、ルプスレギナが二人の前へ出る。
飛び出してきたのは大きな猪だった。普通の猪より一回りは大きく、片方の牙が不自然に捻れている。興奮しているのか、地面を蹴ってそのまま突っ込んできた。
「ルプスレギナさん!」
「はいはーい」
気の抜けた返事と同時に修道女の細い腕が伸び、次の瞬間には猪の頭が地面へ叩きつけられていた。
鈍い音がして土が跳ねる。猪は一度だけ脚をばたつかせ、そのまま動かなくなった。
ンフィーレアとエンリが固まる中、ルプスレギナは牙を掴んだまま振り返った。
「護衛完了ッス」
「……薬草が」
「え?」
「今の衝撃で、採った薬草に土が全部かかったんです!」
ンフィーレアが慌てて布へ駆け寄る。
ルプスレギナは猪と薬草を見比べた。
「そっちッスか?」
「そっちです!」
エンリが堪えきれずに笑い出す。
周囲には他の気配はない。村人の足音や鳥、小動物、遠くの家畜の声まで拾えるが、護衛対象へ近づく危険な気配は今のところ何もなかった。
命じられたのは研究協力者を守ること。その範囲についてはユリから細かく聞いている。
怪我をさせないことは当然として、誘拐や脅迫に使われそうな人間関係があれば把握し、遠出する際には経路も確認する。
ンフィーレア自身に警戒させすぎて研究へ支障を出すな、とも言われていた。
面倒な注文ではあるが、ルプスレギナにとって難しくはない。
目の前では、ンフィーレアが土を払いながらエンリへ採取場所のことを尋ねている。先ほどから薬草の話ばかりなのに、青年の声はエ・ランテルにいる時より少しだけ弾んでいた。
(これも報告した方がいいんスかねえ)
ルプスレギナはそう考え、二人へ近づいた。
「薬師サーン、次はどこ行くんスか?」
「その呼び方やめてくださいよ……」
「じゃあエンちゃんに決めてもらうッス」
「なんでですか!」
今日の護衛は、まだしばらく退屈せずに済みそうだった。
*
アーグランド評議国。
部屋の中央で白金の鎧がその兜を起こした。向かいにいる老婆は、その鎧へと軽い調子で声をかける。
「それで? わざわざ年寄りを呼びつけた理由は?」
「ああ、王国のことでね」
ツアーが短く答えると、リグリット・ベルスー・カウラウは近くに置かれた古い椅子へ腰を下ろした。
古びたながらも気品のある椅子であるが、彼女は特に気にする様子もなく脚を組む。
「最近、随分景気のいい話が聞こえてくるねぇ。腐りかけてた国にしては」
「それが気になっているんだ」
数年前までなら、ツアーが王国へ殊更に注意を向ける理由はなかった。
貴族派と王家派が争い、辺境では税が抜かれ、優秀な者がいても国全体を動かすには至らない。
良くも悪くも、長く続いた人間の国だった。
それが変わり始めている。
王女ラナーが王都の一角で始めた施療所は周囲の医療と教育を巻き込み、エ・ランテルではプレアデス商会という新興商会が急速に勢力を伸ばして、その商品には王女の庇護の下で盤石の体制を築きつつある。
街を襲ったズーラーノーンを退け、異例の速度でアダマンタイトへ上がった二人組冒険者も現れた。
一つずつなら、珍しいだけで済む。しかし時期が悪い。
「揺り返しか」
リグリットが言った。
「そう断定するには早い。だが、無視できる時期でもない」
「姫さんか、まさかあの聖女がプレイヤーだと思ってるのかい?」
「いや。少なくとも、今まで集めた情報からそう考える理由はない。あの二人自身が外から来た者だとは考えていないよ」
答えは迷いなく返ってきた。
「なら何が怖い」
ツアーは少し沈黙した。
「外から来た者が、あの二人を見つけることだ」
リグリットの目が細くなる。
「プレイヤーは強い。そんなことは今さら言うまでもない。だが、強さだけで世界を支配できるわけではない。この世界へ来たばかりなら、土地も、人も、国の仕組みも知らない」
誰を倒せば国が止まり、誰を生かせば人が従うのか。
どの道を押さえれば物が届かなくなり、どの制度を握れば剣を抜かずに命令が通るのか。
そうしたことは、力の大きさとは別の知識だった。
「姫は、それを知っていると?」
「少なくとも学ぶ速度は異常だ。しかも知っているだけではない。実際に人を動かし、仕組みに変えてきた」
ツアーは集めさせた報告を思い返した。
施療所を起点に読み書きと計算を教え、商品の認証を通して商人の行動を変え、治癒師や冒険者まで巻き込んで人と物の流れを作り直す。
どれも国を一夜で変えるほど派手ではないが、一度根を張れば簡単には消えない。
「姫と聖女は軍を持っていない。それでも、あの二人が動いた場所では人の動きが変わる」
「それだけなら、人間同士の話だろう?」
「ああ。その範囲に収まるなら、私が口を出すことではない」
そこでツアーは一度言葉を切った。
「もしプレイヤーが王国を力で征服するなら、まだ分かりやすい。城を奪い、王を殺し、軍を置く。だが、外から来た力をあの王女が使えば、もっと別の形になる」
「例えば?」
「薬を安くする。街道を安全にする。食料を早く運ぶ。冒険者に仕事を与える。強大な力を、住民にとって利益になる場所へ置く」
リグリットはしばらく黙り、それから鼻を鳴らした。
「国が良くなるじゃないか」
「そうだ。だから困る」
老婆の眉が上がる。
「民がその外来者を必要とするようになった後で、その者が危険だと分かったらどうする。医療も物流も治安も、その力を前提に組み直されていたら、外来者だけを切り離すことはできない。守ろうとした者たちごと傷つけることになる」
八欲王のように世界を焼く者なら、敵だと分かる。
しかし世界の内側へ根を張り、役に立ち、感謝され、いなくなれば人々が困る存在になったなら、それを排除する側こそ世界を壊す者に見える。
「……随分先まで考えるねえ」
「考えすぎなら、それでいい」
「善良なプレイヤーかもしれないよ」
その言葉に、二人とも十三英雄のリーダーを思い出した。
ツアーはゆっくりと目を伏せる。
「そうであることを願っている」
「だが願うだけじゃ足りない、と」
「ああ」
リグリットは肩をすくめた。
「で、あたしが見張れって?」
「既にいる者へ聞く方が早いかな。イビルアイも王国だろう?」
「蒼の薔薇には?」
「今は伏せてくれ。何も起きていない段階で広げる情報ではない。それに、古い時代のことなら彼女だけで十分だろう」
「年寄りを便利に使う竜だ」
「すまない」
素直に謝られると文句が続かない。
リグリットは立ち上がり、腰を軽く叩いた。
「分かったよ。王国の姫さんと聖女、それに最近出てきた連中について聞いてくる。ついでに、そのモモンとかいう男もね」
「頼む」
「ただし、あの子が何も知らなかったらそれで終わりだよ」
「それでいい」
リグリットが部屋を出ていった後、白金の竜は八欲王の遺物が眠る空間を見渡した。
力そのものより、それが世界のどこへ置かれるか。
それが気になっていた。
*
スレイン法国。
窓のない小部屋で、クワイエッセは届いた報告を読み終えた。
王国の聖女クレア。その名は以前より広く知られるようになっている。
王女ラナーの側近として施療所へ関わり、竜王国ではアダマンタイト級冒険者と行動し、今度はエ・ランテルで不死者の集団を率いた高位の魔法詠唱者を討った。
王国での活動は縮小するどころか、広がっている。
報告を持ってきた神官が、慎重に尋ねた。
「やはり、連れ戻すべきではありませんか」
クワイエッセは顔を上げた。
「なぜ?」
「王国の王女へ深く取り込まれています。法国から離れている期間も長い。これ以上は――」
「それが?」
穏やかな声に、神官は言葉を詰まらせた。
クワイエッセはもう一度紙へ視線を落とす。
「法国の中にいれば、あの子が救えるのは法国の民だけだ。竜王国へ行き、王国の街を救い、今度は得体の知れない商人や冒険者まで引き寄せている。神の奉仕が、国境の内側だけに留まる必要があるのか?」
「しかし――」
「それに、あの子は昔からそうだった。自分では逃げたつもりでも、結局は必要とされる場所へ辿り着く」
神官は黙る。
報告には不安材料もあった。突然現れたプレアデス商会、正体の分からない強者、そして王国の急速な変化。
だがクワイエッセは、それらを読んでも眉一つ動かさない。
「むしろ、これほど多くのものがあの子の周囲へ集まることこそ、意味があるのでしょう」
「もし、その意味が法国にとって望ましくないものだった場合は?」
今度こそ、クワイエッセは不思議そうな顔をした。
「神意が、私たちにとって都合の良い形をしている必要はないでしょう?」
神官はそれ以上言えなかった。
クレアが法国へ戻らないことも、王女へ仕えることも、危険な者たちの近くへ向かうことも、クワイエッセにとっては同じだった。
何が起きても、彼の中で妹の歩む道から神意が消えることはない。
「見守りなさい。手は出さなくていい」
「よろしいのですか?」
「ええ。守ることと、閉じ込めることは同じではない」
その言葉だけなら、クレアが聞いても頷いたかもしれない。
クワイエッセは薄く微笑んだ。
「授けられたものには意味があります。力も、才能も、血も。それを一人の生涯で終わらせるのではなく、正しく未来へ渡すことも私たちの務めです」
神官が深く頭を下げる。
クワイエッセは妹の名が記された紙を、他の報告書とは別の箱へ収めた。
大切なものは、失われないように残しておかなければならない。
彼は心から、そう信じていた。