ナザリック地下大墳墓。
アインズは、机の上に置かれた一通の書状をもう一度読み返した。
王国第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフより、アダマンタイト級へ昇格した冒険者モモンへ。
内容そのものは祝いと会談の申し入れである。丁寧で、強制の色も薄い。
問題は、王女本人と話をしなければならないことだった。
(そりゃ、そういうこともあるよな……)
モモンはエ・ランテルを救い、異例の速度で最高位へ上がった。王族が興味を持っても何もおかしくない。
むしろ、これまで何もなかった方が幸運だったのだろう。
それでも気が重い。
(本社の重役から、現場でたまたま良い仕事をした末端社員に面談が入ったようなものか? いや、王族だからもっと上か?)
何を話せばよいのか。
冒険者モモンとして王族へどこまで礼を取ればいいのか。
以前、クレアの前でプレアデス商会の研究について余計なことまで口にしてしまったことも思い出す。
また何か妙なことを言えば、今度は「街の噂で聞いた」で済まないかもしれない。
「アインズ様が御自ら赴かれる必要はございません」
アルベドが当然のように言った。
「現地の王族との会談程度で、御身を危険に晒すなど到底容認できません。冒険者としての活動を継続する必要があるのであれば、代役を立てるべきかと」
アインズは内心で大きく頷いた。
表向きには、しばらく考えるような間を置く。
「……ふむ」
自分から言い出すと逃げたような気がするが、アルベドから提案されたのなら話は別だ。
「パンドラズ・アクターを呼べ」
ほどなくして呼び出されたパンドラズ・アクターは、事情を聞くなり胸へ手を当てた。
「お任せください、アインズ様! このパンドラズ・アクター、父上の――」
「待て」
踵を鳴らしかけた動きが止まる。
「今回はモモンだ。余計なことはするな。私が普段しているように振る舞え」
「はっ」
「王女は非常に頭が切れるらしい。礼を失するな。ただし、何か求められても、その場では決めずに必ず持ち帰れ」
「つまり、アインズ様が日頃お見せになっている、あえて知性を抑えた武人としての御姿を再現せよ、と」
アインズは一瞬黙った。
そういうつもりでやっていたわけではない。
「……そうだ」
「必ずや御期待に」
少し悔しさはあるが頼もしい。
こういう交渉なら、自分よりよほど上手くやるだろう。
アインズはようやく肩の力を抜いた。
*
王宮の応接室。
漆黒の鎧を纏ったモモンとナーベを前に、ラナーは柔らかく微笑んだ。
「改めまして、アダマンタイト級への昇格、おめでとうございます」
「感謝する」
低い声が返ってくる。
傍らにはクレア。少し離れたところでルミィが茶を用意している。
ラナーはモモンを見ながら、先日クレアから受けた報告を思い返していた。
剣技は洗練されていない。
しかし身体能力は異常。
そしてプレアデス商会とンフィーレアの研究について、知っていて当然とは言い難い情報を口にした。
今日ここへ呼んだ理由は、それを追及するためではない。
もっと単純だった。
強い者が所属先を持っていないのなら、王国に繋いでおいて損はない。
それが成功すれば物事の裏側も自ずとわかるだろう。
可能であればだが。
「今日は、お祝いだけではありません」
ラナーが言うと、モモンは僅かに顎を引いた。
「王家へと仕えては頂けないかと思いまして」
ナーベの視線がほんの少し冷たくなる。
ラナーは気づかないふりをした。
「専属になれ、という意味だろうか」
「一番ありがたいのは戦士長と並び立つ武勇として、王国戦士団に加わってもらうことですね。下につくことに不満があるならば新しい立場を用意することも出来るでしょう」
「なるほど。しかし流れの者がそのような立場になれば、いくら王女の紹介とは言え、反発はあるだろう」
「ええ、無いと言えば嘘になります。ただ、それを御せるだけの力は持っているつもりです」
モモンは腕を組み考える素振りを見せる。即答は出来ないという事だろう。
「あくまで冒険者という立場でありたいという事でしたら、優先契約を行っていただくだけでも。活動場所も依頼も、基本的には今まで通り自由です。ただ、王家から依頼を出す際には優先してお知らせできるようにしたいのです」
「なるほど」
机の上へ簡単な契約案が置かれる。
報酬の下限。王国内での移動や情報収集への便宜。必要に応じた宿泊場所の提供。王家からの依頼を受ける際の手続き簡略化。
モモンは一通り目を通した。
「この、有事の際には王家からの依頼を優先して検討する、という部分だが」
「はい」
「他国で既に依頼を受けている場合にも適用されるのか?」
ラナーは笑みを崩さなかった。
「いいえ。既に受けている依頼を破棄していただく意図はありません」
「では、そのことは明記してほしい。『優先して検討する』では、後から意味を広げられる」
クレアが横からモモンを見る。
冒険者が契約書を読むのは当然だ。
ただし、そこへ最初に目が行く者はそれほど多くない。
「政治にはあまりご興味がないと聞いていましたが」
ラナーが言った。
モモンは少し間を置いた。
「政治と依頼を受ける条件は別物だろう。冒険者は契約を読み違えれば死ぬこともある」
綺麗な答えだった。
ラナーは一つ頷いた。
「では、爵位はいかがですか?」
「必要ない」
「領地も?」
「同じだ」
「王都に屋敷くらいでしたら」
「活動の拠点を固定するつもりもない」
迷いがない。
金銭そのものを嫌っているわけではない。王家との関係も拒絶していない。
しかし、所属を固定するものだけを綺麗に避けている。
「残念です」
「随分あっさりしているな」
「無理に首輪をつけて逃げられるより、王国で仕事をしていただける方がありがたいですから」
クレアが僅かにラナーを見る。
モモンは低く笑った。
「王女殿下は、正直なのだな」
「時と場合によります」
「なるほど」
そこでモモンは、机の上の契約案へもう一度目を落とした。
「王女殿下は、我々に何を期待している?」
今度は向こうから来た。
ラナーは少し楽しくなるのを抑えながら答える。
「まずは、強いことです」
「それだけか?」
「十分大切ですよ。王国には、強い方がそれほど多くありませんから」
「蒼の薔薇がいる。そちらの聖女もいる」
「保険はいくつあっても困りません」
クレアが口を挟む。
「人を保険扱いしないでくれる?」
「大切な保険ですよ」
「褒めてないからね」
モモンがまた僅かに笑った。
以前クレアから聞いた印象より、ずっと会話の運びが滑らかだった。
王女との正式な席だから準備してきた可能性はある。
普段は武人として振る舞っているだけで、元々こういう会話ができるのかもしれない。
それだけなら不思議ではない。
ラナーは別の紙を一枚出した。
「もう一つ。王家から提供できる情報の範囲です。魔物の出没、街道状況、各地の依頼、それから大きな商会の動向なども、ご希望なら共有できます」
「ありがたい話だ」
「プレアデス商会などは、今後エ・ランテルで関わることも増えるでしょうし」
ほんの僅か。
ナーベの目がラナーへ動いた。
モモンは変わらない。
「最近勢いのある商会だとは聞いている」
「ンフィーレアさんとの研究についても?」
「施療所と何か協力している、という程度にはな」
答えは淀まなかった。
冒険者組合での言葉と矛盾はない。
街で噂を拾っただけと言われれば、それ以上追う材料もない。
ただ。
「そうでしたか」
ラナーはそれだけ言い、次の項目へ進んだ。
契約案には、もう一つ曖昧な箇所があった。
王家から提供された非公開情報について、第三者への開示を控えること。
普通なら守秘義務と読む。
モモンはそこでも止まった。
「第三者とは、ナーベや依頼の協力者も含むのか?」
「いいえ。共同で依頼を受ける仲間については除外するつもりです」
「ならば、それも書くべきだろう。依頼の遂行に必要な情報まで共有できないのでは困る」
「仰る通りです」
また一つ修正。
その直後、王国特有の官職名が出たところで、モモンは意味を尋ねた。
ラナーは説明しながら、妙な感覚を覚えた。
分からないこともあるようで確認を挟む。この国の制度に疎いのも本当なのだろう。
それなのに、確認の位置が適切だ。即座にこちらの説明を理解し、正しく整理していなければこうはいかない。
知らなくても困らない言葉では素直に尋ね、後から自分を縛りうる一文だけは決して見落とさない。
偶然かもしれない。
誰かに契約を見るよう教えられたのかもしれない。
それでも、面白い。
あの悪魔と話した時とは違った。
彼には自身と同種の思考の速さを感じた。
目の前の男には別種のものを感じている。
考えていないように見せることそのものが、妙に上手い。
「どうかしたか?」
モモンが尋ねる。
「いいえ。少し安心していました」
「安心?」
「思っていたより、ずっとお話のしやすい方でしたので」
「それは褒め言葉として受け取っておこう」
一拍。
ラナーは、その間に何があったのかを考えた。
答えを考えた時間。
言葉を選んだ時間。
あるいは、どの程度の答えならば自然に見えるかを選んだ時間。
区別はつかない。
自身が他者と会話し、区別がつかないということに自然と鼓動が早くなるのを感じた。
*
パンドラズ・アクターもまた、目の前の王女への評価を修正していた。
事前に聞いていた通り、頭は切れる。
しかし、単に知識が多いという類ではない。
契約を提示しながらこちらの反応を見て、拒絶した条件には固執せず、次の条件へ移る。
欲しいのは所有そのものではなく、関係を切らないことらしい。
そして質問の一つ一つは、どれも王女が有力な冒険者へ尋ねても不自然ではない範囲に収まっている。
(なるほど。父上がわざわざ知性に言及なさるだけの人物ではある)
パンドラズ・アクターにとっては、それだけで十分だった。
偉大なる父が明言しないからといって、意図が存在しないとは限らない。
「一つ、こちらから聞いてもよいだろうか」
「もちろんです」
「もし我々が、この契約を断ったら?」
ラナーは少しも困らなかった。
「残念に思います」
「それだけか?」
「はい。王国内で冒険者として活動してくださるなら、それだけでも利益がありますから」
「王家の命令に従わなくても?」
「従わせるために、敵に回る理由はありません」
パンドラズ・アクターは兜の内側で僅かに目を細めた。
筋が通っている。
人材を手元に置けないなら排除する、という種類の支配者ではない。
少なくとも今は。
「分かった。契約については持ち帰って考えよう」
「ありがとうございます。急ぎませんので」
会談はそこで終わった。
ラナーは最後まで、プレアデス商会との関係を直接問いたださなかった。
パンドラズ・アクターも最後まで、彼女が何をどこまで疑っているのかを確かめようとはしなかった。
互いに、聞く理由のないことを聞かなかった。
*
モモンとナーベが退出した後、クレアはしばらく閉じた扉を見ていた。
「……あいつ、あんな喋る奴だったっけ」
「やはり違いましたか?」
「別人ってほどじゃないけど。もっとこう、考えてることが口からちょっと漏れる感じだった気がする」
「今日は王女との会談ですから、準備してきたのかもしれません」
ラナーは否定しなかった。
誰かに助言を受けた。事前に問答を考えた。普段は武人として知性を隠している。
説明はいくらでもできる。
「でも、姫様楽しそうでしたね」
ルミィが茶器を片づけながら言った。
「分かってしまいましたか?」
「そりゃもう」
クレアが嫌そうな顔をした。
「途中からすっごい目してたわよ」
ラナーは笑って、修正の入った契約案を指でなぞった。
「あの悪魔との逢瀬を思い出しました」
「何が?」
「こちらが一つ置くたびに、ちゃんと返してくださる方」
ラナーは手元の手記のモモンの名の横へ、小さな印だけを付けた。
本人が鋭いのか。
背後にいる誰かが鋭いのか。
あるいは、その両方なのか。
まだ分からない。
分からないからこそ、もう少し話してみたかった。
*
ナザリックへ戻ったパンドラズ・アクターの報告を、アインズは玉座の間で聞いていた。
「――以上から、第三王姫は我々を王国へ完全に所属させることより、継続して利用可能な関係を築くことを重視しているものと判断いたします」
「ふむ」
アインズは重々しく頷いた。
内心では安堵していた。
どうやら、王族への無礼や余計な失言はなかったらしい。
やはり任せて正解だった。
「また、非常に聡明な人物ではありますが、モモンの出自や背後関係を特に探っている様子はありませんでした。あくまで、王国の利益を最大化しようとする統治者かと」
「そうか」
それなら問題はない。
優秀な王女が、突然現れた優秀な冒険者を自国へ引き込みたい。
考えてみれば当たり前の話だった。
「契約については、こちらに不利益がない範囲なら受けてもよいでしょうか?」
パンドラズ・アクターが尋ねる。
アインズは少し考えた。
モモンが王国から依頼を受けやすくなれば、情報収集にも使える。王家との関係を悪くする理由もない。
「うむ。詳細はアルベドたちとも確認しろ」
「はっ!」
今度こそパンドラズ・アクターが大仰に礼をする。
アインズはそれを見ながら、胸の中で息を吐いた。
面倒な面談が一つ終わった。その程度の認識だった。