魔法学院にアンリエッタ姫殿下が訪れた日の夜。
俺は息をひそめ、女子寮に忍び込んでいた。
目的はただひとつ。
今晩アンリエッタがルイズに依頼するだろう、アルビオン皇太子ウェールズに宛てた恋文の回収に同行することだ。
使い魔召喚の儀式で『原作知識』を思い出してからいままでの出来事、特に『フーケ戦』への介入を経験して、俺は『タバサメインヒロイン計画』を練り直した。
運命とも言うべき『原作』の流れは俺の想像以上に強固で、しかしほんの些細なことで変わってしまう。
そして『1巻』までは学院内の事件だったが、ここから先、才人とルイズは国家間の戦争が絡む歴史のうねりに巻き込まれていく。
今まで以上に慎重に、かつ大胆に動かなければならないのだと、俺は改めて自覚した。
とはいえ、基本方針は変わらない。
あくまで『原作』の流れに沿いつつ、タバサと才人の絡みを増やし、異性として意識するような関係に誘導する。
やるべきことは、それだけだ。
かつ、こつ……と、俺の前には足音がふたりぶん。
人目を忍んでルイズの部屋に向かうアンリエッタと、その姫殿下を尾行するギーシュだ。
俺はギーシュと十分に距離を取り、時折ロッキーを壁にあてて周囲の気配を確認しながら夜の女子寮を進んでいく。
一応は『好色家で有名なギーシュが女子寮に入っていくのが見えたから、何かしでかす前に止めようと思った』という言い訳を用意しているが、キュルケにでも見つかったら面倒極まりない。
きっとさんざんからかわれ、最悪の場合、面白半分にルイズかタバサの部屋に放り込まれるかもしれない。
そうなったらなにもかもご破算だ。
計画を進めるうえで、『原作』の流れを守るのは絶対の条件である。
なぜなら、タバサの救いは『原作』の先にあるのだから。
けれどもいったいどうやってタバサが救われるのか、『ゼロの使い魔』を途中で積んでいる俺にはわからない。
『タバサの冒険』第三巻の描写から、才人がその鍵を握っていること、アーハンブラ城なる場所でエルフと戦うらしいことを知っているだけである。
第三巻の時点では、タバサの母は未だ心を奪われているようだったが、『原作』が完結するまでには、きっと治っているはずだ。
それは前世に読んだ『ゼロの使い魔』という物語への信頼であり、俺がこの世界で出会った平賀才人という『主人公』への信頼である。
こん……こん……。こん、こん、こん。こん……こん……。
ひとつ上の階で扉が規則的に叩かれているのを、ロッキーがとらえた。
アンリエッタがルイズの部屋に着いたらしい。ややあって扉が開き、アンリエッタが部屋のなかに入っていく。そして彼女を尾行していたギーシュがルイズの部屋の扉に張り付き、姫殿下の話を聞こうと必死で顔を押しつける。
今ごろアンリエッタは、ルイズに例の依頼を……彼女とゲルマニア皇帝の結婚によって成立する二国間同盟を危うくしかねない、アルビオンのウェールズ皇太子に宛てた恋文の回収を頼んでいることだろう。
俺は慎重に階段を登り、ギーシュが動いたらいつでも押さえられる距離まで近づいていく。
『タバサメインヒロイン計画』とはつまり、タバサが救われる流れを遵守しつつ、才人が(ルイズではなく)タバサと結ばれるように介入すること。
そのためにも、俺は彼らと一緒にアルビオンに行く。このイベントは彼ら主従が互いの恋心を自覚する、原作のターニングポイントのひとつだ。相応の危険もあるが……いや、危険があるからこそ、関わらないという手はない。
数分後、ルイズの部屋からどたばたと騒がしい気配(きっとアンリエッタから『手を許された』才人が間違えて唇にキスしたのだ)。なかの様子をうかがっていたギーシュが血相を変えて、
「貴様! 姫殿下になにをするかーっ!」
と飛び込んでいく。
「ギーシュ!? あんた、今の話聞いてたの!?」
「薔薇のように見目麗しい姫さまのあとをつけてみればこんな所へ……、それでドアの鍵穴からまるで盗賊のように様子をうかがえば……、平民のバカがキス……」
俺は女子寮の廊下を走り、薔薇の杖を振り回して雄叫びをあげるギーシュを羽交い締めにした。
「決闘だ! このバカっ――うわ!? なんだ貴様! なにをするんだね!?」
「ギーシュ! 見損なったぞ! こんな夜中に
我ながら白々しい迫真の演技でそう叫ぶ。
主人に踏んづけられている才人と彼を足蹴にするルイズ、そして幾分顔色の悪いアンリエッタ姫殿下は、ぽかんとした顔で俺たちを見つめていた。
「……で、お前らなにやってんの?」
ルイズの足から解放された才人が俺たちに尋ねた。
ギーシュは気取った仕草で薔薇の杖を彼に向け、
「気になるかい、平民? それはぼくが中庭で月を眺め、薔薇の微笑みの君の美貌を詩にあらわしていたときのことだ。ああ、薔薇の妖精が天から降りてきたのかと思ったよ。しかしよく見ると、なんと姫殿下そのひとが……」
「あんたはどうでもいいのよ」
ルイズはギーシュを遮り、俺をにらみつけた。
「クルト、あんたはどうしてここにいるのよ」
「俺も似たようなもんだよ、ルイズ」
「お前もお姫さまを
才人が不思議そうに尋ねてくる。
俺は彼に首を振って、
「俺が
「たまたまって、なんでこんな夜中に出歩いてたのよ」
「散歩だよ。使い魔の散歩。眠れないっていうから仕方なく」
「あんたの使い魔、石ころじゃないの」
「石にも眠れぬ夜があるんだよ。知らないのか?」
「知るわけないじゃない」
ルイズは納得いかない様子だったが、姫さまを置いて話を続けるわけにはいかないと思ったのか、
「それよりあんたたち、今の話、聞いてたんじゃないでしょうね」
「聞いていたとも! 姫殿下! その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せつけますよう!」
ギーシュが素早くアンリエッタに
アンリエッタは戸惑いを隠せない様子だったが、ふと気がついたように言った。
「グラモン? あの、グラモン元帥の?」
「息子でございます。姫殿下」
アンリエッタはしばし思い悩んでから、
「あなたも、わたくしの力になってくれるというの?」
「任務の一員に加えてくださるのなら、これはもう、望外の幸せにございます」
ギーシュの熱意に折れたのか、アンリエッタは微笑みを浮かべて頷いた。ギーシュは喜びのあまり失神した。
こんなんで極秘任務のメンバー増やして、ほんとに大丈夫かこの姫さま。
こうなるのは知ってたし、こうじゃないと俺も困るんだけど。
才人は床に倒れたギーシュを指差して、
「大丈夫かこいつ?」
「もういいわよ。ほっときましょ」
ルイズはギーシュを部屋の端に蹴り寄せると、ふたたび俺に視線を向けた。
「で、あんたはどうなの」
さあ、ここからが正念場だ。
さっきのやりとりを見るに、かなりチョロそうではあるが。
俺はアンリエッタの前に跪き、
「姫殿下。このクルト・ド・コールスも――」
「イヤよ」
ルイズが不機嫌そうに遮った。
「おい」
「イヤったら、イヤ。あんたはついてこないで」
「それを決めるのは姫殿下だろ」
ルイズは舌打ちすると、俺の隣でアンリエッタに跪いた。
「姫さま、忠言致しますわ! おやめください! クルトはこの任務にふさわしくありません!」
「ルイズ、それはどうして? 彼はあなたと一緒にフーケを捕まえたひとりでしょう? 学院を訪ねたとき、オールド・オスマンも名前を挙げていましたよ」
「だって、だってこいつ……コールスです。トリステインの命運がかかった任務に連れてくなんて……」
急に歯切れが悪くなったルイズに、俺はかぶせるように言う。
「なればこそ、私は志願するのです。アンリエッタ姫殿下」
家柄を理由に同行を渋られることも、俺は予想していた。当然、反論も検討済み。
ただ、それを言い出すのはギーシュかワルドだと思っていた。ルイズに言われたのは意外だった。コールス/コルパスの家名が障壁にならない程度の信頼は得ているつもりだったけれど。
「此度の任務は、私の……コールス家の忠誠を示すまたとない機会。それにトリステインとゲルマニアの同盟は、我がコールス家の悲願です。その一助となれるのならば、この命、よろこんで姫殿下に差し出しましょう」
アンリエッタはギーシュのときより遙かに短い逡巡で、
「いいでしょう。あなたの忠誠に期待します」
「姫さま!」
なおも不満を募らせるルイズに、才人が宥めるように言った。
「いいじゃんか、ルイズ。クルトがついてくるなら安心だろ? フーケのときも、さんざん助けてもらったじゃねえか」
「でも……」
どちらかと言うと助けられた覚えしかないのだが、彼にそう言ってもらえると妙なうれしさがある。
ルイズの言葉でざわついた心が、少し落ち着く。
「ギーシュよりかよっぽどマシだし……あ、そっか」
と才人は手を打って、
「もしかして、クルトがいたら手柄取られちまうって心配してんのか? たしかフーケのときもそんなこと言って――お゛あ゛んッ!?」
ルイズは才人の股間を蹴り上げた。
『なんだ、かわいいとこあるじゃん』と内心にっこりしていた俺も男の本能でひゅっと身をすくめてしまう、容赦のない一撃だった。
「ち、ちちちちちがうわよ! バカなこと言ってんじゃないわよこのバカ! バカ犬! わんと鳴きなさい! わんと! ほら、わん! わんわん!」
「わ゛……わぉ゛っ、わぐっ、ぉおん……!」
内股になってうずくまる才人を、ルイズはげしげし足蹴にする。
アンリエッタはそんなふたり唖然とした表情で眺めていたが、やがてくすりと微笑み、ルイズを抱きしめた。
「ルイズ……ルイズ・フランソワーズ、わたくしの大事なおともだち。大丈夫ですよ。あなたがとても頼りになることを、わたくしは知っています。誰がついていこうと関係ありません。他ならぬあなただから、頼んでいるのですよ? それを信じてもらえなかったら、わたくし、とても悲しいわ」
「うう……」
ルイズはアンリエッタの胸に顔をうずめ、猫みたいに唸って、脱力する。
さすがはお姫さま。
ルイズが欲しかっただろう言葉を的確に与え、一発で絆してしまった。
魔性の……いや、天性の人たらしである。
アンリエッタはルイズから体を離すと、真摯な瞳を俺たちに向ける。
「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族派たちは、あなたたちの目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害するでしょう。だからルイズ、仲間はひとりでも多い方がいいのです」
とうとうルイズは頷いて、これでようやく、俺も『ゼロの使い魔2 風のアルビオン』への参加資格を得たのだった。