雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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※エイジャックス→原作1巻に出てきたキュルケの恋人軍団の一員。キュルケが才人を部屋に連れ込んだ晩、マニカンとギムリとともに窓枠から登場し、フレイムに焼き落とされた。



49.キュルケ(4) ツェルプストーの炎

 

 およそ十年ぶりの再会は、そっけないものだった。

 

 ブリミル暦は六二四一年、フェオの月、ヘイムダルの週、エオーの曜日に行われたトリステイン魔法学院の入学式。

 後に親友となるタバサとの一悶着や、宿敵ヴァリエール家のルイズとの邂逅があったものの、おおむね(つつが)なく終わった式からの帰り道。

 キュルケは自身にあてがわれた寮の部屋を目指して歩きながら、廊下のそこかしこでぎこちない会話を繰り広げる同級生たちを観察していた。

 

 トリステインには、どんな男がいるだろう?

 中退したゲルマニアの学院と比べたら、どの男子もひょろひょろとして弱そうで、頼れそうな感じがしない。男らしい男が好みのキュルケからすると、あまり好ましい傾向ではなかった。

 しかし顔立ちの平均点を取れば、こちらのほうが上だろう。何人か、キュルケの審美眼をも満足させる美男子の姿も見える。

 それにトリステイン貴族といったら、気障(きざ)で見栄っ張りなことで有名だ。彼らの口説き文句には、いくらか期待してもよいかもしれない。たとえば、そうね、あの薔薇を咥えた男なんか……。

 

 そんな品定めする視線が、廊下のある一点で固まった。

 人混みでも目立つピンクブロンド、忌々しいヴァリエールの数歩後ろをつまらなそうに歩く、ひとりの男子生徒……あれは、間違いない。懐かしいコルパス家の三男、クルト・フォン・コルパスだ。

 こんなところで再会するとは、キュルケは予想もしていなかった。

 あのヨアナと同じように、彼は学院なんか通わないと思い込んでいたのだ。

 

「げ、フロイライン」

 

 つかつかと近づいてゆくキュルケに気づいたクルトが、ぎくりと足を止めた。

 一方のルイズはキュルケに気づいてもいないのか、にらむように前だけを見つめ、さっさと寮塔に歩き去る。

 キュルケは一瞬、ルイズとクルトのどちらを相手にするか悩み……、やはりクルトから始めることに決めた。

 ヴァリエールとは、どうせ寮の部屋も隣なのだ。これからイヤでも顔を合わせることになる。

 それに、話していて楽しいほう、話したいと思えるほうは、旧知のクルトに決まっていた。

 

 キュルケはクルトの前に立ち、にっこりと笑った――その笑みが過剰にならぬよう、彼女は(いささ)か以上に心を砕く必要があった。男に対して笑顔を作ろうと意識することはあっても、その逆の努力をしたのは初めてだった。

 けれども、それは仕方ない。キュルケがクルトと時間をともにしたのは、彼女がまだ幼い頃。いくらでも笑ったり泣いたりしてもよいとされている時期だけだった。彼の前では、おかしいくらいに笑っているのが彼女の常だったのだから。

 

「いやだわ、お嬢さま(フロイライン)なんて。学院(ここ)じゃみんな対等なのよ。オールド・オスマンも仰ってたでしょ?」

「まあ……、そう、ですね。よろしく。ミス・ツェルプストー」

 

 クルトは視線を泳がせ、困ったように答える。

 かつての彼の反応をよく覚えていたキュルケは、彼が自分の魅力にすっかり参っているのだと理解した。

 そしてあのときはキュルケもクルトもまだ子どもだったけれど、いまじゃもうふたりとも立派な大人だ。

 こんなふうに照れたり、怯えたりするだけじゃすまないはず……というか、すまさない。

 幼い日の楽しい遊びの続きをすることは、キュルケのなかでは、すでに決定事項だった。

 

「もう、キュルケでいいのよ? これから()()よろしくね、クルト。留学なんて不安だったけど、楽しい学院生活になりそうだわ!」

 

 キュルケは強引にクルトと握手して、じぃっと彼の瞳を見つめた。

 完璧な笑顔を贈った。

 ぎゅっと強く握ってから手を離し……別れ際、指先で彼の手のひらを愛撫してやるのを、キュルケは忘れなかった……、上機嫌で寮の自室に帰っていった。

 

 今夜にも訪ねてくるだろう彼のために大急ぎで部屋の(しつら)えを整え、実家から届けさせていた大量の荷物をひっかき回して幻想的な光を放つ蝋燭やとっておきの香炉を用意した。お気に入りの下着をベッドに並べ、どれがもっとも魅力的に自分を飾ってくれるのか、姿見の前で徹底的に検討した。

 そうしてキュルケは、眠れぬままに朝を迎える。

 

 

 

 入学式から二週間と四日。

 キュルケは六人の告白を受け、それと同数の恋人を作った。

 そのうち三人は決闘により脱落し、二人がまさに決闘を繰り広げている最中であり、残る一人は新たな男子がキュルケに恋歌(マドリガル)を贈るのを阻止すべく杖を抜いたところである。

 

 アウストリの広場のベンチに腰掛けたキュルケは恋人と恋人候補が繰り広げているお遊びのような決闘を眺め、せつなく息を吐く。

 クルトとの再会以来、彼女は彼に関してみっつの事実を発見していた。

 

 ひとつ……彼は奥手である。

 数多の男を惑わしてきた流し目を送っても、スカートの奥が覗けるように脚を組み直しても、偶然を装って彼の体に触れても、応えてくれない。

 彼の動揺からして、キュルケに魅力を感じていることは間違いないが、目の前の恋人たちのように誘いをかけてこないのだ。

 まあ、彼は幼い頃も逃げてばかりだったから、それは仕方ないこととしよう。

 奥手な男を落とすのも、それはそれで楽しめるはずだ。

 

 ふたつ……彼は嫉妬しない。

 ひとつめの事実と違って、これはキュルケにとって如何(いかん)ともしがたい、非常に腹立たしい事実である。

 教室や食堂など、キュルケは彼の目に入るところに陣取って、恋人たちといちゃついた。しかしどれだけ恋人に甘えてみせても、大胆に触らせても、頬にキスさせても、彼は反応してくれない。

 学院での彼はたいてい不機嫌に顔をしかめているから、もしかしたら内心では妬いていたのかもしれない。

 しかしそれを踏まえても、彼の無反応はキュルケの心を波立たせるのだった。

 

 そしてみっつ……キュルケにとって、これがもっとも腹立たしい、許しがたい事実なのだが……彼は、ヴァリエールに媚びを売っている。

 かつてキュルケの父を散々に罵った、ゲルマニアの皇帝のごとく振る舞っていた男の子が、小さな女の子にこき使われている。

 しかもその相手は憎きヴァリエール。『着火』も『錬金』も、もっとかんたんなコモン・マジックさえも使えない、無能無才の『ゼロ』のルイズ。

 例の失敗魔法の後始末や特別に課された宿題なんかを、彼は自ら進んで手伝っているらしいのだ。

 

「そりゃあね。()()()()はヴァリエールに逆らえないわよね。わかってるわよ」

 

 でも、キュルケはムカつくのである。

 でも、怒ってみせるのが彼ではなかったか。

 

「もっと楽しくなるって、思ってたのになあ……」

 

 せつない呟きを掻き消すように、アウストリの広場が歓声に包まれる。

 決闘が終わり、見物していた生徒たちが勝利した男子を讃えているのだ。

 勝ったのは新たな恋人候補。彼はキュルケの恋人六号を(くだ)し、美の女神に恋歌を捧げる栄誉を手に入れた。

 こうして七人目の恋人を獲得したキュルケは、さっそく彼女の手にくちづけようと(ひざまず)いた男を無視して立ち上がる。

 鋭い瞳で風の塔を……いまもクルトがルイズに付き合って、爆発でめちゃくちゃになった教室を掃除しているだろう方角を見つめ、また深くため息を吐き、気晴らしにワインでも飲もうかしらと女子寮塔に足を向けた。

 

 

 

 キュルケがささやかな……と思っているのは本人だけの、実際にはとてつもなく高い……プライドの一部を捨てたのは、入学からおよそ一ヶ月半。

 ド・ロレーヌとトネー・シャラントによる陰謀で『雪風』のタバサと決闘し、彼女と友達になった頃のできごとである。

 

 その時期になってもキュルケは恋人を量産し、放棄してを繰り返していた。

 クルトにも相変わらず誘惑をしかけていたけれど、彼が陥落する気配はなかった。

 

 キュルケはとうとう我慢の限界を迎え、直接的な手段を取ることに決めた。

 幼い日にツェルプストーの屋敷で取っていた戦略……すなわち、()()()()()を解禁したのである。

 いままでのように偶然を装うことさえせず、キュルケはクルトに抱きつき、押しつけて、触って、触らせた。

 

 効果は覿面(てきめん)だった。

 彼は首までまっかにして体を硬くし、キュルケに翻弄された。

 とはいえ、こんな下卑た手段、恋の作法を知らぬ平民相手ならまだしも(貴族と平民の垣根が低いゲルマニアにいたころ、彼女は気まぐれに平民の恋人を作ったことがあった)、同じ貴族の男に取るなど屈辱でしかない。

 まして散々に誘惑した後この方針に変更するのは、恋の駆け引きにおいて負けを認めたのも同然だ。

 

 けれどもこんな方法に頼らざるを得ないほど、クルトが恋人になってくれず、あろうことかヴァリエールの下僕なんかに甘んじている現状が、キュルケは我慢ならなかったのだ。

 

 

 そうして、さらに数日後。

 事態は悪化していた。

 

 初めは彼の反応を楽しんでいたキュルケだったが、それでもなお恋人になろうとしないクルトに、ふたたび苛立ちを(つの)らせつつあった。

 そして悪いことは重なるもので、問題はクルトの周囲にもあらわれていた。

 

 生徒たちの間で、彼を持ち上げる風潮が流れ始めたのだ。

 なりふりかまわず落としにかかったキュルケを拒むクルトの姿が、彼らには愉快らしかった。

 奔放なキュルケを嫌う女子生徒たちは『下品で生意気なゲルマニア女に恥をかかせてやった』と彼を褒めそやし、考える脳など持たない男子生徒たちは『誘惑に屈せず、ヴァリエール嬢に忠誠を誓う彼こそ、真の貴族である』なんてふざけた言葉で彼を讃えた。

 キュルケが想いを寄せる相手ということで、幾人かの男子がクルトに決闘を挑もうと名乗りをあげたが、この風潮と『彼はヴァリエール公爵家に仕える騎士である』という不愉快な称号のおかげで、実際に杖を交えるには至らなかった。

 

 ふだんは風聞など気にしないキュルケも、これは堪えた。

 クルトを落とせない現状にただでさえ苛々しているというのに、それをネタに当のクルトが賞賛され、その偉業を讃える歌まで作られる始末。

 恋人たちと遊んでも気晴らしにならず……なぜって、どの恋人も決まって『どうしてコルパスなんか』『あの男より僕のほうが』とキュルケに憂鬱の原因を思い出させるのだから……、唯一の癒やしは、新たな友人のタバサと過ごす時間だけ。

 タバサは本ばっかり読んでる無口な少女で、慰めも気の利いた返事も期待できなかったけれど、場合によっては沈黙が最良の薬になるのだと、キュルケはこのとき知ったのだった。

 

 

 キュルケは悩んだ。

 もはや彼のことは諦めるか、いっそ燃やしてしまおうか……。

 

 しかし今さら手を引くなど、できるはずがない。

 せめて、一度は恋人にしなければ。

 この自分がここまでのことをして、しかも恋敵はヴァリエール……彼が自分を拒むのは、ルイズに惚れてるからに違いない……敗北を認めるようなマネは、『微熱』の誇りにかけて許されない。

 

 そうしてキュルケは、夜ごとクルトを火にかける光景を夢想するようになった。

 諦めるより、燃やすほうがずっと魅力的だった。

 けれどもそれを実行すれば『嫉妬にかられて男を燃やした女』という不名誉をいただくことになる。

 ツェルプストーの炎を受け継ぐ女として、それもまた、許容できるものではなかった。

 

 

 

 そんな不愉快な状況がずるずると長引き、さらに数ヶ月。

 クルトは相変わらず(かたく)なで、彼を讃える歌は七部からなる長篇となり、その替え歌も少なくとも三種類は流通していたけれど、キュルケはいくつか楽しみを見出せるようになっていた。

 

 ひとつには、やはり彼をからかうのは愉快だった。

 その楽しみは幼い日々と変わらず、しかしふたりが大人になったいま、かつての思い出以上の情熱さえ孕んでいる。

 楽しくないわけがないのだった。

 

 そしてもうひとつ、キュルケは彼の怒りに気がついた。

 入学以来、彼はいつも不機嫌そうにルイズの手助けをしていた。

 キュルケは初め、クルトの不機嫌は無能で傲慢なヴァリエールが原因だとばかり思っていたけれど、どうも違うらしい。彼はルイズを侮辱する他の生徒たちに、教師に……、彼女が貶められる世界そのものに怒っているのだ。

 この事実に気づいていたのは、きっと学院でもキュルケだけだったろう。

 

 世界に対する不条理ともいえる怒りは、彼がキュルケの父に向けていたあの怒りと同じものだった。

 かつて幻視した『ゲルマニアの皇帝』が死んでいなかったことにキュルケは安堵し、同時に妬ましくなった……だって、自分のためにあんなに怒ってくれる男の子がいたら、どんなに嬉しいだろう! どんなに満たされることだろう! ああ、どうして彼は、自分のためには怒ってくれないんだろう!

 

 そんな身を引き裂くような嫉妬は、しかし楽しみでもあった。

 それほど深くルイズに惚れている彼を奪うことができたら、最高の気分になれるはず。

 

 

 そんな楽しくも憂鬱な学院生活の、ある週末。虚無の曜日の夜のこと。

 キュルケは恋人のひとりから手紙を受け取り、ヴェストリの広場にやってきた。

 

 男からの呼び出しなんて普段は許さないけれど、キュルケはその日、機嫌が良かった。タバサと遊びに行った首都トリスタニアの服屋で、可愛い下着を買うことができたのだ(古本屋なんて色気のない場所に行きたがっていたタバサにも似合いそうな清楚な下着を見繕ったが、無言で断られた)。

 そして手紙の送り主は恋人のなかではいっとう……つまり、学院の男子生徒のなかで最高の美形で、手紙に書かれていた口説き文句も(やや時代がかっている感があるものの)悪くなかった。

 

「遅かったじゃないか、キュルケ。いや……、こいつが弱すぎたせいかな」

 

 ヴェストリの広場には、ふたりの男が待っていた。

 ひとりは腰に手をあてて堂々と立ち、もうひとりはぐったりと倒れ伏していた。

 立っているのは恋人のエイジャックスで、倒れているのはクルトだった。

 

「なあ、これでわかっただろう? こんな男じゃなくて、僕を見てくれよ」

 

 広場の地面は不自然に盛り上がり、ところどころ、切り刻まれたような跡がある。

 『土』と『風』の使い手が、この場所で戦ったのだ。

 胸の奥底に得体の知れない感情が渦巻き、指先が冷たくなってゆくのを、キュルケは感じる。

 

「あなたがやったの?」

 

 その声は、いかにも気安い調子だった。

 恋人に会うため薄く化粧を施した顔には、微笑みさえ浮かんでいる。

 そんな自分の反応で、キュルケは自身が抱く感情の正体を理解する。

 怒りだった。

 キュルケの内側で暴れているのは、途方もない、かつて感じたことのない怒りの炎。

 そうして彼女は、昔からこうだった。怒れば怒るほど言葉が落ち着き、態度は余裕を奏でてゆく。

 表面上の冷静さは、怒りの深さのあらわれだった。

 

「ああ、もちろん。ほんとうは君が来てから始めるつもりだったんだがね。コルパスが待ちきれない様子だったから。……それにしても、弱すぎたな。僕の『ウィンド・ブレイク』で一発さ」

 

 エイジャックスはキュルケに笑いかけた。子犬のような無邪気な態度だった。

 

「それじゃ、殺してちょうだい?」

 

 キュルケは言った。

 給仕にワインを注ぐよう頼むのと変わらない、気軽な口調だった。

 

「あなた、あたしが好きよね?」

 

 戸惑いを隠せないエイジャックスに、キュルケは重ねて問う。

 恋人はごくりと唾を飲み込み、頷いた。

 

「あたしのこと、愛してる?」

「あ、ああ……そうだ。愛してる」

「世界でいちばん大切?」

「大切だとも。もう何度も言ってるし、手紙にもそう書いただろう」

「じゃあ、彼を殺してちょうだい? できるわよね?」

 

 エイジャックスは杖を構え、『エア・カッター』の詠唱を始めたが、最後まで続かなかった。

 力なく杖を降ろし、許しを請うようにキュルケを見た。

 これはけっして、彼が腰抜けだったわけではない。

 決闘が命のやりとりとされていたのは一世代以上も昔の話。いまや決闘といっても致死性のない攻撃魔法を飛ばし合うだけ。杖を落とすか膝をつかせるかすれば、それで決着となるのが常だ。

 

「その程度の覚悟もなしに、あたしの獲物に手を出さないでくださる?」

 

 しかしキュルケは、男がどうしようもなく卑怯な臆病者だと言わんばかりのまなざしを向け、侮蔑をあらわに言った。

 彼女は怒りにまかせて(わめ)きちらすほど幼くなかったけれど、己の怒りの使いどころを知らぬほど愚かでも慎ましくもなかったのだ。

 

 ことここに至って、エイジャックスはようやく自分がなにか致命的な間違いを犯したことを理解する。

 彫刻の如く整った顔に焦りの色を浮かべ、早口に言う。

 

「なあキュルケ、誤解しないで欲しいんだが、これはコルパスからふっかけてきたんだぜ? ミスタ・ギトーの授業のあと、急に『ゼロ』がどうとか言い出して」

「へえ……」

 

 そういえば今日の授業でも、ルイズはギトーに指名され、壇上で実演させられていた。

 彼女はいつもの如く失敗し、さんざん笑いものにされたのだった。

 目の前にいるエイジャックスはギトーに(おもね)る生徒の筆頭で、ルイズに向かってまっさきに幼稚な罵りをぶつけていたのを覚えている。

 

 キュルケはその光景を……ルイズでもエイジャックスでもなく、教室にいたクルトの険しい目つきを思い出す。彼が決闘を挑む場面を想像して、唇を歪める。

 それはクルトのうちにいる『ゲルマニアの皇帝』が健在だったことに対する歓喜、けれどもそれが他の女のために呼び起こされたことへの怒りと嫉妬が生んだ、幼げな、拗ねたような微笑みだった。

 

「こいつはヴァリエールのために決闘を申し込んだ。僕はキュルケのためにそれを受けた。そして勝ったのは僕だ! なのにどうして、君は怒っているんだ? こいつのどこが、そんなに良いんだ?」

「そうね、自分でも不思議だわ。あたしってば、いつまでこんな男を追っかけてるのかしら」

 

 キュルケは呟いた。

 

「ほんと、いい加減、ムカつくのよ。イライラするのよ。ああ、もう、だめ、限界。燃やすわ。あたしの炎を贈ってさしあげるわ」

 

 そうして、杖を抜いた。

 エイジャックスはひっと息を呑んだ。キュルケの炎の強力さは、この学院の誰もが知るところである。

 恋人であれば、なおのこと。

 しかしキュルケは、エイジャックスから杖を逸らす。

 

「あなたじゃないわよ」

 

 いまだ事態を飲み込めない様子の、恋人だった男に向けて、キュルケは酷薄に言う。

 

「あなた、そもそも勝ってないじゃない」

 

 力なく倒れたままのクルトに杖を突きつけ、キュルケは尋ねた。

 

「いつまで寝たふりしてるつもり?」

 

 クルトは動かない。

 エイジャックスは唖然とした顔で、クルトとキュルケを順々に見比べている。

 

「また鼻から火を噴きたいなら、いいわ。あたしも一回やってみたかったの」

「……勘弁してくれ。あれ、ほんとに苦しいんだよ」

 

 短い沈黙。

 そして、クルトはのっそりと起き上がった。

 その顔は、あからさまなまでに不機嫌に彩られている。

 

「残念。久しぶりにお腹の底から笑えそうだったのに」

「そりゃ悪かったな。ちなみに、いつから気づいてた?」

「最初から……って言いたいとこだけど、エイジャックスが『エア・カッター』唱えたあたりね」

 

 クルトを殺せとエイジャックスに命じたあのとき、気を失っているはずのクルトの指が動き、杖を掴み直す瞬間を、キュルケは見逃さなかったのだ。

 クルトは諦めたように肩をすくめる。

 

「エイジャックスだっけ? ミス・ツェルプストーはああ言ってるけど、決闘はちゃんとお前の勝ちだよ。付き合わせて悪かったな」

 

 その投げやりな態度を侮辱と感じたのか、エイジャックスは頬を染めた。

 

「君、貴族の決闘をなんと心得ているのか。わざと手を抜いて負けるなど……」

「手を抜いたわけじゃない。ただ、ちょうど良い感じにお前の魔法が決まったから、それで終わりにしたくて……うわっ」

 

 烈風がクルトを襲う。エイジャックスが杖を振ったのだ。

 しかし風が彼を打ちのめす直前、地面から砂の人形が立ち上がり、風を柔らかく散らしてしまう。

 

「コルパス! なんだその魔法は! 決闘では使わなかったじゃないか!」

「ただの『クリエイト・ゴーレム』だよ。俺、ほんとはお前を殺すつもりでさ。確実に殺せるように、決闘の前から用意しておいた。この広場の砂はぜんぶ、俺のゴーレムになってるんだ。お前の足下にも埋まってるぞ」

 

 エイジャックスはぎょっとした様子で後退(あとずさ)る。

 

「なんだそれは! 卑怯だぞ!」

「うん、だから決闘じゃ使わなかった。そんで正々堂々やりあったから、俺の負けだ。『土』が『風』に敵うはず……」

 

 クルトの言葉は、またしても風に遮られた。

 エイジャックスが闇雲に杖を振り、立て続けに風魔法を放ったのだ。

 風の鎚が、槍が、刃がクルトめがけて襲いかかるが、そのどれもが砂の人形に阻まれる。エイジャックスの魔法は砂を巻き上げるだけで、敵の元には届かない。

 

「くそ、くそっ! どうして、貴様なんぞに! この僕が……、キュルケが! どうして!」

 

 ほどなくして、魔法が止まる。精神力が尽きたのか、彼は青ざめ、肩を揺らして荒い呼吸を繰り返すばかり。

 一方のクルトは砂埃に汚れた様子はあれど、涼しい顔だ。

 タバサのようなトライアングル・クラスならいざ知らず、同じライン・クラスの『風』の使い手が、入念に準備した『土』に無策で挑んで、敵うはずがない。

 それはゲルマニアで軍人としての教育を受けてきたキュルケにとっても、自明の理だった。

 

「なあ、もういいだろ? 決闘はお前の勝ちだ。俺、もう戦いたくないんだよ。これ以上、服が汚れたら困る。実家が貧乏だからさ、制服の替えを何着も用意してないんだ」

「黙れ! (いや)しいゲルマニア混じりが!」

「賤しいって……、お前が付き合ってる女性もゲルマニア出身じゃないか」

 

 エイジャックスは一瞬、言葉に詰まった。

 しかしなんとか反論しようと口を開き――炎が彼を黙らせた。

 

「あなた、目障りよ。そろそろ消えてくださる?」

 

 エイジャックスは、今度こそ恐怖したようだった。

 彼は口汚くクルトを罵って、広場から姿を消した。当然だ。キュルケが去れと言ったら、すぐさま去らねばならない。彼女の恋人になった男が身につけるべき、基本的な規則である。

 恋人たちは、キュルケと付き合って最初の数日でこの規則を学ぶことになる。その大半は、ツェルプストーの炎の味も同時に学ぶ。

 なぜって、どの恋人も『自分だけは特別に許されるはず』と自惚れていたからだ。

 

「さて、次はあんたね」

「そうだな、俺もそろそろ寝るよ。もう遅いし、寮塔の入り口までなら送ろうか?」

 

 キュルケは杖で答えた。

 杖先から一筋の炎が(ほとばし)り、クルトの周囲を渦巻いた。

 炎は一瞬で消えたけれど、地面に残された焼け跡が、溶け崩れた砂人形の残骸が、逃げることなど許さないというキュルケの意志を雄弁に語っていた。

 

「ええと……、なにか御用ですか、ミス」

 

 クルトは困ったように尋ねる。

 

「なんで殺さなかったのよ」

 

 キュルケは端的に言った。

 

「そりゃエイジャックスと同じだよ。殺したら問題になる」

「臆病ね。それでもゲルマニアの皇帝?」

「皇帝ってなんだよ」

 

 クルトは戸惑い顔で呟く。

 けれどもすぐに我を取り戻して、

 

「君のお父上にやらかしたときみたいに、子どもの癇癪(かんしゃく)で済ませてくれるなら、殺してたかもな。でも、そうじゃない。俺たちはもう大人で、貴族で、魔法が使える。力も立場も責任もある」

「せめて、腕の一本くらい折ってやればよかったのに」

 

 彼の言葉は、まったくの正論だった。

 しかし彼の口から正論を聞かされるのは、どうしようもなくつまらない。

 

「あいつ、君の恋人じゃないの?」

「さっきまではね。それに、代わりはいくらでもいるもの」

 

 そりゃすごい、とクルトは呆れたように笑った。

 

「いずれにせよ、そこまでする必要もない。腕なんか折ったところで、なんの意味もない。気分が悪くなるだけだ」

「それでも、負けてやらなくたってよかったじゃない。ヴァリエールの名誉を守りたかったんじゃないの?」

 

 クルトは表情を歪めた。

 苦々しい顔で、吐き捨てるように言った。

 

「知るか。俺は俺がムカついたから喧嘩しただけだ。だいたい、俺が勝っても負けても、ルイズの状況は変わらない。あいつが魔法を使えない以上、どうやったってこの学院のクズどもは……」

 

 クルトは言葉を切った。

 きっと、キュルケがにんまりと唇を歪めているのに気づいたからだろう。

 キュルケはなんとか表情を正そうとしたけれど、できなかった。

 彼のうちにある怒りを、情熱を久しぶりに間近に見て、歓喜が抑えられなかったのだ。

 クルトは訝しそうにキュルケを眺めていたが、やがて嘆息とともに言う。

 

「殴り合いでもすりゃ気が晴れると思ったが……、ダメだな。余計にムカついちまった。この学院は、ムカつくやつらばっかりだ。いますぐにでも辞めてやりたい。お嬢さえいなきゃ……」

「それじゃあんた、ヴァリエールのために学院に残ってるってワケ?」

 

 キュルケの初恋の相手は、渋い顔をして黙り込む。

 その沈黙の意図が、キュルケには手に取るようにわかった。

 彼はその問いを否定できない。彼は真実、ルイズを想って学院にいるからだ。しかしそれを肯定すれば、ルイズの誇りを深く傷つけることになる。

 自分がルイズのために怒りを堪え、不愉快な環境に身を置いているという明白な事実を言葉にすることは、たとえルイズがこの場にいなくとも、彼にはできないのだ。

 

「そんなに好きなら、抱いちゃえばいいじゃない。今夜にでも襲ってきなさいよ。あの子、どうせ『施錠(ロック)』も使えないんだから」

「バカ言え。お嬢とはそういう関係じゃない。なりたくもない。気色悪い。俺が学院にいるのは……、みんなと同じ。将来のためだ。それだけさ。俺みたいな貧乏貴族の三男が学院中退なんかしたら、どこにも行き場がなくなっちまうからな」

 

 キュルケは笑みを深めた。

 そうしてふたたび、杖を振った。

 

「つまんない男。ほんとにツェルプストーの血を引いてるの? そんなに素敵な情熱を持ってるのに、どうして情熱の意味を知らずにいられるの?」

 

 深紅の『火球(ファイア・ボール)』が夜の闇を裂き、まっすぐクルトのもとに向かう。当然のように砂山が立ち上がり、その炎を受け止めた。

 情熱と嫉妬に茹だっていたキュルケの思考が、わずかに冷静さを取り戻す。

 『ファイア・ボール』はドット・スペルとはいえ、いまの一撃には相当の精神力を籠めていた。火傷くらいはさせるつもりだったのに、あんな小さなゴーレムに掻き消されてしまうなんて。

 

 もう一度試してみようと火球を作っていると、クルトが慌てたように手を上げる。

 

「コツがあるんだ。火の受け方は、お兄ちゃ……ヨアナにさんざん鍛えられたからな。けど、次はない。エイジャックスに半分以上吹き飛ばされたし、君にもずいぶん砂を溶かされた。俺のゴーレムは、もう打ち止めだ。だから、頼む、それはしまってくれ」

 

 キュルケは杖先に『ファイア・ボール』を浮かばせたまま問う。

 

「恋人になってくれないの?」

「できない。悪いけど」

 

 クルトは炎を警戒しながらも、はっきりと首を振った。

 

「あたしって、そんなに魅力がないかしら?」

「そんなことない。君はとても魅力的だ」

「ほんとに? あんたも他のくだらない連中みたいに、あたしを色ボケだのアバズレだの思ってるんじゃないの?」

「まさか。そりゃあときどき過激だとは思うけど……、正直ちょっと困るくらいに美しい、素敵な女性だよ。昔からずっと、困らされてた」

「ヴァリエールより?」

 

 クルトは返事に詰まった。

 キュルケは拗ねた声で言う。

 

「あのね。こういうときは、嘘でも頷くのがマナーってもんでしょ」

「いや、そもそも女性を比べるようなマネは良くないから……」

 

 火を放った。

 クルトは地面を転がって火の球を(かわ)した。

 砂を操り、避けきれずマントの端についた火を必死になって消しながら、

 

「打ち止めって言っただろ! ミス・ツェルプストー!」

「ねえ、そろそろ()()は止めてくださらない? 昔みたいに呼んでほしいって、何度も言ってるでしょ」

「わかった、わかったから、フロイライン……うおおっ!?」

 

 一瞬間、ヴェストリの広場が昼間のように明るくなった。

 

「ねえ、それ、わざと? やっぱり鼻から火を噴いてみたいの? それともまさか、名前を呼ぶ気にもなれないくらい、あたしのことが嫌いってワケ?」

「いや、だって……昔みたいって言うから、つい……」

 

 髪とマントに焦げ目を作り、情けなくも腰を抜かしたクルトに、キュルケはつかつかと足音高く歩み寄る。鼻先に杖を突きつける。

 

「次、間違えたら、わかってるわね?」

 

 クルトは顔を引きつらせ、こくこくと頷いた。

 

「あ、ああ……わかってるよ、キュルケ……」

「よろしい」

 

 キュルケは満足して頷き、それから、せつなく呟いた。

 

「ほんとうに、どうしてあたし、こんな男に恋しちゃったのかしら」

「そんなの決まってるだろ」

 

 疲れた顔でクルトが言う。

 キュルケは(にわか)に興味を引かれて、クルトの瞳をじっと見つめた。

 

「俺がコルパスで……だけど今はコールスで、君がツェルプストーだからだよ」

「……あんた、本気?」

「本気もなにも……他にどんな理由がある? 君もそのつもりで、ヴァリエールから奪いにかかってたんだろ」

 

 もし『百年の恋も冷める瞬間』というものがあるとしたら……キュルケはこの会話を振り返るたび、こんな使い古された文句を思い出さずにはいられない……きっと、いま、このような瞬間を言うのだろう。

 

 そりゃあもちろん、クルトの指摘した理由が、まったくないわけではない。

 ヴァリエールから恋人を奪うのは、ツェルプストーの義務。先祖代々受け継がれてきた、神聖な趣味である。

 キュルケの恋人や同級生のなかにもそんなことを言い立てる連中がいたし、キュルケも否定はしなかった。

 けれども、それを彼から言われるのは、ありえない。

 

「ウル・カーノ・イス・イーサ・ウィンデ……」

「え、ちょ、キュルケ? ミス? フロイライン?」

 

 『火』の二乗に『風』を加えたトライアングル・スペル、『炎球(フレイム・ボール)』――ルーンをひとつひとつ噛みしめるようなキュルケの詠唱からその威力を察したらしいクルトが飛び退いた瞬間、魔法が放たれた。

 ほんの数瞬前まで恋をしていた男の子が座っていた地面が業火に焼かれ、呪文の主であるキュルケさえ焼き尽くしそうな熱がヴェストリの広場を包み込む。

 キュルケは己に火の粉が飛ぶのもかまわず、逃げ惑うクルトに向かって次々と炎をけしかけた。

 

「な、なんで!? フラれたからってそこまでする!? 君、そんな女の子じゃないだろ!?」

「うるさい。やっぱり燃やすわ。あんたのこと、灰も残さず焼き尽くしてあげるわ」

 

 十年前のあの日、雪深い降臨祭で。

 幼いキュルケの心を焦がしたのは、権威と支配の象徴であったツェルプストーの当主に対し、ただただ己の怒りのみで立ち向かい、皇帝の如き堂々たる態度を示した男の子だった。

 

 その彼が。

 

 まさか、己に向けられた情熱は家柄によるものだと、そんな軽薄な理解に満足していたなんて。

 大事に大事に胸に育てていた情熱が、そんなくだらない理由のために拒まれていたなんて。

 

 どうして許すことができるだろう?

 

「この、お前……、いい加減にしやがれ!」

 

 キュルケの足下から土の手が伸び、杖を奪おうと襲いかかる。杖の一振りで焼き払う。

 しかし一動作のぶんだけ炎を操る手が止まり、その隙をついてクルトが地面から何体ものゴーレムを呼び起こした。

 打ち止めとか言ってたくせに、まだまだ備えがあったらしい。

 

()()()()()()よお……一応、昔馴染みだから言わないでおいたけど……、俺はお前にもムカついてんだよ! お前のせいで、俺がどんだけ苦労してると思ってんだ! バカみてえな歌は流行るし、お嬢はますます機嫌悪くなるし! その上恋人にできないからって燃やそうとするとか……ふざけるのもたいがいにしやがれ! 制服の替えが足りねえっつってるだろ! お前らみてえにいくらでも服が買える身分じゃねえんだよ、こっちは!」

 

 炎と自身の間にゴーレムを展開させながら、クルトは叫ぶ。

 

「つーかお前がいっつもお嬢のこと煽るから、毎朝機嫌最悪の状態で始まるのめんどくせえんだよ! なんで寮まで隣なんだよ! 引っ越せよ!」

「なによ、さっきからお嬢お嬢って……! ヴァリエールなんかほっときゃいいでしょ! 父さまには、あんな偉そうだったくせに! あたしの体に夢中なくせに!」

 

 キュルケの杖から大蛇のような炎が飛び出し、ゴーレムの一体を焼き尽した。

 しかしクルトは地面の穴から大量の砂を取り出して、すぐさまゴーレムを補充する。

 

「うるせえ! 自己中ハラスメント女が!! 女から仕掛けたってセクハラは加害なんだよ!」

「知らないわよ! せくはらって何よ! 意味わかんない!」

 

 炎を操ってゴーレムを次々壊しながら……キュルケは、自分が心底から笑っていることに気がついた。

 ある意味で、夢にまで見た瞬間だった。

 

 

 そうして、戦いと呼ぶにはあまりにも一方的な蹂躙は、尋常ではない『火』の気配に目を覚ましたミスタ・コルベールが駆けつけるまで続いた。

 説明を求めたコルベールに対し、キュルケたちは、クルトとエイジャックスの決闘に始まる一連の事件を静々(しずしず)と(もちろん、ふたりの名誉を傷つけるような事実は伏せて)語ったけれど、ある一点において、ふたりの意見が食い違った。

 最後の喧嘩について、ふたりとも『自分の負けだ』と主張して譲らなかったのだ。

 キュルケはクルトの鼻から火を噴かせることが叶わず、クルトのほうでは、そのとき着ていた制服もマントも、およそ服とは呼べない惨状にされていたからだ。

 

 どちらの負けでもよろしい、とコルベールは諭した。

 そして決闘は校則で禁止されていること、虚無の曜日とはいえ夜更かしもほどほどにしたほうがよいことを告げて、ふたりの生徒を寮に帰らせた。

 

 キュルケとクルトがお互いを友人と認めるようになったのは、そういう次第である。

 

 

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