雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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今回、『イーヴァルディの勇者』への言及が出てきますが、クルトはタバサがこの話を好きなことを知りません。
彼が読んでいた『ゼロの使い魔』1~8巻及び『タバサの冒険』1~3巻では、その情報は出てこないので。
読書家のタバサなら読んでてもおかしくないかな、くらいの認識です。

※一章の投稿時は勘違いして「タバサはイーヴァルディの勇者が好き」は一般常識くらいの感覚で書いてる部分がありましたが、前章の投稿時に修正しました。




52.平賀才人(2) 放課後の空き教室で才人、尋問をする

 

 学院の生徒たちが授業を受けている昼下がり、才人は厨房の隅に座っていた。

 

 明け方まで続いた折檻のせいで、この時間まで起きられなかったのだ。

 当然朝食は食べ損ねたし、昼食の時間も終わっている。

 久しぶりの空腹に耐えかねた才人は、以前のように(まかな)いでも分けてもらえないかと厨房を訪ね、ちょうど皿洗いをしていたシエスタに声をかけた。

 すると彼女はこちらに振り向きもせず、『いま忙しいんで、そのへんで待っててください』と冷たく命じたのだった。

 

 ひもじい思いをしながらずいぶん待たされ、やって来たシエスタは両手になにかを持っていた。

 

「はい、サイトさん。どうぞ。おまたせしました」

「なにこれ?」

 

 パンでも包んでくれたのかと期待して受け取ると、それは彼女にあげたはずのセーラー服だった。

 

「これは誤解だ、って。サイトさん、昨夜ミス・ヴァリエールに言ってましたよね? 宿舎の部屋に帰ってから、わたし考えたんです。いったいなにが誤解だったのかなーって。わたし無知な田舎娘ですけど、考える頭くらいはありますから。じっくり一晩考えたら、そのくらいはわかりますから」

 

 きっちり畳まれ、清楚な石鹸(せっけん)の香りさえ漂わせているそのセーラー服は、しかし重たかった。途轍もない怨念が染みついているように才人は感じた。

 シエスタはニコニコと……けれども明らかに怒りを(にじ)ませた顔で言う。

 

「それ、返して欲しかっただけなんでしょ? 逢い引きじゃなかったんでしょ? いいですよ、べつに。がっかりしてないですよ。わたしが勝手に盛り上がって、勘違いしてただけなんだもの。さあ、用事はもうすんだでしょ? 早くミス・ヴァリエールに着せあげて、昨日みたいに追いかけっこしてればいいじゃないですか。わたしをほったらかしにして!」

 

 あかん、拗ねてる。

 シエスタ、完全に拗ねていらっしゃる……。

 

 才人は途方にくれてしまった。

 ルイズみたいに暴力に走るタイプなら耐えるだけでいいけれど、こんな風に拗ねてる女の子の機嫌の取り方なんて、わからない。

 地球では一度もモテたためしがなく、当然のように彼女いない暦=年齢の才人には難しすぎる問題だった。

 

 困惑する才人の前で、シエスタはわざとらしくため息を吐く。

 

「あーあ、サイトさんと比べて、ミスタ・コールスは優しかったなあ」

 

 突然出てきた友人の名前に、才人はぎくりとした。

 昨夜モンモランシーのベッドで受けた、あの強烈すぎる抱擁の記憶が蘇ったのだ。

 

「昨日、サイトさんがわたしを置いて逃げちゃったあと、あの方、どうしたと思います? ご自分も怪我してたのに、貴族なのに、わざわざ上着をかけてくださったんですよ。そんな格好じゃ冷えるだろう、君みたいな可憐な子が風邪を引いちゃいけないよ! もう遅いから気をつけて! って! ミス・ヴァリエールに呼び立てられてなかったら、お部屋まで送ってくれたんじゃないかしら!」

 

 クルトは才人に対して……というか平民全般に対して、やけに気を遣う。

 だから彼がそんな発言をするのは(可憐な子が云々というのはさておき)まざまざと想像できて、彼から受けた気遣いや親切を思い出して、せつない気分に襲われた。

 

「付き合うなら、やっぱり、ああいう気の利く男性が……わ! うそ! うそです! ちょっと妬いて欲しかっただけで、ミスタ・コールスとはなにもありませんから! サイトさん一筋ですから! 泣かないでください!」

 

 慌てた様子のシエスタに言われて、才人は自分が涙ぐんでいるのに気がついた。

 

「あ、あの、あのあの、サイトさん、おなか空いてるんですよね? 朝も昼も食堂に来なかったですし……い、いますぐごはん持ってきますから! だから元気出してください、ね?」

 

 シエスタはぎゅうっと才人の手を握ってから、厨房の奥へと駆けていく。

 その優しさがいつになく染みて、才人はほろりと涙をこぼした。

 

 

 シエスタが持ってきてくれた山盛りのパンとシチューを食べながら、才人は昨夜のできごとを話した。

 シエスタは才人のグラスにワインを注ぎ、少し考えてから、言いにくそうに、

 

「まあ、世の中にはそういう方もいらっしゃるって母さんも言ってましたし。ミスタ・コールスがそうだったとしても……」

 

 才人は口に含んでいたパンをワインで流し込み、ぶんぶんと首を振った。

 

「いや、だから違うんだって。あいつはそういうんじゃないから」

「サイトさん。お友達からそういう目で見られてたっていうのは(つら)いでしょうけど、そんなに否定したらかわいそうですよ。好きな人からそんなふうに言われたら、わたし、とっても悲しいと思います」

 

 シエスタは真剣な瞳で才人を諭した。

 ルイズやギーシュが破門だなんだと騒いでいたのとは、えらい違いだ。

 シエスタ、日本の『保健体育』受けてたのかな、なんてありえない想像をしてしまうけれど、平民の感覚がおおらかなだけだろう。

 

 えらぶった貴族連中が規則や誇りでがんじがらめになってるのと比べて、平民の人たちはずっと(ふところ)が深いのだと、才人は知っている。

 なにせ、召喚されたばかりで右も左もわからなかった才人を、この厨房の人たちは受け入れてくれた。彼らのおかげで、才人はこの世界に来て初めておなかいっぱいになれたのだ。

 いまでこそ『我らの剣』だなんだと持ち上げられて、コック長のマルトー親父が好きなだけ食わせてくれるけれど、彼らが初めてご飯を食べさせてくれたのは、ギーシュと決闘する以前のできごとである。

 

 クルトが平民に優しくするのは、そういう事情があったからかも……と才人は考えて、しかしそれでも、首を振った。

 

「仮にあいつがそっちだったとしても、昨日のアレはおかしいんだよ。あいつがあいつじゃなくなっちまったっていうか……なんつーか、まるで別人になったみたいで」

 

 シエスタはふたたび考え込んで、

 

「そういえば以前、女子生徒の方たちが噂してたような。魔法の薬のなかには、心を変えてしまうものがあるって」

「魔法の薬?」

「ええ。魔法のことですから、わたしは詳しくはわかりませんけども……」

 

 それから記憶を探るように、視線を宙に彷徨わせ、

 

「有名なものだと……そうですね、ご禁制の惚れ薬、とか」

 

 と呟いた。

 

 

 

「おいクルト、お前、惚れ薬飲んだだろ」

「お? おお……そうだった。さすが才人。よく気づいたな」

「んなもん、どこで飲んだんだよ」

「モンモランシーの部屋。あのワインに入ってたんだ」

「やっぱりか!」

 

 ……というわけで。

 終業の鐘とともに教室に飛び込んだ才人はクルトを問いただし、そのままモンモランシーの腕を掴んで隣の空き教室にやってきた。

 『やっぱりモンモランシーにも手ぇ出してたわけ!?』と怒りに震えるルイズに、『ぼくの恋人に何をするんだね!?』と大騒ぎしてついてきたギーシュ、それから何故かにっこり笑っているクルトを背景に、才人は尋問を開始した。

 

「おいモンモン。クルトに惚れ薬飲ませたな」

 

 モンモランシーは顔を真っ青にして、かたかた震えた。

 

「つ、つつっつ、つつ、作ってないわよ! 知らないわよ! どうせ元からあんたに惚れてたんでしょ!? フォン・コルパスは好色なゲルマニア混じりなんだから!」

 

 同級生の暴言に、クルトはにこにこしながら頷く。

 

「まあ、確かに元々好きだったよ。でもさすがに精霊の力ってのはすごいな。あのワインを飲んだ途端、想いが抑えきれなくなってしまったんだ。俺は一生、胸に秘めておくつもりだったんだけどな」

「あんたは黙ってなさい」

 

 ルイズはクルトの足を踏んづけた。

 どうやら彼女は事態を理解し始めたらしい。才人に向けていた怒りをひっこめ、モンモランシーに鋭い瞳を向ける。

 

「クルトがなに言っても証拠にはならないわ。昔、本に読んだことがあるの。惚れ薬の効果は、飲んだ当人には自覚できないって。みんながみんな、『薬なんか関係ない。私は本心から好きなんだ!』って言うそうよ」

 

 しかしモンモランシーは我が意を得たりとばかりに得意げな顔で、

 

「そうよ! こいつが惚れ薬の存在を認めてる時点でおかしいのよ! だって薬がちゃんと効いてたら、『惚れ薬なんか飲んでない』って言うはずだもの! わたしの薬を、フォン・コルパスの変態の言い訳にしないでくれるかしら!」

 

 一方のルイズはますます冷めた調子で、唇を嘲笑のかたちに歪めた。

 

「でもそれって、『洪水』のモンモランシーが薬を作り損ねただけじゃない?」

「誰が洪水よ! この、無能の『ゼロ』のルイズ! わたしの二つ名は『香水』よ!」

「あんた、洪水みたいに毎晩お漏らししてるって話じゃない。オムツも取れてないんじゃ、調合だって間違えるわよね」

 

 モンモランシーは顔をまっかにして叫ぶ。

 

「お漏らしもオムツもしてないわよ! だいたいね、わたしが調合を間違えるわけないでしょ! 『ゼロ』のあんたじゃないんだから、惚れ薬だって完璧に……」

「やっぱお前じゃねえか!」

 

 才人が怒鳴ると、モンモランシーは硬直した。

 ルイズは勝ち誇った笑みを浮かべ、

 

「ほらね、()()()()するでしょ? やっぱり二つ名は『洪水』……、いっそ『漏水』ってのも似合うんじゃないかしら」

 

 くすくす意地悪く笑うルイズの前で、モンモランシーはへなへなと崩れ落ちた。

 相手を挑発して言質を取るとか、こいつ、こんな賢そうなこともできたんだ……と才人は感心してルイズを見つめる。

 ルイズもその視線を浴びて得意げだったが、クルトが才人の気持ちを代弁するようにぱちぱちと拍手し始めて、大粒の鳶色の瞳は、途端に不機嫌に歪められた。

 

 

「きみ……惚れ薬はご禁制だぞ。どうして作ったりしたんだね?」

「あんたのせいよ! あんたがふらふら浮気ばっかしてるから!」

「なんだって!? モンモランシー、そんなにもぼくのことを……!」

 

 とモンモランシーを抱きしめようとしたギーシュを、才人は強引に引き留めた。

 

「なにをするんだね。せっかくいい雰囲気になりそうだったのに!」

「お前らの話はどうでもいいんだよ。とにかく、クルトを治せ。モンモンの薬でおかしくなったんだから、治す薬だって作れんだろ」

 

 モンモランシーはぷいと顔を(そむ)けた。

 さっそく開き直っているらしい。

 

「そのうち治るわよ」

「そのうちっていつだよ」

「さあ……個人差があるから。一ヶ月か、半年くらいじゃない?」

「そんなに待てるか! さっさと薬を作れ!」

 

 半年もこんな状態で放っておかれたら、それこそ貞操の危機である。

 なにせ、今のクルトは薬でおかしくなっている。

 昨夜の抱擁みたいに、突然襲いかかってくる可能性すらあるのだ。

 

「作れって言われても、材料がないのよ。解除薬には貴重な水の秘薬が必要なんだけど、惚れ薬のために使い切っちゃって。買おうにもお金がないし……」

「いくら?」

 

 ルイズが低く呟いた。

 才人を叱りつけているときとは違う、底冷えするような迫力。

 モンモランシーは気圧されたような顔をしたが、高慢な態度は崩さない。

 

「そうねぇ……、とっても貴重な秘薬だから、五百エキューはかかるかもね」

 

 ルイズは顔を歪めた。

 そんくらい出せねえのかよ、いつも偉そうにしてるくせに、と才人は思う。

 けれどもすぐに、先日、戦勝の城下町で一緒に買い物したとき、才人の治療費やデルフリンガーの代金で小遣いを使い切ってしまったとルイズが(こぼ)していたことを思い出した。

 

 先ほどやりこめられたルイズが悔しそうにしている姿が嬉しいのか、モンモランシーはにたりと意地の悪い笑みを浮かべる。

 ルイズは、うぎぎぎ……と歯ぎしりした。全身をわなわな震わせて、心底苦しそうに、己の指にはめられた、大粒のルビーが光る指輪を外そうとして、

 

「おいおいおい、それはダメだろ! お姫さまからもらった宝物じゃねえか!」

「わ、わかってるわよ。でも、でも……く、クルトは、……いいえ、コールスは、うちの子分よ。子分のひとりも守れないんじゃ、き、き、貴族の名が(すた)るわ……!」

 

 才人はルイズの肩を掴んでなんとか(なだ)めると、パーカーのポケットを探る。

 先日アンリエッタに渡されてから入れっぱなしになっていた金貨を、机の上にぶちまけた。

 

「うわ、すごいなこりゃ。五百エキューどころじゃないぞ」

「平民のあんたが、どうしてこんなの持ってるのよ……」

 

 目を丸くするギーシュとモンモランシーに向かって、才人は断固とした口調で言う。

 

「出所は訊くな。いいか、これで秘薬とやらを買って、明日中になんとかしろよ」

 

 

 

 翌日。

 才人は授業を終えたルイズとクルトと合流し、モンモランシーの部屋に向かっていた。

 昨夜モンモランシーは、例の秘薬を除けば必要な材料は一通り揃ってる、と話していた。

 そして彼女とギーシュは朝からトリスタニアまで買い出しに行っている。万事が順調に進んでいれば、もう解除薬を作っているはずである。

 

 水の塔から女子寮塔につながる渡り廊下で、ルイズは愉快そうに尋ねた。

 

「ねえクルト、あんた、どうしてサイトなんか好きになったのよ?」

 

 才人は呆れ顔で、

 

「なに言ってんだよ、ルイズ。薬のせいに決まってるだろ」

「そりゃ惚れ薬でもなきゃ、あんたに惚れるおめでたいやつなんていないでしょうけどね。でも、気になるじゃない。こいつがいったいどんな理由をでっちあげて、あんたを好きになったのか」

「んなこと聞いて、どうすんだよ」

 

 ルイズは意地悪な笑みで答えた。

 

「決まってるじゃない。あとで揶揄(からか)うのよ。ほらクルト、さっさと答えなさいよ。嘘ついたら虚無だかんね」

 

 うわ、性格わりぃ……と才人は思い、しかしルイズを止めなかった。

 彼自身、クルトがどんな理由を答えるのか気になったのだ。尻の形とか言われたら殴ってでも黙らせるが。

 

 クルトは頬を染め、困った顔をしていたけれど、才人の視線に気づくと諦めたように嘆息した。

 

「だって、才人はかっこいいだろ。『イーヴァルディの勇者』みたいで」

「またイーヴァルディ? あんた、ほんとにその話好きねぇ」

 

 才人は『かっこいい』とまっすぐ言われたことに照れながらも、持ち前の好奇心を発揮して、

 

「イーヴァルディってなに?」

「そっか。才人は知らないよな」

 

 とクルトは目を輝かせ、隣を歩いていたルイズは露骨に顔をしかめた。

 不意に、才人は高校の教室を思い出す。

 いつかの昼休み、地下アイドル好きのクラスメイトに『そのキーホルダー、なに?』と何気なく尋ねた瞬間、これと似たような空気が流れたのだった。

 

 クルトは弾んだ声で言う。

 

「ハルケギニアのおとぎ話だよ。光る左手を持つ勇者イーヴァルディが悪い魔法使いやドラゴンを倒す、勧善懲悪の、どこにでもある物語」

「光る左手?」

 

 才人は自分の左手に目を向ける。

 

「ああ、もしかしたら、イーヴァルディのモデルは過去のガンダールヴだったのかもしれないな」

 

 クルトも才人の手を見て、微笑んだ。

 

「でも才人がイーヴァルディと似てるのは、ルーンなんか関係ない。剣一本で巨悪に立ち向かう勇気! たとえ無謀とわかっていても、誇りを守るために戦い抜く覚悟! 力あるものの義務を果たさんとする高潔さ! これこそ『イーヴァルディの勇者』の本質だ!」

「お、おう……」

 

 俺、そんな勇気も覚悟もないけどなあ……と才人は頬を掻く。

 もしかしたら、クルトは才人の好きなところを挙げているのではなく、自分の趣味を才人に重ねてるだけなのかもしれない。

 

「それにな、『イーヴァルディの勇者』が面白いのは、主人公が平民ってところなんだ」

「どういうこと?」

 

 たいした興味もなく尋ねると、クルトはますます熱が入った口調で答える。

 

「ハルケギニアのちゃんとした英雄譚っていうのは、たいてい貴族が語り手なんだ。貴族、すなわちメイジが敵国や先住民を討ち払い、支配の正当性を喧伝するための物語だ。くだらない話だ。ところが『イーヴァルディの勇者』は違う。平民のイーヴァルディが亜人やドラゴンを倒し、ときには悪いメイジもやっつけちまうんだよ。こんなに痛快な話があるか?」

 

 マルトー親父が言う『我らの剣』みたいなもんかな、と才人は思う。

 ギーシュとの決闘以来、才人は学院の使用人たちから、そんな大仰な渾名(あだな)をつけられている。

 平民の才人が貴族のギーシュに勝ったのが、彼らは嬉しくてたまらないらしいのである。

 

「あんた、仮にもメイジでしょ? その平民びいきもたいがいにしときなさいよ。そろそろ笑えないわよ」

 

 ルイズが呆れたように言った。

 それから才人に向かって、

 

「一応言っとくけど、貴族の間じゃ『イーヴァルディの勇者』はロクな扱い受けてないのよ。そりゃ有名な物語だから、わたしの部屋にも一冊あったけどね」

「え、あの部屋にあるんか?」

「実家に決まってるでしょ。あんな子ども向けの本、学院に持ってくるわけないじゃない」

 

 ちょっと読んでみたくなった才人が尋ねたら、ルイズは眉間にしわを寄せて否定する。

 するとクルトが楽しそうに、

 

「お、気になるのか? 俺の部屋にも何冊かあるぞ。もちろん学院のほうに」

「いや、いや、行かないからな」

 

 才人は両手でお尻を隠した。貞操の危機を感じたのである。

 クルトはくすくす笑って、

 

「部屋に来いとは言ってないよ。今度貸してやるから、是非とも読んでみてくれ」

「おお、そんなら……」

 

 と才人は言いかけて、しかしがっくりと肩を落とした。

 

「……ダメだ。そういや俺、この世界の文字が読めないんだった」

「なら俺が教えるよ」

 

 えっ、と才人は顔をしかめた。

 読み書きを教えてもらえるのはありがたい。覚えたらきっと便利だろう。嬉しい提案ではあるけれど、いまのクルトに、というのはごめんである。

 

「いやあ、遠慮しとこうかな。俺、勉強キライだし」

「いいじゃないの。あんたもそろそろ、文字くらい覚えときなさいよ」

 

 ルイズが突然そんなことを言い出すので、才人は仰天した。

 まさか、このご主人さま、使い魔の尻を見捨てるつもりなのか……。

 

「バカね。これから解除薬を飲みに行くところなんだから、文字を教わる頃には元通りになってるわ」

「あ、そっか」

 

 たしかに、ルイズの言う通りである。

 才人は素直に納得しかけて……、でも、惚れ薬でおかしくなってる奴にそんな約束させるのってどうなんだ? と首を傾げた。

 

「気にすることないわよ。どうせ惚れ薬がなくても、こいつ、文字でもなんでも喜んで教えるに決まってるもの」

 

 それもたしかに、ルイズの言う通りであった。

 最近ちょっと扱いが雑な気もするが、クルトは基本的には、才人にとても親切だ。頼めばたいていのことは聞いてくれる(だから彼と喧嘩したときは堪えたし、シエスタの件で協力を拒まれたときは、少しばかりショックだった)。

 だからってなあ……、と才人は(なお)も微妙な表情だったけれど、クルトはそれを肯定と判断したらしい。

 

「それじゃ、決まりだな。さっそく明日から始めようか。楽しみにしてろよ。俺の授業はわかりやすいって、みんなに評判いいんだ」

 

 うきうきした笑顔でそんなことを言われて、才人は断ることを諦めた。

 まあ、いまはこんな調子だけど、クルトが薬を飲んだあとに改めて相談すればいいだろう。

 どうせこいつは教えると言ってくれるけど。

 なんとなく、こういうのは義理を通したい才人なのだった。

 

 

 

「解除薬が作れないだと?」

 

 ルイズとクルトと一緒に訪れたモンモランシーの部屋で、才人は表情を歪めた。

 部屋の主であるモンモランシーとその恋人ギーシュは、ふてくされたように視線を泳がせている。

 このふたりは解除薬に必要な秘薬を手に入れるため、今朝早くからトリスタニアの街に(おもむ)いていたはずである。

 

「しょうがないじゃない。秘薬が売り切れだったんだもん」

「だもん、じゃねーよモンモンさんよぉ。ほんとにちゃんと探したんだろうな?」

 

 才人が問い詰めると、モンモランシーは頬を染めて反論した。

 

「あたりまえでしょ! 街中の秘薬屋を探しても、どこにも売ってなかったのよ。汚らしいチクトンネの闇屋まで行ったんだから」

 

 チクトンネ? と才人が首を傾げた瞬間、クルトが口を開いた。

 

「トリスタニアの裏通りだな。王宮につながるブルドンネ街と比べると治安が悪いし、いかがわしい店も多い。場所は……そうだな、才人がデルフリンガー買った武器屋を、もっと北に進んだところにあるはずだよ」

 

 へえ……と才人は頷きかけて、

 

「お前、なんで俺がデルフ買ってもらった店のこと知ってんの?」

「あー……、それは、あれだよ。こう、謎の老魔法使いが教えてくれて……」

 

 才人は怖くなって、それ以上つっこむのをやめた。代わりにモンモランシーをにらんで先を促した。

 

「解除薬には『水精霊の涙』って秘薬が必要なんだけど……、最近、ラドグリアン湖に棲む水の精霊と連絡が取れなくなっちゃったらしいの。それで、どこの店にも秘薬が置いてなかったのよ」

「なんだよそれ。じゃあクルトはどうすんだよ」

 

 モンモランシーはつまらなそうな顔で言う。

 

「残念だけど、自然に効果が切れるのを待つしかないわね」

「ふざけんな! 待ってられねーって言ってるだろが!」

「そんなこと言われたって、秘薬がないんじゃどうしようもないもの」

 

 お手上げ、というようにモンモランシーが首を振る。

 思わずつかみかかりそうになる才人だったが、ここまで黙って話を聞いていたルイズが彼を引き留めた。

 それから、呟くように言う。

 

「水の精霊と連絡がつかないなら、あんたがなんとかしなさいよ。モンモランシでしょ?」

 

 突然名前を呼んだルイズに対して、モンモランシーは心底イヤそうに顔をしかめた。

 どういうこと? と才人が首を傾げると、またしてもクルトが、

 

「モンモンの本名はモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。ややこしいけど、いまルイズが呼んだのは家名のほうだ。で、そのモンモランシ家は代々、ラドグリアン湖の水の精霊との交渉役を任されていたんだ。色々あって、いまは他の貴族が務めてるけどな。おかげでここ五年ほど、モンモランシ家の領地経営は傾いてるらしい」

「うっさいわよ! フォン・コルパスのくせに!」

 

 モンモランシーが怒鳴るけれど、クルトは完全に無視した。

 

「ルイズが言いたいのは、モンモランシ家の一員たるモンモランシーなら、連絡がつかない水精霊にも呼びかけられるんじゃないか、ってことだな」

「へえ、そうなんか」

 

 才人は素直に頷いた。

 こういう解説は、クルトだったら、惚れ薬を飲んでいなくてもしてくれそうである。

 妙に嬉しそうに話してるのが、若干気持ち悪くはあるのだが……。

 才人はその違和感をつとめて意識の隅に追いやり、モンモランシーに向き直る。

 

「おいモンモン、聞いたな? それじゃ明日にでも、そのラドグリアン湖とやらに行くぞ」

「イヤよ! 今日だって授業サボってるのよ!? それに、水の精霊は話の通じる相手じゃないの。怒らせたらすっごく怖いし……」

 

 ぱんっ、と破裂音が響き、モンモランシーの言葉を遮った。

 ルイズの虚無魔法だ。

 一昨日、彼女が火の塔で使っていたのと同じ、音と閃光で相手の気を引くだけの爆発である。

 いままでの失敗魔法とはなにか違うことを感じたのか、モンモランシーとギーシュは目を丸くしてルイズを見つめる。

 ついでにクルトも驚いた顔をして、部屋の隅で身をすくめていた。先日(たる)から出てきたとき、爆発に巻き込まれたのがトラウマになってるのかもしれない。

 

 全員の注目を集めたルイズは、見せつけるようにゆっくりと杖を降ろした。

 

「あのねぇ、モンモランシー。わたしが穏便にすませてあげようとしてるのがわからない? 『水精霊の涙』くらい、実家に戻ればいくらでも(たくわ)えがあるわよ。調合だって、別にあんたに頼む必要ないわ。父さまは水のスクウェアだし、屋敷にはトライアングル・クラスのお医者さまが務めてるもの」

 

 ルイズはそこで言葉を切った。

 モンモランシーが顔を青ざめさせていく様子をじっくり眺め、唇の端をぴくぴく震わせる。

 

「昨日はちょっと焦っちゃったけど、冷静に考えたらなんてことないわね。クルトのやつ、ラ・ヴァリエールの力に助けられたって知ったらどんな顔するかしら。いまから楽しみだわ」

 

 ルイズはそう言って部屋の主に背中を向け、扉に手をかけた。

 モンモランシーは慌ててルイズの腕を掴んで引き留める。

 

「ま、待ちなさいよルイズ! それだけは……!」

「なによ。わたし、これから父さまに手紙を書かなきゃいけないの。きっと長い手紙になるから、はやく書き始めたいのよ。だって『水精霊の涙』はとっても貴重で高価な秘薬でしょう? どういう事情で秘薬が必要になったのか、きちんと説明しないと。同級生の『洪水』が、ご禁制の惚れ薬を……」

 

 モンモランシーは涙声で叫んだ。

 

「わかったわよ! 行くわよ! 行けばいいんでしょ!」

「ダメよ」

「なんでよ!?」

 

 ルイズはモンモランシーに振り返り、にたーっと愉しそうな笑みを浮かべた。

 

「行かせてください、でしょ? わたしとしては、ラドグリアン湖に行くのでも手紙を書くのでも、どっちでもいいんだから。水の精霊に会いたいのは、あんたの都合じゃないの」

「う、ぐ、ぐぎぎ……っ!」

 

 どうやらルイズは、いつも『ゼロ』とバカにしてくるこの同級生に対して、この機会に徹底的に仕返しするつもりらしい。

 俺のご主人さま、やっぱり性格悪いな……と才人は若干引いたけれど、今度もなにも言わなかった。

 友人をおかしくする薬を作ったモンモランシーに対して、彼自身、思うところがあったのである。

 せめて彼女がもう少しでも反省の色を見せていれば、庇う気になったかもしれないが。

 

「ほら、『洪水』、どうしたの? はやくしないと、わたし手紙を書きに行っちゃうわよ?」

「いっ、ぅ、ぐ、……うぅ、い、いか、いかせ、……」

 

 モンモランシーは青ざめていた顔をまっかにして、痙攣の発作を起こしたみたいに震えている。

 プライドの高い彼女にとって、『ゼロ』のルイズに負けを認めるのは、ずいぶん大変なことらしい。

 

「え? なに? よく聞こえないわ! もっとはっきり言ってくれなきゃ……って、モンモランシー! どうしたのよ!? 大変! 泣きそうじゃない!」

 

 ルイズはおおげさに驚いてみせた。

 その表情は、まるっきりイジメっ子のそれである。

 

「かわいそうに、泣いてもいいのよ? 『洪水』が目からお漏らししたって、仕方ないものね! でも、泣いたって許してあげないから!」

「な、な、ないて……、なんか……っ」

 

 ぐずび、とモンモランシーは鼻をすすった。完全に泣きが入っている。

 ここまで来ると、才人もさすがに哀れになってきた。彼はもともと流されやすく、女の子の涙にはめっぽう弱いのである。

 しかし才人が口を開くより先に、『愛の奉仕者』を自認するギーシュがふたりの間に割り込んで、

 

「おいルイズ! これ以上ぼくの恋人をいじめだばっ!?」

 

 モンモランシーの拳を顔面に食らった。

 彼女は倒れた恋人を何度も踏みつけながら、やけくそ気味に叫んだ。

 

「いき、ますっ! い、いかせてっ、ください! どうか、おねがい、します!! ミス・ヴァリエールっ!!」

 

 ルイズは一瞬、あっけにとられた表情をしたが、すぐに余裕の笑みを取り戻す。

 

「いいわよ。そこまで言うなら、手紙は書かないでおいてあげる。明日の早朝、出発することにしましょうか」

 

 それから白目を剥いて気絶しているギーシュを見下ろし、呟いた。

 

「それにしても、あんたギーシュに甘えすぎじゃない? まるっきりやつあたりじゃないの」

 

 お前も似たようなもんだよ、と才人は思い、今度も口には出さなかった。

 

 

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