明け方に学院を出てから、俺たちは何度も馬を替え、休みなしに街道を走り続けた。
太陽はとうに地平線の向こうに隠れている。
ほとんど重なり合った双月が天頂にさしかかったころ、遠くにラ・ロシェールが見えてきた。けわしい山道の向こう、切り立った峡谷の間に小さく街の明かりが浮かぶ。
強行軍の終わりが近づいてきた実感に、俺は安堵の息をつく。隣を走る才人がきょろきょろあたりを見回し、そっと俺に声をかけた。
「なあ、クルト」
好奇心の強い彼は、『港街』を目指していたはずなのに、どうして山に向かっているのか気になっているに違いない。
しかし『そんなことも知らないの?』とルイズに(あるいは彼女と同乗しているワルドに)バカにされたくないからだろう、先頭のグリフォンと距離が開いたのを見計らって尋ねてきたのだ。
俺は彼の質問に備え、頭のなかで浮遊大陸アルビオンの地理や、この世界における
そして『原作』通りにことが進んでいたらもうじき起こるはずの、野盗の襲撃への対応も。
「ルイズとは、どういう関係なんだ?」
「……は?」
だから才人がそんなことを言い出したとき、俺はかたまってしまった。
「だ、だって、お前とルイズ、仲良いし。お前、良いやつだし。いつも俺たちのこと助けてくれるし。ルイズも、お前と他の男子とじゃ、態度が違うんだよ。なんつーか、甘えてるっていうか……フーケのときなんか、あいつ、お前と空飛んでたし……」
絞り出すような才人の言葉を聞きながら、俺はようやく、彼に敵意を向けられていた理由が腑に落ちた。
こいつ、俺とルイズの関係を怪しんでいたのだ。しかも相当深い仲だと勘違いしている。
どいつもこいつも恋愛脳め……ゲルマニアからの留学生の姿が脳裏に浮かび、眉間にしわが寄った。
「も、も、もしかして、も、ももももも元カレとか」
「んなわけねーだろ。ただの幼なじみだよ」
才人は幾分か安心したような顔をしながらも、
「でも、お前の親は、お前とルイズを結婚させたがってるって」
「親父が勝手に言ってるだけだ。公爵令嬢が嫁にきたらお
「キュルケ」
あのやろ……と拳を握ったそのとき、崖から火のついた
突然進路にあらわれた炎に馬が驚いて暴れ、俺たちは馬上から振り落とされる。
「奇襲だ!」
と叫ぶギーシュの間近に矢が何本も突き刺さった。
ギーシュが薔薇の杖を取ろうと懐を探り、才人は背中に吊ったデルフリンガーに手をかける。
しかし敵のほうが早かった。ふたりが立ち上がる間もなく、追撃の矢が射かけられる。
襲撃を予測……というより知っていた俺は先んじて体勢を立て直し、無防備なふたりに迫る二の矢に杖を振った。
「イル・アース・デル……!」
賊の放った大量の矢が空中で崩れ、無数の砂粒になる。次いで小型の竜巻が現れ、砂と化して勢いを失った矢雨を飲み込み、明後日の方向に弾き飛ばした。
「大丈夫か!」
グリフォンに跨がったワルドが叫び、庇うかのように俺たちの前で杖を掲げた。
「ええ、助かりました。敵は……」
「野盗の類いだろうな。アルビオンの貴族派の連中ではないだろう。今朝学院を
白々しい顔で推理を語っているが、すべてこいつの仕込みである。
自ら演出した危機を見事に切り抜け、婚約者である虚無の担い手、ルイズの心を手に入れようという、名誉ある魔法衛士隊の隊長とは思えないセコい策略。
だから俺はワルドの風が間に合うはずと知っていながら、自分の魔法で防御したのだ。
なぜって、俺がワルドの立場なら、盗賊退治を演じるついでにルイズの仲間を減らしておこうと考えてもおかしくないから。
『原作』では大丈夫だったから、と油断してると痛い目に遭うのは、フーケとの戦いで十分学んだ。
「し、子爵殿、盗賊ふぜい、ぼくのワルキューレが蹴散らしてみせます!」
いざ! と叫んで薔薇の杖を掲げて駆けだそうとするギーシュの首ねっこを、俺は慌てて捕まえた。ぐえっ、と潰れたカエルみたいな声があがるのを無視して強引に引き戻す。
土メイジが突貫してどうすんだ。せめてワルキューレ作ってから前に出てくれ。
「なにをするんだね、きみは!」
「落ち着け、ギーシュ。空を見ろ」
「うん? 空がどうしたね? 月がきれいとでもいいたいのかね!?」
「んなわけないだろ。いいから落ち着けって」
俺の指差す双月の光が、一瞬間、大きな影に遮られる。
それから聞こえる、力強い羽ばたきの音。
もはや懐かしさすら感じるその羽音に、あっ、と才人が声をあげる。
タバサの使い魔、風韻竜のシルフィードだ。
シルフィードは上空を旋回し、崖上の盗賊たちに向かって急降下する。
盗賊たちは悲鳴をあげて矢を射かけるが、風の魔法に跳ね返される。
風はそのまま竜巻になって崖の上に襲いかかり、盗賊たちを地面に叩き落とした。
「おや、『風』の呪文じゃないか。少なくともトライアングル……それもかなりの達人と見た。使い魔くんたちは知っているようだが、ルイズ、君の友達かい?」
危機は去ったと判断したのか、ワルドが髭を撫でながら言った。
問われたルイズは頷きかけ、しかし慌てて首を振った。
俺たちの前に着陸したシルフィードから、背の高い少女が降りてきたからだ。
ルイズはグリフォンから飛び降りて、
「ツェルプストー! 何しにきたのよ!」
「なにって、助けにきてあげたんじゃないの。朝がた、あんたたちが馬に乗ってくのが窓から見えたから、急いでタバサを起こして後をつけたのよ」
ルイズの剣幕を気にする様子もなく、キュルケは飄々と答えた。
「つけてんじゃないわよ! これはお忍びの任務なのよ!」
「なによ、せっかく盗賊をやっつけてあげたのに。いやな女。それにしても、使い魔のダーリンはともかくクルトにギーシュまで引き連れて、お忍びデートっていうにはずいぶん大所帯ね?」
「デートじゃないもん! こいつらは勝手についてきただけ!」
「じゃ、あたしがついてきたっていいじゃない」
ルイズは地団駄を踏んだ。
こいつはストレスが溜まると口より先に手が動き、さらに怒ると足が出る。
近くに才人がいたら八つ当たりで蹴られていたに違いないが、幸いというべきか、彼は俺たちの後ろでしょぼくれていた。
ルイズの婚約者であるワルドに助けられたことを気に病み、落ち込んでいるのだろう。
さっきの『錬金』で精神力を使いすぎたかもしれない。いくら得意な呪文とはいえ、こちらに飛んでくる大量の矢を一度に砂に変えるのは、さすがに消耗が激しかった。
『錬金』は対象物が遠ければ遠いほど、多ければ多いほど、そして静止物より動いている物体にかけるほうが難易度が高く、精神力を削るのだ。
緊張が途切れたせいか、酷い目眩に襲われ足がふらつきそうになるが、奥歯を噛んで踏みとどまる。
才人に余計な心配をかけたくなかったし、いずれ裏切ると分かっているワルドの前で弱みを見せるのは怖かった。
俺は気を紛らわそうとあたりを見回し、痛みに呻く盗賊たちを、才人とキュルケの絡みを不思議そうに眺めるシルフィードを、それからその背中で本を読んでいるタバサを――
「たっ、は……? え……?」
タバサはパジャマ姿だった。
髪色にあわせるかのような淡い水色の、だぼっとしたワンピース型。しかしそれだけだと夜風が冷えるのか、パジャマの上からマントを羽織っている(キュルケがマントをつけてないから、彼女から借りているようだ)。その頭にはナイトキャップまでかぶっていて、とてもかわいい。
小柄な彼女が大きな竜の背に座っていることもあいまって、まるで童話に出てくる
双月に照らされたタバサはいつも以上に幻想的で幼げで、国宝級にかわいらしい。
天使だ。
――と、前世の俺ならこう思っただろう。
いや実際かわいいのだが、シルフィードに座るパジャマタバサは『始祖の祈祷書』百万冊より価値があるアルヴィーで妖精の女王で大天使なのだが、すでに
ハルケギニアの貴族にとって、寝間着姿というのは、秘すべき姿だ。
もちろん前世の日本でもそれは同様で、パジャマのままコンビニに行くやつはだらしないと言われたり、ホテルの食堂にパジャマで出てくるのはマナー違反と旅のしおりに書かれていたりするのが一般的な感覚だ。
しかしハルケギニアにおける
貴族の女性の寝間着姿は、家族か
タバサが身につけているのが肌の透けるシュミューズではなく、幼い子どもが着るような厚手のパジャマであること。タバサ自身が少女と大人のあわいの年齢であり、しかも歳のわりに幼い容姿であることからか、ワルドもギーシュもまるで平然としているけれど、頭おかしいんじゃないかと思う。あるいは目のほうがおかしいのか。
というかキュルケもなんとかしてやれよ。出発する前に着替えくらいできただろ。なんだよそのマントは。ありがとう。パジャマにマントとか新たな性癖を開拓する気か。ふざけんなよ。
ふ、ふ、ふ、ふざけんなよ……。
「え……! ちょっとクルト、どうしたの!?」
ルイズの悲鳴で我に返る。
どうしたんだ、と返事をしようとして、喉が詰まる。生臭い鉄の臭い。
「なんだよルイズ……ってクルト!? お前すげえ血が出てるぞ! さっきの矢が当たってたのか!?」
「ふむ、矢はすべて僕の風で防いだつもりだし、そもそも彼の『錬金』が間に合っていたはずだが……」
ルイズの声に気がついた才人たちが集まってくる。
俺は喉の奥からせり上がってくる血の味に咳き込んで、まさか、と口元を触る。
そのまさかだった。
「鼻血? きみ、落馬したとき顔でも打っていたのかね」
ギーシュがそう言いながら派手なレースのついたハンカチを差し出してくる。
くそ、良い奴かよ。ギーシュのくせに。旅が終わったら洗って……いや、さすがに新しく買って返そう。無駄に高そうなハンカチ使いやがって。お前んちだって金ないくせに。
俺は内心罵倒しながらありがたく受け取り、鼻に押し当てる。恥ずかしくて死にそうだ。
女の子に見蕩れて鼻血出すとか、さすがにクソボケすぎる。
「すまん、たいしたこと、ない、から……」
ああ、目眩が止まらない。
度を越した羞恥のせいか、血を流しているせいか、それともやはり、丸一日馬に乗っていた疲労と無茶な『錬金』による精神力の消耗のせいか。
さすがに疲れと魔法のせいだと思いたい。思わせてくれ。頼む。
鼻を押さえて下俯いて信じてもいない始祖ブリミルに祈っていると、不意に横合いから袖をひっぱられた。
「見せて。『治癒』する」
振り向いた視界に飛び込んできたのは、青い天使……じゃなくてタバサ。
いつの間にかシルフィードを降りてこっちに来ていたらしい。
「た、たばっ……」
いつも通りに無表情な(かわいい)タバサに、しかしまるで俺を心配しているみたいな仕草で顔を覗き込まれ、しかもパジャマで、マントの下にパジャマだけという倒錯的な格好で、こんなに近くて、手が触れて、いけない、かわいらしいパジャマが俺の血で――、
「……おい、クルト! 大丈夫か、クルト!?」
「ダーリン! 揺らしちゃダメ! 頭を打ってるかもしれないわ! タバサ、はやく『治癒』を……」
また盛大に鼻血を吹き出した俺は、そんなシリアスな会話を遠くに聞きながら、すうっと意識を失った。