雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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主人公の惚れ薬が治るまではキュルケと才人の視点で話が進みます。
まずはキュルケから。



46.キュルケ(1) 情熱の火種

 

「あ、牛」

 

 馬車の窓枠に肘をつき、うららかな日差しに照らされた景色を眺めていたキュルケは、ふと呟いた。

 

「ほら見てタバサ。牛があんなにたくさん。仔牛もいるわ。大きな牧場ねえ。アルヴィーズの食堂に出てくるお肉も、ここで育ててるのかしら?」

 

 同乗者に振り向いて尋ねるが、返事はない。

 隣に座ったタバサはキュルケに見向きもせず、本に視線を落としたまま。けれども彼女は、読書に集中しているわけでもない。学院を出たときからずっと、本のページはひとつも変わっていないのだった。

 そんな小さな友人の姿に、キュルケは胸がしめつけられる心地がした。

 いつもの自分だったらなんて言うだろうな、と想像して、つとめて明るく話しかけた。

 

「ねえタバサ。せっかく授業をサボって出かけるんだから、もっとはしゃいだ顔しなさいよ。ほら、牛さんが草食べてるわよ。あ、鳴いた! 牛さんが鳴いてるわ! もー、もーもーって!」

 

 やはり、返事はなかった。

 流石にわざとらしかったかしら、とキュルケは恥ずかしくなって、タバサをぎゅうっと抱きしめる。

 力を籠めすぎたせいか、タバサの細い指が紙面を滑り、ぱらぱらとページがめくれていく。

 しかし彼女は気にする様子もなく、開いたページをぼんやり眺めるだけだった。

 

 

 先週のダエグの曜日、キュルケはタバサの部屋を訪ねた。

 タバサはちょうど荷物をまとめているところで、旅行でも行くのかとキュルケが尋ねると、『実家に帰る』と短い答えが返ってきた。

 キュルケはついて行きたいと言い、タバサはこれに頷いた。

 

 そして、キュルケは知っていた。

 この小さな親友が実家に帰ることも、キュルケの願いを受け入れることも、タバサの帰省先がガリア王国のオルレアンであることも、そこでラドグリアン湖の水の精霊と戦う羽目になることも。

 安宿での拷問の末に『未来が見える』と白状した友人、クルト・ド・コールスから教えられていた。

 

 クルトの予言は、それだけではない。

 惚れ薬を飲んだルイズを治すため、サイトとルイズとギーシュとモンモランシーがラドグリアン湖にやってきて、彼らと一戦交えるかもしれないこと。

 彼らのおかげで、タバサの仕事が……『湖の水位上昇に対処せよ』という無理難題が解決できること。

 そして惚れ薬問題が解決したあと、ルイズたちと一緒に女王アンリエッタの誘拐を防ぐことまで、クルトは語った。

 

 タバサの帰省が女王陛下の誘拐につながるなんて、ずいぶん突拍子もない展開に思えたが、彼曰く『これで一区切り』なのだとか。

 

 

 轍を踏んだ馬車が揺れ、とす、とタバサの膝から本が滑り落ちた。

 しかし彼女は拾おうともしない。キュルケの腕のなかで身じろぎひとつせず、本を乗っけていた自分の膝をぼうっと眺めているだけ。

 タバサは『読めれば何でも』と言わんばかりの乱読家だが、一方で本を小さな友人の如く大切にする愛書家でもある。

 落とした本を放っておくなんて、まるで彼女らしくない。

 馬車に乗ってからのタバサは、どこかおかしかった。

 このオルレアンへの帰省には、彼女の心を凍らせてしまう何かがあるのだ。

 もともと表情も口数も少ないキュルケの親友を、どうしようもなく凍てつかせる何か……。

 それこそが、クルトが決して教えてくれなかったこと。『屋敷に着いたら、執事のペルスランに尋ねて欲しい』と語ったタバサの秘密なのだろう。

 

 キュルケは床に落ちた本を拾おうとして、タバサを抱きしめていた腕を緩めた。

 体を起こしかけたキュルケの手を、しかし冷たい手が引き留める。

 

「タバサ?」

 

 タバサは答えなかった。

 頷きもせず、キュルケの手を自身の薄い肩に置き直し、こちらに体重を預けてくる。

 

「……必要?」

 

 短い沈黙の後、キュルケの口から不器用な質問がこぼれた。それはいつか、この青髪の少女が贈ってくれた言葉。

 タバサは目をつむり、静かに頷く。

 キュルケはたまらなくなって、タバサを強く抱きしめた。

 

「くるしい」

 

 と呟き声が聞こえるまで、キュルケは情熱のままに小さな親友を胸に抱いていた。

 

 

 タバサがズレたメガネを直し、床に落ちた本を拾っているとき、街道の先、小高い丘の向こうに馬車に乗った一行があらわれた。

 フードを深くかぶり、それぞれにマントと軍杖を身につけた、十人ほどのメイジの集団。

 キュルケは思い出す。

 オルレアンへの道中で起こることについても、クルトは予言していた。

 もし彼らが、クルトが話していた通りの人物なら……。

 キュルケは細心の注意を払って、すれ違う一行を観察し……、あっ、と声をあげそうになった。

 

 フードの隙間からちらりと覗いた、先頭をゆく男の顔。

 その涼しげな目元、高い鼻梁、艶やかな唇は、間違いない。アルビオン皇太子ウェールズ・テューダーその人であった。

 キュルケが彼の姿を見たのは五年前。ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の戴冠式。

 国賓として訪れていたウェールズが振りまいていた高貴な魅力を、彼女はいまでもよく覚えている。

 (うるわ)しの皇太子殿下が戦死したという公布を聞いたときは口惜しくなったものだが、彼の亡骸が先住の秘宝で操られ、陰謀に使われていると思うと、魅力的な分だけおぞましく感じた。恋人の亡骸を弄ばれる女王アンリエッタの心を思うと、怒りを抱くと同時に背筋がぞっとする。

 水の精霊から『アンドバリの指輪』の話を聞いたら、すぐにでもウェールズとすれ違った話をルイズたちに伝えて欲しい、とクルトから頼まれているが、それで間に合うのだろうか。

 できるのなら、いますぐにでも王宮に知らせたほうが……、くい、と服の裾をひっぱられた。

 

 視線を馬車に戻すと、隣に座るタバサが小さく首を傾げている。

 考えに耽るあまり、緊張が漏れていたのかもしれない。

 キュルケはにっこり笑って、

 

「なんでもないのよ。すれ違ったのが、あんまり良い男だったから」

 

 タバサは頷き、本を開いた。

 しばらくの間、キュルケはなにをするでもなくその横顔を眺め……先ほどまでと違って、時折、本のページがめくられている。やけにゆっくりしたペースではあるが、今度はちゃんと本を読んでいるらしい……、ふと疑問を口にした。

 学院を出たときからずっと尋ねたくて仕方なかったのだが、タバサの様子がおかしくて、どうにも言い出せなかった質問。

 

「彼が来なくて、残念だった?」

 

 タバサはそっけなく首を振った。

 あえて名前を出さなかったけれど、質問の意味は違わず伝わったらしい。それだけで十分な成果だと思いながらも、キュルケは親友に問いかける。

 

「でも、あなたが誰かに予定を教えるなんて、いままで一度もなかったじゃないの」

 

 一昨日の夕飯の席で、タバサはクルトに『実家に帰る』と告げていた。

 彼女が訊かれてもないのに自分のことを話すなんて、めったにないことだ。

 しかも一昨日というのが肝であると、キュルケの女の勘が叫んでいた。

 出発まで、一日の猶予がある。ガリアへの国境越えの通行手形をオールド・オスマンに申請するのに、ぎりぎりで間に合うタイミングなのだ。

 これは、つまり、彼を遠回しに誘っていたのも同然である(論理の飛躍があることにはキュルケ自身気づいていたが、恋の情熱は論理や理屈といったものを超越するのだ、というのが彼女の持論だ)。

 

「言っただけ」

 

 タバサは相変わらずそっけない。

 けれどもキュルケはめげなかった。

 彼女はタバサが恋の情熱を知ってくれたらどんなに良いだろうと常々思っていたし、その相手として、クルトは悪くない選択肢だと考えていた。

 彼は(『未来の知識』なんて与太話を抜きにすれば)学院の男子のなかではマシなほうだし、彼がタバサに向ける情熱は、『微熱』のキュルケをして感心させられるものがある。

 そしてなにより、この辛気くさい馬車の旅を明るくしてくれそうな話題は、やはり『恋』しかないのだった。

 

「ほんとに? 彼と旅したかったんじゃないの?」

「誤解。しつこい」

 

 その呟きには苛立ちが(にじ)んでいて、キュルケは微笑んだ。

 なぜって、タバサが自分の気持ちを伝えてくれたからだ。

 今朝早くに学院を出発してから、彼女はずっと気を張っていた。

 読みもしない本をずっと眺めて、心を雪風で覆って、親友のキュルケさえ拒絶していた。

 こうして怒っている姿を見せてくれるのは、少しは緊張がほぐれてきた証拠。嬉しく思ってしまうのも仕方ないだろう。

 けれどもタバサからすると、キュルケの笑みは友人との関係を勘繰(かんぐ)()()()()企みにしか映らなかったようで、珍しく大きなため息を吐いた。

 ぱたんと音を立てて本を閉じ、

 

「彼は、おかしい」

 

 と呟いた。

 キュルケは胸をときめかせた。

 日頃から男を寄りつかせる気配もなく、舞踏会に出ても食事にしか興味を示さないタバサからすれば、彼女に好意を寄せるクルトの存在は奇妙に思えることだろう。

 ともすれば、彼に好かれていることさえ気づいてないかもしれない。

 キュルケは以前から彼の好意を言い立てているのだが、すべて『誤解』と切り捨てているのかも。

 

 でも……、それって逆に()()()じゃないかしら?

 いまは『おかしい』としか思えないクルトの言動が恋の情熱だと理解したら、もしかしたら――

 

「知りすぎてる。彼を信じるベきじゃない」

 

 そんな楽しい妄想は、しかし冷淡な呟きに断ち切られた。

 タバサが怪しんでいるのは、恋の情熱じゃない。クルトの『未来の知識』に対してだった。

 春の使い魔召喚からこっち、彼の言動のおかしさにはキュルケも気づいていたのだから、この聡い親友が違和感を抱いたとしてもおかしくない。

 そうして、自分がこの可能性をちっとも考えていなかったことに、キュルケは少なからず驚いた。

 彼の秘密を知っているのは自分だけだという無自覚の優越感が、彼女の思考を鈍らせていたのだ。

 

「知りすぎっていうのは……、今回の帰省や、あなたがときどき学院を離れることと、関係ある?」

 

 慎重に言葉を選びながら問うと、タバサは頷いた。

 どうしたものかしら……、とキュルケは思う。

 クルトへの疑いを解くには(そしていっそう重要なこととして、恋の情熱に目を向けてもらうには)、どうしたらいいんだろう?

 

 『彼は未来が見えるのよ。だからあなたの秘密も本名もみんな知ってるらしいの』と言えたらどれだけ楽か。けれどもそんなことを言っても、からかってると思われて怒られるか、気が()れたのかと心配されるだけ。

 キュルケはそんなことを考え……、友人の苦悩を初めて知った。

 

 なるほど、彼が話したがらなかったわけだ。

 あの『女神の杵』でクルトを問い詰め、『未来が見える』という言葉を吐き出させたとき、彼が浮かべた不安な表情……迷子になった子どものような怯えた顔を、キュルケは鮮明に覚えている。

 その情けない顔に、胸に燻っていた()()をくすぐられそうになって、『予言が当たったら信じてあげる』なんて約束しちゃったのである。

 キュルケは窓の外に目をやり、呟いた。

 

「そうね、クルトはやっぱり、おかしいわね」

 

 そんな彼を信じている自分も、やはりおかしいのだろうか?

 未来を知る魔法なんて、このハルケギニアには存在しない。

 虚無や先住の魔法にはあるのかもしれないが、少なくとも、四大系統の魔法にはなかったはず。

 平民のなかには占いを生業(なりわい)にする者もいるし、貴族の間で占いが流行(はや)ることもある。しかしそれらはすべてインチキであると、トリステインに留学する前、恋占いに没頭していた時期のあるキュルケはよく知っていた。

 

 それなのに、どうして自分はクルトを信じたのだろう。

 確かに信じると約束した。彼の予言も、いまのところは当たっている。

 けれども彼を信じてしまったのには、それとはまったく別の理由があることに、キュルケは気がついた。

 彼女がクルトの言葉を信じたのは、もっと以前。約束や予言が出てくる前のこと。

 彼が『未来を知ってる』と話したその瞬間から、キュルケの心は素直に受け入れていたのだった。

 それは別に、彼の不安にときめいたわけでも、まして同情したわけでもない。

 

「昔からずっと、あいつはおかしな男だったわ」

 

 そう、クルトはおかしかった。

 『未来を知ってる』なんて胡乱なことを言われてもあっさり認めてしまうくらいに、世界からズレてる男だった。

 あまりにズレているものだから、キュルケは一時期、彼がゲルマニア皇帝かトリステイン王家の隠し子じゃないかと本気で疑っていたほどだ。

 

 キュルケは嘆息を吐いて窓から視線を戻し……、ふと、隣に座るタバサがじっとこちらを見つめていることに気がついた。

 メガネの奥の宝石じみた青い瞳には、本を読んでいるときとも似た、好奇心の光が浮かんでいる。

 キュルケの唇がゆるく弧を描き、微笑みを形作った。

 

「あなたが心配してることの答えにはならないでしょうけど……、彼の昔の話、聞きたい? いまよりもっとおかしかった頃の話よ」

 

 タバサは頷いた。

 彼女が他人の話を聞きたがるのも、やはりめったにないことである。

 それはクルトへの不審から来たものか、それとも情熱の萌芽なのか……、そんな妄想が表情に漏れていたらしい。タバサは拗ねたように瞳を細め、

 

「誤解」

 

 と呟いた。

 わかってるわよ、とキュルケが言うと、わかってない、とタバサは言い返す。

 彼女が負けん気の強い性格ということはキュルケも知っていたが、こんなにも意地を張ってくるのは、クルトの話題くらいである。

 タバサは不機嫌になると、たいていは言い返しさえしないで無視するか首を振るかで済ませてしまう。機嫌が良くても人を無視する少女なのだ。虫の居所が悪ければなおのこと、まるで相手が存在しないみたいな態度を取ってくる。

 やっぱりこの子、あいつを意識してるのね、とキュルケは(自分がしつこく詮索してきたことを棚に上げて)確信を深める。

 いいから、はやく話して、とせっついてくるタバサの髪を撫で、クルトとの出会いを語り始めた。

 

 

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