雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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ようやくタバサたちと合流。



56.平賀才人(6) 月夜のラドグリアン湖で才人、火傷をする

 

「起きろ才人、来たぞ」

 

 優しく肩を揺り動かされ、才人は飛び起きた。

 木に立てかけていたデルフリンガーを掴み、咄嗟に引き抜こうとして、

 

「ばか、気が早いわよ」

 

 とルイズに(たしな)められた。

 

「敵が湖に着くまで、まだ時間があるわ。森に入ってきたところを、こいつのキモい使い魔が見つけたのよ」

「便利って言ってくれよ。ロッキーがかわいそうだ」

 

 ルイズに指差されたクルトが不満そうに呟く。

 その後ろでは、ギーシュとモンモランシーが緊張した面持ちで杖を握っていた。

 

「それじゃ、いまのうちに作戦会議といこうか」

 

 クルトは才人だけを見つめて笑い、あんたが仕切ってんじゃないわよ、とルイズに膝の後ろを蹴飛ばされた。

 

 

 

 会議の結果、戦うのは才人とクルト、そしてギーシュの三人と決まった。

 モンモランシーは『戦うのはイヤ』と宣言していたし、誰かが怪我したときに治す役割がある。

 ルイズは戦いたがっていたが、虚無魔法は人目に晒すべきじゃないとクルトが遠回しに主張し、才人もこれに賛同したので、渋々頷いた。

 

「いまさらだけど、お前、なんで知ってんだよ。ルイズの()()のこと」

 

 岸辺の木陰に隠れた才人は、隣で身を低くしているクルトに囁いた。

 一緒に隠れてるギーシュにも聞かれているが、どうせこいつはアホなので『虚無』とはっきり言わなければわからないだろう。

 

「そういや()()のことも、いつの間にか知ってたよな。なんとなく流してたけど……ルイズから聞いたのか? それともコルベール先生?」

「いいや、そのルーンについては、誰から聞いたってわけでもないよ」

 

 クルトは岸辺に視線を向けたまま、低く呟く。

 

「ルイズのアレは本人から打ち明けてもらった。けど正直、言われる前から知ってたな」

「じゃあどこで……」

「秘密」

「おい」

 

 クルトは一瞬だけ才人に視線を向け、悪戯っぽく囁き返した。

 

「才人にだったら、ぜんぶ話してもかまわないと思ってるよ。でも、こんなに気にしてもらえるなら、もう少しだけ『謎多き男』でいさせてもらおうかな」

「どういうことだよ……」

 

 才人はげんなりした。

 やっぱりクルトは薬でおかしくなっている。こんな奴を相手に、マジメに問いただそうとしたのがそもそもの間違いだったのだ。

 

「もういいや。お前が元に戻ったら……」

 

 才人は口をつぐんだ。

 クルトとギーシュに目配せする。ふたりも無言で頷き、杖を構えた。

 岸辺に人影があらわれたのだ。

 

 淡い月明かりのなかあらわれた相手は、ローブを深くかぶった二人組。

 才人はデルフリンガーの柄を握る。左手のルーンが光り、体が軽くなる。

 しかし、まだ飛び出さない。

 彼らが水の精霊を襲う襲撃者と決まったわけじゃないからだ。

 

 才人たちが息をひそめて観察するなか、二人組は水際で立ち止まると、杖を掲げた。

 どうやら、呪文を唱えているらしい。

 

 間違いねえな、と才人は立ち上がり、足音を殺して森の中を移動する。

 クルトたちとは別の方向から奇襲をしかけるのだ。

 才人は二人組の背後を取ると、柄を離し、一呼吸置いて掴み、離し、それからまた掴み直した。左手のルーンがそれとまったく同じリズムで明滅する。

 先ほどの作戦会議で決めた、準備完了の合図。

 

 不意に双月が雲に陰り……二人組の足下から、大きな土の手が生えた。ギーシュの『アース・ハンド』だ。

 才人は猛烈な勢いで飛び出し、二人組との距離を詰める。脳裏に描いているのは、デルフリンガーとの特訓で散々教え込まれた対メイジ戦の基本――とにかく相手を剣の間合いに入れること。相手が呪文を唱える前に仕留めること。

 

 しかし二人組の反応は、予想外に素早かった。

 長身の人影は『アース・ハンド』が完成するより早く杖から炎を放ち、地面を焼き払う。

 小柄な人影の動きは、さらに驚くべきものだった。呪文を詠唱したギーシュたちではなく、才人に向けて杖を振ったのだ。

 

 人影の前の空気がたわみ、一直線に放たれる。かつてワルドも使っていた魔法、『風の槌(エア・ハンマー)』。完璧に奇襲をしかけたつもりだった才人は、正面から食らってしまう。

 吹き飛ばされて崩れた姿勢を直す間もなく、氷の矢が無数に飛んでくる。才人は無理矢理に地面を蹴り、横っ飛びに矢を(かわ)す。

 

 才人は地面に手をついて弾けるように起き上がり、次なる攻撃に対処しようと二人組をにらみつけ――炎が(またた)いた。

 長身の人影が杖先に宿した炎を高く掲げ、空に放ったのだ。

 この闇夜では戦いづらいと、視界を確保するつもりなのか――しかし次の瞬間、砂の触手が地面から伸び上がり、宙に浮かぶ炎球を飲み込んだ。

 砂は湖水を含んでいたらしく、ぼっ、と水の爆ぜる音を残して炎を消してしまう。

 

 ふたたび闇に包まれた岸辺に、一瞬の静寂が流れる。が、次の瞬間、地面が蠢き、巨大な砂の壁が立ち上がった。

 岸辺の砂利を巻き込んでいるのか、砂壁は騒々しい音とともに二人組を分断する。ここまでは作戦通り。

 クルトの使い魔のおかげで、岸辺にやってくるのがメイジの二人組で、他に仲間がいないことはわかっていた。

 奇襲を防がれた場合、才人がひとりを、クルトとギーシュがもうひとりを受け持つことに決めていたのである。

 土メイジふたりでは攻め手に欠けるが、防御に徹すれば相当の時間を稼ぐことができる。

 その間に才人がひとりを片付け、クルトたちの応援に回る、という算段だ。

 

 『才人なら一対一でメイジに負けるわけないだろ』とクルトは言い、ギーシュも『そうとも。きみはぼくのワルキューレに勝ったのだからね』と頷いた。

 ギーシュに勝っても自慢にならないし、結局ワルドには勝てなかったけどなあ……と才人は首を傾げたけれど、結局のところ調子に乗りやすい彼は、『まあ、俺もあれから特訓してるし、なんとかなるか。ワルドみたいなやつ、そうそういるわけないもんな』と自分を納得させたのだった。

 

 砂壁の向こうで爆発音が響き、空気が震える。火傷しそうな熱量がこちらにまで伝わってくる。

 クルトたちが受け持った敵は、相当の使い手らしい。

 早く助けにいかねえと、と才人はデルフリンガーを構え直す。

 自分の相手も、恐るべき使い手だ。

 才人の奇襲をなんなく(さば)き、的確に追撃をしかけてきた。子どもみたいに小柄なくせに、戦い慣れているのだ。

 相手はいまも油断なく杖を構え、才人が一瞬でも隙を見せれば魔法を叩き込んでくるだろう。

 

 恐怖に足が竦みそうになったが、戦いを長引かせるわけにはいかない。クルトたちがやられる前に、加勢しに行かねばならない。

 大丈夫、俺はオーク鬼の群れだってやっつけたし、あのワルドだって追い返してみせたじゃないか……タバサの助けがなければワルドの槍に貫かれていただろうという事実を、才人は意図的に無視した……かたい唾を飲み込み、思い切って飛び出した。

 

 風の塊が、予定調和的に才人を迎え撃つ。デルフリンガーで吸収し、さらに距離を詰め――足下につむじ風。才人は足を取られ、思い切りつんのめった。やべえ、と思った瞬間、烈風が才人を吹き飛ばす。

 たいしたダメージはないが、またしても彼我の距離を開けられる。

 

「相棒、遊ばれてんな」

「うるせ」

 

 デルフリンガーが揶揄うように言って、才人は気づく。

 いまの攻撃は、たしかに奇妙だ。

 風で吹き飛ばすくらいなら、先ほどの氷の矢や『風の刃(エア・カッター)』を撃ち込めばそれで終わっていたはず。

 詠唱が間に合わなかったのか、と才人はちらりと考えて、すぐさまその仮説を却下する。敵の詠唱速度は相当なものだ。あのワルドにも匹敵するかもしれない。敵は意図して、才人を吹き飛ばすことを選択したのだ。

 相棒の剣が指摘した通り、敵は遊んでいるのか、時間を稼ぐつもりなのかはわからないけれど……。

 

「どっちでもいいや。ナメてんなら、後悔させてやる」

「いい意気だぜ、相棒。だがあいつぁ……」

 

 デルフリンガーの言葉を待たず、才人は再び跳躍した。

 迎えの『エア・ハンマー』を剣に吸収させ、今度は真横から来た烈風に切っ先をあわせる。

 あと一歩で剣の間合いに――湖水を含んだ強烈な風が地面から吹き上げ、才人の視界を遮った。

 ぶん、とデルフリンガーを振って湖水を払うけれど、そのときにはもう敵は十メイル以上も離れている。

 目を見開きそうになるが、あたりまえだ。才人が前進できるのと同様に、敵だって後退できる。といっても背後が湖なので、真横に……もうひとりの敵と隔てる砂壁と逆方向に退いているのだったが。

 才人は蠢く砂壁を背に、小柄な人影と三度(みたび)対峙する。

 

「くそっ、どうすりゃいいんだよ」

「何度も挑戦するっきゃないね。敵さんの精神力が尽きるまで、魔法を使わせてやるのさ。ま……、良い機会かもな。胸を借りるつもりでぶつかってきな」

 

 デルフリンガーは運動部の顧問みたいなことを言う。

 その気負わない調子が才人の心に落ち着きを取り戻させるが、胸の底にじりじり積もっていく焦燥感は拭えない。

 根比べなら負ける気はないが、才人は一刻も早くクルトたちの助けに回らねばならない。

 もっと手っ取り早く……背後で爆発音。ちらと後ろを見ると、砂の壁が炎に溶けかかっている。あいつらも苦戦しているのだ。

 ごちゃごちゃ考えてる暇はねえ、と強く踏み込んだ、そのとき――

 

「ダーリン! 待って! あたしよ!!」

「え……?」

 

 ここにいるはずのない人物に呼びかけられ、才人は思わず振り向いた。

 赤々と燃え盛る炎に溶け落ちた砂壁の向こう。昼間のように明るく照らし出された湖畔に揺れているのは、見間違えようもない鮮やかな赤髪。

 ってことは、こっちのちっこいのは、

 

「バカ野郎! 気ぃ抜くな!!」

 

 デルフリンガーが叫び――風が才人を打ち据えた。衝撃が無防備な体を貫き、息が詰まる。手からデルフリンガーがすっぽ抜ける。ルーンの力を失った才人は途端に平凡な少年に戻り、そのまま後ろ向きに倒れた。

 小柄な人影……タバサの放った風は、相当に手加減されていたのだろう。きちんとデルフリンガーを握ったままであれば多少よろめくだけで済んだだろうし、剣を手放してさえ、転びはすれど怪我には至らない威力だった。

 けれども、場所が悪かった。

 受け身を取ろうと咄嗟に伸ばした右手の先から、じゅっ、と奇妙な音。

 

「いっ、……てぇ――!?」

 

 一瞬遅れて、激痛が脳髄を貫いた。

 才人の右手は、キュルケの炎に溶かされた、いまだ赤熱している砂壁の残骸に置かれていたのだ。

 

「あーあー、言わんこっちゃねえ……」

 

 岸辺に落ちたデルフリンガーが哀しげに呟く。

 ラ・ロシェールの桟橋で食らった『ライトニング・クラウド』を思い起こさせる痛みに悶絶する才人の隣に、突然、クルトが倒れ込んだ。

 ……いや、駆け寄ってきたのだ。

 あまりの勢いであらわれたものだから、転んだようにしか見えなかった。

 

「才人!? だ、大丈夫か!? 大丈夫なわけないよな!? あ、ああ、かわいそうに……、い、い、痛いよな? ごめんな俺のせいで、い、いますぐ『治癒』、あ、いやモンモンか。モンモランシーだな。……モンモランシー! さっさと来い! てめえどうせ『治癒』しか能がねえんだから! おい! ちんたらしてねえで走れボケ!! 気取ってんじゃねえぞ犯罪者が!!」

 

 その異様な狼狽っぷりに才人は唖然として、しばしの間、痛みを忘れた。

 

 

 

「……で、どうしてあたしたちを襲ってきたのよ」

 

 双月に照らされたラドグリアンの湖畔で、キュルケは才人たちをにらみつけた。

 地面に座り込んだ才人は、右手にモンモランシーの『治癒』を受けながら、

 

「悪かったよ。でも、精霊を狙ってるのがお前らだって知らなかったんだから……」

「ダーリンはいいのよ。いいから火傷を治してもらいなさいな」

 

 キュルケはぴしゃりと言った。

 大人同士の会話から幼い子どもを締め出すかのような、それは優しい、しかし断固とした拒絶だった。

 

「クルト、あんたなら……」

 

 キュルケはそこで口をつぐむ。言葉を吟味するかのような長い間を置いて、低い、感情の読めない声で続けた。

 

「あんたの使い魔なら、あたしたちのことがわかったんじゃなくて?」

「まあ、そうだな」

 

 クルトはあっさり頷いた。

 

「はぁ!? クルトてめぇ、わかってたのかよ!? どうして……いててっ!」

「ちょっと! 動かないでよ! 秘薬なしでこんなに深い火傷治すの、すーっごく神経使うんだからね!」

 

 モンモランシーに叱りつけられ、才人は上げかけていた腰を降ろす。

 それからまたクルトに文句を言おうとして、しかし言葉に詰まってしまう。

 キュルケの剣幕に気圧されたのだ。

 

「ねえクルト、どういうつもり? そんなにあたしと踊りたかったワケ?」

 

 そう言って溶け落ちた砂壁の残骸を示すキュルケは、しかし感情をあらわにしているわけではなかった。

 その態度は冷静で、余裕があって、いっそ和やかでさえあった。

 けれどもその瞳の奥には、隠しようのない怒りの炎が渦巻いている。

 ルイズともシエスタともモンモランシーとも違うキュルケの怒り方に、才人はなんだか、背筋が寒くなってしまったのだった。

 

「なあ、ミス……」

 

 炎がクルトの足下を焦がした。

 

「その気色悪い呼び方、やめろって言ったでしょ」

「あ、ああ、すまん、……ええと」

お嬢さま(フロイライン)とでも呼んでみなさい? 次は当てるわよ」

 

 クルトはぎくりと固まった。図星だったらしい。彼はキュルケの様子を(うかがい)いながら、おずおずと言う。

 

「わかってるよ……、フォン・ツェルプストーの……『微熱』のキュルケ。でも、その質問、いま答えないとダメか?」

「別に後でもいいわよ。今度こそ鼻から火を噴きたいっていうならね」

「それは……勘弁願いたいな」

 

 クルトは苦笑いを浮かべた。

 杖を振って砂壁の残骸を消し、岸辺の地面を(なら)した彼は、当然のように言う。

 

「才人のためだよ」

「……俺の?」

 

 才人はぎくりとした。

 もしかして、今度の奇行も惚れ薬の影響なのか。

 でも、キュルケたちと戦うことがいったいどうして自分のためになるのか。

 

「この時期の才人は、ちょっと調子に乗ってたからな。キュルケたちみたいな強い相手と戦うのは……、特に、戦って負けるのは、貴重な経験だ」

 

 意味がわからなかった。

 そりゃ多少の慢心はあったかもしれないけど、だからって、キュルケたちと戦う理由にはならない。

 いままで何度も才人を助けてくれたタバサに斬りかかっていい理由にはならない。

 そんな簡単なこともわからなくなってしまうほど、惚れ薬というのは人の心を壊してしまうのか……。

 

「この一戦が、才人を救う戦いだったのかもしれない。この経験の有無が、いつかどこかで生死を分けるかもしれない。その可能性が万に一つでもあるのなら、お前らとの戦いを避けるなんて選択肢、ありえなかったんだ」

 

 クルトの理屈はますます意味不明で、筋が通っていなかった。

 『経験が己を生かす糧になるから、戦いを避けてはならない』というなら、才人はこれから、あらゆる戦いを避けることができなくなる。そしてその結果に待っているのは、戦いによる死だけだ。

 

「わからないのか? なあ、キュルケ……お前ならきっとわかるだろう? だから俺は、お前の足止めをしたんだよ。お前だけは、わかってくれると思ってたから」

 

 問われたキュルケは、しかし答えない。深く考え込むような険しい瞳でクルトを見返すばかりだった。

 じっと黙りこくっているキュルケを前に、クルトは首を傾げた。彼自身、本気で困惑しているようだった。

 クルトはあたりを見回し、助けを求めるように岸辺に落ちている剣に問いかける。

 

「……デルフリンガー。お前もそう思わないか? 才人が強くなるには、ここらで負けといたほうがよかったってさ」

「まあ、石の兄ちゃんの言うことも、わからんでもないがね」

 

 デルフリンガーが鍔をがちゃがちゃさせて、才人は思い出す。

 タバサとの戦いの最中、この剣の態度はいかにも不自然だった。

 

「デルフ、まさかお前も気づいてたんじゃ……」

「そりゃ気づいてたさ。あの嬢ちゃんの風を、最初に吸収したときだったかな」

「そんなら止めろよ! タバサを切っちまってたかもしれねえんだぞ!」

自惚(うぬぼ)れんな。切れねえよ。だからほっといたんだよ。嬢ちゃんのほうも相棒に気づいて、無理に攻めて来なかったしな」

 

 思わずタバサを見つめるが、返事はない。彼女は頷きもしないでぼうっと突っ立っているだけ。メガネの奥の眠たげな瞳からは、なんの感情も読み取れない。

 しかしタバサはアルビオンへの任務でもフーケとの戦いでも、飛び抜けた魔法の腕と冷静な戦術眼を見せつけ、才人たちを助けてきたのだ。奇襲をしかけたのが才人たちだということくらい、彼女なら一瞬で看破していたっておかしくない。

 事実、タバサは途中から殺傷力の高い魔法は一切使わず、才人と距離を取ることに徹していたのだ。

 

「っていうか相棒よぉ……、そんくらい、てめぇで気づきなよ。あの嬢ちゃんの風は、何度も見てんだから。さすがに心配になっちまったぜ?」

 

 憐れむように言われて、才人は息が詰まった。

 どうしようもない己の未熟さを突きつけられ、この敗北が必要な経験だったというクルトの理屈に納得しそうになってしまう。

 けれども才人は、首を振った。

 タバサを……いつでも才人たちを助けてくれた、命を救ってもらったことさえあるこの小さな女の子を本気で切ろうとしていたという事実を肯定できる理屈など、この世のどこにもないのだ。

 

「別にいい」

 

 静かな呟きが湖から吹く冷たい風に運ばれて、才人の耳に響いた。

 きっとその言葉は真実で、タバサは本気でどうでもいいと思っているのだろう。才人の攻撃をあっけなく退(しりぞ)けた彼女は、身の危険などちっとも感じていなかったに違いない。

 その無感動な態度は、罪悪感以上に激しい悔しさと屈辱感をかきたてる。ぎり、と奥歯を噛みしめる。

 タバサに斬りかかってしまった罪の意識と、敵が友人であることを黙っていたクルトとデルフリンガーへの怒り。そしてそのタバサには軽くあしらわれ、敵とさえ見られていなかったという敗北感……。

 胸に渦巻くこの感情をいったいどうやって処理したらいいのか、まるで見当もつかなかった。

 

「いいわけないじゃないの」

 

 凜とした、少し怒ったような声で答えたのはルイズだった。

 

「ごめんなさい、タバサ。使い魔に代わってお詫び申し上げるわ」

「ルイズ、お前……」

「ああもう、泣きそうな顔してんじゃないわよ、情けない。あのねサイト、貴族の世界じゃ、使い魔のしたことは主人の責任なの。そんなあたりまえのこと、いちいち言わせないでくれる?」

 

 ルイズは腕を組み、才人からぷいと顔を(そむ)けた。

 いつだったか、アンリエッタの前では『使い魔の手柄は主人の手柄。使い魔の失敗(ミス)は使い魔の失敗』と無慈悲に言い放っていたルイズだったが、やはり本性は誇り高い、強くて優しい少女なのだ。

 そんなご主人さまの姿に、才人は救われたような気持ちになって……、タバサとキュルケに対して、しっかり謝ろうと決めた。

 女の子に頭を下げさせておいて自分は見ているだけだなんて、いくらなんでも格好がつかない。

 

 才人はタバサに改めて向き直り、ふと気がついた。

 地面から何か……水の精霊の腕にも似た何かが伸び上がり、タバサの手にくっついている。

 月明かりに目をこらすと、それは一条の砂。クルトが好んで使う、小さな砂のゴーレムだった。

 

 さらさらとした砂に手を触れられたタバサは、わずかに首を傾げる。

 砂が絡みついた己の右手を持ち上げ、感情の読めない青い瞳でじぃっと見つめ……、

 

「き、きみっ! なにしてるんだね!?」

 

 ぱしん、と乾いた音が響き、タバサの手に伸びていた砂の柱が崩れた。

 振り向くと、焦った顔をしたギーシュがクルトの腕を掴んでいる。ふたりの足下には一本の杖。悪趣味な薔薇がついてないから、きっとクルトの杖だろう。

 

 ギーシュは呆然とクルトを見つめていたが、才人たちの視線が集まっていることに気づくと、乾いた声で笑った。

 

「あ、いや、すまない。ぼくの勘違いなんだ、つい……」

 

 彼が叩き落としたらしい杖を拾い上げ、クルトに返してやりながら、

 

「ただ、その……ぼくは『女神の杵』で、こいつの砂がフーケの手を潰すところを見ていたからね。いまの砂で、つい、思い出してしまって……いや、だから勘違いなんだよ。きみがそんな、するわけないものな! 叩いてすまなかった!」

 

 クルトは黙って杖を仕舞い、実はあの光景がトラウマでね! いまでも夢に見るくらいなんだよ! と妙に饒舌なギーシュを無視して、タバサに歩いて行く。

 

「ええと、君、手を貸してくれるかな?」

 

 小柄なメガネの少女の前に立ったクルトは、いやに優しい口調で言う。

 

「……うん、そうだな、右だ。やっぱり右手がいい。才人も右手だった」

 

 タバサは素直に手を差し出した。

 さっきは砂にまとわりつかれていた、白くて細い手。ルイズもいちいちパーツが小さくて可愛いけれど、タバサはそれに輪をかけて小さい。

 

「別にいい、ね。わかるよ。君は痛くなかったもんな」

 

 月明かりのもと、クルトの両手が、白い陶器のようなタバサの手を包む。砂を落としてあげるのかな、と才人は思う。

 いつか彼がシエスタのメイド服にしていたみたいに。

 

「……へ? ぇ、あ……っ」

 

 だからその声がタバサの悲鳴だと理解するのに、少し時間がかかった。

 止めるのが間に合わなかった。

 

 ぽき、と小枝でも踏むような音がして。

 タバサが苦痛に顔を歪めて。

 クルトがなんの感慨も見せずに()()()に手をかけて。

 また奇妙な音が鳴って。

 キュルケの炎が彼を吹き飛ばして……ようやく。

 才人の理解が追いついた。

 

 クルトはタバサの右手についた砂を落とさなかった。彼の目的は、己の砂が果たせなかったことを、自らの手でやり遂げることだった。

 理由はもちろん、大火傷した才人の右手の(かたき)討ち。

 

 

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