雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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39.「このボロ小屋、窓もないんだもの。貧乏くさいったら」

 

 

 やるべきことがあるのは素晴らしいことで、一度作業を始めてしまうと、俺はずいぶん落ち着いた。

 隣にタバサがいるのだから当然気が散ってしまうけれど、パジャマが隠れているだけマシである。

 むしろ感情の乱れのおかげで精神力が回復して、今夜中に大部分を終わらせることができそうだった。

 

「なぜ、そんなことしてるの?」

 

 (くわ)の先をつついて錆びた部分に『錬金』をかけていると、呟くような質問が聞こえた。

 俺は手を止めずに答える。

 

「ここの人たちの世話になったから。一宿一飯の恩義、ってやつかな」

「お金は渡した」

 

 タバサの言うことは正しく、シエスタの父と村長には、それぞれエキュー金貨を十枚も渡している。

 この村の生活水準なら、一ヶ月は暮らせる額。たった一晩の宿代としては、過分といってもいいだろう。

 もちろん俺やギーシュにそんな金ないので、キュルケの小遣いから出てきた金貨である。

 

「まあ、そうかもしれないけど。『竜の羽衣』も譲ってもらったしな」

「譲られたのはルイズの使い魔。あなたではない。『竜の羽衣』にも、それほどの価値はないはず」

 

 タバサがいつになく長い台詞で質問を重ねる。

 俺が手元から目を離さないせいで、頷いたり首を振ったりで済ませられないからか。

 少し眠たげなタバサの声が耳に心地よくて、俺は『錬金』に集中しているフリを続けて、タバサに言う。

 

「そうだな……、なんて言ったらいいんだろうな」

 

 俺がこれから言うことは、きっとハルケギニアの人間には理解しがたい内容だ。

 誰より優しく聡明なタバサにも、うまく伝わらないかもしれない。

 俺は『錬金』を操り、芯まで腐食した鉄製の農具を元の姿に戻しながら、なるべく噛み砕いた説明を探す。

 

「お金は平民でも払えるけど、魔法使い(メイジ)にしかできないことがある。だから、俺たちはお金だけじゃなくて、魔法で恩を返さないといけない。だって、こんな便利な力、俺たちだけのために使ってちゃいけない。みんなのために使うのが、俺たちの……貴族(メイジ)の、力を持ってる人間の責任なんだよ。その責任を果たせなかったら、誇りを持って生きることはできない。少なくとも……、俺の場合は」

 

 それはいつか才人にも語った信念。

 魔法が存在しない世界の、人間は誰もが平等という建前を忘れられずにいる俺が……、血によって受け継がれる魔法(暴力)による支配が正当化された世界の、しかも魔法使いの一員として生まれてしまった自分を許して生きるために辿り着いた結論だった。

 

「新教徒なの?」

 

 しばしの沈黙の後、本をめくる音がしてから、タバサは呟いた。

 新教徒とは、ブリミル教の腐敗を正し、始祖ブリミルの本来の教えに帰ろうという『実践教義』を唱える一団のこと。

 いつだったか、ルイズにも似たような質問をぶつけられたことを思い出し、俺はうすく微笑んだ。

 

「違うよ。俺はそんなに、信心深くなれない。自分で勝手に考えただけだ」

 

 俺の言動は新教徒的かもしれないが、しかし信仰に欠けている。

 俺は神やブリミルのためじゃなく、自分の満足のためにしか動けない。一緒にしたら、新教徒たちに怒られてしまう。

 

「どうして?」

 

 タバサに訊かれて、どうしてだろう、と改めて思う。

 思案しながら鍬の刃のかたちを整え、柄にしっかりと留め直す。柄の木材が傷んでいるのに気づいたけれど、これは俺にはどうしようもない。

 金属部分は新品同様に直したから、近いうちに柄を替えたほうがいいと、村長に返すとき伝えなければ。

 

「怖いから……、かな」

 

 そんな現実的な思考とは別に、口から言葉が(こぼ)れ出た。

 

「怖い?」

 

 とタバサが聞き返す。

 俺はしごく素直な気持ちで、

 

「怖いよ、こんな力を持ってるのは。生まれたときからずっとそうだ。怖くて仕方なかった。いまはこの力で平民を抑えつけてるけど、いつか仕返しされるんじゃないかって。……で、そのときは俺だけでも助けて欲しいって思ってる。だって、そうだろ? こんなに親切してるんだから」

 

 冗談交じりに言って、隣で本を読み耽っているタバサを見る。

 そうして、驚いた。

 タバサが微笑んでいる……ように、見えたからだ。

 その微笑みが一瞬で消えてしまったのは、タバサが隠してしまったからか。そもそも彼女の微笑みは、ランプのゆらめきが生んだ幻にすぎなかったからか。

 

「……なに」

 

 いっそ神秘的なまでにきれいなその横顔をぼうっと眺めていたら、タバサが呟くように尋ねた。

 いや、別に……と俺も呟くような返事をして、また作業に戻る。

 仕上げの『固定化』をかけながら、俺は気がついた。

 

 タバサに問われて、ようやく自覚することができた、俺のなかにあった根源的な恐れに。

 

 物心ついたときからずっと抱いていた『平民からの復讐』への恐怖ではない。

 ごく最近、俺の内側にあらわれ、そしてなんとか気づかないように蓋をしていた感情だ。

 

 

 それは、未来を知っているという恐怖。

 

 いままでも『原作』から外れること、そうしてタバサの救いが失われてしまうことに対する恐怖が俺の行動原理になっていたけれど、それ以前の、『俺だけが未来を知っている』という単純な事実に対する恐怖。

 

 俺は知っている。

 俺がいま『固定化』をかけている鍬は、今夜修繕したすべてのものは、この小さいけれど立派な納屋は、これから半月もしないうちに焼き払われる。

 和平条約を破って侵攻を始めたアルビオンの竜騎兵によって、村ごと火の海にされてしまう。

 だからこそ俺は、この作業を申し出たのだ。

 『固定化』をかけた農具のひとつでも炎を生き延びてくれたら、ここの人たちの生活が、少しは楽になるだろうから。

 

 だけどそれは、ただの欺瞞であり、逃避にすぎない。

 『原作』ではシエスタとその家族の描写しかなかったから、他の村民がどうなったのかはわからない。

 誰か死んだのかもしれない。大怪我をしたかもしれない。

 いや、むしろ、死人がひとりもいないなんて、ありえないだろう。

 これから起こる未来でも、被害はきっと変わらない。

 だから、ほんとうに彼らを助けたいのなら、未来をそのまま伝えたらよかったのだ。

 

 伝えたところで信じてもらえるのか、とか、『原作』からの乖離が……とか、そんなことはすべて言い訳だ。

 俺は、俺の望む未来とこの村の人たちの命を天秤にかけた。

 そして、見捨てた。

 それだけが真実だった。

 

 ぱたん、と隣で本の閉じる音。

 いつもはそれだけで心躍る響きだけれど、いまは奇妙に恐ろしかった。

 それはきっと、自分がバカげた『計画』に夢中になっていた理由に気がついてしまったから。

 

 タバサを好きな気持ちに嘘はない。

 タバサを……、シャルロット・エレーヌ・オルレアンという少女を愛しく思い、彼女の幸福を願う気持ちは、この世のなにより、真実だ。

 だけど俺があんな『計画』に傾倒していた理由の一端に、この未来という恐怖からの逃避があったことも、紛れもない真実だった。

 

 未来を知ってしまった以上、俺は世界をより良くしないといけない。

 だって、いずれこの村で起きる悲劇も、アルビオンで起きる地獄のような戦争も変えうる知識を……、力を、俺は手に入れてしまった。

 だったら、変えないといけない。

 そうしないと、貴族(メイジ)なんて呪われた血筋に生まれ、その恩恵に預かって今日までのうのうと生きてきた俺は、許されない。

 だけど未来を変えようと望むことは、『原作』以上の悲劇を生み出す可能性を当然に孕んでいる。

 まして『ゼロの使い魔』はハッピーエンドで終わるはずの物語で、俺が関わらなければ、世界は大団円を迎えるに違いないのだから。

 その過程で、()()()悲劇はあるにせよ。

 

 ロッキーを召喚し、才人と出会い、『原作』を思い出してしまったあの日の夜。

 俺は未来を良くせねばならない、せめてひとつでも悲劇をなくさなければならないという際限のない責任感と、しかし自分がさらなる悲劇を生んでしまうのではないかという恐怖……、そうしてなにもせずにいることで、当然に起きてしまうだろういくつもの悲劇に対する罪の意識に押し潰されそうで、ほとんど眠ることができなかった。

 

 けれども俺は、都合の良いことに、ひとりの女の子を愛しく思っていた。

 あの日、『ゼロの使い魔』の記憶に混乱していた俺に『治癒』をかけるべく立ち上がってくれた彼女を見たあの瞬間から、魂を奪われていた。

 世界中の人間と天秤にかけても彼女を選んでしまえるほどに、好きだった。

 

 そうしてさらに都合の良いことに、その女の子は苦難を背負い、恋に破れる運命だった。

 彼女の未来を『原作』よりも良いものにできれば、責任を果たしたことになると、俺は信じた。信じようとした。

 

 結局のところ、俺はタバサを利用したのだ。

 タバサに対する俺自身の気持ちを使って、彼女以外のすべてを見捨てることを、正当化しようとした。

 

 俺は、世界でいちばん愛しい女の子に、これから起きるだろうすべての悲劇の罪をかぶせようとして――不意に、体が温かなものに包まれる。

 

「返す」

 

 静かな呟きが耳に届き、少し遅れて、タバサがマントをかけてくれたのだと気がついた。

 ずっと彼女の膝掛けにされていたそれは愛おしい体温を宿し、実際の熱以上に俺の体を温める。

 

「まだ寒い?」

 

 タバサが短く尋ねた。

 それでようやく、杖を持つ手が震えていることを自覚する。

 呆けて答えられずにいる俺をどう思ったのか、タバサは自分のマントに手をかけた。

 

「いや、いや……やめてくれ、そんな」

「いい。どうせもう寝るだけ。ルイズたちも静かになった」

 

 タバサは俺の制止も聞かず、マントを外してしまう。

 パジャマ一枚の格好になってマントを差し出してくるタバサを必死でつっぱねようとするが、義理堅く負けず嫌いな彼女は譲ろうとしない。

 しばし無言の押し付け合いが続き、とうとう耐えがたくなった俺は、ほとんど叫ぶように言った。

 

「わかった……、もう、わかったから! いいから! やめろって!」

 

 タバサの手から、力が抜けた。

 俺はその隙にマントを奪い取り、小さな体をくるむように着け直す。

 指が震えてうまくいかなかったけれど、それでもなんとか、タバサの白い肌に触れないように注意しながら留め具をつける。

 

「……ごめん。でも、ほんとうにいいんだ。俺も、そろそろ寝るから。心配いらない。ごめんな」

 

 タバサは首を振った。

 それから、本を抱えて立ち上がった。

 無言で納屋の戸口まで歩き、こちらに振り返る。

 俺はその意図を痛いほどわかっていたけれど、木箱に座ったまま、小さく呟いた。

 

「おやすみ、タバサ」

「あなたは?」

「もう少し……、これだけ終わったら寝るよ」

 

 タバサはじっと俺を見つめた。

 けれども俺がもう一度、おやすみ、と言うと、こちらに背を向け、戸を開けた。

 納屋を出たタバサの短い髪が、夏の夜風に揺れる。

 戸口から流れ込む空気の冷たさに身震いして、シエスタの家はすぐ隣だけれど、やっぱりマントを受け取らなくてよかったと、俺は安堵の息を吐いた――そのときだった。

 

「きゃあああああっ!?」

 

 納屋を揺らすような突風、女の悲鳴。

 俺は弾かれるようにタバサのもとへと駆けよって……、

 

「……は?」

 

 と、呆けた声を出す。

 タバサの前に、その豊かな髪を風に乱された長身の少女、キュルケが尻もちをついていた。

 キュルケも驚いたように俺とタバサを順々に見上げていたが、やがてすっくと立ち上がり、何事もなかったかのように微笑んだ。

 

「……ご機嫌よう、おふたりとも。いい月夜ですわね?」

 

 その態度で、俺は理解する。

 こいつ……、覗いてやがった。

 『原作』でも度々ルイズと才人の部屋を覗いていたキュルケである。

 きっとタバサが俺の作業している納屋に入ったのに気づいて、外から様子を伺っていたのだ。

 

「お前、いつから……」

「最初から」

 

 答えたのはタバサだった。

 気づいてたのかよ、と思わず見つめてしまう。

 タバサはその視線をどう受け取ったのか、

 

「聞かれてない」

「聞かれて困ることはないけど……、『サイレント』でも使ってたのか?」

 

 タバサは首を振って答える。

 

「今日は風があるし、虫も鳴いてる。盗み聞きはできない」

 

 確信的な口調。

 疑ってしまいそうになるが、風のトライアングルであるタバサが言うなら、まあ、そうなんだろう。

 キュルケもつまらなそうな表情で、

 

「ついでに言うと、覗き見もできなかったわ。このボロ小屋、窓もないんだもの。貧乏くさいったら」

 

 ひどい言い草である。

 しかも覗きを悪びれもしない。

 しかしタバサは怒りもせず、俺を指差してキュルケに呟いた。

 

「温めてあげて」

 

 タバサの意を汲むことにかけては一流のキュルケも、これには戸惑った様子を見せた。

 話はおしまいとばかりにシエスタの家に向かおうとするタバサを呼び止め、

 

「ちょっとタバサ、どういうことよ? あたしの炎が必要っていうならいくらでも貸してあげるけど……、あなた、なにをそんなに怒ってるワケ?」

「怒ってない」

「嘘おっしゃい。そんな顔しちゃって、あたしを誤魔化せると思ってるの?」

 

 俺にはいつものタバサにしか見えないのだが、キュルケが言うなら、間違いない。

 俺はどうやら、タバサを怒らせてしまったらしい。

 

「……先に怒ったのはクルト」

 

 キュルケにほっぺたをつつかれて頭を揺らしていたタバサが、ぽそりと呟いた。

 追求の矛先を逸らすつもりのようだ。

 キュルケはタバサの頬に手を添えたまま、訝しむように俺を見る。

 

「あんた……」

 

 俺はその視線に耐えきれず、顔を俯かせる。

 タバサを怒鳴ってしまったことに対する罪悪感が、いまさら津波のように押し寄せてきた。

 

「……マントが裏表逆ね」

「は?」

 

 どんな言葉で責められるかと覚悟していたら、キュルケは意味不明なことを呟いた。

 

「ってことは、まさか……」

 

 突然、キュルケはタバサの胸元を(まさぐ)り、

 

「タバサ……ああ、タバサ……! なんてこと! あたしの小さいタバサが……あいたっ!?」

 

 長杖を脳天に食らって、地面に崩れ落ちた。

 理不尽な暴力だが、タバサの気持ちは理解できる。キュルケがなにを確かめていたのかはわからないけれど、なにかこう……、とてつもなく失礼な妄想をされたことだけは、俺にも察せられた。

 

「うふ、うふふ……恥ずかしがらなくていいのよ、タバサ……あたしにはみんなわかってるんだから」

「わかってない」

「わかってるわよ。マントの留め具、ずいぶん右に寄ってたわね?」

「だからなに」

 

 怪しい笑みを浮かべてゆらゆらと立ち上がるキュルケに、タバサは短く問うた。

 

「あなた知らないでしょ? 制服のマント、男子と女子で留め方が違うのよ。だから男の子にマントを着けてもらうと、そんなふうにズレちゃうの」

 

 はっとしたように、タバサは己の胸元に手をやった。くるりと俺たちに背を向け、かちゃかちゃとマントを留め直す。

 キュルケはタバサに背後から抱きつき、頭をぐりぐり撫で回した。

 

「ちがう、なにもない、してない」

「もう、つれないこと言わないでよ。あたしとあなたの仲じゃないの」

「ちがう」

「『温めてあげて』だっけ? ダメよ、他の女にそんなこと頼んじゃ。男の子の温め方なら、ちゃんと教えてあげるから!」

「ちがう……ちがう……」

 

 タバサはしばらく為すがままにされていたが、とうとう限界に達したのか、珍しく苛立ちをにじませた声で言った。

 

「……クルトも、黙ってないで、説明」

 

 ぼうっと突っ立っていた俺は慌てて姿勢を正し、

 

「あ、はい、なかったです! やましいことは、なにもありませんでした!」

 

 キュルケはタバサに抱きついたまま杖を振った。

 

()っつ!? いきなりなにすんだよ!」

「嘘ついたら燃やすわ」

「嘘じゃな……っうお!? ちょ、待て、話を聞けって!」

「あんたねえ……、男と女がこんな月夜にふたりっきりで密室で過ごして、出てくるときは服が乱れてて、なにもないなんて――」

 

 キュルケが静かになった。

 当然、彼女の意志ではない。『サイレント』である。

 呪文の主、タバサは疲れたように息を吐き、俺を見やる。

 俺はキュルケに警戒しながら、その命令に従った。

 

「納屋が寒かったから、タバサにマントを貸してただけだ。そしたら俺の体が冷えてきたから、今度はタバサがマントを貸そうとしてくれた。でも、さすがに悪いから、俺が付け直してやった。ふたりとも服が乱れてたのはそういうわけだ。……そうだよな、タバサ?」

 

 タバサは頷き、杖を振った。

 『サイレント』を解かれたキュルケは、心底つまらなそうに言う。

 

「なによ。ほんとになにもなかったってワケ?」

「ない。しつこい」

「じゃあ、どうしてあなた、あんなに怒ってたのよ」

「怒ってない」

「もう、拗ねちゃって……。悪かったわよ。しつこくしたのは謝るから、怒ってた理由だけでも教えてくれない?」

 

 ふたたびキュルケに抱きすくめられたタバサは、拗ねてない、と言った。

 けれども黙っていてはいつまでも解放されないと悟ったのか、諦めたような嘆息とともに、

 

「クルトが先」

 

 と呟いた。

 そういやさっきもそんなこと言ってたわね、とキュルケが俺に視線を向ける。

 

「いや……、その、タバサから借りるわけにはいかないから、断ろうとして……意地になっちゃって、つい。ごめんな、大きな声出して。ほんとうにごめん」

「一個借り」

 

 長身の友人の胸に顔を埋められたタバサが、いつも以上に小さな声で言った。

 キュルケは友人の頭を撫で、きょとんとした表情で尋ねた。

 

「タバサ、あなたが借りる側なの? 逆じゃなくて? 聞いてると、クルトがなにかやらかしたんでしょ」

 

 タバサは頷いた。

 

「無理に渡したくせに、自分が受け取らないのは卑怯」

「呆れた! 男なんて、好きなだけ貢がせてればいいのよ。あなたみたいな可愛い子が律儀に返すつもりでいたら、いまに破産しちゃうわ!」

 

 いくつもの情熱を楽しんでいるキュルケらしい、傲慢な台詞。

 しかし今回に限っては、俺もまったく同意見である。

 

「温かかった」

 

 と、タバサは呟いた。

 不思議なことに、キュルケはそれで納得したらしい。ぎゅうっとひときわ強く抱きしめてからタバサを解放すると、母のような、あるいは姉のような優しい声音で言った。

 

「そう。そんなら仕方ないわね」

 

 タバサはほんのわずかに顔を俯かせ、

 

「また倒れたら困る」

 

 と呟き、もう眠るべく歩き出す。

 キュルケもそんな彼女を追いかける。やがてふたりは寄り添い合って、シエスタの家に入っていった。

 

 俺はひとり納屋に戻り、点けっぱなしになっていたランプを回収する。

 それから外に出て、空に浮かんだふたつの月を見上げた。

 

 知らぬ間に、俺はずいぶん落ち着いていた。

 心を押し潰すような恐怖もタバサに対する罪悪感も、不思議と和らげられていた。

 タバサは温もりを何倍にもして返してくれた。

 キュルケもまた、俺を温めてくれた。

 

 この世界(ハルケギニア)にはどうしようもない悲劇が満ちているけれど、彼女たちが、そしてルイズや才人たちがいるのなら、きっと大丈夫だ、と……。

 そんな根拠のない希望のようなものが胸に満ちていることに俺は気づき、そのあまりの無責任さに、苦笑いを浮かべた。

 家の扉に手をかけた。

 

 

 

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