あの園遊会以降、クルトは度々、ラ・ヴァリエール公爵家の屋敷を訪れるようになった。
その原因は、クルトの父、マラカイ・ド・コールス男爵。
彼はラ・ヴァリエールの領地で園遊会が開かれれば必ず出席し、きつね狩りや季節の収穫の祝いにもしょっちゅう顔を出した。東方の珍しい『お茶』が手に入ったから、と何でもない日にやってくることもあった。
クルトともヴィルヘルムともあまり似ていない、小太りの脂っこい金髪の男が父にぺこぺこと媚びへつらっている姿は、ルイズの記憶によく残っている。
そんな情けない父親に連れられて、不機嫌なクルトはやってくるのだった。
歳が近く(腹立たしいことに、クルトはルイズよりひとつ年上だった)、実家の領地も隣接しているふたりは、長い付き合いになるだろう。
だから『ぜひとも、お嬢さまのお友達に』とクルトの父は乞い、しかしルイズの父は『将来の召使いのひとりなのだから、いまのうちに教育しておきなさい』と命じた。
ルイズはクルトと友達になるのも召使いにするのもイヤだった。
そして彼女は、父にひとことでも拒絶の言葉を伝えれば、彼とはもう会わなくてすむとわかっていた。
けれどもルイズは、クルトの訪問を拒否しなかった。
理由のひとつは彼女の高すぎるプライドであり、もうひとつは、大好きなちいねえさま……、カトレアだ。
あの園遊会の翌週、ようやく熱のひいてきた次姉カトレアに、ルイズはクルトのことを話した。
部屋から逃げ出して中庭に行ったこと。そこで出会ったクルトの、無礼で生意気な態度のこと。
彼が怒りながら話していたこと(侮辱されたということ以外、ルイズには理解できなかったけれど、覚えている限りの内容をカトレアに伝えた)。
そうして彼をひっぱたいて、謝らせてやったこと。
ルイズの話を聞いたカトレアは困ったような微笑みを浮かべ、優しい子なのね、と呟いた。
意味がわからなかった。
あんなにルイズを怖がらせて、カトレアの誕生日のお祝いにもひどいことを言った男の子が優しいだなんて、そんなのあるはずないと思った。
ルイズと一緒になって怒ってくれると期待してたのに、なんだか裏切られた気分だった。
ただ、ルイズはそのときのカトレアの微笑みに、中庭で見たクルトの瞳と同じ種類の暗さを感じた。
あの意地悪な男の子には、優しいちいねえさまに通じるところがあるのだと、理屈ではなく理解した。
だからルイズは、決意した。
カトレアが『優しい』と称したクルトの謎……、その正体を見極めるまでは、けっして彼を逃がさないのだ、と。
彼の二度目の訪問のときにはずいぶん気合いを入れて待ち構えていたけれど、そのときやってきた彼は、拍子抜けするほどふつうの貴族の男の子だった。
あの怒りも暗さもどこかに隠して、ラ・ヴァリエールの屋敷で出される豪華な食事を、当たり前のように食べていた。
三度目も四度目も、それ以降の訪問でも、彼の様子は変わらなかった。
ルイズは彼の本性を暴こうとやっきになり、その姿がさまざまな誤解を生むことになったのだが、それはまた別の話。
ふたりの関係が決定的に変わる事件が起きたのは、それから五年後。
クルトが本音をこぼすようになってきたころ。
ルイズが十二歳、クルトが十三歳になる年のできごとだった。
「ラ・ヴァリエールの晩餐はどうだったかしら、クルト・ド・コールス? オルレアンから買い付けた仔牛のゴーニュ風煮込み、火竜山脈で採れたばかりの、極楽鳥の卵のプディング……、あんたの家じゃ、一生食べられそうにないものばかりね」
それはとある舞踏会の
なんのお祝いだったか忘れたけれど、とにかくなにかおめでたい理由で開かれたパーティの会場。
華やいだホールを離れてひとりバルコニーに佇むクルトを発見したルイズは、さっそく彼に喧嘩をふっかけた。
クルトは眉間にしわを寄せてバルコニーから夕日を眺めていたけれど、ルイズに気づくと、にっこりと表情を和らげる。
「私がいただいたものの価値を考えると、卒倒しそうになります。コールスに生まれたことを感謝しましたよ、ルイズ・フランソワーズお嬢さま」
平民から奪った富でこんな豪勢なパーティを開くラ・ヴァリエールに生まれなくてよかった、貧しいコールス家の出身でよかったとクルトは言っているのだが、ルイズはあえて曲解した。
「そうね、もっと感謝なさい。あんたがここに来られるのも、あんたの家が続いてるのも、ぜんぶわたしのおかげなんだから」
クルトは慇懃に頭を下げた。
ルイズはその姿をじとーっとした瞳で見つめ、冷えた声で言った。
「感謝したら、その気持ち悪い態度やめなさいな」
クルトはちらと周囲を見渡し、パーティの賓客たちの誰もこちらに意識を向けていないことを確かめると、また険しい表情に戻った。
「わかったよ、お嬢。今日はやけに気が立ってるな」
「お嬢はやめろっつってんでしょ。殺すわよ」
ルイズが唸るように言うと、クルトは唇をゆがめた。
さっきの穏やかな微笑みとは違う、少し意地悪な、彼の本来の……と、ルイズは思っている……、笑い方。
そのほうが幾分、好ましかった。
父母や姉たちの目がないとき、ルイズはクルトに砕けた口調で話すよう命じていた。
それは彼に心を許したからではなく、彼にかしこまった態度を取られると、バカにされてる気持ちになるから(……と、ルイズは自分に言い訳していた)。
「あんた、得意な系統に目覚めたんですってね」
ルイズは出し抜けに尋ねた。
「そうだな。ありがたいことに、俺は『土』らしい。お嬢……さまは、最近どうだ」
「べつに、変わらないわ」
そうか、とクルトは言った。
トリステインのメイジはふつう、十歳になるまでに一通りのコモン・マジックに習熟し、その後の数年で己の得意な系統を知る。
クルトが十三歳で系統に目覚めたのは早くも遅くもなく、まだ十二歳のルイズが己の系統を知らないのは、なんらおかしなことではない。
問題は、その前段階。
とっくに身につけているべきコモン・マジックさえ、ルイズは唱えることができなかった。
しかもたんに呪文が発動しないだけでなく、失敗のたびに原因不明の爆発を起こすのだ。
名門ラ・ヴァリエールの叡智を受け継ぐ父も、誰より魔法に優れる母も、四年前から王立魔法研究所に務めている秀才の
幼いころから抱えていた『魔法ができない』という悩みは、年を経るごとに深く、重たくなり、ルイズの心を圧迫した。
この頃のルイズはいつでも(カトレアの胸に抱かれているときを除いて)ぴりぴりしていて、ふとしたきっかけで泣き出すこともしょっちゅうだった。
そんな彼女が素の自分を
「わたし、魔法ができないのよ。なんでかしらね」
「わからん。なんでだろうな」
カトレアはすべてをあたたかく受け入れてくれるけれど、クルトはルイズを冷たくあしらった。
ルイズはそんな彼に腹を立てることも多かったが、無性に恋しくなることもあった。
ひとつには、彼はけっしてルイズを否定しなかったからだろう。
ルイズが『がんばってるのに』と言えば彼は彼女の努力を認め、『ちゃんと集中してるもん』とこぼせば、そうなんだろうなと頷いた。
魔法ができない、という結果だけ見てルイズを叱る母や家庭教師たちと違い、彼はその裏にあるものに、報われることのない努力や苦痛に価値を認めているようだった。
だからルイズは、カトレアに対するのと同じように……、ともすれば優しい『ちいねえさま』以上に、クルトに心を預けてしまいそうになるのだった。
けれどもルイズはこのとき、彼の態度が耐えられなかった。
クルトのすねを蹴り飛ばし、ヒールのとんがった靴で彼の足を執拗に踏みつけた。
彼はルイズを止めようと口を開きかけ、しかし彼女の瞳に浮かぶ涙に気がついたのか、なにも言おうとはしなかった。
ルイズの心をこうもかき乱していたのは、彼女がバルコニーに入るすこし前、舞踏会のホールで耳に挟んだ会話だった。
それはクルトの父マラカイ・ド・コールスが、ルイズの父であるラ・ヴァリエール公爵に放った台詞。
ふたりの父親が互いの子どもを肴に和やかな会話を繰り広げているとき、高級なワインを飲み過ぎて顔を赤くしたマラカイが、こんなことを言ったのだ。
『ところでルイズお嬢さまは、魔法が得意でいらっしゃらないご様子。それなら
マラカイがこの先なんと続けたのか、父がなんと返したのか、ルイズは知らない。
逃げ出してしまったからだ。
彼女は自分でも意味がわからない焦燥にかられ、血眼になって幼なじみの姿を探した。
そうして
安堵した自分になんだか腹が立って、彼女はとりあえず、彼に喧嘩をふっかけることに決めたのだった。
一通りクルトを攻撃して気を落ち着かせたルイズは、ほう、と息を吐いた。
クルトは訝しげな目でこちらを見ていて、どうしたの、とか訊いてこないのがまたむかつく。
訊いても答えてやらないけど。
にしてもレディに対する気遣いってものがあるでしょうよ、と、ルイズはさっき自分が彼を蹴り回していたことを棚にあげて憤慨する。
そうして、その怒りに力を借りて、彼に尋ねた。
「ねえクルト……、このままずっと魔法が使えなかったら、どうなっちゃうのかしら」
「どうって、なにが?」
「そりゃ、いろいろよ。学院とか、ご奉公とか、け、結婚とか……」
彼と結婚するのは、不思議とイヤじゃなかった。
幼い日の憧れ、親同士が勝手に決めた婚約者のワルドへの想いはとうに諦めていたし、クルトより悪い相手がいくらでもいることを、ルイズはよく知っていた。
『魔法ができない』という、ただそれだけで、ルイズは結婚という言葉に対する少女らしい夢も希望もすっかり失っていたのだった。
クルトは、彼がときどき浮かべる、世を
「苦労するだろうな、いろいろ。でもルイズなら大丈夫だよ。お前は強い子だから。きっと大丈夫」
なによそれ、とルイズは思った。
あんたと結婚させられるかもしれないってのに、他人事みたいな顔してるんじゃないわよ。魔法の使えない女が妻になっても、あんた、それでも平気なの……。
「大丈夫なわけ、ないわよ。大人になっても魔法ができなかったら、わたし……」
「いいよ、べつに」
クルトはなんでもないことのように言った。
「魔法なんか、使えなくてもいい。そんなものなくても、ルイズはルイズだ。俺の知る誰より誇り高い貴族だ。そうだろ?」
十二歳の当時のルイズは、その言葉に、彼の父親の台詞を重ねた。
ずっと痛みに耐えてきた少女の心は、自身にとってもっとも残酷な仕方で、クルトの慰めを理解した。
『それなら息子を婿にどうぞ。うちは女なんぞ無能でかまいませんので。子どもさえ産めれば十分……』
「……そう、ね。あんたの言うとおりだわ。魔法が使えなくたって、わたしはラ・ヴァリエールの娘だもの」
ルイズはクルトに背を向けた。
そのかんばせが悲しく歪んでいるのを、彼に見られたくなかったからだ。
「ルイズ?」
「あんたと話せて、すっきりしたわ。さよなら……、ミスタ・コールス」
震える脚で、ルイズは舞踏会のホールに戻る。
彼が引き留めてくれるのを少しだけ期待したけれど、やっぱり、声もかけてこなかった。
ルイズはぽろぽろ大粒の涙を流し、しかしひたすらに前だけを見据えて、貴人たちの間を歩いた。
歩いているうちに、気がついた。
ルイズはクルトに、ただひとこと、言って欲しかっただけなのだ。
魔法くらい、そのうちできるようになるさ……、と。
ルイズの努力を認めてくれた彼に……、初めて出会ったあのとき、ラ・ヴァリエール公爵の影も公爵家令嬢の身分も無視して、ひとりの泣いてる女の子だったルイズのために頭を下げた男の子に、自分の可能性を信じて、応援して欲しかっただけなのだ。
ルイズはドレス姿のまま屋敷を出ると、中庭に駆け込んだ。
だんだんと日が沈み、遠く東の空には星々が見えつつある薄暮の花園を走り、秘密の小舟に逃げ込んだ。
そうして太陽が地平線の向こうにすっかり隠れ、半分に欠けた双月が静かな池の水面を美しく照らし始めたころ、ルイズがいなくなったと使用人たちが騒いでいるのに気づいたカトレアが迎えに来てくれるまで、ルイズはずっとそこにいた。
ひとり小舟に
今度うちに来たらひどいめにあわせてやるんだから……、と決意をかためていたが、それは結局、叶わなかった。
ルイズが泣きながら会場を出て行く姿も、彼女が直前までコールス家の三男と話していたことも、その場にいた大勢の貴族たちが見ていたからである。
彼らから事情を聞いたラ・ヴァリエール公爵は、コールス家当主マラカイの暴言もあわせて勘案し、クルト・ド・コールスに公爵夫妻直々の
然る後、マラカイには二度とラ・ヴァリエールの領地を踏むこと
クルトに対する立ち入り禁止令は出なかったが、彼が自らルイズを訪ねて来ることは、当然、それから一度もなかった。