雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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57.平賀才人(7) 湖畔の木陰で才人、覗き見をする

 

「一応聞いてあげる。あんたには、そうしなきゃならない、どうしようもない理由があったの?」

 

 クルトに杖を突きつけたキュルケが問う。

 その杖先には煌々たる炎球が浮かび、夜の湖畔を真昼のように明るく、熱く染め上げている。

 炎に吹き飛ばされて尻餅をついたクルトは呆然とした表情。キュルケの杖とモンモランシーの『治癒』を受けるタバサを交互に見つめ、泣きそうな声で言った。

 

「いや……ない。なにも……、ああ、これはつまり……俺の悪い癖だ。克服したと思ってたんだが……怒ると抑えがきかなくなって……」

 

 クルトは俯き、頭をがりがりとかきむしった。

 

「すまない、お嬢さま(フロイライン)、きみの友達を……くそ、くそっ、どうかしてるぞ……」

 

 それから口のなかでぶつぶつ何か繰り返していたが、不意に顔をあげて、呟く。

 

「……まあ、いいか」

 

 炎球が揺れた。

 キュルケの動揺を、微笑すらたたえた穏やかな表情に隠された激しい怒りを、炎は雄弁に語っていた。

 しかしクルトはいまにも放たれそうな炎には目もくれず、ひたすらにタバサを見つめている。

 

「待ってくれ、なにか……あるんだ。思い出しそうなんだ……」

 

 タバサもまたクルトを見つめ返し、小さく首を傾げた。

 その幼い顔が痛みに歪んでいたのは指を折られたあの瞬間だけで、いまはもういつもの無表情に戻っている。モンモランシーの懸命な『治癒』を受けている最中でなければ、怪我をしていることさえわからなかっただろう。

 揺らめく炎に照らされた岸辺に静寂が流れ、……あっ、とクルトが呟いた。

 

「そうだ、君、前に話したことがあったな」

 

 クルトは胸のつっかえが取れたような、明るい調子。対するタバサは凍り付いたような無表情。

 

「なんだっけ……、ラ・ロシェール? いや、タルブか……そう、あれだよ。タルブの夜。『一個借り』。俺から見れば『一個()()』だな。ちょうどよかった。これで精算……うおおっ!?」

 

 とうとうキュルケが炎を解放し、地面から立ち上がった砂がそれを受け止めた。

 

「い、いきなりなにすんだよ!」

 

 キュルケは再度炎を放つ。砂はその大半を溶かされ燃やし尽くされながらも、なんとか炎を防ぎきる。

 杖先に巨大な炎を掲げ、キュルケは震える声で言った。

 

「あんたが本気で言ってんのか、それとも必要があって(とぼ)けてるのか、あたしにはちっともわからない。でも、もうだめ。我慢できない。許せない。ここで約束を果たさせてもらうわ」

「約束って、ラ・ロシェールの件か? それはもう済んだじゃないか」

「あんたの役立たずな占いの話じゃないわ。あの夜、もうひとつ約束してあげたでしょ」

「えっと……?」

 

 クルトが首を傾げた瞬間、炎が彼に襲いかかる。砂壁が彼の身を守る。今度こそ受けきれず、彼の髪とマントが焼け焦げる。

 タバサの『治癒』に専念していたモンモランシーが、いまさら思い出したように悲鳴をあげた。

 その悲鳴を合図にして、この状況に圧倒され続けていた才人の頭が、ようやく動き出す。岸辺に転がっていたデルフリンガーに、そろそろと手を伸ばす。

 

「あんたがタバサを傷つけるようなマネをしたら、あたしが灰にしてあげる……忘れたとは言わせないわ」

「あー、それか」

 

 思い当たる節があったのだろう、クルトは手を打った。

 それから気軽な調子で言う。

 

「タバサって、その青髪の子だよな? 見るからにガリアの……なんでそんな約束したんだっけ?」

 

 キュルケが杖を振った。才人はクルトの前に飛び出し、デルフリンガーを振り下ろす。

 炎球が爆ぜ、無数の火花を撒き散らすなか、デルフリンガーがその熱量を一気に吸収した。

 おお、才人! かっこいい! と背後からはしゃいだ声。

 才人は振り向いて切りつけたくなったが、必死の思いで我慢する。

 

「どきなさい、サイト。あたしはこの男を殺さなきゃならないの。あたしの炎はそのためにあるの。それを果たせなかったら、あたしがあたしじゃなくなってしまうの」

 

 初めて『ダーリン』ではなく名前で呼ばれ、才人はどきりとした。その声に籠められた深く冷徹な、しかし心臓に焼け付く怒りに恐怖を抱いた。

 

「ダメだ。どけない」

「わかった。それならサイトも一緒に燃やすわね」

 

 杖先に炎を灯したキュルケに向かって、才人は叫ぶ。

 

「やめてくれ、キュルケ。クルトはおかしくなってんだよ! 惚れ薬を飲んで、俺に惚れちまってるんだ!」

 

 炎が揺れ……、ぽふっ、と間抜けな音を立てて消えた。

 

「……惚れ薬? クルトが飲んだの? それで、サイトに惚れた? ヴァリエールじゃなくて?」

「はぁ? なんでわたしなのよ」

 

 ルイズがぶっきらぼうに言った。

 その手にはすでに杖が握られていて、詠唱も済んでいる。いつでも虚無が放てる状態なのだと、使い魔である才人は直感する。

 

「まさかあんたまで、こいつがわたしに惚れてるとか言いたいワケ?」

 

 クルトがルイズに――才人は昼間の会話を思い出す。

 惚れ薬の効能。もともと好きだった相手への関心を失わせる、特別製のレシピ。

 だとしたら、いまのクルトは、タバサに……。

 

「ちがうわ。ただ、あなたが飲んだんじゃないのかって……」

「なに言ってるの? どうしてわたしが惚れ薬なんか飲まなきゃいけないのよ」

 

 口元に手をあてて考え込んでいたギーシュが、ぽつりと呟く。

 

「言われてみると、彼、ルイズを庇ったようにも見えたな」

「なんですって?」

 

 キュルケがギーシュをにらみつける。視線と一緒に杖先もそちらに向いたので、ギーシュは身を仰け反らせた。

 

「い、いや、だってクルトのやつ、あのときルイズの手からワインをひったくったんだぜ? 机にはもうひとつグラスがあったのに。あのコールスが、愛しの『お嬢』から奪ったんだ。つまり、ルイズに薬を飲ませないように……」

「んなわけないでしょ」

 

 とルイズ。

 眉をひそめ、杖をキュルケとクルトの間に揺らしながら、

 

「あのワインに惚れ薬が仕込まれてたって、こいつが知るわけないじゃない。こいつの様子がおかしくなって、サイトが惚れ薬がどうとか言い出して、『洪水』を問い詰めて……、それで初めて、惚れ薬を飲んだってわかったのよ。こいつがわたしを庇うだんて、ありえないわ」

「うん、それもそうだな……。ぼくの勘違いだったようだ」

 

 そう納得しかけたギーシュに反論したのはモンモランシーだった。

 

「いいえ、もしかしたら……。コールスなら、惚れ薬に気づいてたのかもしれない」

「うん? どういうことだね?」

 

 モンモランシーはタバサの手に視線を落としたまま、呟くように言う。

 

「昼間、水の精霊が去った後、目を覚ましたコールスが言ってたのよ。精霊が話しかけてたのは彼じゃなくて、彼の使い魔だろうって」

 

 こんなところでキュルケとタバサと戦うことになった原因である、水の精霊との交渉。

 あのときクルトは、突如として感情を昂ぶらせた精霊に捕まり、溺れかけていた。

 精霊は彼を解放した後も触手を伸ばし、才人たちには理解の及ばない話をしていたのだ。

 

「『先住』が使える生き物を……あの石ころが生き物かってのは怪しいとこだけど……ともかく先住魔法の行使者を使い魔にするメイジは珍しくないわ。わたしのロビンだって、精霊と対話できるもの」

「だからなんだってのよ、『洪水』」

 

 ルイスが苛立たしげに問う。

 ふだんなら嫌味のひとつでも返しそうなものだが、モンモランシーはじっと目を伏せ、自らの思考に深く沈み込んでいる。

 

「あの水の精霊が気にかけるような使い魔だったら、精霊の力を感じ取れるはず。惚れ薬とはわからなくても、強力な魔法薬がワインに入っていたことくらい、気づいてたかもしれないわ。だってあの薬には、『水精霊の涙』をたっぷり使ってたもの」

「でも、でも……ちがうわ。そんなのありえないわ」

 

 力ないルイズの呟き。

 唇をぎゅっと噛みしめた、どこか怯えたような弱々しい表情。

 才人はやっと理解する。ルイズは認めたくないのだ。クルトに庇われ、自分のために彼がおかしくなったという可能性を恐れているのだ。

 

「たしかに、ルイズの言うとおりだな」

 

 と才人は言う。

 言ってから、辻褄のあう理屈を考える。

 好きな女の子の心を助けたいという素朴な願いが、才人に口を開かせたのだった。

 

「だって……ほら、おかしいだろ。仮に薬に気づいてたとしても、そんなの捨てちまえばよかったじゃねえか。どうして自分で飲む必要があったんだ?」

「さあね、知らないわよ。フォン・コルパスの変態の異端趣味の言い訳にしたかったんじゃないの?」

「だから、クルトはそんなんじゃねえって!」

「そんなこと言われたって……ひゃわっ」

 

 モンモランシーがバランスを崩した。

 突然ふらりと倒れたタバサを、咄嗟に受け止めようとしたのだ。

 タバサは子どものように小柄だけれど、モンモランシーだって痩身の女の子だ。支えきることができず、ふたりして地面に座り込む。

 

「いたた……。タバサ、あなたどうしたの? ……って、そりゃ痛いわよね。しんどいわよね。ごめんなさい。早く休ませてあげればよかった」

 

 モンモランシーは地面に膝をつけたまま、穏やかにタバサの背中を撫でた。

 『なにしてんのよ! 危ないじゃない!』と彼女が怒り出すのを予想していた才人には、その反応は意外だった。

 人を癒やす水魔法の使い手として、怪我人に対しては、ふだんはそのプライドとわがままな性格に隠されている優しい部分を発揮できるのだろうか。

 

「しばらく痛むでしょうけど、骨は繋がったから、大丈夫。心配いらない。絶対良くなるわ。明日には痛みもなくなるはずよ。いま、もう一度痛み止めの魔法をかけてあげるから」

 

 タバサは首を振って、杖を取り出したモンモランシーを押しのけた。

 駆け寄ってきたキュルケとルイズからも顔を(そむ)け、指を折られてもけっして手放さなかった長杖を投げだし、地面に丸く小さくうずくまる。

 

「っ……、ぅ、ぇ……」

 

 それがタバサの嘔吐する音だと才人が気づいたのは、女の子たちが騒然とし始めてから、ずいぶんたったころ。

 いつの間にか隣に立っていたクルトが、なんの感慨もなく、

 

「うわ、きたなっ」

 

 と呟いたからだった。

 才人は無性に泣きたくなった。

 この場に存在するすべてが、ラドグリアン湖の美しい月夜に相応(ふさわ)しくなかった。

 

 

 

 才人たちは湖畔の森で焚き火を囲っていた。

 あの後、才人たちの話を聞いたキュルケが彼女たちの抱える事情……タバサの実家から、ラドグリアン湖の水位上昇に対処せよと頼まれていること……を打ち明け、翌朝にみんなで精霊と再交渉することになったのである。

 

 タバサの件でようやく罪悪感を覚えたらしいモンモランシーは湖を見たいと呟いて一行を離れ、ギーシュも彼女についていった。

 そのほうがいい、そうするべきだと才人は思ったが、アホで陽気で空気の読めないギーシュが欠けると、沈黙がいっそう重たくなる。

 

 キュルケもルイズも険しい顔で焚き火を見つめるばかりだし、タバサはもともとしゃべらない。いつものように本を開いていないのは、たまたま持ってきてないだけか、読書する気にもなれないほど落ち込んでるのか……それすらわからない無表情。

 さすがのクルトも気味悪い笑顔をひっこめて、目をつむって押し黙っている。

 いっそデルフリンガーを出しておしゃべりさせようかと考え始めた、そんなときだった。

 不意に、タバサが立ち上がった。

 タバサは全員の視線を集めながらクルトに歩み寄り、彼の隣に腰を降ろす。

 

「……なにか?」

 

 彼の問いには答えず、くいくいっとマントを引っ張る。振り向いた彼に視線を合わせ、じぃっと見つめる。

 怪訝そうに眉をひそめたクルトに、タバサは顔を近づけた。

 その距離はだんだん近くなり、キスでもしてしまうんじゃないかと、才人は妙にどきどきする。

 しかし当のクルトはまるで動じず、タバサの肩を掴んで引き剥がした。

 

「なあ、君。悪いが離れてくれないか」

 

 タバサは答えない。

 眉ひとつ動かさない。

 

「才人の右手は、純粋な事故だ。君に悪気がなかったのはわかってる。むしろよく手加減してくれた。でも……、すまない。俺はだめなんだ。思い出すと、怒ってしまう。我慢ができない。また手を出しかねないんだ。頼むから、これ以上、俺に顔を見せないで欲しい」

 

 クルトは再び目をつむって俯き、タバサを押しのけた。

 かなりの力で押されたのか、タバサはよろめき、後ろに手をついた。そうしてその格好で固まったまま、ひたすら無表情にクルトを見つめ続けている。小さな手が、ざり、と地面の砂を掻く。

 泣きそうな顔をしたキュルケがタバサの隣に膝をつき、彼女をぎゅっと抱きしめた。

 

「大丈夫、すぐ治るわ。何もかも、きっと元通りになるわ。そしたらたっぷり、仕返ししてあげましょ?」

 

 タバサはキュルケに身をもたせかけ、かすかに頷いた。

 

「ああ、そうだミス……失礼、キュルケ。お前に話したいことがあるんだった」

 

 クルトが目を閉じたまま言う。

 

「そうね……あたしも、あんたとはじっくり話し合いたいと思ってたのよ。でも、いまじゃないわ」

「いいや、いまだ。間に合わなくなる」

 

 クルトは立ち上がり、森の奥を指差した。

 

「向こうで話そう。もちろん、その子は置いていってくれよ」

 

 キュルケの瞳に、一度は落ち着いたはずのあの怒りが燃え上がるのを、才人は見た。

 しかし彼女は、ごめんね、とタバサに囁いて立ち上がる。

 

「ルイズ……タバサをお願い。あたしの代わりに、そばにいてあげて?」

 

 ルイズは驚いたようだった。宿敵と認めるキュルケに頭を下げられるなんて、想像もしていなかったのだろう。

 

「あんたに言われるまでもないわよ」

 

 ルイズはつんけんした口調で言い、タバサを手招きした。タバサは子犬のように素直にルイズの隣に座る。

 その様子にキュルケは微笑み、クルトとともに森の奥へと姿を消した。

 

 

 

「……わかってるわよ。いまのあんたに言っても仕方ないって。でもね……」

 

 デルフリンガーを片手に森を忍んできた才人は木陰に潜み、キュルケたちの様子をそうっと(うかが)う。

 覗き見なんか趣味じゃないが、ひとつには心配だったのだ。

 湖を赤々と染めたキュルケの炎、その底知れない怒り……いまの彼女をクルトとふたりきりにしたら、ほんとうに殺してしまうんじゃないかと不安になって、こっそり後をつけてきたのである。

 

 キュルケとクルトはルイズたちから離れた森の奥、月明かりの差し込む開けた場所で、互いに一メイルほどの距離を置いて話し合っている。

 キュルケは苛立たしげに杖を(もてあそ)び、言葉にならない不満を深いため息として吐き出した。

 

「ともかく、正気に戻ったらただじゃおかないから。覚悟しておきなさい」

「気が合うな。俺も正気に戻った頃、お前に用事があるんだ」

 

 飄々(ひょうひょう)としたクルトの返事。

 キュルケは眉間のしわを深め、猫のように低く唸る。

 爆発寸前のルイズを思わせるその反応に、しかし才人は安堵を覚えた。

 キュルケが岸辺で見せた、あの穏やかさに包まれた激怒は、ほんとうにすべてを焼き尽くすまで収まらない気がした。

 いまも怒っていることは変わらないけれど、彼女の態度はどこか幼げで、甘えているようにさえ感じられる。

 きっとこれは、才人が見てはいけない部分。キュルケが特に親しい相手にだけ見せる、無防備な姿なのだ。

 

「それじゃ、さっさとその用事とやらを教えなさいよ。はやくあの子のところに戻りたいの」

「わかってるって」

 

 才人はデルフリンガーを掴み直し、ふたりに注意を払ったまま、そろそろと後退する。

 とりあえずキュルケがクルトを殺す気配はないし、これ以上覗きを続ける意味もない。ならばルイズたちのところに戻ろうと考えたのだ。

 

「あの子の事情について? 水の精霊のこと? それとも例の、(うるわ)しの――」

「あ、待った」

 

 クルトが静かに言った。

 ポケットに手を突っ込んで、なかに入っていたものを足下に落とす。目をつむり、穏やかな微笑を浮かべる。

 

「才人、なにしてるんだ?」

 

 突然名指されて、才人は息を呑んだ。

 音を立てるようなヘマはしていない。どうせあてずっぽうだ、バレてるはずがない……と、そのまま離れてしまおうとも考えたが、クルトの視線は明らかにこちらを向いている。

 才人は諦めて、木陰から立ち上がった。

 キュルケが驚いたように目を開き、すぐにいつもの表情に戻った。先ほどまでのしかめっ面とも違う、魅力的な微笑。

 

「秘密の話を始める前に、ロッキーにまわりを見てもらったんだよ。そしたらお前が見つかった」

 

 訊いてもないのに説明してくるクルトはどこか楽しげだ。

 

「こんなところまで、いったいどうしたんだ? 向こうでなにかあったのか?」

「いや……」

 

 お前が殺されないか心配してたんだよ……、なんて言えなかった。

 そんなこと言ってもクルトが喜ぶだけだろうし、才人はいまの彼を喜ばせたくなかった。

 だから才人が口にしたのは、ここに来たもうひとつの理由。

 

「俺もキュルケに話があったんだ」

「あたしに?」

「ああ、クルトが飲んだ薬の効果、キュルケは知ってるか?」

「知ってるも何も……」

 

 キュルケは戸惑ったように眉をひそめた。

 

「惚れ薬の効果なんて、ひとつしかないでしょ。飲んでから初めて見た相手を好きになる。他に何があるっていうの?」

「あるんだよ。こいつが飲んだのは、ナントカ卿の……」

「ダランベール卿」

 

 クルトが嬉しそうに口を挟む。

 才人は彼を見もせずに頷く。

 

「ああうん、そのダランベール卿のレシピで作った特別な惚れ薬だったんだ」

 

 キュルケの表情が、わずかにこわばる。

 

「その薬を飲むと、もともと好きだった相手への気持ちが消えちゃうらしいんだ。嫌いになるとかじゃなくて、関心が持てなくなる。もともとの気持ちが強いほど反動が大きくなって、場合によっては相手の名前も思い出せなくなるんだって、モンモンが言ってた」

 

 これが才人がこのふたりについて来た理由の、もうひとつ。

 キュルケが惚れ薬の詳細を知り、クルトのタバサに対する態度は薬の影響によるものだったのだとはっきりわかれば、多少は怒りが収まるかもしれない(そのぶんモンモランシーの心象が悪くなる可能性もあったが、それは自業自得だと才人は思う)。

 

「なによそれ。だからこいつを許してやれっていうの?」

 

 キュルケは困ったように唇を尖らせた。

 

「違うよ。許せないのはわかってる。ただ、キュルケには知っておいて欲しかったんだ」

 

 才人の答えに、キュルケは深々とため息を吐く。

 

「……名前。そう、名前も思い出せない、ねぇ……。ああもう、いやになっちゃうわね。ほんとこいつは……」

 

 キュルケは口元をわずかに歪め、それからきゅっと表情を引き締めた。

 

「ねえサイト、このこと、タバサは知ってるの?」

 

 才人は首を振った。

 この説明をタバサの前で行うのは、才人にはできなかった。

 クルトがタバサに呆れるほど惚れてることは、才人の目にも明らかだ。惚れ薬の効果を見るまでもない。

 そんな彼がタバサを傷つけたのだ。正気に戻ったら、彼自身、きっとひどく落ち込むだろう。

 ふたりがどんな関係を築いていたのか才人は知らないが、こんな、薬で心を狂わされて互いに傷を負った状況で気持ちを暴かれるのは可哀想だと思ったのだ。

 

「なら、あの子には黙っておいてあげて? あたしが時期を見て教えてあげるから」

「わかった。つっても、ルイズとかギーシュが言っちゃうかもしれないけど」

「そうね、ギーシュとモンモランシーにはあたしから口止めしとくわ。ルイズのほうは、サイトから言っといてちょうだい」

 

 キュルケはそこまで言うと、はぁ……、と息を吐いた。

 陽気で楽天家の彼女には似合わない、疲れ果てた表情だった。

 

「クルト、その様子だと、あんたも惚れ薬にこんな効果があるって知らずに飲んだみたいね?」

「まあ、そうだな」

 

 クルトは頷き、才人に微笑みかけた。

 キュルケのことなど、まるで眼中にない様子だった。

 

「それより才人、そろそろルイズのとこに戻ったほうがいいんじゃないか? あの青髪の子じゃ話し相手にもならないだろうし、お嬢を寂しがらせちゃいけないよ」

「あんた、薬飲んでもお嬢ばっかりなのね。そんなにヴァリエールが大事なの?」

 

 クルトは顔をしかめる。才人との会話に割り込まれたのが気に食わなかったようだ。

 

「別に。世話が焼けるってだけだ。ほっとくと何するかわかんないしな」

「ふうん……」

 

 キュルケは微笑んだ。

 ラドグリアン湖の岸辺で再会して以来初めての、それは心から愉快そうな笑顔だった。

 

「あんたがヴァリエールを庇ったっていうの、きっとほんとうなのね。その件でもあんたを灰にしてあげたかったけど……、なんだか少し……ほんのすこーしだけ、許せそうな気がしてきたわ」

「惚れ薬を飲んだときの話か? 庇ったわけじゃないさ。ただ……」

 

 クルトは言葉を切った。

 何かを思い出そうとするように、目を細めて双月を見上げて、

 

「……ああ、そうか、才人だ。あの状況だと、ルイズがうっかり俺を見て、俺に惚れちまう可能性があった。俺はきっと、それを止めたかったんだ。才人のために」

「どういうことだよ」

 

 と、思わずつっこんだのは才人である。

 

「だって、そんなの才人が可哀想だろ。才人が好きなのは……、才人と結ばれるべき、才人が一緒になって一番幸せになれる相手は、ルイズなんだから」

 

 その妙に確信的な口調に、才人は背筋が寒くなった。

 せめてふつうに好いてくれれば良いのに、クルトは『才人とルイズを応援する』と不可解な宣言をしているのである。

 

「それじゃ、才人は先に戻ってくれ。俺はキュルケと話があるから」

 

 クルトがキュルケに目配せすると、彼女も頷いて、

 

「そうね、タバサをよろしくね。……大丈夫よ。今夜はこいつを焼き殺したりしないわ。安心なさいな」

 

 キュルケの口調は優しく、しかし断固とした拒絶を示していた。

 

 不意に、才人は思い出す。

 あれは中学生に上がった頃だったか。不思議と寝付けなかった夜の、日付が変わった時間帯。

 水でも飲もうとリビングに行ったら、両親が深刻そうに何事か話し合っていた。

 どうしたの、と才人は尋ねたけれど、父も母も答えをくれず、早く寝るようにと優しく促すばかりだった。

 いま思えば、両親は住宅ローンの返済について話しているだけだったのだが、寂しかったこと、奇妙に不安でその後も眠れなかったことを才人は強く覚えている。

 

 キュルケがいま示した拒絶は、あのとき両親が才人に見せたのと同じ種類のもの。大人が子どもを締め出すときの態度だった。

 才人はやっぱり不安で寂しくなったけれど、だからといって食い下がれるほど幼くもなかった。

 このふたりの間に才人には窺い知れない関係があることも、なんとなく察していた。

 

 才人はふたりを森の奥に残し、デルフリンガーを握ってルイズの元へと帰っていく。

 

 

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