三章のお話は今日の投稿でおしまいです。
「コルベール先生、先月の授業で扱っていた、火の触媒の構成要素について伺いたいのですが……」
魔法学院、火の塔の近くに建てられた研究室にて。
机の上に並んだいくつものフラスコに向かって一心に『錬金』を唱えているコルベール先生の背中に、俺は無邪気を装って話しかけた。
先生はフラスコに目を釘付けにしたまま、
「……いまじゃないと、いかんかね?」
「すみません。どうしても気になってしまって」
うむ、むむむ、むむむむむ……、と、コルベール先生は苦悶の呻きをあげた。
目の前のフラスコに心惹かれているのは明らかだったが、彼の教師としての良心が、疑問を抱く生徒をそのままにしておくことを許さなかったのだろう。なんとか、といった様子で笑顔を浮かべ、俺に振り向いてくれた。
「気になることがあるなら、なんでも言ってみなさい。手短にね」
「ありがとうございます。この部分なんですけど……」
俺は罪の意識に苛まれながらも、部屋から持ってきたノートを開き、徹夜で捻り出した質問を並べ立てた。
正直な話、俺はコルベール先生をナメていた。
いや、以前から尊敬しているつもりだったのだが、それではとても足りないくらい、先生はすさまじい人だった。
今日から数えること五日前。
講堂の大掃除が終わったその足で、俺はコルベール先生の研究室に赴いた。
もちろん、彼の研究を手伝うためだ。
もし、万が一にもガソリンの精製がアルビオンの侵攻に間に合わず、才人とルイズがタルブの村を救いにいけなかったら……、という不安から、俺は先生にできる限りの助力をした。
ゼロ戦に残っていたガソリンをロッキーの力も借りて分析し、すでに
……結果、先生は二日とかからずガソリンの精製に成功した。
『原作』では、少なくとも三日以上はかかっていたはずなのに。
よろこばしいことではあるが、そのせいで新たな問題が生じた。
展開が早すぎるのだ。
先生は自分の作ったガソリンでゼロ戦のエンジンが動くことを確かめると、すぐさま量産体制に入った。
それはいい。
許容範囲内だ。
ゼロ戦をタルブまで飛ばして戦闘飛行させるには、少なくとも樽五本のガソリンが必要だ。
だからガソリンをたくさん作るのはけっこうなのだが、問題はゼロ戦そのものにあった。
この異世界の兵器はひどく繊細で、一回飛んだら分解して部品のすりあわせをしなければならない。そうしないと本来の性能を発揮できないばかりか、壊れてしまう可能性さえある。
いくら天才のコルベール先生とて、その調整にはどれだけの時間がかかるかわからない。
この事実が意味することは、ただひとつ。
アルビオンが侵攻してくるその日まで、ゼロ戦を飛ばさせるわけにはいかない、ということだ。
多少の試験飛行では故障まではいかないだろうが、才人はこれから戦場に行くのだ。危険は少しでも減らしたい。
ゼロ戦を消耗させることは、絶対に避けたかった。
そして、そのために俺ができることと言えば……、
「……というわけで、魔法の火と自然の火は触媒への選好性と反応速度において区別できるのだ。わかったかね?」
コルベール先生は俺の質問に対して早口に、しかし明晰な論理でもって答えた。
しかし心の半分以上は机に並べたガソリン精製の装置に奪われている様子で、その視線は定かではない。
俺は先生に笑顔を向けて、
「ありがとうございます。ところで、いまのお話から『ヘビくん』に使っている内燃機関の改善案を思いついたのですが。うまくいったら、さらに小型化できるかもしれません」
「あああっ……!」
コルベール先生は悩ましげに息を吐いた。
「やめてくれたまえ! 私は一刻も早く、がそりんをたくさん作らねばならぬというのに! あのひこうきが空飛ぶ姿を、早くこの目で見たいというのに!」
「すみません。思いついてしまったもので。でも先生、小型化に成功すれば、先生の『ヘビくん』も自由に飛ばせるようになるかも……」
片手で
「き、き、君はどうして、こう魅力的なことばかり言うのだ! が、我慢ならん! 私はもう、我慢ならんよ!! さあ、教えてくれたまえ! この私の『ヘビくん』を小さくするには、いったいどうしたらいいのだね!?」
聞きようによっては教職倫理を完全に踏み越えた発言である。
研究室が防音仕様でよかった……、と、俺は今までコルベール先生の実験に文句をつけてきただろう理解のない隣人たちに内心で感謝しつつ、ギトーのくだらない授業の時間に考えをまとめた、内燃機関の新機構を開陳する。
すべてはガソリンの生産ペースを調整し、アンリエッタ姫の結婚式に先駆けて始まるだろう、アルビオンの侵略にぴったりあわせるため。
そのためには、先生の興味を惹きすぎてはならず(それでガソリン精製が間に合わなかったら最悪である)……、一方で先生を一時でも夢中にさせられるようなアイデアを提供し続けなければならない(紛れもない大天才である彼を面白がらせるには、すでに曖昧になっている前世の知識だけではとうてい足りず、俺は毎晩必死になってノートにアイデアを書きつけていた)。
なかなかにしんどい仕事ではあるが、『原作』の展開を、そして一晩お世話になったタルブの人たちを守ってもらうためとなれば、俺は一切、手を抜くことが許されなかった。
「私はもうしんぼうたまらん」という、中年教師が生徒に絶対に言ってはいけない台詞で研究室を追い出された俺は、ゼロ戦の整備をすることにした。
先生のペース配分は、いまのところ上手くいっている。
この調子なら、あと二、三回の質問を挟めば狙い通りのタイミングで燃料タンクいっぱいのガソリンができあがるだろう。
俺は研究室の隣に置かれたゼロ戦に手を触れ、石ころの使い魔、ロッキーと一緒に機体の状態を確認する。
この機体のかつての持ち主、佐々木武雄が存命のときに『固定化』がかけられていたはずだが、それももう何十年も昔の話。
『固定化』とて完璧に劣化を防げるわけではないし、呪文自体も、時とともにだんだんと
俺とロッキーはガンダールヴやデルフリンガーのように武器の性能を見抜けるわけではないが、機体の構造や物質としての組成なら読み取れる。
巨大な機体を端から丁寧に確認し、劣化しているパーツがないか徹底的に探し出す。
もし見つかったら慎重に慎重に『錬金』を唱え、修復を試みる。俺に手を出せるところがなければ、全力の『固定化』をかけ直す。
コルベール先生の近くにいられない間、俺はそんな作業を繰り返していた。
「……タバサ?」
ふとゼロ戦から顔をあげると、視界の端に青い影が映る。
いつのまに学院に戻っていたのだろう、あの掃除の日以来ずっと見かけなかったタバサが、広場の向こうから歩いてくるのが見えた。
無事に任務をこなして来たようで、俺はほっと安心する。
自然と緩んでしまう口元を押さえ、なんとかまともな顔を保とうとする。
「戻ってたんだな。ゼロ戦を見に来たのか? タルブでもよく見てたもんな」
王族の高貴さと騎士としての洗練を感じさせる足取りでこちらに歩いてきたタバサは、俺の隣で立ち止まる。
しかしゼロ戦に用があるわけではなかったのか、頷きもせずにぼんやり俺を見返してきた。
どうしたのだろう、と俺は少し考えて……、
「おかえり、タバサ」
タバサは頷いてくれた。
「えっと、怪我はない?」
「ない」
「ほんとに?」
「ほんと」
「ご飯はちゃんと食べてた?」
「食べた」
「夜はどう? 眠れた?」
「あんまり」
「そっか。今日はあったかくして早く寝ろよ」
タバサは首を振った。
「あとで本を借りる」
「図書館でも行くのか? 読書もいいけど、ほどほどにな」
「それは本しだい」
「まあ、なんにせよ、帰ってきてよかった。安心したよ。顔見せてくれて、ありがとうな」
タバサは頷いて、今度はゼロ戦を見上げた。
「飛ぶの?」
「もうじき飛ぶよ。いま、コルベール先生がガソリン……燃料の油を作ってるところなんだ」
タバサは塔の傍らに建つ研究室にちらりと目をやって、またゼロ戦に視線を戻す。
やっぱり彼女は、ゼロ戦が気になっていたらしい。コルベール先生が『ヘビくん』を持ってきたときも熱心に見ていたし、意外とこういうのが好きなのかもしれない。
あるいは優れた風の使い手として、異世界の飛行機械に感じるものがあるのだろうか。
タバサはその白くて折れやすそうな手で濃緑色の機体を撫で、
「風石はもう積んだ?」
「積まないよ。こいつはガソリンで飛ぶんだ」
「……飛ぶの?」
少なからず、タバサは驚いたようだった。
俺に向かって小首を傾げ、美しい青い瞳をぱちぱちとまばたきさせる。
その様子があまりにも可愛らしくて、俺は笑ってしまった。
タバサは少しむっとしたように唇を曲げて……彼女がそんな表情を見せてくれたことに、今度は俺が驚かされた……、小さく呟いた。
「そうは見えない」
タバサはいつも手放さない長杖を軽く振って、ゼロ戦の正面からそよ風を吹かせた。
整備のために固定を外していたプロペラがかたかた揺れる。
「飛ぶかたちはしている。でも、重すぎる。メイジには不可能」
「タバサでも?」
「無理」
案外魔法でも再現できるんじゃないか、と、ふと気になって尋ねてみたけれど、タバサはあっけなく首を振る。
「全力で風を吹かせたら、少しは浮くかも。でも、飛ばすことはできない」
「こいつ、燃料満タンにしたら千リーグは余裕で飛べるらしいぞ」
「うそ」
「ほんとだよ。東方のロバ・アル・カリイエから
俺がそう言うと、タバサは黙り込んでしまった。
じぃっとゼロ戦を見つめるその瞳には、本に夢中になっているときと同じような、好奇心に満ちた輝きが宿っていた。
芸術品じみたその横顔をぼんやり眺めていたら、不意に、タバサが杖を振り上げた。
その唇がぽそぽそと風のルーンを紡いでいるのに気がついて、俺は慌てて、
「ちょ、待て待て待て! なに唱えてんだ!? やめてくれよ! こいつが壊れたらおしまいなんだよ!」
「冗談」
タバサはあっさり杖をおさめた。
けれどもほんとうに冗談だったのかどうか、怪しいものである。
負けず嫌いで、意外とめちゃくちゃなことをするタバサのことだ。
『ガソリン』と張り合って風の呪文でゼロ戦を飛ばそうとしてみたのだと言われても、俺は納得してしまう。
「いや、頼むぞ、ほんと……。心臓に悪いんだから……」
「……一回だけ、やってみたい。だめ?」
上目遣いに(身長差の関係で必然的にそうなる)お願いされて、いよいよ心臓が潰れそうだ。
反射的に許可しちゃいそうになるが、俺は必死の思いで首を振った。
「だ、だめだ。絶対、だめ。というかこれ、俺のじゃないから。訊くなら才人と、コルベール先生にしてください」
タバサが頷いたのを確かめて、俺はようやく安心する。
きちんと筋を通す性格の彼女は、これでもう勝手にゼロ戦を飛ばそうとしたりしないだろう。
才人たちに押しつけられてほんとうによかった。
俺ひとりだったら、次のお願いで陥落するのは確実だった。
「タバサ! 戻ってたのね!」
ゼロ戦の整備を続けていると、今度はルイズがあらわれた。
近くの木陰に座って本を読んでいたタバサのもとに、ルイズはうれしそうに駆け寄っていく。
そんな彼女の後ろには、デルフリンガーを背負った才人の姿。
「間に合ってよかったわ。やっぱりあなたに
ルイズはそう言いながら、鞄から『始祖の祈祷書』と詩の草案らしいメモ帳を取り出す。
タバサにメモを手渡してから、のんびり追いついてきた自分の使い魔を指差して、
「この犬、ほんと役立たずなのよ。自分じゃ一節も書けないくせに、文句ばっかり!」
「うるせ。どうせ詩の才能なんかねーよ。国語の成績、ずっと『3』だったよ」
憎まれ口を叩いた才人は不機嫌な顔。
ルイズに散々罵られたせいか。もしかすると、いまだ和解できずにいる俺がゼロ戦をいじってるせいかもしれない。
タバサはメモ帳に目を通すと、もじもじと評価を待っているルイズに向かって、
「あなたの部屋で」
と呟いた。
肩透かしを食らったルイズは少し眉をひそめたが、
「……そっか。また本を借りたいのね。わかったわ。でも、今度は一冊ずつにしなさいよ」
「すぐ読み終わる」
「そしたらまた来ればいいじゃないの」
「いいの?」
「いいに決まってるでしょ。とにかく、もうあんな風に持っていかないで。下品だし、部屋の景観を損ねるのよ」
「わかった」
『宝探し』を始めたときからますます距離が縮まり、ふつうの友達みたいに会話しているふたりに、俺はなんだかおかしな気持ちを抱いてしまう。
『原作』とも明らかに違う状況で、これがどんな『原作崩壊』につながるのか予想もつかない。
けれども俺は、この光景をどうにかしようとは思えなかった。
入学以来、まわりに敵しか作らず、ずっととげとげしい雰囲気をまとって自分を守ろうとしていたルイズが、こんなにも無防備に笑っている。
キュルケの他には誰とも関わろうとしなかったタバサが、どこか口数も多くルイズの言葉に答えている。
この光景が、悪い結果につながるわけがない。
いや、仮に悲劇に通じているのだとしても、いまこの瞬間にはそれを凌駕する価値があるはずだ。
俺のなかにある無根拠な希望が、また静かに膨らんでいく。
ふたりは連れ立って女子寮塔へと歩きだしたけれど、不意に、ルイズが振り向いた。
主人のあとをついていこうとした使い魔にしかめっ面を向けて、
「あんた、大事なひこうきを見に来たんじゃないの?」
「そりゃあそうだけど……」
微妙に歯切れが悪いサイトは、きっと俺を避けたかったんだろう。
ルイズはそれに気づいているのか、いないのか、つんつんした口調で言った。
「あんたがいると、詩作に集中できないの。散歩でもしてなさい」
「へいへい、わかったよ」
「なーに拗ねてるのよ。夕飯までには戻ってきなさいよね」
「わかってるって。俺は小学生かよ」
「なによ、ショーガクセーって。あんたの犬種? ワンワンうるさいばっかりで、役に立たないの」
そうしてルイズとタバサは行ってしまい、俺は才人とふたりきりになる。
俺たちは互いに視線を合わせず、気まずくゼロ戦を眺めていたが、やがて才人が「先生んとこ行かなきゃ」と呟いて研究室へ歩いていった。
ひとり残された俺はせつなくため息を吐いて、ゼロ戦の機体にもたれかかる。
額に触れる合金の冷たさがまるで罰してくれてるみたいで、心地いい。
「あーあ、なにやってんだろ」
才人と親しくなりすぎたら、それでおかしな変化を起こしてしまったら、『原作』からますます離れかねない。
タバサが、みんなが不幸になりかねない。
それで彼から距離を置いているというのに、これじゃあ余計に影響を与えてるみたいじゃないか。
こんなことなら早く仲直りすればいいのだけれど、俺は『原作』など関係なしに、彼に近づくことが怖くなっていた。
『計画』に使える、タバサを幸せにしてくれる、なんて下心をもって彼の友達になってしまったことが、いまさら恐ろしくなってきたのだ。
「バカだなあ、俺。ほんと、もう、どうしようもない……」
情けなくも涙の
俺は才人を……、勝手に未来を託してしまった大切な友達を失わなくてもすむように、精神力が底をつくまで、ずっと呪文を唱え続けた。