柔らかな日差しで目が覚めた。
頭の奥に綿がつまったような倦怠感、少し動かすだけでぎしぎしと軋む筋肉に呻きながら体を起こす。
「知らない、」
天井だ、と使い古された台詞を言いそうになって、すんでのところで呑み込んだ。
この世界で唯一その元ネタを知っていそうなやつが目に入ったからだ。
「クルト! よかった、目が覚めたんだな!」
ベッドに駆け寄ってきた才人はいつも通りの青いパーカーにジーンズ姿。
しかし天井には見覚えがない。天井どころか壁も床も家具も知らない。いつもの狭い学生寮よりずっと豪華な広い部屋で、寝ているベッドもやけにふかふかしている。
「おはよう、才人。ここは……?」
俺が気の抜けた挨拶をすると、才人はなぜだか安心した様子で、
「ラ・ロシェールの『女神の杵』って宿屋だよ」
女神の杵。
聞き覚えの……いや、見覚えのある名前だ。
たしか才人たちがアルビオンに
ってことは今夜フーケと傭兵たちの襲撃があるはずだ。
問題はそこでアルビオン行きに加わるか、それとも囮になってフーケを足止めするかだが、俺はやはりルイズたちとアルビオンに行くつもりだ。
なぜなら、ニューカッスル城におけるワルドの凶行は『原作』序盤でも屈指の危険なイベント。
その危機を乗り越えることでルイズと才人の絆が深まり、互いの恋心を自覚するに至るのだが、俺が手助けすることで危機感が薄まり、ふたりの恋の進展が少しは遅れるかもしれない。
そして何より、もし才人が間に合わずルイズが殺されてしまったら、『原作』の流れから完全に逸脱してしまう。タバサが救われる未来が失われかねない。
もちろん俺が同行することによる『原作崩壊』の危険もあるが、俺はすでに才人やルイズと関わってしまっている。まだ細部ではあるが、この世界はすでに『原作』とは違うのだ。
万が一の可能性を潰すためにも、俺はアルビオンに行くべきだ。
ワルドに反対されるかもしれないが、足止めに土メイジはふたりもいらない、分散すべきだ、とでも言って押し切ろう。
「体はもう大丈夫なのか?」
「ああ、さすがに多少疲れが残ってるけど……」
やけに気遣わしく尋ねてくる才人に答えているとき、俺は唐突に思い出した。
昨夜の、あの気絶する原因となった醜態を。
羞恥と情けなさが一気に襲ってきて、頭を抱えて呻いてしまった。
さすがに死にたい。
「うお、どうしたクルト、大丈夫か?」
俺は心配そうな才人に手を振って、俺が気を失ってる間に何があったのか尋ねた。
才人曰く。
あのあと、一行はすぐ出発した。
ラ・ロシェールまでの道中、気絶した俺はタバサのシルフィードで運び、俺が乗っていた馬はキュルケが面倒を見てくれたらしい。
そして街で一番上等な貴族向けの宿『女神の杵』の部屋を取り、昨夜はここで一泊した。
アルビオンに渡るフネの都合上、出発は明日の朝になるそうだ。
つまり俺の存在を除けば、おおむね『原作』通りということ。
部屋割りのこと(『原作』のワルドは自分とルイズを相部屋にしていた)や、早朝に行われただろうワルドとの決闘のことは話に出てこなかったが、俺からつっこむことではないだろう。
それより気になるのは、ラ・ロシェールまでシルフィードで運ばれてしまったことだ。
俺の『計画』では才人を乗せるはずだったのに。
『才人は馬に乗った経験がほとんどないから、一番疲れてるはず』とか理由をつけて竜に乗せてやり(才人が乗ってた馬はキュルケに押しつけられるとなお良い)、月夜のデートを楽しんでもらいたかった。
貴重な才人×タバサの機会を俺のクソボケで潰してしまうなんて、悔やんでも悔やみきれない。
「……面倒かけたな。すまん」
「いやいや! クルトが謝らないでくれよ!」
頭を下げると、才人に止められてしまった。妙に必死な様子である。
どういうことか話を聞くと、どうやら俺が倒れた理由は『精神力の使いすぎ』ということになったらしい。
一日がかりの強行軍で疲労が溜まっているところで盗賊の射かけた矢をすべて砂にする、なんて大規模な『錬金』を使ったせいでぶっ倒れたのだ、と。
道中の駅で水を補給するたび、才人とギーシュの水筒に『錬金』をかけて
もちろん精神力の消耗もあるのだろうが、真相は別である。まさかタバサのパジャマ姿にトドメを刺されたとは誰も思うまい。
俺のささやかなプライドを守るためにも、誤解はそのままにさせてもらおう。
ともあれ、才人がしおらしくしてる理由がようやくわかった。
ワルドに負けて落ち込んでるにしては妙な態度だと思っていたら、俺も原因だったとは。
まあ、友人(と、彼が思ってくれていたら嬉しい)が自分のために魔法を使いすぎて倒れたのだと言われたら、そりゃ心配するし気に病むだろう。
「そんな気にしないでくれよ、才人。俺が勝手にやっただけなんだから」
彼が『原作』以上に落ち込んでたらロクなことが起きない気がするので、俺は極力なんでもないことのように言った。
「うっかり精神力を使いすぎて倒れるなんて、メイジにとっちゃ恥でしかない。なんなら忘れてくれると嬉しいんだが」
「忘れるとか、できわけないだろ。クルトが魔法かけてくれなきゃ、俺たち死んでたんだから」
才人はぶすっとした顔で言う。
俺は苦笑いして、
「そんなことないって。俺がいなくたって、どうせワルド子爵が……」
才人の表情がすっ……と消えて、俺は失言に気がついた。
事実ではあるが、しかしワルドとの決闘に敗れたばかり(のはず)の彼の前で言うべきじゃなかった。
「……子爵と、なにかあったのか?」
俺はできるだけ気遣わしく聞こえるよう意識して尋ねた。
才人はしばし逡巡した後、ぼそぼそ話し出す。
「今朝、クルトが起きる前、あいつと決闘したんだ。ガンダールヴ……フーケを倒した腕前がどんなものか見たいって言われて。介添え人にルイズも呼んで……そんで、負けた。手も足も出なかった。弱いって言われた。俺じゃあルイズを守れない、って」
才人は下俯いて、震える声で続けた。
「あいつ、ルイズの婚約者なんだろ? あいつがルイズを守るんだろ? じゃあ、俺なんか要らねえじゃねーか。俺が居る意味、ないじゃねーか。あいつのことは守れない、友達にも迷惑かけちまう。俺なんか、いないほうがいいじゃねーか。こんな異世界まで連れてこられて、なんの役にも立たなくて……俺、どうしたらいいんだよ。なんで俺はこんなところに居るんだよ。帰りてえよ、地球に。日本に」
ぼろぼろ涙をこぼし始めた才人を前に、俺は口の内側で慎重に言葉を選ぶ。
俺は彼を慰めたかった。
なんとか励ましてやりたかった。
『原作』や『主人公』なんて世界をナメた概念とは関係なく、ただ俺の前にいる彼の痛みを和らげてやりたいという、それはきっと友情だった。
けれども下手な慰めは彼を余計に傷つけるだけに思えたし、なにより俺の不用意な発言でいっそう『原作』から乖離してしまうのが怖かった。
これから向かうアルビオンでは、才人の行動次第、彼の主人への気持ち次第で、ルイズが殺されかねないのだ。
ごく単純な事実として、俺はルイズが死ぬのは嫌で、それで才人が傷つくのは嫌で、そうしてタバサが救われる未来が潰えるのは絶対に嫌だった。
才人、と俺は言い、それからまたゆっくり考えて、口を開いた。
「俺たち
才人は一瞬きょとんとして、それから拗ねたように、
「知るかよ。俺、貴族じゃねえし。使い魔だし。犬だし」
予想していた通りの答え。
俺は彼の否定を無視して続ける。
「なぜなら、力があるからだ。俺たちに与えられた魔法という力は、あまりにも強い。俺たちは魔法があるからこそ平民を傷つけ、支配し、
はぁ、と才人は気の抜けた返事。
何を言いたいのかわからない、という様子だ。
しかしその困惑のおかげか、彼の涙は止まっていた。
それだけで十分な成果かもしれないけれど、俺は才人に伝えたかった。
「奪うだけなら、獣と一緒だ。だがな、俺たちは人間だ。少なくとも、俺は人間でいたい。だから俺たちは律さなければならない。俺たちは強いから、力があるから、律するのは己自身でしなければならない」
彼と同じく平和な日本から愉快で野蛮なファンタジー世界にやってきてしまった俺の、安っぽい人生哲学。
『原作知識』を得る前、たったひとりで異郷に迷い込んだと信じていたころの、
それがいまの俺にできる、せいいっぱいの慰めだと思ったから。
「何が己を律するのか――誇りだ。誇りがなければ、
才人は戸惑ったように俺を見返した。
俺は彼を安心させるように微笑み、言った。
「大事なのはお前の誇りが……心が、何を命じるか。大切なのは、守れるか守れないかじゃない。守りたいか、守りたくないか。なんのために、誰のために剣を握るのか。お前がここに居る意味なんて、それで十分だろ」
才人はしばし沈黙して、己の左手に目をやった。
そこに浮かぶのはガンダールヴのルーン。
彼の力を象徴するもの。
「……わかんねえよ、意味なんて」
才人は呟いて、パーカーの袖でごしごしと顔を擦った。
それから小さく、ありがとう、と言った。
俺はその言葉に救われたような気持ちになって……途端に恥ずかしくなった。
いや、だって。
ありえないだろ。
原作主人公様に説教って。
そもそも(前世含めて)倍近く歳が違う相手が落ち込んでるところに偉そうに人生観語って気持ちよくなるとか、カスの所業だろ。
ああ、また柄にもないことをしてしまった、と顔が熱くなる。
「……あー、まあ、それに、だ。別に女の子ってのはルイズだけじゃないだろ!」
まともに向き合うとおそるべき羞恥が襲ってきそうで、俺は逃げた。無理矢理明るい声で言った。
いきなり話題を変えたせいか才人に怪訝な顔を向けられ、ますます恥ずかしくなるが、こうなったらヤケだ。
この機会に、才人がタバサをどう思ってるか確かめてやろう。
ほんとは昨日の道中で訊くつもりだったんだが、才人がずっとぴりぴりしていて出来なかったのだ。
「キュルケとか、才人のこと好きそうじゃん。いいんじゃないか?」
手始めに、とばかりに悪友の名前をあげる。
しかし才人は首を振って、
「いやいや、あいつ、どう見ても本気じゃないし……おっぱいはうれしいけど」
否定しながらも頬が緩んでいるのは、腕や顔に押しつけられるキュルケの感触を思い出しているからだろう。
悲しい男の本能である。
「じゃあ、いつもご飯もらってるメイドの子は?」
「げ、お前シエスタのこと知ってたのかよ!? ルイズには言うなよ!」
「言わん言わん。だから正直なとこを言ってごらんよ。好きなの? 嫌いなの? 付き合いたいとか思わないの?」
お前そんなキャラだったっけ? と若干引き気味の才人は、しかし腕組みして考えてから、
「良い子だとは思うよ。一緒に居ると落ち着くし、話も合うし。でも、まだお互いのことをよく知らないっていうか……俺がギーシュ倒したから持ち上げてくれてるだけで、ほんとに俺のこと好きなのかな、って思っちゃうんだよなあ」
この返答は少し意外だ。
シエスタの好感度はもっと高いと思っていた。
しかしよく考えたら今はまだ『原作』の序盤も序盤。現時点の才人は『脱いだらすごい』を知らないし、ヨシェナヴェも食べてない。一緒にタルブの村に行ったわけでもないのである。
「アンリエッタ姫殿下は……」
「お姫さま? きれいだとは思うけど、恋愛対象とかじゃないだろ」
それもそうか。
才人がアンリエッタと本格的に絡むのは『ゼロの使い魔5 トリステインの休日』以降。
奴の動向には今後も最大限の注意が必要だが、話題に出すには気が早かった。
「ふむ……なるほどね」
当面警戒すべきサブヒロインはこんなところか。
意外と少ないな。
才人を好きになるヒロインって、もっとわんさかいるイメージだったけど。
ともあれこれなら、今から走れば勝ち目がある。
タバサがメインヒロインになれる。
俺は希望とともに口を開き、
「じゃ、じゃあ……タバサ、とか……」
「え? なんて?」
なぜだか急に尻込みして、ぽそぽそ喋ってしまった。
だってこれで『タバサ? 興味ないっす笑』とか言われたら立ち直れない。
俺は深呼吸をひとつして、気合いをいれてもう一度言う。
「た、たたたタバサだよ、タバサ。いつも助けてくれるし、かわいいし、頼りになるし、とってもかわいいよな?」
「そ……そうだな。うん、かわいいな……それよりクルト、お前なんか変だぞ」
「俺なんかどうでもいいんだ。タバサは本当にかわいいよな?」
「……はい」
よし。
才人もタバサをかわいいと思ってる。
脈アリだ。
「いやでも、タバサか。あいつ無口というか……あ、別にぜんぜん悪口じゃないんだけど、ずっと本読んでてなに考えてるかわかんないし、」
「そんなところもかわいいよな? 無口なところも、ミステリアスで神秘的で素敵だと思わないか? 読書好きなところも知的で憧れちゃうし、本を読んでる横顔なんて一日中ずっと眺めてたいくらい綺麗だもんな?」
「……はい」
よし。
才人もタバサの魅力を理解している。
脈アリだ。
「で、でも、付き合いたいとか彼女にしたいって感じじゃ……いや、その、ごめんなさい。したいです。タバサはとってもかわいい女の子だとオモイマス。クラスで彼女にしたい女子ランキング不動のナンバーワン。殿堂入りです。はい」
よし。
完璧だ。
『タバサメインヒロイン計画』は着実に進んでいると言っていいだろう。
タバサは最高にかわいくて魅力的な女の子なんだから、『原作』より絡みが増えたらそのぶん好きになっちゃうのは当然と言えば当然だ。
問題はルイズとの関係がどう転ぶかだが……。
いま下手につっこんだことを訊いて『やっぱりルイズが好きだ』と決意されても困るし『ルイズは諦めるでしゅ……』とモグラが始まっても問題だ。
今日はこのくらいにするべきか、と俺はひとり結論づけて、ベッドから立ち上がった。
「もう動いて平気なのか?」
「おかげさまで、しっかり休ませてもらったからな。これから朝食にするつもりだけど、才人もどうだ? そうだ食事と言えばタバサって意外とよく食べるんだよな。たくさん食べる女の子ってかわいい――」
「い、いや、俺はいいかな! 朝飯はもう食ったし」
なぜか強めに拒否されてしまった。
少し寂しい気もするが、才人も人前で泣くほど追い詰められていたのだ。
しばらくはひとりで過ごしたいのかもしれない。
街で買い物と、いくつか用事があるから、戻ってくるのは遅くなるかも、と才人に告げて、俺は宿の客室を出た。