雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

24 / 68
24.「あんたって本当、あたしの誘惑が効かないのね」

 

「あら? 骨くらいは残してあげたつもりだったけど」

 

 極度の緊張と精神力の消耗、そして混乱のあまり動けずにいた俺のもとに悠々と歩いてきたキュルケが、ふと気がついたように言った。

 練兵場に座り込んだ俺は彼女を見上げたまま、機械的に答えた。

 

「『遍在』だよ」

「本体は?」

「もういない。ルイズと一緒にアルビオンに行った」

「ああ、そう。そういやそうだったわね。あのヒゲのおじさまが、ね」

 

 キュルケは俺に手を差し伸べ、力強く助け起こした。ワルドにやられた右腕に、しびれるような痛みが走る。

 

「あんた、だからあんなに焦ってたのね」

 

 キュルケの呟きに、俺はようやく我を取り戻した。焦燥が一気に蘇る。頭のなかがいくつもの疑問符で埋め尽くされる。

 

「そ、そうだ。お前、どうして……」 

「安心なさい。タバサとギーシュは先に行ったわ。あのモグラも一緒にね。ルイズとダーリンに必要なのは、あの子たちなんでしょ。ちがって?」

 

 キュルケは諭すように言った。

 焦りはいくぶん和らいだが、疑問はいっそう深まった。

 

「どうして……」

「答えてあげてもいいけど、ここじゃちょっと落ち着かないわね」

 

 キュルケは練兵場をぐるりと見回し、声を張り上げた。

 

「傭兵のみなさま! 舞台は幕引きですわ! あんたたちの雇い主は、灰も残さず燃え尽きましてよ! 消し炭になりたくなかったら、去りなさい! いまなら命だけは見逃してあげる!」

 

 俺たちの戦いを遠巻きに見物していた傭兵たちが――こいつらの気配のせいで、俺もワルドもキュルケに気づけなかったのだ――ざわめいた。

 彼らはどうしたものか悩んでいる様子だったが、キュルケがこれ見よがしに杖を掲げると、さあっと退いて行った。

 彼女の炎を見た後では、それは無理からぬ事だろう。

 

 キュルケはそれを満足そうに眺めてから、短く嘆息した。

 

「それにしても、さすがに疲れちゃったわ。ベッドのあるところで休みたいわね」

 

 彼女のこんな言葉を、こんなにも色気がなく聞ける男は俺くらいだろうな……と疲労に濁った頭で思い、俺は素直に頷いた。

 

 

 

 『女神の杵』から裏通りを辿っていった、ラ・ロシェールの外れ。

 貴族はおろか傭兵さえ使わないような貧民向けの安宿で、相場の数倍の金貨を払って宿の主にかたく口止めし、俺たちはひとつの部屋を借りた。

 案内された二階の部屋は狭くて埃っぽく、家具の類いはやけに大きなベッドしかない。

 ここは泊まるための宿ではなく、きっと連れ込み宿なのだ。

 宿の主は、俺たちをお忍びの恋人同士と思ったに違いない。

 

 そう思うとベッドに近づくことさえはばかられたが、部屋には椅子の一脚もない。

 窓から差し込むひとつに重なった双月の光だけが、場違いなほど幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

「……で、いい加減答えてくれよ。どうして戻ってきたんだ」

 

 俺は仕方なしにベッドの端に腰掛け、キュルケに問いかけた。

 宿までの道中何度も尋ねてきたが、ずっとはぐらかされていたのだ。

 

「あんたがタバサをアルビオンに行かせたからよ」

「答えになってないぞ」

 

 キュルケは制服のシャツを脱ぎ、スカートを床に落とす。くつろいだシュミューズ姿になって、ベッドに堂々と腰掛ける。

 その姿には色気というより、狩人のようなぴりぴりとした気配があった。

 

「あのね、あたしはギーシュみたいに足りなくないのよ。あんたはあのとき、自分が敵を引き受ける、危険な役割を買って出るみたいな態度だったけれど、そんなんで騙されるのはギーシュだけだわ。いいこと? ほんとうの死地は()()()よ。アルビオンは内戦中なのよ?」

 

 キュルケは、下着姿にはばかって背を向けていた俺の腕を……ワルドに折られたあと治療も出来ず、添え木を宛てていただけの右腕を掴んで、強引に振り向かせた。

 

「あんたはタバサを逃がしたんじゃないわ。行かせたのよ。わかってる? 言い出したのがあんたじゃなかったら、あたし、きっとそいつを焼き殺してた」

 

 燃えるような赤い瞳が、静かな怒りをたたえて俺を間近に見つめていた。

 俺は答えることもできず、ただただ彼女を見つめ返す。

 

「おまけにあんた、あの子爵が裏切り者って気づいてたんでしょ? それでもあんたは、あの子を行かせなきゃならなかったの?」

 

 しばしの沈黙のあと、俺は頷いた。

 俺はたしかに、危険を承知でタバサを戦場に送った。それが『原作』の流れだったし、そうしなければルイズも才人も死んでしまうからだ。

 俺はいまでもそれが正しかったと信じているし、そうすることがタバサの幸福に繋がるとも信じている。

 だが……。

 俺はその事実を、いったいどうやって彼女に伝えたらいいのだろう?

 

「勘違いしないで欲しいんだけど、あたしはね、あんたを助けに来たわけじゃないの」

 

 キュルケは不意に、ルイズみたいなことを言い出した。

 

「あんたを信じるため……いいえ、疑うのをやめるために来たのよ」

 

 キュルケはようやく、俺の腕を離した。鈍い痛みが残る俺の腕を、服の上からそうっと撫で上げた。

 痛みと心地よさの混ざった奇妙な感覚に、頭の奥がじんとしびれる。

 

「あんた、今日の昼間、『女神の杵』のまわりをうろついてたわよね?」

「え? あ、ああ……そうだな」

 

 突然思いがけないことを聞かれて、俺は曖昧に頷いた。

 

「フーケとの戦いで使った砂は、その散歩で見つけたのよね。偶然ね」

「そうだな」

 

 キュルケは俺の腕に爪を立て、軽くひっかいた。

 

「それとね、今日ギーシュから聞いたわ。あんたがこの密命に加わったのは、彼がさる高貴なお方を()けている姿を、散歩中に偶然見つけからだってね?」

「うん、そうだ」

 

 キュルケはかりかりと俺の腕をひっかきながら、

 

「それで、あたし思い出したのよ。こんなのこじつけで、ほんとうにただの偶然かもしれないけれど。とにかく思い出したの。いつかフーケが『破壊の杖』を盗みに来たとき、あんたは偶然、夜の散歩をしていて、犯行現場に出くわしたのよね?」

「そういえば、そうだったな」

 

 とんとん、と、キュルケは何かを確かめるように、爪先で俺の腕を叩いた。

 

「あんた、ずいぶん都合よく散歩するのね?」

「そう……かもな」

 

 冷えた声で問いかける彼女の爪先は、俺がワルドに打ち据えられた箇所を、正確に捉えていた。

 ルイズに詰められる才人はこんな気持ちなんだろうなあ……と、俺は現実逃避的に考える。

 

「あんた、あたしたちのこと、みんなバカだと思ってるのかしら?」

「……そうだったかもしれん」

 

 バカ正直に頷くと、キュルケは容赦なく、傷口に爪を突き立てた。

 声にならない悲鳴をあげて身悶える俺を見下し、彼女は呆れたように呟いた。

 

「ねえクルト……あたし、これでもあんたのこと、最近少しはマシな男になったと思ってたのよ。でも、ひとつだけ悪くなったとしたら、このことね」

 

 

 

「せっかくだから、面白いことを教えてあげる」

 

 腕の痛みがなんとか収まってきたころ、キュルケが悪戯っぽく言った。

 また腕を撫でられ、追撃を恐れた俺はベッドの端へ端へと逃げていくが、キュルケはそのぶんだけ追ってくる。とうとう壁とキュルケの間にぴったり挟まれる格好になった俺の耳元で、彼女は囁いた。

 

「あたしが部屋に帰ったとき、タバサが教えてくれたのよ。今夜にも、賊の襲撃があるかもしれないって。どうしてかしら?」

 

 どうしてって、わかるはずがない。

 単純に理由がわからないのもあるが、こんな状況で、頭が回るわけがない。シュミューズ一枚しか身につけていないキュルケの体温が、柔らかさがいやというほど感じられて、気が遠くなる。

 これでも一応、俺は男なのだ。

 

「あんた、タバサに服を渡したとき、あの子に『夜までには回復する』って言ったんだってね? おかしいわよね。出発の予定は、明日の朝なのに」

 

 けれどもキュルケに言われた言葉で、(にわか)に理性を取り戻した。

 それはタバサからの信頼を失いかねない、『計画』の致命傷にもなり得る明らかな失言だった。

 

「あのときはあたしも話半分だったけど、こうして実際襲撃があったわ。あんたはずいぶん準備がよかったわね。当然よね。今夜襲われるって、知ってたんだものね」

 

 キュルケはますます俺に体重を傾け、問い詰める。

 

「それでもタバサはあんたを信じた。あんたの言うとおりに、革命まっただなかのアルビオンに行くべきだって頷いたわ。どうしてか、わかる?」

「……わからない」

 

 自分の鼓動が早くなっていくのを感じながら、俺は答えた。

 

「そうね、あたしにもわからない」

「なんだよ、それ……」

 

 予想外の言葉に、俺は思わず脱力した。

 キュルケはまるで俺の耳に吹き込むように、くすりと笑って、

 

「ただひとつ、『微熱』の二つ名にかけて言わせてもらうわ。あんたがタバサを想う気持ちは、ほんものよ。たとえ恋と認めなくても、情熱に嘘はつけないわ。あんたの()()はあの子なのね」

 

 なんと言ってよいかわからず沈黙を続ける俺に、キュルケは楽しそうに言った。

 

「そのくらい、見ればわかるわ。きっとあの子もそう気づいてるから、あんたを信じたのよ。だからあんたは、絶対に、あの子を裏切っちゃダメ。もしあの子を傷つけるようなマネをしたら、このあたしが灰にしてあげる」

「それは……頼もしいな」

「でしょう?」

 

 耳元でくすくす笑われて、俺はなんだか、生きた心地がしなかった。

 

 

 

「さて、そろそろ白状してもらおうかしら」

「え? なにを?」

 

 耳たぶを噛まれた。

 恋人同士がするような甘噛みじゃない。食いちぎられるんじゃないかってくらい強烈なやつだ。

 

「い゛っ……てぇ!? お前、なにを」

「なにをじゃないわよ。あんたバカなの? それとも本気でバカにしてんの? どうしてあんたが今夜の襲撃を知ってたのか。どうして子爵の裏切りに気づいてたのか。ついでに言えば、いったいどうしてタバサとギーシュのモグラをアルビオンに送って、あたしは除け者にしてたのか……。全部吐けって言ってんのよ」

「吐けと言われてもだな……」

 

 なんと説明してよいのか、そもそも話していいことなのか、俺は悩む。

 前世で読んだ『ゼロの使い魔2 風のアルビオン』に書いてました、と話してしまえたらどれだけ楽かと夢想するが、もしそんなことしたら俺は『水』の名医を紹介されてしまう。心の治療を専門としたやつを。

 

「あんたいったい、何者なの? 空の上の貴族派(レコン・キスタ)と関係してるの? フーケが『破壊の杖』盗むのも知ってたみたいだし」

「何者って、別に何者でもないよ。キュルケの知ってる通りのクルトだ。レコン・キスタとも関係ない。フーケは……」

 

 今更ながら、フーケの件は(しら)を切ればよかった……と後悔が押し寄せる。

 襲撃とワルドの裏切りだけなら、街で噂を聞いたとかワルドが密談する現場に出くわしたとかで言い訳のしようがあったけれど、フーケに関しては完全に別件だ。

 合理的な説明ができる余地はなく、ただ『原作』で知ってましたとしか言いようがない。

 

「なによ、あたしには言えないってワケ? 襲撃を知っていた理由も?」

 

 じんじん痛む耳たぶをちろりと舐められ、背筋に震えが走る。

 彼女に甘えて、屈して、打ち明けてしまいたい欲求にかられる。

 けれども俺は首を振って、

 

「キュルケだけじゃない、誰にも言えない」

「タバサにも?」

「ああ、タバサにも」

 

 むしろタバサにだけは、絶対に言えない。

 俺がこの世界の未来を知っていて、その知識を使ってタバサと才人をくっつけようとしているなんて。

 

「……いいわ、信じてあげる。あんたはあの子が信じるに値する男だって、今のところは認めてあげる」

 

 キュルケは深くふかく息を吐いて、最後にもう一度噛みついて、俺から身を離した。

 

「それにしても、あんたって本当、あたしの誘惑が効かないのね」

「効いてるよ、十分」

「嘘ばっかり」

 

 キュルケは芝居がかった仕草で首を振る。

 『火』の使い手に特有の燻されたような匂いと彼女自身の纏う甘い香りがふわりと鼻腔の奥をくすぐり、心が揺らいだ。

 タバサを心から思ってくれる彼女になら、『原作』の存在は話せなくとも、未来の知識を伝えていいんじゃないか。今すぐには無理でも、いつか……。

 彼女と秘密を共有するという誘惑に屈するのはそう遠くない未来だと、俺は確信に近い予感を抱いた。

 

 

「それじゃ、もう寝ましょうか。この『微熱』のキュルケがここまでやって手も出さない男と同衾するなんて屈辱だけど……明日も早いものね」

「明日?」

 

 キュルケが離れて気の緩んでいた俺は、間抜けに問い返した。

 明日はなにかあっただろうか?

 ルイズと才人は空賊に捕まりウェールズ皇太子と対面するというイベントがあるが、ラ・ロシェールにいる俺たちには何も起きないはずだ。

 

「まさか、忘れたの? 明日の朝にはアルビオン行きのフネが出るのよ。もともとそのフネに乗る予定だったでしょ」

「あ……」

「その顔、ほんとに忘れてたのね」

 

 キュルケは呆れた顔で腕を組んだ。

 彼女にとっては自然な仕草なのだろうが、そうすると豊かな胸が強調されて、いけないものを見ている気分にさせられる。

 

「明日の朝一番の便で、アルビオンに行くわよ。当然でしょう? タバサとダーリンと、ついでにヴァリエールだけ戦地に行かせてあたしたちは学院に戻るなんて、できるわけないじゃない」

「い、いや、だめだ。行っちゃいけない」

 

 レコン・キスタによるニューカッスルへの総攻撃は、明後日の正午に始まるはずだ。

 明日の朝ラ・ロシェールを出るフネに乗ったとして、スカボローの港に着くのは最速でもその日の夜。翌朝すぐに出発しても、開戦には到底間に合わない。

 俺たちがニューカッスルに着く頃には、タバサも才人もみんなシルフィードに乗ってトリスタニアの王宮を目指しているだろう。

 しかもアルビオンの空域にはウェールズならぬ本物の空賊がいくらでもいるはずで、道中、どれだけの危険があるか。

 そんな危険な、しかも徒労に終わることが明らかな旅に、キュルケを行かせられるわけがない。

 

 焦燥をあらわにした俺の制止は、しかし悪手だった。

 キュルケは訝しそうに俺を見て、

 

「あんた、正気? タバサを追いかけなくていいの? 自分があの子を送り出したってのに?」

「いや、その、行きたいのはもちろんなんだが、行く意味がないというか、間に合わないっていうか……」

「間に合わない?」

 

 キュルケの目つきが変わった。

 ひどい失言をしたという焦りから、俺はますます気が動転し、

 

「あ、別にそんな悪い意味じゃないんだ。タバサも才人も無事に済むから、心配しないで。ただ今から追いかけても――」

 

 突然、天地が逆転した。

 キュルケが俺の肩を掴み、ベッドに押し倒したのだ。

 彼女は俺の腹に馬乗りになって、狩人の瞳で俺を見下ろす。

 

「ねえクルト、あんたほんとうは何を知っているのかしら。あたしたち、もう少し()()が必要みたいね?」

「か、勘弁……いってぇ!?」

 

 キュルケが俺の腕を思い切り捻りあげた。

 どうせ水の秘薬で治せるからって、めちゃくちゃなことをする。

 俺は痛みに喘ぎながら、ひどく情けない涙声で、

 

「俺、一応、怪我人なんだけど……」

「怪我人らしく扱って欲しいなら、素直に吐きなさいな。そしたら優しくしてあげるわよ?」

「それも勘弁だな……うわ、待て、ちょ、ごめんって、それ、やめ……っ」

 

 細長い指が胸を伝っていくこそばゆい感覚の直後、折れた腕から電流のような痛みが走る。その痛みが治まらないうちに、キュルケは優しく頬を撫で上げ、耳元で囁くように詰問する。

 

 ついさっき予感した()()()()()()()()、キュルケに秘密のほんの一部を伝えるときは、まさに今、訪れようとしていた。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。