雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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36.シルフィード(2) 風韻竜はお肉をたべた

 

 

 その日の夕方。

 シルフィードは森の茂みに寝そべって、焚き火をかこうタバサたちを恨めしげに見つめていた。

 タバサたちはメイドのシエスタの給仕を受け、大鍋いっぱいのシチューを食べている最中。

 ほんとはシルフィードもみんなの近くで過ごしたかったのだけれど、幻獣に慣れないシエスタを(おど)かさないように、こうして姿を隠している。

 

 タバサたちが学院を出てから、もうじき一週間が経つ。平民のシエスタも、シルフィードにはだいぶ慣れてきた。

 けれども冒険が始まった最初の夜、料理の香りに誘われて首を伸ばしたシルフィードに驚いたシエスタが、鍋をひっくり返してしまったのだ。

 幸い火傷にはならなかったが、その日の夕食はパンと干し肉だけのわびしいものとなった。

 以来、シルフィードは、食事中はシエスタから離れているようにと主人から厳命を受けているのだった。

 

 シエスタの料理は相変わらずとっても良い匂いで、シルフィードはおなかがせつなくなった。

 実は先ほど、近くの池で魚をたらふく食べてきたのだけれど、それとこれとは話が別だ。

 タバサに召喚されて以来、『料理』という人間の文化を知ったシルフィードは、いろんな味を試してみたくてたまらないのだ。

 

「こりゃうまいな! あまり食べたことのない味だが……、うむ、じつにうまい。いったいなんの肉だい?」

 

 ギーシュがシチューを頬張りながら呟いた。

 他のみんなも、口々にシエスタを褒め讃える。タバサなんか、さっそく皿を空けている。

 シエスタはタバサにおかわりをよそってやりながら、にっこりとギーシュに答えた。

 

「オーク鬼の肉ですわ」

 

 ぶぼっ、とギーシュがシチューを吐き出した。

 全員が……、タバサまでもが唖然とした顔でシエスタを見つめた。

 シルフィードも思わず首を起こして、頭を木の枝にぶつけてしまう。

 

「じょ、冗談です! ほんとは野うさぎです! わなをしかけて捕まえたんです」

 

 なぁんだ、とシルフィードは首を横たえた。

 もし、昼間食べ損ねたオーク鬼の肉をみんなでわいわい食べているのだとしたら、温厚な(と自認している)この風韻竜も暴れていたかもしれない。

 

 シエスタは、みんなが宝を探したり次の予定に揉めたりしている間に、うさぎを捕まえ、ハーブや山菜を集めていたのだと説明した。

 独特な旨味のあるこのシチューは、彼女の故郷に伝わる『ヨシェナヴェ』という名物料理なのだかとか。

 

 ひと安心した一同は和やかに食事を続けた。

 お宝が偽物だったせいで険悪な空気になりかけもしたが、おいしいヨシェナヴェのおかげでギーシュもルイズも機嫌を直し、キュルケやクルトの取りなしで、最後にもう一ヶ所だけ探索することに決まった。

 食事中も沈黙を保っていたタバサは、それから三回だけ声を発した。おかわりを頼んだ数である。

 ずっと給仕しているシエスタのぶんは残るのかしら……とシルフィードは勝手に心配していたのだが、そこはさすが、わがままな貴族の子弟に鍛えられた学院のメイド。

 これまでの旅で一行の食事量を完璧に把握していたらしく、みんなが満腹になったころには、彼女自身が食べる量だけ、きれいに鍋に残っていた。

 シルフィードはその様子にほっとした。そうして同時に、悲しくなった。

 なぜって、自分がおこぼれに預かれる可能性が完全になくなったことに気づいたからだ。

 

 

 食事が片付いてしばらくの後、双月が高くなってきたころ。

 茂みでふてくされてるシルフィードの視線の先にいるのは、腹ペコちびすけと桃髪ぺったら娘……タバサとルイズだ。

 お姉さまがあんなにおかわりしなけりゃ、わたしのぶんも残ってたかもしれないのね……、と、幼い竜は恨みのこもった瞳で主人を見つめる。

 タバサはそれに気づかないはずがないのに、ルイズと一緒に分厚い本に夢中になっていた。

 

 その本を睨んでぶつぶつ言ってるルイズは、タバサの新しいお友達。

 怒りっぽいけど真面目でがんばり屋で、シルフィードとしては、タバサには享楽家のキュルケよりもこの桃髪ぺったら娘と仲良くしてほしいところである。

 まあ、彼女は使い魔の少年をしょっちゅういじめているので、学院の使い魔界隈ではあまり評判がよくないのだが……。

 

 ともかくタバサに友達が増えたことが、シルフィードはとってもうれしかった。

 なにせこのご主人さま、友達と呼べそうな相手は、いままでキュルケひとりきり。

 こうしてお友達が増えることで、お姉さまの心を閉じ込める冷たい雪風が和らぎ、もうすこしだけでも笑ってくれるようになったらいいなとシルフィードは願っている。

 

 ふたりが仲良くなったきっかけは、きっとあのお空に浮かぶ不思議な大陸、アルビオンへの旅だろう。

 そう思うと、この幼い風韻竜は、あの夜のがんばりも、悲しかった気持ちもけっして無駄ではなかったのだと、どこか誇らしい気持ちになるのだった。

 

 

 

 あの夜、シルフィードはタバサとギーシュ、それからモグラのヴェルダンデを乗せて飛んでいた。

 ラ・ロシェールの外れの森ですやすや寝ていたところを口笛で呼び出され、アルビオンまで飛んでいくよう命じられたのだ。

 大好きなお姉さまの言うことであれば、否やはない。

 けれども奇妙な組み合わせだと思ったことは、シルフィードもよく覚えている。

 

 ラ・ロシェールを飛び立ってしばらくの後、なにもない、まっくらな海の上を飛んでいるとき。

 タバサは読んでいた本を閉じ、呟くように言った。

 

「急いで」

 

 シルフィードは悲しくなって、きゅいきゅい鳴いた。

 だって、そんなこと言われたって、もう十分急いでる。

 タバサたちがなにやら慌てた様子で乗り込んできたので、出発したときからずっと、翼が痛くなるくらい一生懸命に羽ばたいているのだ。

 

 お姉さまは、このがんばりをわかってくれないのかしら……、とせつない瞳で振り返ると、タバサは首を振った。

 

「急いで。あなたの全力で」

 

 シルフィードは目を丸くした。

 たしかに、彼女はまだ全力で飛んではいない。

 だけど、いいのだろうか。

 シルフィードの背中には、ギーシュという男の子も乗っている。

 彼に見られてしまったら……。

 

 その疑問に先回りするように、タバサはルーンを唱えた。

 風韻竜の背中を包み込むように、薄い遮音の膜ができあがる。

 彼女の得意な風魔法のひとつ、『サイレント』だ。

 なるほど、これならシルフィードが本気を出しても……、すなわち、風の精霊に呼びかけても、ギーシュの耳には届くまい。

 

 しかし羽ばたく竜の上で風の魔法を維持するのは、相当に難しいはずだ。

 事実、タバサは珍しく額に汗を滲ませ、苦しげな表情を浮かべている。

 その様子に気づいたギーシュが、戸惑ったようにタバサに話しかける。しかしタバサが何事か呟くと、彼は姿勢を低くして竜の背びれにしがみついた。そんな主人に倣うように、ヴェルダンデもシルフィードをしっかりと掴む。

 タバサは、杖を握りしめたまま、シルフィードに頷いた。

 背中を包む『サイレント』がほつれそうになり、しかしその端から紡ぎなおされていくのが、風の韻竜であるシルフィードには痛いほどわかった。

 

 主人がこんなにがんばっているのだ。

 応えなければ、使い魔ではない。

 

 シルフィードは大きく息を吸って、精霊たちに呼びかける。

 

「風よ、空に満ちる風よ。我が翼となりて、()く疾く我を彼方に届けよ!」

 

 風韻竜を包む空気が一瞬、歪んだ。

 それから、弾けるように竜の体を押し出した。

 

「――すごい! ミス・タバサ、きみの魔法かね! 風の魔法で竜の飛行を補助するなんて、竜騎士隊にも聞いたことがないよ! きみはほんとうに、たいした風の使い手なんだな!」

 

 その衝撃で『サイレント』がばらばらに千切れ、ギーシュの歓声が聞こえてきた。

 体力と精神力を消耗したのか、タバサはぐったりと背びれにもたれたまま答えない。

 もしかしたら、眠ってるのかもしれない。

 小さな主人を落とさないよう心を配りながら、精霊の風に抱かれたシルフィードは、召喚されて以来していなかった久しぶりの全速力で、アルビオンへと飛翔した。

 

 

 悲しかったのは、その後のことだ。

 空に浮かぶ大量の軍艦を避け……、ときに濛々(もうもう)たる雲に隠れ、またあるときにはその速力で強引に振り切り、なんとか辿り着いたアルビオン大陸。

 モグラのヴェルダンデが地底に穴を掘り、タバサたちはそこから大陸に侵入した。

 シルフィードの小さなご主人さまは、なかなか帰ってこなかった。

 悠久を生きる風韻竜の彼女をして永遠にも思える不安な時間を己の使い魔に過ごさせたあと、穴からひょっこり顔を出したタバサは、全身傷だらけだった。

 

 彼女に庇われたという桃色髪のルイズがしきりにお礼を言っていたので、単純なシルフィードは少しうれしくなったけれど、それでもやっぱり悲しかった。

 いじわる姫のいじわるな任務でタバサが怪我するのはしょっちゅうで、もう慣れっこになっている。

 だけどやっぱり、大切なお姉さまが傷つくのは悲しいのだ。

 お姉さまがこんな思いをするなら、あんなに急がなければよかったと思った。

 

 そうして、疲れた翼を広げてラ・ロシェールへと滑空している最中。

 背中の会話をぼんやり聞いていたシルフィードは、タバサをアルビオンへと急がせた犯人が、クルトという男の子だったことを知った。

 ますます彼がきらいになった。

 

 お姉さまをあんな危ない場所に行かせて、自分はお宿に残ってるなんて! 女の子を助けたいなら、自分で行けばよかったのね! いくじなし!!

 

 そんな怒りと恨みを籠めて、シルフィードはきゅいきゅいきゅいと空に鳴いた。

 

 

 

 もの思いに耽っていたシルフィードは、鼻腔をくすぐる香ばしい匂いで我に返った。

 振り向くと、そこにはクルトが立っている。

 シルフィードは彼の足下に向けて、ぺっと唾を吐いた。

 これ以上近づくな、という警告だ。

 彼女は彼がきらいだったし、この距離……五メイルは離れているいまでさえ、鱗がぴりぴり痒くなるのだ。

 この旅が始まって以来、妙にこちらにかまってくるクルトに、シルフィードはいったい何度唾を吐きかけたかわからない。

 

 一方のクルトも、この幼竜にきらわれていることは承知しているのか、無理に近寄ろうとはしなかった。

 立ち止まったまま、ひょいと杖を振った。

 彼の半歩後ろに浮かんでいたものが、すうっと竜の前に差し出される。

 

 シルフィードは、ごくりと唾を飲んだ。

 それは実に……、実にうまそうな、仔鹿の丸焼きだった。

 しかも適当に焼いたのではなく、全身の毛皮がきちんと処理され、茸や香草の香りまで漂わせている。

 仔鹿の腹が膨らんでいるところを見るに、味の悪い内臓を取り出した後、山菜の類いを詰めてから火にかけたようだ。

 

「貧乏な家の出だからな、狩りも山菜採りも昔からよくやってたんだ。処理の仕方も、猟師のおじさんたちに教わったよ。料理なんて久しぶりだから、ちょっと気合いを入れすぎたかもしれないが」

 

 丸焼きを前に固まっているシルフィードに、クルトは言い訳するように語った。

 シルフィードはそれで納得して首を伸ばしかけ、しかし、かぶりつく直前で自制する。

 彼が話したのは『方法(どうやって)』であり、『動機(どうして)』は謎のままだ。

 北花壇騎士(シュヴァリエ・ド・ノールパルテル)であるタバサの任務に付き従っているうちに、幼い風韻竜は、このふたつの問いがまったく別物であることに気がつくようになっていた。

 

 こいつがこんなマネをする理由は、いったいなんなのね……? と、シルフィードは訝しむ。

 魔法が使えるとはいえ、鹿を捕まえてまるごと調理するなんて、けっして楽な作業ではないはずだ。

 自分の使い魔ならともかく、ひとの使い魔のためにここまでするなんて、意味がわからない。

 妙にぴりぴりする雰囲気といい、この男の子、さすがにあやしすぎる。

 このお肉、毒でも仕込んでるんじゃないか。

 疑心にかられたシルフィードは彼の狙いを問いただしてやりたくなったが、主人にしゃべることを禁じられているので、ぃるるるるるる、と低く威嚇音を出した。

 クルトはどうしたものかと思案するように、ぽりぽりと頬を掻く。

 

「おや、いい匂いがすると思ったら……、クルト、きみだったのか」

 

 困り顔の少年とよだれを垂らした竜の微妙な睨み合いを止めたのは、茂みの向こうからあらわれたギーシュだった。

 クルトはどこか安心したように、ギーシュに答える。

 

「シルフィードがおなか空かせてるみたいだから、作ってきた。シエスタに聞いたハーブも使って、ヨシェナヴェ風にしてみたんだ」

「それでこの香りか……。きみもたいがい、器用な男だな。しかし、竜にこんなもの与えていいのかね? これじゃ人間の食べ物じゃないか」

「一応塩分は控えめにしたし、タバサはいいって言ってたぞ。食にうるさい竜なんだってさ」

 

 食にうるさい、ですって? お姉さまには言われたくないのね。四回もおかわりしてからに……、とシルフィードはきゅいきゅい鳴いた。

 一方のギーシュは、そういうもんかね、と呟いて、

 

「ほら、シルフィード。約束の品だよ」

 

 と赤い冠を月明かりにかかげた。

 双月の光を受けてきらめくそれは、精巧な薔薇の造花がいくつも連なり、台座にも見事な細工が施された冠。

 シルフィードは一気に機嫌がよくなって、青い大きな体を揺すった。

 昨日の夜、ギーシュはシルフィードに『冒険の足をつとめてくれるお礼』と言って、薔薇の造花の冠をかぶせてくれた。

 その冠は、この森に飛んでくる途中で風に(さら)われてしまったけれど、ギーシュはまた作り直すと約束してくれたのだった。

 

「それ、『ブリーシンガメル』じゃないか」

 

 クルトがおもしろそうに尋ねた。

 

「うむ。偉大なる『炎の黄金』。これを身につけし者はあらゆる災厄から守られるという……、まあ、そういう秘宝だったのだがね。『固定化』もかけられていなかったから、ちょいと素材にさせてもらったのだよ。こういう細工は、昔から得意でね」

 

 ギーシュもにやりと笑みを返し、シルフィードに手招きする。

 

「かぶせてあげよう。今度は、ほら、ここに留め具があるだろう? 風で飛ばされないよう、ツノにひっかけられる仕組みにしたんだ。留め具の大きさを調整するから、きみの頭をかしておくれ」

 

 シルフィードはきゅいきゅい鳴いて、頭を差し出した。

 ギーシュは彼女に冠をかぶせようと、気取った仕草で手を伸ばす。

 しかし横からクルトが、

 

「あ、待った。それ食事のあとでもいいか? せっかくの冠が汚れちゃ可哀想だ」

 

 なるほど、とギーシュは手をひっこめた。

 ぃるるるるる、とシルフィードは怒りの声を発した。余計なことしないでほしいのね、と思った。

 この素敵な冠を、はやくかぶりたかったのだ。

 けれどもクルトの言うことはもっともなので、先に食事を済ませようと思った……、が、そもそも彼の料理が信用ならないことを思い出す。

 

 クルトが宙に浮かせている鹿の丸焼きはいまだほかほかと湯気を立て、野趣溢れる香りでシルフィードを誘惑している。

 食べたい。

 正直、ものすごく、食べたい。

 ひとくちでいいから、かじってみたい。

 でも、こいつ、なんだかとってもあやしい気がする。ご飯くれる理由がわからないし、いまも鱗がぴりぴりするし。

 でもでも、食べないと冠かぶせてもらえない。

 ああ、でも、だけど、はやく食べなきゃお肉が冷めちゃうのね……。

 

「きみはずいぶん、この風竜を気にかけるんだね」

 

 幼い竜の葛藤を知りもしないギーシュが、呆れたように言った。

 クルトは真面目な顔で答えた。

 

「男の子はみんなドラゴン好きなんだよ。ドラゴン柄の鞄とか、カタログに載ってるだろ?」

「なんだね、そりゃ。ご婦人が竜革の鞄を好むのは知ってるが」

 

 ギーシュは声をあげて笑った。

 クルトもくすりと笑って、

 

「そういうギーシュも、シルフィードが気に入ってるみたいじゃないか。わざわざプレゼントまで作って」

「ここまで運んでもらったお礼もあるし、先日の任務では、見事な飛翔を見せてもらったからね。そしてなにより、彼女は美しい女性(レディ)だ。美への奉仕者として、何もしないわけにはいかんと思ったのさ」

 

 それからギーシュは、ちょっと意地悪な表情を浮かべて、からかい混じりに言う。

 

「しかしきみ、こちらのレディの面倒を見るのもいいが、はやくサイトと仲直りしたまえよ」

 

 クルトは顔をしかめた。

 痛いところを突かれた、という顔だ。

 その様子がおかしくって、なんだか面白そうな話なのね、とシルフィードはよだれをだらだら垂らしながらも、男の子たちの会話に意識を向ける。

 

「彼がルイズに追い出されたのは、たしかにきみが密告したせいかもしれんよ。だが、そもそもの話、あいつが二股かけてたのが悪いとぼくは思うね」

 

 よく言うのね、自分も女癖悪いくせに……。

 学院の使い魔界隈の井戸端会議でギーシュの悪評を聞いて憤慨するのが大好きなシルフィードは鼻を鳴らした。

 

「それに、気づいてるだろ? サイトとルイズ、もうすっかり元通りじゃないか。あのメイドとも楽しくやってるみたいだし、彼だってもう怒ってやいないさ。妙な負い目を感じてるのか知らんが、きみ、いつまでサイトを避けてるつもりだね」

「よく見てるんだな。少し意外だよ。女の子にしか興味ないと思ってた」

 

 クルトは憮然とした表情で答えた。

 皮肉をぶつけられたギーシュは、しかし気を悪くした風もなく、

 

「見えてないのはきみだけさ。最近はサイトまで落ち込んできて、空気が重くってかなわないんだよ。ルイズだって、きみとサイトの仲を気にしてるだろう」

「お嬢が?」

 

 クルトは驚いたように呟いた。

 一方のギーシュは、ますます呆れた様子で、

 

「おいおい、気づいてなかったのかい? きみがミス・ヴァリエールの変化を見逃すなんて、よっぽどだな。シルフィードの世話に逃げるのもいいが、そればっかりじゃ、あのお嬢さまも寂しがっちまうぜ」

「それはない。あいつ、サイトに夢中なんだから。おかげで助かってるよ」

 

 それもそうだな、とギーシュは笑った。

 そうして、ふと気がついたように、

 

「おや、食べないのかい?」

 

 シルフィードはぎくりとした。

 食べたいのは、やまやまなのだ。

 でも……。

 

「ハーブを使いすぎたかな。竜には匂いがきついのかもしれん。ヨシェナヴェ風なんて挑戦しないで、塩だけで焼けばよかった。ああ、俺はまた余計なことを……」

 

 クルトが口元に手をあてて考え込む。

 ギーシュは彼の肩をぽんと叩き、

 

「ま、仕方ないさ。竜の口に合わないなら、ぼくらが食べればいい。明日は朝から豪勢にいこうじゃないか」

「……そうだな、そうするか。ごめんなシルフィード、おなか空いてるだろうに。次はもっと上手くやるよ」

 

 クルトはすっかり落ち込んだ様子で、風韻竜に謝った。

 シルフィードは戸惑った。

 竜に頭を下げる人間なんて、いままで見たことなかったからだ。

 彼を疑って丸焼きに口をつけなかったことに、少しだけ罪悪感を覚えた。

 

「というか、見てたら腹が減ってきたな。少しばかり、いただいてもいいかい?」

「もちろん。ただ、人が食べるには生焼け(レア)すぎるから、しっかり火を通したほうがいいな。キュルケがまだ起きてたらいいが……」

 

 クルトはギーシュに微笑み、また杖を振った。

 鼻先に浮かんでいた鹿の丸焼きが、すうっと遠のいていく。

 シルフィードは咄嗟に首を伸ばし、がぶりと噛みついた。

 

「きゅ……!」

 

 瞬間、シルフィードの瞳が輝いた。

 口いっぱいに広がるのは、表面に焦げのある、香ばしい肉の味。しかしけっして焼きすぎているわけではなく、内側には仔鹿本来のやわらかさを保った肉が待ち構えていた。血の滴るその鹿肉は、風韻竜の食欲を絶妙に刺激した。

 本能のまま咀嚼するたび、鹿の腹に詰められていた茸と山菜が口内で踊り、香りと食感にアクセントを加えてくれる。

 肉汁と脂をたっぷり吸った肉厚の茸は、もうそれだけで料理として成立しそうな旨味がある。肉や山菜と一緒に噛みしめると、いっそうおいしく感じられた。

 クルトが『ヨシェナヴェ風』と言っていたのも納得の、シエスタが作ったあのシチューの香りをお肉に閉じ込めたかのような、濃厚な味わいだった。

 

 あともうちょっと塩気があったら、言うことなかったのね……。

 わずかな骨だけ残して丸焼きを平らげたシルフィードはそんな感想を抱き、ぺろりと口のまわりを舐めた。

 それから、愕然とした。

 

 ……食べちゃったのね!

 

 こいつが何を企んでるかもわからないのに、変なもの入ってたかもしれないのに、まるごと全部食べちゃった。

 

「大丈夫か? 無理して食べなくてもよかったんだぞ?」

 

 どうしよう、どうしようと頭を揺らすシルフィードの鱗が、ぴりぴりっと逆立った。

 足下に立ったクルトが心配そうに、こちらの顔を覗き込んでいる。

 相変わらずイヤな雰囲気をまとっているけれど、その表情には、含むところはなさそうだった。

 仕方なく、きゅい……、と小さく鳴いて答えた。

 するとクルトが鼻先を撫でようとしてきたので、シルフィードはぷいと顔をそむけた。

 ギーシュが愉快そうに言う。

 

「こちらのレディは、相変わらずの気難し屋さんだね。きみ、彼女にいったいなにをしたんだね?」

「知らないよ。こっちが教えてほしいくらいだ」

 

 クルトは悲しそうに首を振り、シルフィードから離れた。

 鱗のぴりぴりする感じが、その距離のぶんだけおさまった。

 

 シルフィードはそんな彼の様子と、おなかが満たされて落ち着きを取り戻した思考で、彼はほんとうに何も企んでいなかったのだと理解する(けっして、おいしいごはんに(ほだ)されたわけではない)。

 そうだ、ギーシュも言っていた。彼はサイトという男の子と喧嘩している。それでサイトを避けてるせいで、シルフィードのところに逃げてきたのだ、と。

 ヨシェナヴェ風の丸焼きなんて手間のかかるものを作ってきたのも、きっとみんなと居づらくて、ひとりで過ごす理由がほしかったからだ。

 

 そう思うと、『この偉大なる古代種、風韻竜のシルフィを言い訳にしないでほしいのね!』と尊大な怒りを感じる一方、クルトに対して勝ち誇ったような気持ちにもなって、この()()()()も許せるような気がしてきた。

 安心と満腹感で重たくなってきたシルフィードの頭に、ギーシュが近づき、赤い冠をかぶせてくれる。

 彼は留め具をかちゃかちゃといじりながら、

 

「ま、なんにせよ安心したまえよ、シルフィード。冒険の旅も次で最後だ。つまり、彼を乗せなきゃならんのも、明日か明後日には終わりということだ。最後のお宝は、ええと……、なんだったかな」

「タルブの『竜の羽衣』だよ」

「ああ、そうそう。きみが提案したんだったな。頼むぜ。ひとつはまともなお宝を持って帰らないと……」

 

 竜のはごろも……?

 竜だなんて、生意気な名前!

 しかもこいつの提案なんて、どうせ偽物なのね。

 そんなのより、シルフィのほうがすごいに決まってるのね……。

 

 素敵におめかししてもらったシルフィードは大きなあくびをして、やがて穏やかな眠りに落ちた。

 

 

 

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