雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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34.ルイズ(6) 二つ名と旅立ち

 

 

「彼は……」

「わかってるわよ」

 

 気遣わしげなタバサの声を、ルイズは不機嫌に遮った。

 それでもタバサが探るような瞳を向けてくるので、仕方なしに付け足した。

 

「あいつ、ぜんぶ本気だったのね。わかってるのよ、そのくらい」

 

 あの日、『魔法なんか使えなくてもいい』とクルトは言い、彼女はひどく傷ついた。

 この言葉を思い出す度、ルイズは自分が心底から否定された気がして、悲しくて、涙があふれた。

 けれども、タバサに思い出を語ったとき、ルイズの心は不思議なくらいに凪いでいた。

 

 その理由は、きっとルイズが変わったからだ。

 学院の秘宝を盗んだフーケを捕まえ、アンリエッタの与えた困難な任務を乗り越えて、少しは自分を認められるようになってきたいまのルイズならば、彼の真意が理解できる。

 『そんなものなくても、ルイズはルイズだ』と。

 彼は純然たる優しさとルイズへの好意でそう言ったのだと、素直な気持ちで認めることができる。

 

「だとしたら、あいつ、やっぱりおかしいんじゃないの」

 

 グラスのワインをぐいと飲み干し、ルイズは呟いた。

 彼が本気で『魔法なんか』と思っているのだとしたら、トリステインの……、いや、ハルケギニアの貴族にはありえない価値観だ。

 思えば、彼は初めて会ったときから、魔法そのもの、メイジの存在そのものを否定するようなことを言っていた。

 どこかサイトにも通じるような、異質な発想。

 いったいどうして、彼はそんなことを考えるようになったのだろう……。

 

「それから」

 

 空いたグラスの底を覗いて考え込んでいたルイズの耳に、静かな声が響いた。

 

「それから、ってなによ。ちゃんと言いなさいよ」

「それからなにがあったの?」

 

 タバサが素直に問い直したので、ルイズは満足して答えた。

 

「話すことなんて、もうないわ。あれから学院に入学するまで、あいつとは一度も会わなかったんだもの」

「入学してから」

 

 ルイズはグラスから顔をあげた。

 タバサは無表情にルイズを見返し、言い直した。

 

「入学してからのことを聞かせて」

「そうじゃなくて……」

 

 と、ルイズは机につっぷした。

 

「この学院であったことなんて、知ってるでしょ。あなたの見ていた通りよ」

「見てなかった」

 

 タバサの返事は簡潔で、説得力があった。

 いつでもどこでも本を読んでいる彼女は、学院内の人間関係なんて見向きもしなかったのだろう。

 しかしルイズは酒精に火照った頬を冷たい机にくっつけたまま、だだをこねた。

 

「やぁーよ。もういっぱい話したもん。眠いんだもん」

 

 酔いに任せて、甘ったれたことを言ってみる。

 しかしタバサは眠たげな青い瞳で、ルイズをじっと見つめていた。

 強引に飲ませたワインのせいか、いつもより無防備で幼げな雰囲気をまとったタバサの願いを無視するのは、奇妙な罪悪感を刺激された。

 

「……しょーがないわねぇ、じゃあ、これで最後よ。終わったらいい子にして寝るのよ?」

 

 いつかカトレアに言われた台詞をなぞるように、ルイズは呟く。

 タバサが素直に頷いたので、ルイズはその頭を思いっきり撫でてやりたくなった。

 ちいねえさまもこんな気持ちだったのかな……、ふと、そんな考えが頭に浮かび、ルイズは少し嬉しくなった。

 

 

 

「そーねぇ、タバサ、あいつの二つ名は知ってる?」

 

 タバサは頷いた。

 

「『砂城(さじょう)』。砂のお城」

「そ、えらそーでしょ。わたしがつけてやったのよ」

 

 タバサはまばたきした。

 それがこの無表情な少女の驚きの表現だということを、ルイズは少しずつ理解していた。

 そして彼女が、思っていたよりずっと豊かな感情の持ち主だということも。

 

「入学して……そうね、半年くらいの話でね、それまであいつは『砂』のクルトだったの。おかしいんだから」

 

 脳みそを覆い尽くすような眠気に襲われ、かえって饒舌になった口に任せてルイズは言った。

 

「どうして変えたの?」

「生意気だからよ」

 

 タバサは首を傾げた。

 酔っ払い特有の飛躍した論理に、ついていけない様子だった。

 

「『砂』なんてふつうでしょ? あいつにそんなふつうの二つ名なんて、生意気なのよ。わたしなんか『ゼロ』なのに」

 

 同意を求めて睨みつけると、タバサは頷いた。

 『砂』が平凡な二つ名というのは、疑いようのない事実である。

 土系統のメイジはたいてい、自分がもっとも扱い慣れた物質を二つ名にかかげる。

 ギーシュの『青銅』やシュヴルーズの『赤土』、そしてフーケの『土くれ』然り。

 『砂』を二つ名にしているメイジは勉強家のルイズも聞いたことがなかったけれど、この命名規則からすれば、平凡と呼べる範疇だろう。

 

 ルイズは、それがうらやましかった。

 父や母のような偉大なメイジになんかなれなくてもいい、みんなと同じように、失敗しないで魔法が使えるようになりたい……。

 そう願っていた彼女にとって、『微熱』や『雪風』、あるいは『閃光』や『炎蛇』のような仰々しい二つ名よりも、『砂』や『青銅』、『風上』のようなありふれた名前のほうが妬ましく感じられたのだ。

 

「それだけで変えたの?」

「そう、それだけよ」

 

 ルイズは答え、またグラスにワインを注いだ。

 酔いのせいか加減が狂い、ワインがこぼれた。

 タバサが素早く手を伸ばして、机にあった『トリステイン王室史』と『始祖の盾とエルフの伝承』を避難させる。

 

「それだけで、変えられたの?」

 

 先ほどと似た、少しだけ意図の違う質問。

 ルイズは机に置いたままのグラスに顔を近づけ、溢れそうなワインを慎重にすする。

 

「ん……、まあ、それだけじゃ、無理よね。わたし『ゼロ』だもん。おそれおおくも公爵家! だけど、『ゼロ』が言ってもだーれも聞かないもん」

 

 突然やってきた憂鬱な気分にそそのかされ、ルイズはグラスをぐいと傾け、小さな口にワインを流し込んだ。

 唇の端からワインがこぼれ、清楚なネグリジェに赤い染みを作る。

 

「けど、そうね……、タバサあなた知ってる? 入学したてのころ、あいつ、あのばか、クルトのばかは、みんにゃに一目置かれてたのよ、知ってる?」

 

 タバサは首を振った。

 それからひょいと手を伸ばし、ルイズからグラスを取り上げた。

 ずっと空になっていた自分のグラスに杖を振り、水で満たしてルイズに差し出す。

 

「魔法で作った水って、わたしきらいよ。おいしくないもん」

「わがまま言わない」

 

 タバサがもう一度杖を振ると、グラスに氷の粒が浮かんだ。

 なるほど、こうやって冷やせば、雑味があっても気にならない。

 いいなぁ……、とルイズは思い、グラスを傾けた。冷たい水が喉を通り抜けていく感覚が気持ちいい。

 

「はふ……、んで、あいつがそんなだったのは、ね、ツェルプストーのせいなの」

「キュルケの?」

「そ。あいつの家、うちとツェルプストーの間にあるでしょ。そんでいまはわたしの子分だから、あの色ボケの標的になったのね」

 

 ツェルプストーの信条は『ヴァリエールのものはなんでも奪う』。

 両家の血と因縁を受け継ぐコールス家の嫡子がヴァリエールに従っていたら、それは当然、奪いにかかる。

 入学からおよそ一月(ひとつき)半、学院の男子を一通り漁ったキュルケは、クルトに狙いを定めた。

 ルイズとの久しぶりの再会以降、以前の距離感を取り戻しつつあった彼に、露骨なまでの誘惑をしかけた。

 

「あのころはわたしも、いまほどナメられてなかったわ。『ゼロ』ってのも、みんながみんな言ってたわけじゃなかったし」

 

 とはいえ、それはそれで、ルイズにとって辛い時期ではあったのだ。

 だんだんと広まっていく自分の悪評。

 日ごと失われていく『公爵家令嬢』への尊敬。

 己のプライドが少しずつ削られていくのを実感する、悪夢のような、息苦しい毎日……。

 

 そのなかでクルトだけは以前と変わらず、ルイズをバカにもせず、かといってその肩書きに恐れおののくこともせず、魔法の使えぬルイズを助けようとしてくれた。

 爆発でめちゃくちゃにした教室の片付けを命じられたとき、彼はいつも一緒に残った。

 教師たちに『罰なのだから魔法を使うな』と言われたら杖を仕舞って手作業で掃除し、『ミス・ヴァリエール自身にやらせなさい』と命じられたら、無視してルイズを手伝った。

 『水』の授業でかんたんな秘薬(ポーション)を作ってくる宿題が課されたときは、自室で頭を抱えていたルイズを図書館に連れて行き、呪文(スペル)の要らない秘薬作りの方法を一緒に調べた(結局そんな都合のいいものは見つからなくて、ルイズは教師に叱られた)。

 いつだったか、『風』の授業が塔の屋上で行われた日。みんなが『フライ』で屋上に飛んでいくので、ルイズはひとり置いて行かれてしまった。クルトはそんな彼女を抱えて『フライ』を唱え、屋上まで運ぼうとした(さすがにこれは断固拒否した。結果、ふたりして長い長い階段を登り、一緒に授業に遅刻した)。

 

「でもね……、わたし不思議と、いまのほうが居心地良いのよ。ナメられてないってことは、それだけ妬まれるってこと。いまのわたしを……『ゼロ』のルイズをうらやむ奴なんかいないけど、あのころは違ったわ」

 

 クルトは学院に入学した時点で、ラインに達していた。学年にも数えるほどしかいない、優秀な土の使い手だった。

 そんな彼が、家柄だけを理由に無能無才の『ゼロ』のルイズにこきつかわれる(と、周囲の人間は理解した)構図は、『貴族は魔法をもってその精神となす』というモットーを教わった生徒たちの反感を生むのに、十分な威力を持っていた。

 

 キュルケがクルトに近づいてきたのは、ちょうど、そんな反感が隠されることすらなくなってきたころ。

 奔放なキュルケをふだんは嫌っていた女子生徒たちも、このときばかりは様子が違った。

 高慢な公爵家令嬢の下僕を奪い、鼻を明かしてくれるのなら、たとえいけすかないゲルマニアからの留学生でもかまわなかったのだ。

 敵の敵は味方、というわけだ。

 

 学院の誰もが、キュルケがクルトをあっさり落とすさまを幻視した。

 きっとキュルケ自身もそうだったし、ルイズもそう信じて疑わなかった。

 わずかな期待も、そこにはあった。

 ルイズはクルトの手助けに救われる一方、どうしようもなく惨めな気持ちになることもあった。

 理不尽な怒りをぶちまけることもしょっちゅうだった。

 彼が離れてくれるのなら、それはそれで清々(せいせい)するとさえ思っていた。

 

 けれども万人の予想に反し、クルトはキュルケの誘惑を拒否した。

 その魅力に心動かされているのは明らかだったが、けっしてキュルケに応えようとせず、ルイズへの態度も変わらなかった。

 

 その姿は、学院の生徒たちからある種の尊敬を集めた。

 あの憎いキュルケに(なび)かなかったことで女子生徒たちからの評判は上がったし、『目前の誘惑に屈せず、ヴァリエール公爵家の息女に忠誠を誓う彼こそ真の騎士である』なんてバカげたことを言う男子もいた。

 

 

「……ばかよね、ほんとくだらないわ。忠誠だなんて、あいつがそんな殊勝な心がけしてるわけないじゃないの」

 

 ルイズはグラスを大きく傾け、底に残っていた氷を口に含んだ。

 冷たい氷を、あめ玉のように舌の上で弄ぶ。

 

「じゃあ、どうして?」

「知らないわよ」

 

 ルイズは先ほどタバサにぶち上げた仮説……クルトはサイトを、つまり男を好きだから……、を思い出し、頭が痛くなった。

 

「あなたが好きだったの?」

 

 がり、と氷を噛み砕いた。

 

「やめてよ、気持ち悪い。ありえないわ。あいつがツェルプストーを拒んだのも、ずーっとわたしのまわりをうろついてたのも、そんな理由じゃないわ」

 

 それきり、ルイズは口をつぐんだ。

 冷水のおかげか、少しだけ酔いが醒め、もう何を話す気にもならなかった。

 

「まだ聞いてない」

 

 しばらくして、ルイズから取り上げたグラスを所在なさそうに揺らしていたタバサが呟いた。

 はっきり言いなさい、とルイズは視線で命じる。

 

「まだ話の途中。二つ名の由来、教えてもらってない」

 

 ああ、それね、とルイズはため息を吐いた。

 他の思い出話より手短に済むだろうと二つ名の話を選んだが、思いがけず長引いてしまった。

 もういい加減にベッドに行きたかったけれど、これは自分が言い出したことだ。

 せめて終わりまで話してやらないと。

 それに、思っていたよりずいぶん我の強い、この青髪の少女。

 中途半端なところで寝ようとしたら、ベッドから無理矢理叩き起こされかねない気配がする。

 ルイズはもう一度ため息を吐き、眠たい頭で記憶を探った。

 

 

「たいしたことじゃないわよ」

 

 とルイズは言う。

 

「あいつ、いまはツェルプストーのお友達でしょ?」

 

 タバサは頷いた。

 手に持ったグラス……ルイズがなみなみとワインを注ぎ、まだ半分以上も残っているそれに、義務的な仕草で唇をつけた。

 

「それがきっかけよ。なんでか知らないけど、あいつツェルプストーと仲良くし始めて、恋人じゃないだけマシだけど……、そのくせわたしに近づいてくるから、ひっぱたいてやったのよ」

 

 以降、多少は距離が開いたものの、クルトはルイズの手助けをやめようとはしなかった。

 ルイズはますますムカつき、こうなったら徹底的にコキ使ってやる、ラ・ヴァリエールに仕えるべきコールス家の義務を果たさせてやると決意したのだが……、それはまた別の話。

 ヴァリエールとツェルプストーとコールス、三者の関係を(はた)で眺めていた生徒たちは、とうとうクルトが落ちたのだと結論づけた。

 彼に向けられていた尊敬は、その瞬間に崩落した。

 結局あの胸が好きなのね、所詮は賤しいゲルマニア混じりねと女子生徒たちは手のひらを返し、存在しない忠誠とやらを賞賛していた男子たちも、やはりフォン・コルパスはトリステイン貴族らしからぬ男だ、忠誠心など持ち得ないのだと非難した。

 

 屈辱的なことに学院の同情を一身に集める権利を有していたルイズは、腹いせにひとつの提案をした。

 それが、彼の二つ名。

 

「子どもが砂で作る、お城と一緒よ。あいつの立場も名誉も、コールス家も、どれだけ立派に飾られたところで、かんたんに潰せちゃうの。ヴァリエールとツェルプストーが起こす小さな波には、逆らえないの。だから『砂城(さじょう)』。あいつにぴったりでしょ?」

 

 その新しい二つ名は、瞬く間に定着した。

 トリステイン貴族好みの皮肉な響きに加えて、当のクルトが気に入ってしまったからだ。

 ルイズはなんだか腑に落ちなかったけれど、まあ、『砂』よりは似合いの名前だと無理矢理自分を納得させた。

 

 

 

「……ねる」

 

 話はおしまいと判断したルイズはぽつりと呟き、椅子から立ち上がった。

 ベッドに足を踏み出して、かくん、と膝から崩れ落ちた。机を掴んで立ち上がろうとするけれど、どうにもうまくいかない。

 案の定、飲み過ぎたらしい。

 床にうずくまってうーうー呻いていたら、タバサが助け起こしてくれた。

 小柄な体に意外なほどの力強さで、ルイズを支えてベッドまで歩かせる。

 杖を振ってすませなかったのは、泥酔した人間を『レビテーション』や『念力』で動かすと、その拍子に()()()しまうことがあるからだろう。

 

「ありぁと」

「いい」

 

 あくびまじりにお礼を言うと、素っ気ない返事。公爵家令嬢に対して無礼な、高慢とも取れるその態度が、ルイズは不思議と、不快じゃなかった。

 とす、とベッドに腰掛ける。それから、ルイズから離れようとするタバサの腕をひっぱった。

 ルイズより力が強いはずの青髪の少女は、しかし不意を打たれたのか、ぽす、とルイズの隣にお尻を置いた。

 タバサは首を傾げ、それから今夜さんざん注意されたことを思い出したらしく、

 

「……なに?」

 

 と口に出した。

 ルイズはおかしくなってくすくす笑った。

 小さな体に腕を回して、一緒にベッドに倒れ込んだ。

 誰かを抱きしめるという、カトレアに包まれたときとは違う、しかし本能的な安心感に頬が緩む。

 

「すこしだけ……、いいでしょ?」

 

 ルイズは足だけで靴を脱いで、こんなときでも無表情なタバサの横顔に問いかける。

 タバサはちらりと視線だけをルイズに向けて、頷いた。

 

「キュルケもたまにそうする」

 

 宿敵(ツェルプストー)と一緒にされたのは若干もやついたが、人肌恋しさには勝てなかった。

 サイトが出て行ってしまったせいで、ルイズの胸にはどうしようもない寂しさが(つの)っていたのだ。

 

 昔の話をしたせいか、タバサの抱き心地がそうさせるのか、ルイズは幼い頃、毎晩ぬいぐるみを抱っこしていたことを懐かしく思う。

 学院に入学してからも、ときどき……両親は『もう子どもじゃないのだから』と持っていくことを許さなかった、しかしカトレアがこっそり荷物に忍ばせておいてくれた大切なクマのぬいぐるみと一緒に、ルイズは寝ていたのだった。

 

 あのぬいぐるみは、いま、箪笥(たんす)の奥に仕舞われている。

 春の使い魔召喚の儀式の前日、これからやってくるだろう使い魔に……、犬か猫か、カラスかネズミかもわからないけれど、ともかく明日には来るだろう(とルイズは全力で信じようとしていた)同居人に悪戯されるのがイヤで、そんな場所に隠したのである。

 そうして代わりに、藁束の寝床を用意した。

 実際やって来たのは犬でも猫でもなく、生意気な男の子。

 悪戯はしないだろうけど、ぬいぐるみなんか大事にしてるのがバレたらきっとバカにされてしまう。

 幼い日の友達は結局、箪笥の奥に隠されたまま。

 

 ルイズの隣でぼうっと天井を見上げているタバサは、当然だけれど、あのボロボロのぬいぐるみとはぜんぜん違った。

 肌は新雪みたいに白く透きとおっていて、特徴的な青髪はうらやましくなるくらいにさらさらだ。眠たそうにまばたきしている青い瞳は、ルイズの見たどんなサファイアより澄んだ輝きを秘めている。

 その横顔を眺めていると、ひとを無視する高慢な態度も、彼女ならば許される……、いや、それが当然なのだと言ってしまいたくなるような、おかしな気分にさせられた。

 

「あなた、きれいね。お人形みたい……」

 

 不意に、タバサの体がこわばるのを、ルイズは感じた。

 こうして腕に抱いていなければ気づかなかっただろう、微かな、しかし不自然な緊張。

 

「……ごめんなさい、気に障ったかしら」

 

 タバサはじっと天井を見つめて、なにか言おうとして、ためらって……、それから、ふっと力を抜いて呟いた。

 

「あなたなら、いい。悪気がないのは知ってる」

 

 タバサは寝返りを打って、ルイズに背中を向ける。

 ルイズは、いったいなにがタバサをそうさせたのか、この子が隠している秘密はいったいどんなものなのかと、たまらなく気になった。

 けれどもそれを無遠慮に尋ねるのは、貴族のすることではなかった。

 友達のすることでも、きっとなかった。

 ルイズはとろんとした瞳でタバサの小さな背中を眺め、貴族の女性にしては短く切りそろえられた青い髪を撫でてみた。

 

 こそばゆいのか、タバサは少しの間もぞもぞしていたけれど、やがて動かなくなった。

 寝ちゃったのかな、と思って優しく撫でつけていたら、しばらくの後、またもぞもぞとし始める。

 見るとタバサは寝転がったままベッドの上を(まさぐ)り、枕元に放っていた『始祖の祈祷書』を手に取った。

 

 さすがタバサ、というべきか。

 どんなときでも本を開いていないと落ち着かないらしい。

 けれども『始祖の祈祷書』は真っ白で、頁をめくってもめくっても、文字のひとつも出てこない。寝たまま本を開いた彼女の背中が、心なしかしょんぼりと縮んだように見えた。

 ルイズはタバサのうなじに鼻をくっつけ、くすくす笑う。

 

 さすがにくすぐったかったらしく、タバサは首をすくめた。また仰向けになってルイズの吐息から逃れた。

 そうしてルイズと同じくらいひらたい胸の上で『始祖の祈祷書』を開き、ぱらぱらとページをめくった。

 

「これが、ほんとうに秘宝?」

 

 いつもと変わらず平坦な、しかし不満が滲んだ声。

 ルイズはあくび混じりに答えた。

 

「ほんとうよ。オールド・オスマンがボケてなければね」

「王室がボケてたのかも」

 

 タバサはぱたんと本を閉じて、枕元に戻した。

 ルイズはくすりと笑って、タバサの耳元で吐息混じりに呟いた。

 もうあまりにも眠たくて、そんな囁き声しか出せなかった。

 

「このへやの本なら、すきにして……いいわ。きとうしょは、だめ、らけど……」

 

 ありがとう、とタバサは言い、優しく微笑んだように見えた……、気がした。

 夢だったのかもしれない。

 ちびた蝋燭に息を吹きかけたように、ルイズの意識は、すとんと眠りに落ちていった。

 

 

 

「……ふがっ」

 

 眩しくって、目が覚めた。

 窓の外はもう日が高く昇っており、午前の授業は始まっているに違いない。

 ルイズは慌ててベッドから起き上がり、割れるような頭痛に顔をしかめた。

 

 うー、と呻いて部屋を見回す。

 枕元には『始祖の祈祷書』。

 机にふたつ並んだグラスと、ほとんど空になったワインの瓶。それから分厚い『トリステイン王室史』。

 どうやらタバサは、ルイズが寝ている間に帰ったらしい。

 

「みずー、かおー、あらうー」

 

 しょぼくれた顔で呼びかけてから、使い魔をクビにしたことを思い出した。

 思わず部屋の隅の藁束を見るけれど、当然、そこには誰もいない。

 視界が潤み、胸がむかむかした。

 ワインのせいね、とルイズは自分でも信じていない言い訳を呟き、ベッドに倒れ込んだ。

 今日の授業も休むことに決めた。

 

 

 

 そして、その翌日。

 二日酔いは治ったけれど、気持ちはどうにも沈んだままで、ルイズは授業に出なかった。

 食事と風呂のときだけは気力を振り絞って部屋を出たけれど、それ以外はずうっとベッドでうじうじしていた。

 

 そんな憂鬱な放課後……部屋に籠もっていたルイズには放課後もなにもないのだが、それでもやはり、授業が終わる時間になると、罪悪感が少しだけ薄れた……、扉がノックされた。

 一昨日の失態が心に刻まれていたルイズは平静を保つ努力を忘れず、ベッドから立ち上がった。寝乱れていたスカートのしわを伸ばし、シャツのボタンをきちんと留めて、すました声で「開いてますよ」と呼びかけた。

 扉が静かに開かれ、するりと入って来たのは青い髪の小柄な少女。

 

「体調は?」

 

 まっすぐ瞳を見つめて訊かれ、仮病でサボっていたルイズはぽそぽそ答える。

 

「まあ、そこそこ……」

 

 タバサは何を考えてるのかわからない顔で頷き、今度は机にあった『トリステイン王室史』に目を向けた。

 あ、と思う。

 (みことのり)に悩むルイズのために、タバサがわざわざ図書館から借りてきた本。

 結局、あれから開いてもいない。

 

「ごめんなさい、これから読もうと思って」

 

 訊かれてもないのに、口から言い訳が飛び出してしまう。

 

「詔は?」

「できてない……」

 

 ルイズは小さくなって答えた。

 大事なお役目があるのに、友達の力も借りているのに、使い魔のことばかり考えてなんにもしていなかった自分が恥ずかしくなった。

 

「いつから授業に出るの?」

「そのうち出るわよ、そのうち」

「もうしばらく休むの?」

 

 珍しく質問を重ねるタバサに、ルイズは答えることができなかった。

 明日から、とほんとうは言ってやりたかった。勇気が足りなかった。

 あの使い魔の少年がそばにいないのでは、ルイズはもう、自分の無能に直面させられる授業に、意地の悪い同級生たちの詰まった教室に、立ち向かえる気がしなかったのだ。

 わたし、弱くなっちゃったのね、と胸の内で呟いた。

 

「だったら、出かける。準備して」

「え? 出かける? どこに……」

 

 困惑するルイズをよそに、タバサは当然のように言う。

 

「宝探し」

「はぁ?」

 

 タバサはそれで十分とばかりにぼうっと突っ立っていたが、ルイズの睨むような視線に気づき、付け足した。

 

「宝探しをすることになった」

「待ってよ、それじゃぜんぜん意味わかんないわよ。宝探しってなによ。どうしてわたしが行かなきゃならないのよ」

「宝の地図。キュルケがたくさん買ってきた。探しに行くのにシルフィードが必要だから、わたしも行かなきゃならない。でも、あなたも助けなきゃならない。だから一緒に来て」

 

 ルイズの理解が、ようやく追いついてきた。

 つまりタバサは、キュルケの『宝探し』とやらについて行くことになったけれど、詔の相談を受けたルイズをほうっておくわけにもいかないと考えた。

 だからルイズも一緒に来いと言っているのだ。

 そうすれば、ふたりの友人の頼みを同時に叶えることができる。

 

 この子、変なところで義理堅いというか、図々しいというか……。

 

 授業をサボって『宝探し』なんて、なんだか楽しそうな響きに心をくすぐられながらも、ルイズはつんとした声で言う。

 

「いやよ。ツェルプストーの手伝いなんて」

 

 たしかにひとりじゃ借りた資料に手もつけてなかったし、詔を書ける気もしない。どうせ授業に出る気もなかったけれど、それとこれとは話が別である。

 しかしタバサは動じずに続けた。

 

「なんでもすると言った」

「言ったけど、もうしたじゃない。クルトの話」

「ひとつとは言ってない」

 

 タバサはそれだけ言うと、本棚を物色し始めた。

 メガネの奥の瞳を輝かせ、よく整理されたルイズの蔵書を一冊一冊、愛おしそうに指で撫ぜながら吟味する。

 ルイズは一瞬あっけに取られたけれど、一昨日の夜、自分で『この部屋の本は好きにしていい』と言ったことを思い出した。

 

 ……いや、たしかにそう言ったけど。

 だからって、いま、するか。

 ルイズは、この青い少女の図々しさに対する認識を、もう一段階引き上げた。

 さすがにここまでナメられたままじゃいられない、ひとこと叱ってやらねば、と口を開きかけたそのとき、タバサが呟いた。

 

「あなたの使い魔も来る」

 

 中途半端に開いた口から、ふぇ……、と間抜けな声が漏れる。

 

「クルトと、ギーシュと、黒髪のメイドも」

「行くわ」

 

 考えるより先に、口から言葉が飛び出していた。

 男ふたりはどうでもいいが、黒髪メイドは問題である。

 あのバカ犬に、メイドと冒険なんて楽しそうなことさせるわけにはいかない。

 させたくない。

 彼をクビにした手前、自分にそんなことを言う権利がないのはわかっていたが、彼女を衝き動かしていたのは理屈ではなかった。

 

「明日の朝、ヴェストリの広場で」

 

 タバサはそれだけ言うと、両手にいっぱい本を抱えて部屋を出て行った。

 すっかり歯抜けになった自分の本棚を前に、ルイズは、この新しい友人の図々しさに対する認識を、さらにもう一段階、高くした。

 けれどもいま彼女の心を占めていたのは、友人ではなく、好きな……とはまだ認められない、生意気な使い魔の男の子。

 

「仕方ないわよね。タバサに詔の相談しないといけないんだもの。バカ犬なんかどうでもいいし会いたくもないんだけど、あいつも来るっていうなら、ついでに(しつけ)もしないとね。捨て犬が誰彼かまわず腰振ってたら迷惑だものね。責任ってものがあるものね」

 

 ルイズはぶつぶつ言い訳を繰り返しながら、箪笥を開いて旅支度を始めた。

 弾んだ声で、さすがに(むち)は要らないかしら、と呟いた。

 

 

 





ルイズ視点はここまで。
やっぱり原作の主要人物の過去に絡んだり男同士の関係を邪推されたりするのはオリ主の華ですね。
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