「な、なによこのモグラ……やだ! ちょっとどこ触ってるのよ!」
アンリエッタからの依頼を受けた翌朝。
まだ日が昇りきる前の、薄暗く冷たい空気のなか。俺は学院の庭で馬に
「いやぁ、巨大モグラと戯れる美少女ってのは、ある意味官能的だな」
「そのとおりだな」
俺の背後ではルイズが巨大モグラ……ギーシュの使い魔ヴェルダンデに襲われ、あられもない姿をさらしている。才人とギーシュはそのさまを腕組みして鑑賞しており、まるで役に立ちそうもない。
おかげで俺は
まあ、ここでヴェルダンデがルイズの持つ『水のルビー』の匂いを覚えることが重要な生存フラグになるわけだから、このくらいは必要経費だ。
馬の準備も終わり、そろそろ助けるフリくらいしとこうかな……と思っていると、突風が起こり、ルイズに抱きつくヴェルダンデを吹き飛ばした。
「誰だッ!」
ギーシュの
「貴様! ぼくのヴェルダンデになにをするんだ!」
ギーシュはその人影に薔薇の杖を突きつけるが、羽帽子の貴族が気安い調子で杖を振ると、ギーシュの杖はあっけなく吹き飛ばれた。
「すまない。婚約者が襲われているのを、見て見ぬフリはできなくてね」
婚約者? と、才人が呆けたように繰り返す。
「僕は敵じゃないよ。姫殿下より、君たちに同行することを命じられてね。君たちだけではやはり心許ないらしい。しかしお忍びの任務ゆえ、一部隊つけるわけにもいかぬ。そこで、僕が指名されたってワケだ」
風が朝靄を晴らし、男の姿が明らかになった。
「魔法衛士隊、グリフォン隊隊長。ワルド子爵だ」
もったいぶってあらわれた彼は『2巻』のボス。
鋭い目つきとよく整えられた髭が凜々しい好青年。
いまは魔法衛士隊隊長で、ルイズの婚約者で、そのうち
ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。
アルビオンへの旅でもっとも危険な、もっとも警戒すべきこの男は、しかし人の良さそうな笑顔で俺たちに言った。
「短い付き合いになるが、我々はともに姫殿下に忠誠を誓い、任務を同じくする仲間だ。よろしく頼むよ」
ラ・ロシェールの港街に続く街道を、馬に乗ってひた走る。
すでに二回も馬を替えたが、人間のほうは休憩なしで半日以上走りっぱなし。
腰は痛いし、尻の皮が剥けそうだ。
「君たち、もっとペースを上げられないか! 日が暮れる前にできるだけ進んでおきたい! ラ・ロシェール近辺には野盗が出ると聞いているんだ!」
先頭でグリフォンを駆るワルドが俺たちに怒鳴る。
そんなこと言われたって、馬とグリフォンじゃ地力が違いすぎるのだ。いくら向こうがルイズとの相乗りだからって、追いつけるわけがない。
『原作知識』で覚悟していたとはいえ、さすがに恨めしい気分になる。
周りを見ると、才人もギーシュも上半身を馬に預けてぐったりしている。
あれで軍人の家系のギーシュはともかく、馬での移動に慣れない才人はもう限界が近いだろう。
「才人、大丈夫か? 一応疲労回復の
「いいよ、お前が飲めよ」
ぶっきらぼうな返事。
たんに疲れてるせいじゃない。そこには押し殺された敵意が含まれていて、俺はいっそう疲れてしまう。
ワルドが登場して以来、才人は苛立っていた。
突如あらわれたルイズの婚約者……しかもイケメンで、貴族で、衛士隊の隊長なんて立派な肩書きまで持ってて、タフで頼りがいがある。
『原作』通り、才人はそんなワルドに嫉妬しているようだったが、敵意の矛先がなぜか俺にも向けられていた。
昨夜は『クルトがついてくるなら安心』とまで言ってもらえたのに、ワルドの存在が才人を人間不信に陥らせているらしい。
読者として読むぶんには愉快なテンションの乱高下だが、実際付き合うとなると、正直、少し鬱陶しい。
「ぼ、ぼくには、くれないのかね……」
後ろを走っていたギーシュが追いつき、息絶え絶えに尋ねてくる。
お前はもっと根性出せよ、元帥の息子だろ、と思いながら、俺は小瓶を投げてやる。ギーシュはお礼もそこそこに蓋を開け、ひと息に飲み干した。
「おお、なかなか美味いじゃないか」
ギーシュは感心したように言い、物欲しそうな視線を俺に向ける。
「言っとくけど、もうないぞ。ひとり一本だ」
「むう……」
残念そうなギーシュを無視して俺も瓶を開け、唇を湿らす程度に傾ける。
一気に飲んでしまいたくなるが、なんとか堪えて鞄に仕舞う。
それからポーション入りの革袋を取り出し、横目で俺たちを伺っていた才人に投げつける。
馬に不慣れな才人が取り損ねてもいいよう、投げる前に『レビテーション』をかけておいたけれど、才人は危なげなく受け取った。
「いらねえ」
「いいから飲んどけ。体がもたないぞ」
才人は渋い顔をしていたが、やはり喉の渇きが勝ったのか、革袋に口をつけた。
ごくごくと革袋の半分ほどを一気に飲み、はふ、と息を吐く。それで人心地ついたのか、いくらか険の取れた表情で呟いた。
「なんかスポドリみたいな味だ。ポーションっていうから、苦いと思ってた」
まあ、それはそうだろう。
これは一度沸かした井戸水に『錬金』で塩と砂糖を加え、飲みやすいように果実を搾っただけの……ようは香り付きの生理食塩水。
ふつう『錬金』でパンやワインといった飲食物を作ると味が落ちるけれど、このポーションは例外だ。
なぜなら、魔法で生み出すのは、塩と砂糖という比較的単純な物質だけだから。これなら十分な品質で、しかもさほど精神力を使わずに量産できる。
いや、ハルケギニアの一般的なメイジ……父や兄たちからするとこれもけっこう難しいらしいのだが、塩や砂糖が簡潔な化学式で表せると知っている俺にとっては簡単なのだ。
我ながら地味な現代知識チートである。
「その、すぽどり? ってのはわからないが、味を良くしたぶん、効果は薄いんだ。水分補給くらいに思っといてくれ」
先日の舞踏会の反省を活かし、俺は、俺が知り得ないこと……スポーツドリンクのことはすっとぼけながら才人に言う。
「水分補給用とか、ますますスポドリだな。ああ、スポドリってのはポカリとかアクエリみたいな……って、ポカリもわかるはずないよな。俺の故郷で、運動するときの定番の飲み物なんだ」
才人はポーションをもう一口飲み、しみじみと言った。
「うわ、マジでポカリの味だ。懐かしいな……こんな革の袋じゃなかったけど、小学校の遠足のとき、母さんがでっかい水筒に作ってくれてさ。でも俺すぐ飲んじまうから、あの溶かす粉のやつ持ってきてる友達がうらやましくって……ああ、ごめん、こんなことお前に言ってもしょうがないのに」
自分の飲み水を確保するついでに、才人からの信頼も稼げたらいいな……という軽い気持ちで作っただけなのに、思いがけず彼の郷愁を呼び起こしてしまったらしい。
そんな彼に影響されたのか、俺まで懐かしい気持ちになる。
俺はあの溶かす粉のやつとか、夏の暑い日に自販機で買うスポーツドリンクの沁みるような美味さについて話したくなるのをぐっと堪えて、才人に言った。
「……まあ、その、なんだ。こんなんでよかったら、また作るよ」
ありがとう、と才人は言い、それきり黙ってしまった。
俺たちはしばらく無言で馬を走らせていたが、ふと、ギーシュが気がついたように、
「どうでもいいが、ぼくのだけ少なくなかったかね?」
「気のせいだ。容れ物が違うだけで、ポーションの量は一緒だよ」
「そうか? そうは見えないが……ううむ……」
ギーシュは自分の小瓶と才人の革袋を見比べ、首を捻り始めた。
実際まったく容量がちがう(才人からの信頼を得るために用意したのだ。彼のぶんを多くするのはあたりまえだ)が、根が素直で単純なギーシュはもう騙されかけている。
俺はそんな彼の姿を見て、そういやギーシュもけっこう好きだったんだよな、と思い出す。
最初はただのやられ役だと思ってたけど、意外と大物で、良いところもあって……。
『原作』の記憶が蘇る前、彼がただの同級生だったころ、俺は正直、ギーシュが好きじゃなかった。
キザで見栄っ張りで思慮が浅くて女好きで平民を見下してはばからない……トリステイン貴族の欠点を煮詰めたような男だと思っていた。
「なあ、やっぱりおかしくないかね?」
「気のせいだ」
「そうか……」
けれども俺はいま、彼が嫌いとは言えなくなっていた。
前世の記憶による好意だけではない、この短い旅の苦難をともにして、彼の人柄に触れてしまったせいだ。
この旅が、俺のギーシュに対する敵意をすっかり解かしてしまった。
彼の欠点が愉快に思え、彼がこの旅を無事に終えて、学院でモンモランシーに怒られている姿をまた見たいと思えるくらいには。
「……思い出した。ポーションがひとつ余ってたんだ。ほんとはルイズのぶんだったんだが、まあ、あの様子じゃ子爵殿が面倒見るだろ。ギーシュにやるよ」
「きみ、ほんとうかね!? ありがとう! 感謝するよ、我が友クルト!!」
そうして、こんな言葉で頬が緩んでしまうくらいには。
……もしかしたら、俺ってけっこうチョロいのかもしれん。