雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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45.「感心したわ。あんたハトを躾ける才能があるのね」

 

「クルト、ちょっとツラ貸しなさい」

 

 顔を腫らした才人が『そうだ。ルイズが授業受けてる間にシエスタんとこ行けばいいじゃん』と呟き、怪訝そうに俺たちを眺める下級生たちと入れ替わりで教室を去って行ったあと。

 俺も次の授業に向かおう、どう考えても遅刻するけど、無断欠席よりはマシだろう……と教室を出たとき、今度はルイズに首ねっこを掴まれた。

 くそ、油断した。

 ルイズが教室を覗いていたのには気づいてたけど、彼女は才人を追いかけていったとばかり思っていたのだ。

 

 ルイズは俺が文句を言うのも聞かずに、授業時間中の静かな廊下をつかつか歩き、俺を引きずっていく。

 ようやく解放されたのは、人気のない階段の踊り場についてからだった。

 

「お嬢、授業出なくていいの?」

「いいわけないでしょ。こないだの『宝探し』のサボりだけでも母さまに殺されかねないってのに……、またサボっちゃったわよ。あんたたちのせいよ」

 

 ルイズはむすっとした顔で答えた。

 

「人のせいにするのは貴族的じゃないぞ」

「うっさい。あんたが貴族を語るんじゃないわよ」

 

 すねを蹴られた。

 

「で、あんた、うちのバカ犬となに話してたの。あの水兵服と関係あるんでしょ」

「才人に訊けばいいだろ。お嬢の使い魔なんだから」

 

 別に全部教えてもいいが、ここで下手なことを漏らして、コルベール先生のときみたいに展開が加速しすぎると困る。

 『原作』では、ルイズが才人とシエスタの密会を覗くのは夜の出来事だったから、あまりに早く才人が捕まってしまうと、『惚れ薬』の誤飲自体がなくなりかねない。

 少なくとも、夕方になるまでは黙っておくべきだろう。

 

「さっき訊いたわよ。芸術について、あんたと熱い議論を交わしてたんですって。そんで、これからハトに餌あげにいくそうよ」

「へえ、さぞかし可愛いハトなんだろうな」

 

 ぼんっ、と背後で破裂音。

 一拍遅れて、ルイズが虚無を唱えたのだと気がついた。

 おそるおそる振り向くと、後ろの石壁が(えぐ)れている。

 厳重な『硬化』と『固定化』がかけられているはずの魔法学院の校舎の壁に、こぶし大のくぼみができていた。その断面は、まるでプリンをスプーンですくった跡みたいに滑らかだ。

 ぞわ……っ、と背筋に寒気が走る。

 

「わたしの新しい才能って便利でね。ルーンをどこまで唱えるかで、威力が調整できるのよ。ま、なんでも知ってるあんたなら、言うまでもないかもしれないけど」

 

 ルイズは上品な微笑みを浮かべ、優雅に杖を掲げた。

 

「ねえクルト。あんたが素直に話してくれなかったら、わたし、うっかり唱え過ぎちゃうかもしれないわ?」

 

 鳶色の瞳に浮かんだ鋭い眼光に、俺は悟る。

 こいつ……、本気だ。

 命までは取らないにしても、骨の一本くらいへし折る覚悟で杖を握ってる。

 俺が『虚無』に詳しいことはなぜか見逃してくれてるくせに、才人が絡んだ途端にこの有様(ありさま)

 優先順位おかしいだろ。

 どういう思考回路してんだよ。

 

「そ、それにしても、どうして俺に訊くんだよ。モンモランシーだって事情を知ってるんじゃないかな」

「『娘を欲するものは、まずはその母親から口説きなさい』っていうでしょ」

 

 ルイズが呟いたのは、『将を射んと欲するなら、まず馬を射よ』のハルケギニア的言い回しである。

 この場合、『娘』は才人で『母親』は俺、ということになるのか。

 

「俺、才人の母さまじゃないけど」

「似たようなもんでしょ。サイトがこっち来てから、あんたずっとあいつの世話したがってるじゃない。おかげでサイトも懐いちゃったし、いい迷惑よ」

 

 ルイズの暴論に、しかし俺は言い返せない。

 召喚当初から彼を気にかけていたのも、それで彼に好かれてしまったのも、まったくもって事実である。

 

「母親としちゃ、息子の信頼を裏切るわけには……」

 

 どん、と破壊の音が響く。

 先ほどより一回り大きな穴が、石壁に開いていた。

 うわあ……、と情けない声が漏れる。

 魔法使い(メイジ)としての本能的な部分が、彼我の圧倒的な格の違いを悟ったのか。言いようのない恐怖が全身を包んでいた。

 フーケのゴーレムに襲われたときより、ワルドの『遍在』と戦ったときより、いつかキュルケに燃やされかけたときより、それは恐ろしいプレッシャーだった。

 

「クルト? いま、なにか言ったかしら? 爆発でよく聞こえなかったわね」

 

 こんなとき、敵の強大さに屈せず己を貫き通すのが真に貴族的な態度なんだろうなと俺は思い……、けれども同時に、気づいてしまった。俺には別に、そこまで意地を通す理由もないのだ。

 ここで俺が吐こうが吐くまいが、最終的にはルイズに不貞の現場を見てもらわないと困る。

 だったら変に意地張って怪我をするより、むしろ適度に情報を渡して、ルイズの行動が『原作』に沿うよう誘導したほうがマシなんじゃないか。

 

「……すまん、才人。今度はすぐ謝るから」

 

 一度そんな思考に至ると、怯えた心を奮い立たせるのは不可能だった。

 俺は才人が必死になって隠そうとしていた不貞行為も、(『原作』通りであれば)彼が密会するだろう場所も時間も、すっかりルイズに話してしまう。

 

 

 

「……くちゅんっ」

 

 そして、夜。

 火の塔に登る、階段の踊り場。

 ふたつ並んだ(たる)の片方に、俺とルイズは隠れていた。

 立って入れるほどの高さはないので、ふたりとも樽の中で座った格好である。

 

「あのバカ犬、ほんとに来るんでしょうね……」

 

 俺の隣で膝を抱えて座ったルイズが、不機嫌そうに呟く。

 

「来るよ。ここで待ち合わせするって、あいつ言ってたから」

 

 実際彼が言ったのを聞いたわけじゃないが、『原作』ではそうだった。

 念のため使い魔(ロッキー)を使って厨房のメイドたちの噂話を盗み聞きして、シエスタが火の塔に呼び出されたらしいことも確かめたから、まず間違いないだろう。

 

「ならいいけど……くちゅっ」

 

 ルイズは眉間にしわを寄せて呟き、またくしゃみをした。

 トリステインの夏は東京(前世)の夏ほど気温が上がらず、日が沈むとずいぶん冷え込む。

 薄い制服にマント一枚では寒くもなるだろう。

 

「そういやルイズ、一応ガウン持ってきたけど、いる?」

「なんでそんな準備いいのよ。キモいわね」

 

 ルイズは文句を言いながらも俺の手からガウンをむしり取り、膝掛けのように脚の上に広げた。

 こんな樽のなかで誰も見ていないとはいえ、やはり公爵家のお嬢さま。男物の服を着るのは抵抗があるようだった。

 こんなルイズが才人のパーカーを着て頬を染めるようになってしまうのだから、恋ってのは恐ろしいなあ……、と妙にしみじみした気分に浸っていると、

 

「……お、才人だ。早かったな」

「どこよ。いないじゃないの」

 

 ルイズは樽の側面に開けた覗き穴に顔をくっつけ、囁いた。

 事前に『サイレント』を唱えているからふつうに喋ってもかまわないのだけれど、俺もつられて小声になって、

 

「いま階段を登ってるとこ。塔の入り口にロッキー置いといたんだよ」

「あんたの使い魔の石ころね。便利だけど……、なんかキモいわね。使い魔と主人って、やっぱり似るのね」

「うるせ。お前らもたいがいだぞ」

「どういう意味よ」

 

 なんて言い合ってる間に才人が踊り場にやってきた。

 才人は周囲を警戒しながら俺たちの隠れている樽の蓋に手をかけ……どきりとするけど、大丈夫。あらかじめ『錬金』で留め具をいじって、内側からしか開かない仕組みにしておいた……、がたがたと木の板を揺らす。

 それから才人は隣の樽の蓋を開け、そのなかに身を潜ませた。

 ほっ……、と俺とルイズはどちらからともなく息を吐く。

 

「なあ、いまさらだけど、俺まで一緒に隠れる必要あったか? 才人の情報吐いたし、樽に魔法もかけた。樽のなかまで付き合わせなくてよかっただろ」

 

 ルイズと一緒に隠れてるところを才人に見られたら、密告したのが俺だとバレる。また才人に怒られてしまう……、と不満を漏らすと、ルイズは当然のように、

 

「必要なくても、付き合いなさいよ。義務でしょ」

「さいですか……」

「だいたい、この場所を教えたのはあんたじゃないの。もし誰も来なかったら、責任取らせる必要があったわ」

「責任って?」

 

 イヤな気配を感じて尋ねると、ルイズはさらりと答えた。

 

「決まってるでしょ。虚無よ、虚無」

「勘弁してくれ……」

「よかったわね、サイトがのこのこやって来て。虚無を食らうのは、あんたじゃなくてあのバカ犬よ」

 

 友達を見捨てるようで情けないが、ルイズの皮肉な言葉通り、俺は才人に感謝を抱く。

 昼に見たルイズの虚無魔法は、ほんとうに恐ろしかったのだ。

 生物としての本能を刺激されるあの恐怖は、きっとメイジでなければわからないだろう。

 

「それにね、あのメイドも油断ならないけど、あんたはあんたで……」

 

 不意に、ルイズは言葉を切った。

 踊り場に淡い光が差したのだ。

 俺とルイズは並んで覗き穴に顔をくっつける。

 その数秒後、周囲を警戒するように足音を殺し、おそるおそる階段を登ってきたのは、ひとりの少女。

 彼女は手に持ったランタンを床に置き、不安そうに呟いた。

 

「……サイトさん?」

 

 俺たちの隣の樽が揺れて、なかから才人が顔を出す。

 

「シエスタ、来てくれたんだな」

「わ! サイトさん! どうして樽に?」

「いろいろ事情があって……、って、え?」

 

 才人はシエスタの格好を見て、目を丸くした。

 

「き、着てきちゃったの?」

「そのほうがサイトさんよろこぶと思って」

 

 はにかんだように笑うシエスタは、『原作』通り、例のセーラー服を着ていた。

 才人はセーラー服を回収したくてここまで呼び出したのだが、シエスタのほうは逢い引きの約束と思い込んでいたのだ。

 ルイズにバレる前にこの件を片付けたかっただろう才人としては、致命的な事態である。

 まあ、俺がルイズに全部話しているのだから、バレるもなにもないのだが。

 

「そっか……。ど、どうしよう、かな……」

「そ、そ、そ、そうね、ど、ど、どうして、くれよう、かしら……」

 

 ルイズは覗き穴に顔を押しつけたまま、震える声で呟いた。

 こんなに怒っているのに才人を殴らずに耐えているのは、樽に潜んで逢瀬を監視しているこの状況が、あまりにも貴族的じゃないから。要するに、こっそり覗いてるのがバレたらかっこ悪くて恥ずかしいからだろう。

 しかしルイズの忍耐力はすでに限界に近づいているらしく、彼女は鼻息も荒く、全身がたがた震えている。

 

 そしてそんな爆弾が近くにあることを知らないシエスタは、好いた男をよろこばせようと、けなげにも、

 

「えっと、その……、お待たせっ!」

 

 と、くるりと一回転して、顔の前で指を立てた。

 

「か、かわいい……」

 

 才人は呆けた声で呟く。

 ルイズは俺の脇腹に拳を撃ち込む。

 ぐえっ、と俺の口から悲鳴が漏れる。

 事前にかけた『サイレント』のおかげで、才人たちには届かない。

 シエスタは照れたように微笑み、才人の前でもう一度回った。スカートがふわりと浮き上がり、才人の視線はもうシエスタの脚に釘付けだ。

 

「こ、ころ、ころす、ころす、ころしてやるわ」

「い゛っ、いた、いたいって、やめて、な、殴るなら、才人に」

「きょむ、きょむで、わたしの、きょむで、ち、ち、ちりひとつ、のこさず、ころして、やるわ」

「やめて、お嬢、いやルイズ、る、ルイズ、お嬢、さま、フランソワーズ、おねがい、やめて」

 

 ルイズは呪詛を吐き出しながら、機械的に俺を殴り続ける。

 なるほど、いくら『サイレント』があるとはいえ、樽を殴って揺らしたりしたら、さすがに隠れてるのがバレてしまう。

 俺を怒りのはけ口にするのは、きわめて合理的な判断だ。

 サンドバッグにされる身からすると、たまったものではないのだが。

 

「あ、あの、サイトさん……、ここで、ですか?」

「え?」

「わたし、そりゃ、村娘ですから、その、場所なんか気にしませんけど、でも、その……」

 

 しかしシエスタの台詞を受けて、ルイズは硬直した。

 なにか覚悟したようなその声音に、同じ男を慕う女性として、ただならぬものを感じたのかもしれない。

 

「もうちょっと、その、人が来なさそうで、綺麗な場所がいいなあって。あ、でも! これ願望でして! サイトさんがここがいいって言うなら、ここでも……で、でも、わたし初めてで……ああ、わたし怖いわ、とうとう奪われちゃうのね」

「ち、ちがうんだ、シエスタ。俺はただセーラー服を、」

 

 爆音。

 樽が弾ける。

 間近に起こった衝撃に吹き飛ばされ、俺は踊り場の壁に叩きつけられる。

 

「うわ、なんだぁ!?」

 

 才人の戸惑った声――きゃあきゃあというシエスタの悲鳴――ぎゃっ! と断末魔の叫びが響く。

 もうろうとする意識で顔をあげると、肩をいからせたルイズの前で、才人がうずくまっているのが見えた。

 両手で股間を押さえているあたり、またしても急所に蹴りを食らったらしい。

 

「る、ルイズ……、どうして、ここに……?」

「ねえ犬、知ってるかしら? あんたの大事なお友達って、わたしの子分なのよ」

 

 ルイズは胸を反らして勝ち誇る。

 それでようやく、才人は踊り場の隅に倒れる俺に気がついた。

 

「クルト!? お前まさか……またチクりやがったのか! 裏切り者!」

「すまん、才人、仕方なかったんだ……。でも、ほら、今回はすぐ謝ったから」

「そういう問題じゃねえよ! もう絶対セーラー服貸してやんねえ!」

「あんたたちのバカ話はどうでもいいのよ」

 

 ばんっ、と破裂音が響いた。

 才人の目の前の空間を爆破したその魔法は、しかし破壊はもたらさず、ただ閃光と音で彼の注意を奪っただけだった。

 ルイズ、もうずいぶん虚無を使いこなしてるんだなあ……、と、俺は恐怖に(おのの)きながらも、奇妙に感心する。

 

「ねえ、犬。ずいぶん素敵なハトを飼ってるのね。へぇ。可憐な装いをプレゼントね。まあいいわ。わたしは優しいから、そのくらいなら許してあげる。ご主人さまをないがしろにして、ハトにプレゼントを贈ろうが、別にかまわないわ」

 

 嘘である。

 シエスタに服を贈ったという事実にも、ルイズは激怒している。

 それは傍目にも明らかだ。

 しかしその事実を指摘する勇気のあるものは、この空間にはいなかった。

 

「犬。ねえ、犬。感心したわ。あんたハトを躾ける才能があるのね。くるっと回って、なんでしたっけ? おまたせ? 愉快ね。とってもお上手な芸だったわ」

「ルイズ、あのね」

「でもそのハト、こう言ったわ。は、は、は、初めてで、う、うううう奪われちゃうって。犬、ねえ、犬、どういうこと? い、い、犬のくせに、きっ、き、ききキスしたくせに、あんた、誰のナニを奪うって?」

「ルイズ、違うんだ。これは誤解で……」

 

 ルイズは鞄から『始祖の祈祷書』を取り出し、ルーンを唱え始めた。

 しかも今までのような単小節の詠唱ではない。長ったらしい、聞いてるだけで腰が抜けそうになる、本気の詠唱だ。

 

 命の危機を感じたらしい才人は背中に吊ったデルフリンガーを握り締め、脱兎のごとく逃げ出した。

 ルイズがその背中に杖を振る。

 才人は轟音とともに吹き飛ばされ、しばらく痙攣していたが、よたよたと起き上がって火の塔の外へ駆けていく。

 

「待ちなさい! バカ犬! 節操なし! キスしたくせに!」

 

 ルイズは彼を追いかけていった。

 残された俺とシエスタは無言で彼らを見送っていたけれど、やがて目を見合わせて、

 

「……あの、えっと、ミスタ・コールス? ……だ、大丈夫ですか?」

「ああ、俺はいいんだ。それよりすまない。怖かっただろう。うちのお嬢が……」

 

 俺は壁に手をついて立ち上がり、シエスタに答えようとして……、気がついた。

 この服、ほんとうに丈が短い。スカートは脚の付け根まで見えそうな長さだし、上着だってモンモランシーが教室に着てきたやつよりずっと短い。動かなくても(へそ)が出てしまいそうだ。

 才人のやつ、女の子になんて格好させてるんだ。

 はやいとこ才人たちを追いかけに行きたいけれど、最低限のフォローはしておかないと。

 

 俺は深く息を吐いて、塔の入り口に置いていたロッキーと感覚を繋ぐ。樽の残骸のなかからルイズに貸していたガウンを探して、ひっぱり出した。

 

「とりあえず……帰るにしても、その格好じゃ冷えるだろう? 風邪を引いてしまうよ」

 

 ガウンに杖を振り、汚れを残らず落としてシエスタに差し出す。

 

「え、そんな、いけません。貴族の方に……」

 

 シエスタは恐縮して首を振るが、俺は無理矢理に押しつける。

 使用人宿舎は、たしか火の塔と反対側のスズリの広場にあったはず。こんな夜更けに、こんなふざけた格好で歩いていかせるわけにはいかない。

 シエスタはガウンを返したそうにしていたけれど、塔の近くで響いた爆音にびくりと身を竦ませた。

 

「クルト! あんたいつまで遊んでんのよ! さっさとこっち来て手伝いなさい!」

 

 次いでルイズの金切り声が飛んできて、俺は疲れた声で、

 

「……じゃあ、もう遅いから気をつけて。上着、返すのはいつでもいいからね」

 

 それだけ言い残して、ルイズのもとへと走っていく。もちろん、塔を出るときロッキーを拾っていくのも忘れない。

 

 

 

「おいクルト! なんでお前まで追っかけてくんだよ!」

 

 逃げる才人に『アース・ハンド』……相手の足下に土の手を生やすドット・スペル……を唱えるけれど、ガンダールヴの力を発揮した彼は捕まらない。

 彼は軽々跳躍して土の手を(かわ)し、またしても距離を開けられる。

 

「すまん。ほんとすまん。俺にも事情があってな」

 

 俺は謝りながらも次々に呪文を唱え、才人の逃げ道を限定していく。

 すぐには捕まりそうもないが、俺の目的からするとこれで十分。

 この調子で追い込めば、彼は確実に女子寮塔に逃げ込むだろう。

 こんなことしなくても『原作』通りに進む気もするが、念には念を、というやつである。

 

 モンモランシーが自室で惚れ薬を作っているのも、すでに確かめている。

 火の塔で才人を待っている間、ロッキーの感覚を伸ばして彼女の部屋を覗いておいたのだ。

 さすがにこの距離だと精度が落ちるけれど、『水精霊の涙』を使った魔法薬があることさえわかればいい。

 ロッキーは精霊の力に敏感で、『涙』の行方を探るだけならたいした負担もなく行えた。

 

「こら! 犬! 逃げんじゃないわよ! そんでクルトもなにやってんの! あんたのしみったれた砂で、さっさとバカ犬を捕まえなさい!」

 

 ……と、そんなことを考えているうちに、才人が女子寮塔の前まで来ていた。

 

「わかってるよ、ルイズ・フランソワーズお嬢さま」

 

 俺はルイズの罵倒に答え、寮塔の近くに仕込んでおいた砂像(サンド・ゴーレム)を立ち上がらせる。

 行く手を塞がれた才人はまんまと塔のなかに逃げ込んだ。

 領地で狩りを手伝っていたころを思い出す光景。

 ここまで来れば、彼は罠にかかった獲物も同然だ。俺は寮塔の入り口で立ち止まり、ポケットからロッキーを取り出して壁に押し当てる。

 

「クルト! 勝手に休んでんじゃないわよ!」

「大丈夫、もう捕まえた」

 

 半歩遅れて追いついてきたルイズが走ってきた勢いのまま俺の足を蹴る。使い魔との感覚共有を深めていたせいか、奇妙に痛みを感じない。

 

「捕まえた? どういうことよ」

「こういうこと」

 

 と、俺は目をつむったまま杖を振った。

 壁の隙間や調度品の影から砂が湧きだし、上の階を走る才人の足に絡みつく。

 いかなガンダールヴといえど、俺たちの視界を逃れたと思って油断している隙をつけば、捕らえるのは難しくない。

 卑怯な気もするが、こういうこまごました下準備こそ土メイジの本領。この日のために、女子寮塔の各所に砂を隠しておいたのだ。

 

 俺は砂で才人を拘束しながらさらにロッキーの感覚を広げ、モンモランシーの部屋を探る。

 この距離だったら、部屋のなかに誰がいるか、なにをしているかまで完璧に読み取れる。

 いまはちょうど、彼女の部屋を訪れているギーシュが大げさな身振りでなにか語っている様子だが……よし、最高のタイミングだ。

 モンモランシーがギーシュの気を逸らし、精霊の力の籠もった魔法薬をワイングラスに垂らしたのを確かめてから、俺は才人の拘束を緩める。

 同時に砂の壁を作って廊下を塞ぐと、彼は慌てて近くの扉に飛び込んだ。

 

「よし、うまくいった。モンモランシーの部屋に入った。お嬢、急ぐぞ」

 

 ここまでやってギーシュが惚れ薬を飲んだりしたら最悪だ、と俺は階段を駆け上がる。

 

「はぁ!? あの『洪水』の!? ま、まさか、あの犬……!」

 

 追いかけてきたルイズは恐ろしい形相で杖を握りしめた。

 火の塔で見たシエスタの格好と、今朝モンモランシーがセーラー服で教室にあらわれたことを結びつけたんだろう。

 ひどい冤罪だ。

 ……が、訂正する暇もなく俺たちはモンモランシーの部屋に辿り着く。

 体当たりするように扉を開けると、ちょうどその後ろに立っていたギーシュが跳ね飛ばされて、ぐえっと蛙のような悲鳴をあげる。

 

「な、なんなんだね、きみたちは! 勝手にモンモランシーの部屋に……」

 

 立ち上がって文句を言いかけたギーシュは、しかし次いで部屋に駆け込んできたルイズに突き飛ばされて床に転がった。

 

「よくやったわ、クルト。あんたもたまには役立つじゃないの」

「お褒めに預かり、光栄に思っとくよ」

 

 ルイズはちらりと俺に目をやり、それから部屋を見渡した。

 部屋の奥であっけに取られているモンモランシー、床に倒れて痙攣しているギーシュ、机に置かれたワインの瓶とふたつのグラス……片方のグラスから、強い精霊の力を感じる。感覚共有は切っているはずだが、ロッキーが自ら警告してくれているのかもしれない……、そしてベッドの上。

 毛布がこんもりと膨らみ、小刻みに震えている。

 

「さて、犬。でてきなさい。(しつけ)の時間よ」

 

 返事はなかった。

 ただ、毛布の震えが大きくなった。

 

「そう。わかったわ。あんた、変わってるわね。もっとひどくして欲しいのね」

 

 ルイズはかすれた声で呟き、空咳をひとつ。火の塔からここまで走って、喉が乾いたのだろう。導かれるようにグラスに手を伸ばす。精霊の力を強く感じる、『惚れ薬』が入っているほうのグラスだ。

 これでなんとか、『原作』通りの展開になりそうだ、と俺は安堵して……不意に気がついた。

 

 惚れ薬の効能は、飲んでから最初に顔を見た相手に惚れさせること。

 『原作』ではそれでルイズが才人にべたべた甘えるようになったわけだが、いま、ここには、『原作』とは違う要素が存在している。

 無論、俺である。

 そして、決断は一瞬だった。

 

「あー、喉かわいた! やっぱ砂の魔法使うと空気が乾燥するなあ!!」

 

 俺は白々しい台詞を叫び、ルイズの手からグラスを奪う。

 ぎゅっと目をつむって、グラスのワインをひと息に(あお)る。

 一拍遅れて、あっ、とモンモランシーが悲鳴をあげた。

 

「ちょっとクルト、なにすんのよ!」

「すまん、喉がかわいて。でも、お嬢はそっちのグラスから飲めばいいだろ?」

「ワインはいいけど、クルトのくせに生意気よ。どうしてわたしが持ってた、……あんた、なんで目ぇ閉じてんの?」

「いや、その……、目に砂が」

 

 とぼけたことを言ってる間にも、胃の腑に落ちた惚れ薬が体に染み込み、胸の奥が奇妙にざわつくのがわかる。水の力が心を組み替えていくのを実感する。

 ポケットのロッキーが火傷しそうな熱を持つ。

 もしかしたら、自ら強力な魔法薬を飲むなんて愚行を犯した主人に怒っているのかもしれない。

 

 でも、仕方なかったのだ。

 もし惚れ薬を飲んだルイズが、才人の顔を見る前に『クルト! バカ犬を引きずりだしなさい!』とか叫んで振り返ったら。

 それで俺に惚れてしまったら。

 

 仮にルイズが俺に惚れても、『原作』に沿う展開にはできるだろう。

 薬でおかしくなったルイズを治すという動機が生じる以上、主人公主従はラドグリアン湖に向かうはず。

 しかし、だとしても、ありえない。

 俺に惚れてるルイズだなんて。しかも才人を前にしたときみたいなツンデレではなく、子猫みたいに甘ったれてくるルイズなんて……、無理だ。気持ち悪い。耐えられない。

 万が一にも、そんな事態は認められない。

 ああ、こんなことなら、調子に乗ってモンモランシーの部屋まで来るんじゃなかった。

 才人をここに追い詰めた時点で、あとはルイズに任せるべきだったのだ。

 

「ま、あんたはどうでもいいわ。それより、犬。待たせたわね。覚悟して……なによクルト、あんたはひっこんでなさいよ」

「まあまあ、お嬢、ここは俺に任せてくれよ」

 

 俺はルイズを押しのけ、薄目で床だけ見るようにしながらベッドに近づく。

 毛布に手をかける。

 

「く、クルト? まって……、おねがい、ゆるして、セーラー服もタバサにあげるから、な? 友達だろ?」

 

 毛布のなかから哀れっぽく懇願してくる才人に心が揺らぎそうになるが、他に選択肢がないのだ。

 惚れ薬を飲んでしまった以上、俺は誰かに惚れることになる。

 惚れる相手は、才人かルイズのどちらかだ。

 彼ら主従にラドグリアン湖に行ってもらわねばならないのだから、ギーシュやモンモランシーに惚れても意味がない。

 なんとしても、ふたりを事件の当事者にする必要がある。

 そして俺がルイズに惚れるのは、ありえない。ルイズが俺に惚れるよりは幾分かマシだが、それでも、いやだ。想像するだけで、毛虫が靴の中に入ってくるような拒否感がある。

 だから俺の惚れるべき相手は、たったひとりしかいないわけで。

 

「すまん才人、ほんとすまん。今回はもう、許さなくていいから」

 

 俺は強引に毛布をひっぺがし、そして――、

 

 

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