ぽかぽかと気持ちいい日差しが降りそそぐアウストリの広場で、ルイズはタバサに己の不安をぶちまけた。
アンリエッタの結婚式の巫女に選ばれ、式に捧げる
姫さまのためにも素敵な詩で祝福してあげたいのに、ひとりではまともな詩が書けそうにないこと。
頼れる相手が、誰もいないこと。
それなのにサイトは朝からどこかを遊び歩いて、どうせ黒髪のメイドとよろしくやっていること……。
話が使い魔に及ぶと、ルイズの口調には自然と熱が籠もった。
反対にタバサは興味を失ったのか、手元の本をふたたび開いて読書を始めた。
ルイズはサイトへの不満を微に入り細を穿って語っていたが、やがてタバサの様子に気がつき、頬を染めて咳払いする。
「とにかく、なんとか詔を書かなきゃいけないのよ。ねえタバサ、あなた、詩作は得意? 四大系統への感謝の辞を、詩的な言葉で韻を踏みつつ詠みげられる?」
タバサは本に目を落としたまま、首を振った。
「そんなあ……」
ルイズは落胆した。
唯一の頼れそうな相手だったが、詩を作れないのでは仕方ない。
タバサは学院一の読書家だが、ルイズと同様、創作は不得手なのかもしれない。
「それになにか書いてないの?」
タバサがぽつりと言った。
ルイズは一瞬呆けてから、
「なんにも。王家に伝わる秘宝だなんて、笑っちゃうわ。どのページも真っ白なのよ」
ルイズは部屋から持ってきた『始祖の祈祷書』を膝の上で開き、ぱらぱらとめくってみせた。
タバサは興味深そうにその様子を眺めていたが、やがて自分の本に視線を戻した。
小難しそうな文章がびっしり詰まったページが、白くて細いタバサの指にめくられる。
「ねえ、あなたさっきから何を読んでるのよ」
「本」
呟くような返事。
ルイズの顔がひきつった。
「んなこた知ってるわよ。バカにしてるの? それともあなた、意外と冗談言う子なの? どんな本を読んでるのかっつってんのよ」
タバサは無言で本の表紙を見せた。
ルイズの『始祖の祈祷書』と負けず劣らずの、古ぼけた本。
『始祖の祈祷書』は厳重に『固定化』がかけられているおかげで、その歴史のわりに劣化が少ないのだが、タバサのそれは見た目通り、数十年ものの古書らしかった。
「『始祖の盾とエルフの伝承――聖エイジスと輝ける左手をめぐる東方書誌学的探求』……? ずいぶん変なもの読んでるのね。エルフについての研究なんて、下手したら禁書じゃない。どこで見つけてくるのよ、こんなの」
「チクトンネの古本屋」
チクトンネとは、魔法学院から馬で三時間ほどの、首都トリスタニアの裏通りである。
サイトにあの小うるさい剣を買ってやった武器屋の、さらに奥まったところにあるはずだ。治安が悪いし、いかがわしい店や非合法の秘薬屋も多いと聞く。少なくとも、貴族の子女が訪れるような場所ではない。
涼しい顔で読書を再開したタバサを見つめ、この大人しそうな女の子が、そんなところを歩いているなんて、とルイズは意外に思う。
ブルドンネ街……表通りの本屋や学院の図書館にあるような本では、満足できないということだろうか。
「そんなに色々読んでるなら、詔の参考になりそうな本、一冊くらい知らないかしら」
期待もせずに呟いた言葉に、しかしタバサは頷いた。
ルイズは飛びかかりそうな勢いで、
「ほ、ほんと!? お願いタバサ! ちょっとでいいから、貸してちょうだい! その本を読ませてくれたら、わたし、お礼になんだってするわ!」
タバサは首を振った。
「なんでよ!?」
ルイズにがくがくと肩を揺さぶられながら、タバサはページをめくって、
「持ってない」
「どういうことよ!」
鳶色の瞳を吊り上がらせたルイズに対して、やはりタバサは動じずに答えた。
「過去の詔、どこかにあるはず」
あ……、とルイズは声を漏らした。
自分で一から詩を作ることはできなくとも、過去の詔を参考にしながらだったら、なんとか形にできるかもしれない。
タバサの助言は、つまりそういうことだった。
詔は、王族の結婚式に捧げられる公的な文書だ。必ず記録されている。そして王室に関わる文書ではあるが、秘蔵という性質のものではない。
学院の図書館を探せば見つかるはずだ。
もし学院の蔵書になくても、トリスタニアの王立図書館に行って事情を説明すれば、きっと貸してくれるだろう。
「タバサ、あなたって……」
ルイズが感極まって、お礼の言葉を言おうとした、ちょうどそのとき。
「よ、よお、タバサ……と、タバサ、じゃなくて、たば、ルイズ」
なんだか具合の悪そうな幼なじみの少年、クルトがやってきて、使い魔の不貞を告げたのだった。
その翌日。
ルイズは自室のベッドの上で、膝を抱えてうじうじしていた。
もう夕方になるというのに、ネグリジェから着替えてもいない。
体調が悪いと言って授業を休み、一日中部屋に閉じこもっていたのだ。
窓から夕日が差し込んできて、ルイズは思い出す。
昨日の、ちょうどこのくらいの時間だった。
クルトに言われて慌てて部屋に戻ったルイズは、使い魔の少年と黒髪メイドが自分のベッドで抱き合っている場面を目撃した。
しかもメイドはブラウスをはだけていて、その無駄にでかい胸にはサイトの手が添えられていた。
当然、ルイズは激昂し、サイトをさんざんに蹴り回した。あんたなんかクビよ、こっから出てって好きなところで野垂れ死んじゃえばいいのよと怒鳴りつけた。
そしたらサイト、ほんとうに出て行ってしまったのである。
ルイズは泣いた。
わんわん泣いた。
寂しくて悲しくて、でもどうしても許せなくって、一晩中泣きはらした。
明け方にようやく眠って目が覚めても悲しくて、ルイズはまた泣いた。
いままでどれだけ侮辱されても、傷ついてもお腹が痛くなっても逃げずに立ち向かっていた授業を、ルイズはこの日、初めてサボった。
「使い魔のくせに」
夕焼けに照らされた部屋を見ているとあのときの怒りがまざまざと蘇って、怒ったぶんだけ悲しくなって、赤く泣きはらしたルイズの頬を、涙が伝う。
「……キス、したくせに」
そう、アルビオンからラ・ロシェールへと戻る風竜の背で。
サイトの腕に抱かれて寝てるフリをしていたルイズは、彼に唇を奪われたのだった。
それからサイトは誓いがどうとか呟いていたけれど、ルイズは頭がふわふわして、よくわからなかった。
たぶん、きっと、ルイズへの愛を誓っていたに違いない。
だってそうでもなければ、寝ている女の子にキスするなんて許されないのだから。
それなのに、サイト、裏切った。
ルイズが授業を受けてるとき、姫さまのために詔を考えているときに、あの使い魔は黒髪メイドと遊んでたんだ。
よりにもよって、ルイズのベッドで……。
とんとん、と扉が静かにノックされた。
胸を満たしていた悲しみが、よろこびに変わった。サイトが帰ってきたのだ、と思った。
それからそのよろこびは、怒りに変わった。
無邪気に喜んでしまった自分自身に腹が立ち、のこのこ帰ってきたサイトがいっそう許せなくなった。
がちゃ、と扉が音を立てるけれど、開かない。
朝から誰にも会いたくない気分だったルイズは、しっかり鍵をかけていたのだ。
がちゃがちゃと、部屋の外からノブが揺らされる光景に、ルイズはにんまりした。
なによ、いまさら戻ってきたって入れてあげないんだから。
ご主人さまに許してほしかったら、そうね、まずはワンと鳴いて……、
かち、と軽い音を立て、鍵が開いた。
ルイズの笑みが凍った。
『
外にいるのは、サイトではない。
メイジだ。
そして校則で禁止されている『解錠』をこうもあっさり使うメイジを、ルイズはひとりしか知らない。
扉を開けて入ってくる人影に向かって、ルイズは思い切り怒鳴りつけた。
「ツェルプストー! なにしに来たのよ! わたし、
悲しみからよろこび、よろこびから怒りへと変わっていたルイズの感情は、今度は困惑に染まった。
扉の隙間から姿をあらわしたのは、青い髪の小柄な少女、タバサだった。
「体調は?」
ちんまりと椅子に座ったタバサが、呟くように言った。
ルイズに怒鳴られたことなど、まるで気にしていない様子である。
「え、ええ。一日休んだから、もう大丈夫よ」
ルイズはネグリジェの上にガウンを羽織りながら、曖昧に頷いた。
気まずい。
キュルケと勘違いしたこともそうだが、それよりも……、
「それ、わざわざ図書館で借りてきてくれたのね」
タバサの対面に座ったルイズが見つめるのは、机に置かれた分厚い本。
トリステイン王室史と題されたそれは、前王フィリップ三世から遡ること八代分の王の治世が記された歴史書だ。
そのときどきで行われた王族の結婚式も、式で詠みあげられた詔も余さず載っている。
ちなみに王族の婚姻に際して『始祖の祈祷書』を用いた詔が捧げられるようになったのは、この二百年ほどの伝統。だからロベール二世以前の記述は読まなくても良いはず……、とは、この本にざっと目を通してきたというタバサの談である。
校則違反の『解錠』を使われたとはいえ、自分のためにこうまで尽くしてくれた相手に一方的に怒りをぶつけるなんて、貴族のやることではない。
それを自分より幼く見える少女を相手にやらかしたのだから、なおさらだ。
せめて怒るなり機嫌を悪くするなりしてくれたらいいのに、タバサはいつもと変わらぬ無表情。
ルイズは非常に気まずかった。
「……あ、ありがとう、タバサ。さっきは大声出してごめんなさい」
タバサは微動だにしなかった。
彼女が頷きさえしなかったのは、別に怒っているからではない。
ルイズの謝罪が、この短時間で何回も繰り返されたものだからだ。
タバサは自分が無駄に思える言葉や反応を徹底的に省く主義だということを、そう深くはない付き合いのなかで、ルイズは
「お礼」
とタバサが言った。
お礼ってなによ、とルイズは思う。
口には出さない。
自分だけ言葉を節約しておいて、人に考えさせるばかりというのは対等ではない。
それは貴族が平民に、あるいは王族が貴族に対して取る態度であり、いくらタバサに恩と負い目があるとはいえ、公爵家令嬢のルイズに許容できるものではなかった。
ましてルイズは、サイトのせいで気が立っていたのである。
「なんでもすると言った」
言ったけど、なによ、とささくれだった心でルイズは思う。
そうしてわずかに、落胆する。
なんだ、この子も結局、下心があって親切したのね。
公爵家のわたしを好きに利用してやろうと思ってたんだわ。
友達って、言ったくせに。
涼しい顔して近づいて、ほんとは、やっぱり、『ゼロ』ってバカにしてたんだ……。
目の端にじわりと、涙が浮かぶ。
落胆のぶんだけ期待していた自分に気がついて、どうしようもなく苛立った。
「彼の話が聞きたい」
「出てって」
タバサが戸惑ったように眉をひそめ、ルイズは胸がすく思いがした。
だいたい、彼って誰よ。
サイトのこと?
あのバカ犬は、こんな小さな子にまで手を出してたの?
許せない。
キスしたのに。
わたしに、キス、したのに。
「お
タバサは首を振った。
その仕草だけで、ルイズは無性に腹が立った。
椅子を蹴飛ばして立ち上がり、手のひらを机に打ち付けた。
「気取ってんじゃないわよ! その本持って、いいから出てってよ! あんたもどうせ、あのバカ犬に発情してんでしょ!? 『ゼロ』のわたしなんか放っといて、バカ犬のとこで尻尾振ってればいいじゃない! いくらあのバカ犬がバカの能なしの節操なしでも、あんたみたいなやせっぽちのチビに発情するとは思えないけどね!!」
タバサは首を振った。
ルイズは声にならない呻きをあげて、机の端をぎゅうっと掴んだ。
そうしなければ、タバサを殴ってしまいそうだったからだ。
怒りにまかせて手をあげたら、この冷たい少女に対する決定的な敗北を認めることになる。
激情のあまりぽろぽろと大粒の涙をこぼしているルイズの、しかし最後に残ったプライドが、なんとか理性をつなぎとめていた。
「使い魔じゃない」
だからタバサが呟いた言葉に、ルイズは虚を
「使い魔の話じゃない。あなたの使い魔について、聞きたいわけじゃない」
タバサは繰り返した。
彼女の印象にそぐわない、無駄の多い言い回し。
もしかしたら、タバサも動揺しているのかもしれない。
そう思うと、ルイズの胸を支配していた激情が、すうっとしぼんでいくような気がした。
「発情もしてない」
途端に、ルイズは恥ずかしくなった。
どうやら自分は、大きな勘違いをしていたらしい。
「じゃ、じゃあ、彼って誰よ」
消えたくなるような羞恥をこらえ、ガウンの袖で涙をぐしぐし拭いて、ルイズは尋ねた。
タバサは常と変わらぬ無表情で答えた。
「クルト・ド・コールス……フォン・コルパス。あなたの友人について、聞かせて欲しい」
もうしばらくルイズ視点のお話。
クルトがやらかしたことの影響や過去の所業が明らかになっていきます。