フーケと傭兵たちに襲われた『女神の杵』を脱出し、港町ラ・ロシェールを
白の国アルビオンはニューカッスル城の地下深く――文字通り地の
平賀才人は、戦火を逃れるべく『イーグル』号に乗り込む人々の列に並んでいた。
才人は薄暗い鍾乳洞の内壁を眺め、避難民たちのざわめきをぼんやりと聞きながら、ルイズを思った。
自ら別れることを決めた、たったひとりのご主人さま。
生意気で、暴力的で、貴族だなんだと威張り散らして、人の話を聞かなくて……そしてどうしようもなく可愛い、ピンクブロンドの女の子。
彼女はいま、あのワルドと結婚式をあげているのだろうか?
「愛しているからこそ、ひかねばならないときもある、か……」
才人の背中に吊された大振りの剣、デルフリンガーが呟いた。
昨日出会った亡国の王子、ウェールズ皇太子が語った言葉。
ルイズが必死に亡命を勧め、きっとアンリエッタの手紙にもそう書かれていたにもかかわらず、彼の決意は揺らがなかった。
あの勇敢な王子さまは、愛するお姫さまに迷惑をかけないためにここで戦い、そして死ぬのだ。
「愛するがゆえに、知らぬふりをしなければならぬときがある、ねえ……」
背中の剣がふたたび呟いた。
「言うなよ、デルフ」
「どうしてだい?」
「お前が言うと、なんかむかつく」
避難民の列が進み、人々が動き出す。
怪我をした左腕に誰かの荷物がぶつかり、才人は苦悶の呻きをあげた。
仮面男の『ライトニング・クラウド』に焼かれた左腕は、いまだ痛むが、それでもずいぶんマシになった。
この異世界で初めての男友達――
傷が痛む間は朝昼晩の三回塗るように(とラベルに書かれている)とルイズに言われたが、才人は昨日の夜から薬を塗り忘れていたことに気がついた。
薬瓶はポケットにしまっていたが、どうも使う気にはならなかった。
「いまの相棒には、王子さまよりむしろこっちかね? 大事なのは、守りたいか、守りたくないか。誰のために剣を握るのか……ってね」
「お前、聞いてたのかよ」
「そりゃ聞いてたさ。なんたって、俺はお前さんの相棒だからね」
デルフリンガーはとぼけた声で答えた。
相棒ねえ、と才人は繰り返す。
相棒、仲間、友達……才人にとってそう言えるのは、いまやこのさびた剣だけ。
ラ・ロシェールに残したクルトのことを思い出し、才人はますます落ち込んだ。
『女神の杵』で情けなくも泣き出してしまったあのとき、クルトは才人を助けてくれた。
貴族の誇りだなんだというのは正直よくわからなかったが、なんとか慰めようと心を砕いてくれていることは、彼の態度から伝わってきた。それだけで、ホームシックに陥った才人の孤独はたしかに癒やされたのだ。
そうして『大切なのは、心が何を命じるか。守れるか守れないかじゃない。守りたいか、守りたくないか』という彼の言葉は、才人の胸に残り続けた。
けれどもルイズから自ら身を退いたいま、才人はなんだか、クルトを裏切ったような心地がしていた。
ルイズを守りたい、と、才人の心はそう感じている。
でも、現実に、守れないのだ。
街道で盗賊に襲われたとき、彼はクルトとワルドに守られた。
『女神の杵』でフーケと傭兵たちがあらわれたとき、クルトやキュルケ、タバサが
そしてラ・ロシェールの
その事実が悔しくて、怖くて、ルイズを守りたいと願う己の心を認めることができなくなってしまった。
こんなざまでは、才人を慰めようと心を傾け、きっと彼自身にとっても大切な信念を伝えてくれたクルトを裏切っているのも同然だ。
才人はまるで自分自身に言い聞かせるように、口のなかで呟いた。
「あいつのことは、いまは、言うな」
「わかったよ。相棒が言うなって言うなら、俺はもう石の坊主の話はしねえ」
石? と才人は思う。
どちらかと言うと、クルトは砂の魔法を使うイメージがあるけど。二つ名も、たしか砂がどうとかいうやつだったし……。
もしかして、彼の使い魔、ただの石ころにしか見えないロッキーのことを言っているんだろうか?
そんなどうでもいいことを霞のかかったような頭で考えていると、ふと、視界がぼやけた。
「なんだこれ」
「どうしたね、相棒」
涙で潤んでいるのかとパーカーの袖でごしごし顔を擦ってみるが、どうにも違うらしい。
昨夜さんざん泣きはらしたおかげか、いまは涙が涸れ果てていた。
「なんか、目がヘンだ」
「疲れてんだよ」
デルフリンガーが労るように言うけれど、これは疲れなんかじゃない、と才人は確信する。
鍾乳洞の景色と重なるように、どこか見知らぬ情景が視界にあらわれたからだ。
右目と左目で、違う景色が見えているらしい。
これはいったいどういうことか。
才人の胸に、持ち前の好奇心がむくむくと湧き上がる。
ともかく新しい方の景色を見てみようと、才人は左目に意識を傾けた。するとぼんやりしていた景色の焦点が定まり、かしこまった格好のワルドとウェールズの姿が才人の脳裏に浮かび上がった。
さらによく観察すると、彼らはどこか厳かな雰囲気の建物にいるようで、背後には大きな白い石像……学院の食堂にも飾られていた、始祖ナントカの像があるようだった。
むかしテレビで見たヨーロッパの教会と似ている、と才人は思った。
これはきっとルイズの視界だ、と才人は思う。
理屈はわからないが、ワルドとの結婚式をしているルイズの見ている光景が、才人の左目にも映っているらしい。
でも、いったいどうしてだろう……。
使い魔は主人の目となり、耳となる――不意に、才人は思い出した。フーケと戦ったとき、クルトが言っていた言葉だ。
彼は使い魔の石ころと感覚共有とやらをすることで、離れた廃屋のなかを偵察してのけたのだ。
ルイズは才人の見ているものなんか見えないと言っていたが、その逆はあるのだろうか?
あるかもしれない。
なにせ才人の左手に刻まれているルーンは……武器も握っていないのに勝手に輝いているガンダールヴのしるしは、謎多き伝説の使い魔のものらしいのだから。
しかし、いったいどうして、突然ルイズと視界が繋がったのだろう?
才人はルイズの結婚式を見たいとは思えなかったが、好奇心が勝った。
いつかクルトがそうしていたように目をつむって――両目を閉じるとルイズの視界まで塞がれることに気づいて、右目だけをしっかりつむって、見えてくる景色に集中した。
そして……、才人はデルフリンガーの柄を握り、風のように駆けだした。
間一髪、才人は間に合った。
冷酷な本性をあらわにしたワルドがウェールズを惨殺し、続けてルイズに『ライトニング・クラウド』を放とうとしたまさにそのとき、礼拝堂の壁を突き破ってふたりの間に割り込んだのだ。
守れる、守れないなどという葛藤を抱えている暇は、もはやなかった。
ただ純粋にルイズを守りたいのだと、才人は心の命じるままにデルフリンガーを振るい、ワルドに斬りかかった。傷ついた左腕は多少痛むが、剣を振るのになんの問題もない。
腹の底から湧きあがる怒りは彼の剣戟に今までにない鋭さを与え、さらには『伝説の剣』の秘めたる力まで覚醒し、一時はワルドを圧倒した。
だが……。
「デルフ! お前、伝説の剣なんだろ!? もっと伝説っぽいことしてくれよ!」
「光ったし、敵の魔法を吸い込んでやったじゃねえか」
デルフリンガーのつれない返事に、才人は舌打ちする。
ワルドが『
『遍在』とは、つまり分身の魔法だ。しかも一つひとつが意思と力を持つという。本体を加えて五人もの風のスクウェアに一斉に襲いかかられて、反撃に転じる余裕もない。
囲まれないよう壁を背にして攻撃を受けるが、これではいずれやられてしまう。殺される。『エア・ニードル』をまとったワルドの軍杖を必死でさばく才人の精神を、じりじりとした焦りが追い詰めていく。
ワルドはそんな才人を前に勝ち誇るでもなく、淡々と杖を振るっていた。
その
実力がさほど離れていない相手との対戦。一手でも間違えればこちらの負けもあり得る状況で、しかし
勝ち目がない、と才人は思う。
せめて相手が
「頼むよデルフ! なんか、こう……必殺技とかないの!?」
「必殺技ぁ? なんだい、そりゃ」
「ゲージ使って! こいつら一撃でやっつけるようなすげえやつ!」
「んなもんねえよ。俺は剣なんだから。『げーじ』とやらもついてねえし、敵を倒すのは相棒の仕事さね」
「使えねえ!」
一合ごとにいや増していく敗北の実感、どうしようもない焦りは才人の剣をわずかに……しかし確実に狂わせる。
とうとう杖の一撃が才人の防御を抜き、風の刃が彼の肩をかすめた。
痛みと恐怖に、彼の体がほんの一瞬、硬直する。その百分の一秒にも満たない隙を逃さぬとばかりに、ワルドの猛攻が加速して――止まった。
「な、なんだ……?」
助かった……とは、思わない。
ワルドとその『遍在』たちはぴたりと静止していたが、変わらぬ殺気を才人に向けていた。
才人もデルフリンガーを構えたまま動けずにいたが、後方に控えていた『遍在』の一体が、礼拝堂のある一点に注意を向けていることに気がついた。
そこには、ワルドの魔法によって意識を失ったルイズの姿があった。
あいつ、ルイズを狙う気か!
才人の心を、焦りと怒りが支配する。
いますぐにでもルイズに駆けよりたかったが、下手に動けば一瞬で殺されてしまうという確信――命がけの戦いで研ぎ澄まされた剣士としての直感が、才人に無謀を許さない。
ぼこ、と耳慣れぬ音がした。
いかなる魔法だろうか、ルイズの近くの床が不自然に盛り上がっている。
眼前のワルドに注意を払いながらもその場所を観察していると、ぼこんっ、と軽い音を立てて床の石材が割れた。
そうしてできた床の穴から、茶色いけむくじゃらの生き物が顔を出した。
けむくじゃらはのそのそと床に這い上がり、大型犬ほどもある体をルイズに寄せた。ふんふん鼻を鳴らして、力なく横たわるルイズを嗅ぎ回った。
どこか既視感のあるその姿に、才人は思い出す。
このモグラ、まさか……。
「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ……」
ワルドの一体がルーンを唱えているのに、才人ははっと気がついた。
「おい、ヴェルなんとか! 逃げろ!」
しかしモグラは逃げようとするそぶりも見せず、ワルドの呪文が完成する。無防備なモグラの横腹に『エア・ハンマー』が放たれて、才人は思わず目をつむった。
「ほう……」
しかし才人の耳に聞こえてきたのはモグラの悲鳴ではなく、どこか感心したようなワルドの呟き。
おそるおそる目を開ける。
モグラは変わらずルイズにひっついて、元気に匂いを嗅いでいた。
見ると床の穴から節くれだった長い木の杖が伸びていて、それがワルドの『エア・ハンマー』を防いだようだった。
傷の治りがはやくて才人の動きが鈍らなかったせいで、ワルドが最初から本気モード。
いまさらながら2巻のボスやっていいスペックじゃないと思うんですよね、ワルド隊長……。