雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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20.平賀才人(2) 守るべきもの――友達の言葉

 

 ワルドの『遍在』に追い詰められた才人の前に、床に開いた穴を通ってふたつの人影があらわれる。

 ひとりは青い髪の小柄な少女。ワルドの一撃を防いだ杖の主。タバサである。彼女は相変わらず何を考えているのかわからない無表情で、ぼうっと才人やワルドたちを眺めていた。

 もうひとりは金髪の少年。彼は穴を出るなり、ルイズをふがふが嗅いでいる巨大モグラに抱きつくと、その泥だらけの毛皮に頬ずりを始めた。

 

「ああっ、ヴェルダンデ! 僕の愛しいけむくじゃら! 怪我はないかい!? アルビオンに着くなり穴を掘り出したと思ったら、そうか、ルイズの『水のルビー』を探していたんだね! 賢い子だ! きみは最高の使い魔だよ!」

 

 ワルドはその姿に鋭い眼差(まなざ)しを向けていたが、突然、表情を和らげ、穏やかな口調で言った。

 

「すまない。君の使い魔だったのか。僕の花嫁が襲われているのかと驚いて、思わず魔法を放ってしまったよ」

「うん? その声はワルド子爵……が、たくさん!? これはいったいどういうことだね!?」

 

 モグラの毛皮から顔をあげ、ようやく周囲を確かめたギーシュが驚愕した。

 

「『遍在』」

 

 タバサはワルドたちから目を離さぬまま、ぽつりと呟いた。

 

「そうか、これがあの『遍在』……。風のスクウェアであるワルド子爵なら使えてもおかしくないが……、しかし、なぜこんなところで? スクウェア・スペルが必要なほどの強敵がいたのですか?」

 

 訝しむようなギーシュの声に、才人ははっと我に返った。

 

「ギーシュ! タバサ! ワルドは裏切りものだったんだ! ルイズを連れて逃げてくれ!」

「……ルイズもサイトも怪我をしているようだ。どういう状況なのか、教えていただいても?」

 

 しかしギーシュは才人の声などまるで無視して、見当外れな質問を続ける。

 

「おいギーシュ! お前アホだと思ってたけど、そこまで頭足りなかったのかよ! ばか!」

「相棒、落ち着け。こりゃ『サイレント』だ。あの髭野郎、相棒の声があっちに届かねえようにしてやがる。ご丁寧に、向こうの声は俺たちに届くようにしてな。おかげで気づくのが遅れちまった」

「はあ!? なんだよそれ! ふざけんな!」

「俺に言ってもしかたねえって」

 

 悔しさのあまり、才人は歯噛みする。

 こちらに杖を突きつける『遍在』たちが、にやりと嗜虐的な笑みを浮かべた。

 

「デルフ、そのサイレントってのも魔法なんだろ? 吸い込めねえのか」

「できなかないが、こっからじゃ無理だね。あいつ、俺たちと小僧っ子の間に膜を張ったんだ。俺か相棒にかけられたんならともかく……」

 

 才人は相棒の剣が言い終わるのを待たなかった。

 床石が割れるほど強く踏み込み、その()とやらを突破しようと闇雲に剣を振るうが、『遍在』たちがそれを許さない。

 一撃一撃に殺意が籠もっていた先ほどまでとは違う。いたぶるような剣技で才人を壁際に押しとどめる。

 その間にもワルドはあの好青年然とした、いかにも頼れる隊長といった低く落ち着いた声音でギーシュとタバサに語りかける。

 

「……というワケで、僕は勇敢な皇太子殿下に結婚の媒酌(ばいしゃく)を頼んだのだ。しかし、いざ式を始めようというとき、使い魔くんが乱心してね。それでこのありさまなのだよ」

「きみ、ルイズに叶わぬ恋をしているとは思っていたが……まさかそこまで思い詰めていたとは」

 

 ギーシュは深刻そうな顔で頷き、タバサは眉ひとつ動かさずにワルドの話を聞いている。

 

「殿下はおろか、ルイズまで傷つけてしまってね。すまないが、彼を抑えるのに手を貸してくれないか」

 

 才人はこの状況に、悪辣な企みに、全身の血が逆流しそうな怒りを覚えた。

 

「違う! 違う違う違う……! 俺がっ! ルイズを! 傷つけるわけねえだろ!!」

 

 感情のまま叩きつけられた大振りの剣を、ワルドは柳のように受け流す。切っ先が床に突き刺さったデルフリンガーを踏みつけ、囁くように言った。

 

「君のお友達は、そうは思っていないようだがね?」

「てめぇ……!」

 

 ワルドは勝ち誇ったように笑った。

 

「おや、恐ろしい。人でも殺しそうな目をしているよ。それじゃあ、君のことは勇敢な学生諸君に任せて、僕はルイズと手紙の始末でも――」

 

 突然、才人の目の前にいるワルドの胸から、氷柱(つらら)が生えた。

 ワルドは血走った目で振り向き、氷の魔法を放ったタバサをにらみつける。

 

「貴様、なぜ……」

「頼まれた」

 

 タバサは新たな氷柱を用意しながら、ぽつりと答えた。

 胸を貫かれたワルドは『遍在』だったのか、空気に溶けるようにして姿を消した。残された氷柱が床に落ち、からん、と高い音を立てる。

 

「相棒、いまだ!」

 

 デルフリンガーが叫ぶ。

 才人は夢中で前に踏み込み、虚空を切り上げた。

 ふっ……と硬い糸を切ったような不思議な手応え。空気が歪み、才人の目に映る景色が震えた。

 

「よし、『サイレント』が解けたぜ! いまなら相棒の声が届く!」

 

 才人は深く息を吸い、叫んだ。

 

「おいバカ! ぼけ! アホが! ギーシュ! てめえのことだぞ!」

「な、なんだね、急に。やはり乱心か!?」

「ちげえよアホたれ薔薇野郎! ワルドは裏切りものだった! はなっから、お姫さまの手紙を奪うつもりだったんだ!」

「なんだって!? それじゃあ、子爵の話は……」

「嘘に決まってんだろ! なにころっと騙されてやがる! バカ! ルイズを傷つけたのも、王子さまを殺したのも、ぜんぶこいつが犯人だ!!」

 

 ギーシュはまだ戸惑い、こちらを信じ切れていない様子だったが、さんざんに罵倒できたおかげで、才人は幾分すっきりした。

 そうして落ち着きを取り戻したところで、彼は自分を信じてくれた少女に心の底からのお礼を言う。

 

「タバサ、助かったよ。ありがとう」

 

 タバサは首を振った。

 

「頼まれた」

「その頼まれたってやつ、さっきも言ってたよな。誰に……」

 

 タバサはふたたび首を振った。

 

「話はあと」

 

 彼女は呟き、氷柱の槍をワルドの一体に投げつけた。

 氷柱は風の刃に砕かれ、きらきらと幻想的な光景を作りながら床に散らばった。

 

「ふむ、戯れに即興劇でもしてみようかと思ったが、そう上手くはいかぬか。クロムウェルやマザリーニならば、それでも最後まで演じてみせるのだろうが……やはり私は軍人だな。政治家にはなれそうもない」

「なにをごちゃごちゃ言ってやがる。ひとりで勝てる自信がねえから、こいつら騙そうとしたんだろ」

 

 ワルドはくつくつと笑った。

 

「自信がない? 面白いことを言うな、ガンダールヴ。学生メイジがいくら集まったところで、魔法衛士隊の隊長には勝てぬよ」

 

 ワルドは見せつけるように杖を振り、タバサたちに烈風を放つ。

 タバサも風の魔法で応じるが、次々と放たれるワルドの魔法に押され、反撃に転じる暇もないようだった。ギーシュもワルキューレを作って突撃させたけれど、杖の一振りでバラバラに壊されてしまった。

 

 ふたりに加勢しようと、才人は飛び出した。

 しかし残る『遍在』のワルドたちが彼を囲み、助けにいくことを許さない。

 またじわじわと精神を削るような膠着状態が続き、才人の息が次第に荒くなる。疲労が溜まり、あんなに軽かったデルフリンガーが、本来の鉄の重さを取り戻したかのように、一振りごとに才人の全身に負担をかける。

 

「相棒、気をつけな。ガンダールヴの力も無限じゃねえ。ずっと戦い続けることはできねえぞ」

「んなこたぁ、わかってんだよ。でも……」

 

 でも、どうしようもない……そんな言葉が頭の内側にこびりつき、絶望しそうになったそのとき――ぼごんっ! と耳慣れた爆発音がして、『遍在』の一体が消滅した。

 

「え? 当たった? 消えた? わたしの魔法で?」

 

 呆けた声に振り返ると、いつの間に目覚めたのか、ギーシュの横で、ルイズが杖を掲げて立っていた。

 

「ダメだルイズ! 逃げろ!」

 

 残る二体の『遍在』がルイズに躍りかかる。しかし風の砲弾がその進路を遮った。続けざまに氷の矢が何本も飛来し、『遍在』たちをルイズから引き剥がす。

 ルイズを救ったその魔法は、しかし危うい拮抗を崩してしまった。

 風のスクウェアの猛攻をなんとか耐え凌いでいたタバサは、ルイズに費やしたほんの数秒、無防備になる。

 烈風に打ち据えられた小さな体が(まり)のように飛び、壮絶な音を立てて礼拝堂の壁に叩きつけられる。

 そのまま床に転がったタバサは、落とした杖に震える腕を伸ばし……それ以上、動けなかった。なんとか意識は保っていたが、立ち上がることさえできないようだった。

 

「愚かな小娘だ。こうなるとわかっていただろうに」

「てめえ、よくも……タバサまで……」

 

 才人の心が、怒りに震えた。

 もうすでに限界まで怒っているつもりだったけれど、いままでの感情が生ぬるく感じられるほどの底知れぬ怒りが湧き上がり、才人はデルフリンガーを強く強く握りしめた。

 

「タバサ、ねえ、タバサ……! しっかりして!」

 

 ルイズがタバサに駆け寄り、式の間も身につけていた小さな鞄から、水の秘薬を取り出した。薬瓶の蓋をこじ開けようとして、はっと気がついたように言った。

 

「く、クルト! そうよ、クルトはどこ!? キュルケは!?」

 

 そうだ、と才人は思う。

 いまのいままで思いつきもしなかったけれど、タバサとギーシュが来ているのに、一緒に(おとり)をつとめたふたりは、どうしてここにいないのか。

 いつも才人を助けてくれたクルトと、タバサと同じトライアングルだというキュルケ。

 あのふたりが一緒に戦ってくれたら、どんなに心強いだろう。

 

「のこった」

 

 タバサは倒れた格好のまま、ぽそりと言った。

 そのあまりにも簡潔な答えを、がたがた震えながらもワルドに薔薇の杖を突きつけているギーシュが補足する。

 

「傭兵たちとフーケはやっつけたんだがね、仮面をつけた男が来て、フーケを逃がしたんだ。クルトはぼくたちを先に行かせ、仮面男の足止めに残ったのだよ」

 

 才人はぞっとした。

 仮面の男……それは才人の左腕を雷で焼いた張本人であり、その正体はワルドの『遍在』だ。

 才人の前で『遍在』を唱えたとき、ワルドは楽しげに白い仮面を見せつけ、その種明かしをしていた。

 

 クルトは、才人の友達は、たったひとりでこの恐ろしく強い男と戦ったのだ。

 そして、彼は、もしかしたら……。

 

「フォン・コルパスも哀れなことだ。報われぬと知っていながら、ヴァリエールの娘に尽くすとは」

 

 ワルドは嘲るように言った。

 もっとも魔法に長けたタバサを倒したことで勝利を確信しているのか、悠長に話を続けるルイズたちを攻撃しようとはしなかった。

 タバサに治療を施そうとするルイズを見つけて、芝居がかった仕草で言う。

 

「ああ、ルイズ、愚かで小さなミ・レィディ! 君は優しいな。次姉(カトレア)殿に似たのだろうな。だが、秘薬の無駄遣いはやめたほうがいいぞ。『水』の使い手ではない君が使ったところで、彼女はもう戦えぬ。君を助けることはできぬよ」

 

 ルイズはワルドを完全に無視した。

 タバサを優しく抱き起こし、秘薬を飲ませてやりながらギーシュに尋ねる。

 

「キュルケはどうしたの?」

 

 ギーシュは淡々と答えた。

 

「彼女は途中までぼくたちと来ていたんだが、シルフィードに乗り込む直前、『女神の杵』に戻ってしまったのだ。クルトに用事があると言ってな」

 

 ワルドは哄笑した。

 

「キュルケ……あのツェルプストーの娘か! ゲルマニア貴族がトリステイン王室に命を賭ける義理もあるまい。貴様たちを置いて逃げたのかもしれぬ。ふふ……だとすると、フォン・コルパスはますます浮かばれぬな」

 

 そんなことはない……と、才人は言うことができなかった。

 キュルケはいつもルイズといがみあっていた。ルイズが一方的に噛みついていることのほうが多かった気がするけれど、それでも顔を合わせるたびに喧嘩していた。

 だから、もしかしたら……。

 

 いつもの才人なら即座に否定するだろう暗い想像が、彼の心を掴んで離さなかった。

 友達が死んでしまったかもしれないという悲しみが、彼を支えてきた脳天気な思考を許さない。

 その悲しみに反応してか、左手のルーンはますます強い光を放つ。

 剣を振れ、敵を倒せと彼に命じる。

 

 だが……、才人の構えていたデルフリンガーが、ゆっくり、ゆっくりと、降りてゆく。

 疲労とは違う、深く重たい虚脱感が体の芯から襲ってきて、才人はもう動けそうになかった。

 

「おい、サイト、勝手に諦めるんじゃないぞ。クルトがどうなったのかはわからない。死んだかもしれん。だが、ぼくたちはそのクルトから、きみたちを頼まれたのだ。いまは目の前の敵に集中したまえ!」

 

 そんな才人の背中に向かって、ギーシュが諭すように言った。

 タバサを抱きかかえたルイズが言った。

 

「そうよ。ご主人さまが戦ってるのよ。諦めてないのよ。使い魔が諦めていい道理はないわ。サイト、きちんと構えなさい! あの卑怯な裏切り者を倒すのよ!」

 

 理不尽で、傲慢で、あまりにも身勝手な理屈。しかしそれは、誰より可憐で凜とした、才人の大好きな誇り高い少女の激励だった。

 

「……ちくしょう。わかったよ。わかってるよ。戦えばいいんだろ。じゃないと、お前を守れないもんな。俺、お前を守りたいんだもんな。だったら、剣を握らないとな。あいつだって、そう言ってたもんな」

 

 才人は悲しみに蓋をして、怒りに心を集中させる。

 デルフリンガーを構え直す。

 そうして、思う。

 目の前にいるのは、俺の敵だ。

 あの勇敢な王子さまを殺し、ルイズとタバサを傷つけ、そして友達を殺したかもしれない男だ。

 だから戦う。

 だから、倒す。

 そしてルイズを守るのだ。

 

 左手のルーンは、いっそ眩しいくらいに輝いていた。

 

 

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