雪風の姫と砂の城   作:もちもちゼリーちゃん

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58.平賀才人(8) 真夜中の焚き火で才人、読み聞かせをする

 

 焚き火がぱちぱち爆ぜるかたわら、ルイズとタバサは寄り添い合って座っていた。

 ふたりとも、眠そうな瞳でぼうっと火を眺めていた。

 戻ってきた才人が声をかけても、返事はない。タバサはもちろん、ルイズさえ黙りこくっている。

 よほど気が滅入っているらしい。

 

 才人は自分がもといた場所に座ると、ルイズたちに(なら)って焚き火を眺めた。

 ……が、すぐに耐えがたくなった。

 彼は根っから、暗いのが苦手なのだ。

 自分が落ち込むときはまわりを(かえり)みずどこまでも暗く沈んでいくくせに、人が落ち込んでると気にする性分なのである。

 

 才人はルイズにもごもご話しかけて無視され、仕方なくデルフリンガーと話そうと柄を握ったら「うるさいから、その剣しまっといて」と命じられ、せつなく縮こまった。

 その間もタバサは、眉ひとつ動かさない。幾度か瞬きをしただけだ。

 そんなタバサを眺めているうちに、才人はふと思いついた。鞄を漁り、一冊の本を取り出した。

 それはタバサたちと戦う前、クルトから文字を教わったときに渡された本……『イーヴァルディの勇者』。

 

 この古びたぼろぼろの本は、文章を読む練習に使うつもりでクルトが持ってきたものだ。

 しかし才人が予想外の早さでガリア語を習得してしまったので、最初の一章を読むだけで終わってしまった。

 授業の後、才人は本を返そうとしたのだが、クルトは『せっかくだから才人にも読んでほしい』と文字や単語をまとめた紙束と一緒に押しつけてきた。

 

 才人は開いたページが焚き火に照らされるよう座り直して、『イーヴァルディの勇者』を読み始める。

 みんなして黙っていても余計に落ち込むだけなので、読書でもしようと思ったのだ。

 薬に狂わされたクルトに勧められた本というのがちょっとだけイヤだったけれど、この重たい沈黙よりはマシである。

 

 それに才人は、自分と同じ『光る左手』を持つ少年の物語に興味を抱いていた。

 クルトに教わりながら第一章を読み終えたそのときには、彼に勧められるまでもなく、才人は『イーヴァルディの勇者』に惹き込まれていたのだった。

 

 

 

 あの授業中にクルトが語ったところによると、『イーヴァルディの勇者』の名を冠する物語は無数にあるという。

 この物語群にはこれといった原典が存在せず、ハルケギニアの各地でそれぞれの『イーヴァルディの勇者』が語られている。

 その筋書きはさまざまで、『光る左手』にしたってすべての物語に出てくるわけではない。主人公であるイーヴァルディも、男であったり女であったり、子どもであったり年寄りであったり、あるいは神や精霊の息子であったり妻であったりと、一定しない。

 ただひとつ共通しているのは、けっしてメイジではない、ということだ。

 

 クルトが愛読しているらしいこの本は、そんな『イーヴァルディの勇者』のなかでも最も広く読まれている一冊。

 ガリア西部に古くからある伝承が、子ども向けの冒険譚として書き直されたものである。

 

 

 主人公のイーヴァルディは旅の若者。

 年齢ははっきり書かれていないが、話しぶりからすると才人より幾つか年下。十代の半ばくらいだろう。

 イーヴァルディは田舎の村に生まれた平凡な男の子だったが、あるとき、左手に『しるし』があらわれ、旅に出ることになる。

 

 ――最後にイーヴァルディは、生まれた村を振り返りました。

 お父さんもお母さんもエイトリ兄さんも、もう羊たちの世話に出ています。見送りは、妹のスノリだけでした。

 スノリは涙をぽろぽろ流しました。大好きな兄ちゃんとはもう会えなくなるのだと、とうとう気づいたからです。

『いってらっしゃい』

『うん、いってきます』

『さよなら』

『さよなら』

 

 どうしてイーヴァルディが旅立つ必要があったのか、どうして村の誰も……家族さえ別れを惜しむばかりで彼を引き留めなかったのか、この物語では描かれていない。

 しるしを授かったものは、ただ旅立つのである。

 子ども向けの話らしい理不尽な、しかし厳格なルールがそこにはあった。

 

 故郷を離れたイーヴァルディは、それから数々の冒険をする。

 亜人に襲われる集落を助けたり、いじわるな領主をやっつけたり、泉の妖精がなくした宝物を見つけてあげたり……。

 行く先々で困難と出会い、従者や仲間と絆を結びながら解決していくのである。

 

 不思議なことに、イーヴァルディに授けられたしるし、『光る左手』は彼を助けない。才人の『ガンダールヴ』のように力を与えるわけではない。

 それでも彼は困っている人を前にすると、自分には『光る左手』があるからと、なんとか助けようと奮闘する。苦労することもあるけれど、最後には機知と幸運が彼を救う。

 そんな短い、ほんの数ページで終わる物語がいくつも載っているのが、才人の読む『イーヴァルディの勇者』の前半部分である。

 

 地球とハルケギニアの文化の違いか、イーヴァルディがなにをしているのかわからないシーンがいくつかあった。子ども向けに話を簡潔にしているせいか、理不尽で唐突な終わり方をする話もあった。

 けれどもそれが、妙に面白い。

 最初のイーヴァルディの旅立ちを除けば、基本的にはどれも『困っている人々のもとに旅の若者がやってきて、困難に挑み、みんなを助ける』話であり、その単純な勧善懲悪と勇気の賛歌が読んでいて心地良いのだ。

 

 前半の終わり、見開き一ページで終わる最後の短編を読み終えた才人は息を吐き、大変だよなあ……としみじみ思う。

 自分と同じく故郷を離れ、『光る左手』のせいで冒険に行かざるを得ないイーヴァルディに共感していたのである。

 きっとこの本を読む子どもたちはイーヴァルディに憧れ、いつか自分の左手にしるしがあらわれることを夢見るのだろう。

 けれども才人はすでにしるしを受けていて、そのせいでいくつもの苦難を味わっている。

 イーヴァルディの冒険を、なんだか同情するような気持ちで読んでしまう。

 

 この本読んでこんな気持ちになるのも俺くらいだよな、と才人は苦笑して……、気がついた。

 離れた位置に座るタバサが、じっとこちらを見つめている。本の虫のタバサのことだ。才人の読む『イーヴァルディの勇者』が気になっているのかもしれない。

 才人は手に持った本を示して、

 

「読む?」

 

 と尋ねる。

 タバサは頷いた。立ち上がって、才人のもとにやってきた。

 本を差し出した才人を無視して、彼の隣に腰を降ろす。

 才人が戸惑って首を傾げると、タバサはぽつりと呟く。

 

「あなたも読んでる」

「いいよ、ちょうどキリ良いところだし。貸すよ」

 

 タバサは首を振った。

 

「勝手に読む」

 

 と才人の手元に……、指をしおりにして閉じられた『イーヴァルディの勇者』に視線をやった。

 どうやら、才人と一緒に読むつもりらしい。

 

「えっと……俺、もうけっこう読んじゃったんだけど」

「いい。何度も読んだ」

 

 タバサは視線を動かさずに言う。

 なんだか急かされているような気がして、才人はふたたび本を開いた。

 

 ――ある冬、イーヴァルディはノルシエの村にやってきました。

 何日も何日もひとりで荒野を歩いていたので、とてもお腹が空き、喉はからからにかわいていました。

 

 前の話で旅の仲間ができたはずなのに、なんの説明もなくひとりぼっちになっている。

 頼りになる猟師のサンテさんはどこ行ったんだよ。というか時系列どうなってんだよとつっこみたくなったが、『イーヴァルディの勇者』がそういう物語ではないことを、才人はすでに知っている。

 整合性なんて誰も気にしない。不可解なことがあってもそれは伏線なんかじゃない。都合のよい奇跡も理不尽な災難も平気で起きる。すべての事象は、ただ起きるのである。

 

 イーヴァルディは、ノルシエの村でひとりの少女に出会う。

 銅貨の一枚も持っておらず、村人たちの誰にも相手にされずに困り果てていたところで、ルーと名乗る少女がパンとワインを分けてくれるのである。

 イーヴァルディはルーにお礼を言うけれど、ルーは『このことは村の誰にも言うな』と強く命じて、姿を消してしまう。

 

 パンとワインで力を取り戻したイーヴァルディは村のみんなにこのことを話したが(言うなって言われたじゃねえか、と才人は思う)、誰も信じない。

 ルーはいじわるな領主のいじわるな娘で、村の嫌われもの。旅人に施すような優しさは持っていないというのである。

 イーヴァルディは不思議に思いながらもノルシエの村に滞在して、数日……、

 

「あんだよ?」

 

 袖をひっぱられた。

 いつの間にか隣に……タバサの反対側に座っていたルイズが、間近に才人をにらみつけている。

 

「わたしも読む」

 

 むすっとした顔で言う。

 やきもちだ、と才人は思う。

 このご主人さまは、使い魔が他の女の子と仲良くしてるのが気に食わないらしいのだ。

 しかしその相手がタバサだから怒鳴り散らすわけにもいかず、こんな顔をしているんだろう。

 

「っていうかあったかいわね、ここ。焚き火からそんな近くないのに」

 

 ルイズは地面に敷かれたシートを撫でながら呟く。

 

「そういやこれ、クルトが持ってきたやつだな」

「あいつ、そんな高価なマジックアイテム持ってたかしら」

 

 才人はクルトが言っていたことを思い出しながら、

 

「魔法じゃなくて、カイロと同じ仕組みなんだってさ。『錬金』かければ繰り返し使えるから経済的だ、つってたな」

「『錬金』使ってるなら魔法じゃない」

「いやそうなんだけど、あったかくなる仕組みは魔法じゃなくて……」

 

 才人は使い捨てカイロの原理を思い出そうと記憶を探る(なんでクルトが使い捨てカイロを知ってるのか、という疑問は、彼に関するいくつもの謎と一緒に意識の端に追いやった)。

 中学校の理科で習ったはずだが、才人の頭に残っているのは、授業で配られたカイロの袋を破いて机を黒い砂鉄まみれにして、先生に説教された思い出だけだ。教科書の内容もぼんやりと覚えてはいるが、上手く説明できそうもない。

 言葉に迷っているうちに、ルイズの反対側、才人の左隣に座るタバサがもぞもぞ身じろぎした。

 見ると、彼女は杖を片手にマントを引っ張り、やせっぽちの体に巻き付けている。

 

「タバサ、寒いの?」

「もっと火のほう行くか?」

 

 ルイズと才人が順々に尋ねる。

 タバサは首を振った。マントの隙間から細い手を伸ばし、パーカーの袖をちょっと引っ張った。

 

「ああ、このページもう読んじゃったのか」

 

 才人は呟き、急いで本に目を通す。ページをめくろうとすると、今度はルイズがパーカーをつまんで、

 

「ちょっと、わたしまだ読んでないわよ」

「なんだよ、俺より読むの遅いじゃん。俺なんか、さっき文字習ったばっかりなのに」

 

 才人は揶揄(からか)うように言った。

 アンリエッタの結婚式に向けた(みことのり)を考えるとき、学がないだの語彙力が貧困だのとさんざんバカにされたことを根に持っていたのである。

 ルイズもつんけんと言い返す。

 

「だって読みづらいんだもん。もっとこっち向けなさいよ」

「そしたらタバサが読めないだろ」

 

 ルイズはうーっと唸った。

 才人のご主人さまは基本的に性格がキツいけれど、自分より幼く見えるこの友人に対しては、さすがに甘さを見せる。

 とはいえ、一冊の本を三人一緒に読もうだなんて、そもそも無理があるのだった。

 

「……じゃ、サイトが読んで」

 

 しばしの沈黙の後、ルイズは大粒の鳶色の瞳を悪戯っぽくきらめかせた。 

 

「読んでるじゃん」

「そうじゃなくて、声に出して読みなさいって言ってるの」

 

 ルイズの要求はいかにも偉そうだったけれど、その傲慢さがかえって母親に絵本を読んでもらうようせがむ子どもみたいに無垢で幼げで、才人はときめいてしまった。

 なんだよルイズ、可愛いとこあるじゃん。いつも偉そうに命令してくるけど、それって結局、俺に甘えてるってことなんだよな。けっこう子どもっぽいところもあるし……、

 

「さっき習ったところなんでしょ? 間違ってないか、たしかめてあげる」

 

 ……いや、逆だこれ、と才人のときめきは一気に(しお)れた。

 幼い子どもどころか、ルイズは親の心持ちだったのだ。

 小学校の頃、親の前で教科書を音読してハンコ押してもらう、という宿題があった。使い魔に音読を命じるルイズも、きっとあの頃、小学生だった才人にゲームはいいから宿題すませちゃいなさいとせっついていた母と似たような心境なのだろう。

 しかも才人の母と違って、ちょっとでも読み間違えがあったら偉そうに指摘してくるに違いない。

 

 か、可愛くねぇ……と才人は顔をしかめる。

 しかし一冊しかない『イーヴァルディの勇者』を三人で分かち合うには、ルイズの提案が理にかなっているのも事実だった。

 

「えっと、タバサもそれでいいか?」

 

 一応尋ねてみると、タバサは小さく頷いた。

 才人に傾けていた体を起こし、まっすぐ座り直した。

 そうして日本でいうところの『体育座り』みたいな格好になって、自分の膝に頭をのっけて目をつむる。

 どうやら、才人の音読にすっかり任せるつもりらしい。

 こりゃ責任重大だな、と妙なプレッシャーを感じた才人は咳払いをひとつして、本の続きを読み始めた。

 

 

 『イーヴァルディの勇者』の後半部分を占めるノルシエ村のお話は、前半の簡潔すぎる短編集と違い、きちんと物語らしい体裁が整っていた。

 

 イーヴァルディはこの村で数週間を過ごし、臆病で思慮深いシオメントをはじめとする村人たちと仲良くなる。

 彼はその後もう一度だけルーと出会い、あのときのお礼を言うけれど、ルーはやっぱり取り合わない。

 お前なんか助けたことはない、顔も知らないと否定を続ける。

 そればかりか、ルーは『おまえのような嘘つきはこらしめないと』と村のみんなにイーヴァルディを打ちのめすように命令する。

 村のみんなは、いじわるなルーよりイーヴァルディのほうが好きになっていたけれど、領主の娘であるルーには逆らえなかった。仲良くなった人たちにさんざんに叩かれ、罵られ、ぼろぼろになったイーヴァルディは村の外に捨てられる。

 そしてその晩、大きな金色の竜が村を襲い、ルーを(さら)っていくのである。

 

 ――イーヴァルディはシオメントをはじめとする村のみんなに止められました。村のみんなを苦しめていた領主の娘を助けに、竜の洞窟に向かうとイーヴァルディが言ったからです。

 

 シオメントは、イーヴァルディに尋ねました。

『ああ、イーヴァルディよ。そなたはなぜ、竜に挑むのだ? あの娘は、お前をあんなにも苦しめたのに』

 イーヴァルディは答えました。

 

『わからない。なぜなのか、ぼくにもわからない。ただ、ぼくの中にいる勇者が、ぐんぐんぼくを引っ張っていくんだ』

 

 才人はここで息をついた。

 イーヴァルディの台詞が心に波紋を起こし、一度立ち止まって考えてみたくなったのだ。

 

 遠い異世界の物語だというのに、『イーヴァルディの勇者』は見事に才人の心をあらわしていた。

 一度は敗北したワルドに立ち向かったときも、ゼロ戦でタルブに飛び立ったときも、才人は自分の意思で動いたという気がしなかった。

 誰も好き好んで戦場に行かない。自分より強い相手に挑んだりしない。他の誰かに任せることができるなら、才人はきっとそうしていた。

 ただ自分には()()ができて、しかも()()をできるのが自分しかいない。そういう状況が、ルイズに与えられたこの『左手』が、否応なしに才人を導いてきたのだ。

 

 才人に身をもたせかけていたルイズが、不意に手を伸ばした。

 その指先が、ちょうど才人の読み返していた台詞をなぞり、それから本の端をつついた。

 

 はやく続きを、と促しているらしい。

 きっとルイズは、これからもこうして俺を引っ張っていくんだろうな……、と才人は不思議な心地よさを覚え、ページをめくる。

 

 ――イーヴァルディは竜の住む洞窟までやってきました。従者や仲間たちは、入り口で怯え始めました。猟師の一人が、イーヴァルディに言いました。

『引き返そう。竜を起こしたら、おれたちみんな死んでしまうぞ。お前は竜の怖さを知らないのだ』

 イーヴァルディは言いました。

『ぼくだって怖いさ。でも怖さに負けたら、ぼくはぼくじゃなくなる。そのほうが……

 

「ちがう」

 

 タバサが呟いた。

 

「え? どこが?」

「シオメントの台詞を飛ばした。イーヴァルディの『ぼくだって怖いさ』のあと。シオメントが『だったら正直になればい』と言う。そのあとイーヴァルディが答える。『でも、怖さに負けたら、ぼくはぼくじゃなくなる。そのほうが、竜に噛み殺される何倍も怖いのさ』」

 

 タバサは目をつむったまま、才人がまだ読んでいないところまで(そら)んじてみせる。『何度も読んだ』とは言っていたが、暗記するほど読み込んでいたとは。

 そんならもう聞かなくてもいいじゃん、と思いながらも才人は手元の本を確認するけれど、タバサの読み上げたシオメントの台詞は見当たらない。

 

「いや、俺の読んだ通りだぞ」

「ちがう。あなたはときどき間違えてる。さっきのイーヴァルディの台詞も、正確には『ぼくの中にいる()()が、ぐんぐんぼくを引っ張っていくんだ』。()()ではない」

 

 才人はそのページに戻って台詞を確かめる。

 

「やっぱ勇者って書いてあるぞ。タバサの記憶違いじゃないか?」

 

 まさかルイズじゃなくてタバサに指摘されるとは。こんなに饒舌に。しかも間違った記憶で。

 あまりにも意外な展開に、怒ったり苛立ったりという反発心よりも、タバサに対する心配が勝った。

 クルトに指を折られたのが、そんなにショックだったんだろうか。そりゃショックだよな……。

 

「タバサの言う通りね」

 

 ほら、ルイズまでタバサにあわせてあげてる。ああ……やっぱり性根は優しいのだ、俺のご主人さまは。

 

「なによ、そのキモい表情。オモロ顔の新記録に挑戦してるの? だとしたら成功ね。でも気が散るからやめてちょうだい」

「そ、そこまで言わなくてもいいじゃん」

 

 油断してるところに暴言を食らい、しっかり傷ついてしまった才人を気にもせず、ルイズは言う。

 

「あんたの朗読、なんか変なのよ。全体としての意味は通ってるんだけど、言葉選びというか、言い回しが違ってて……」

 

 ルイズは横から手を伸ばしてページを(さかのぼ)る。

 

「あった。ここが一番わかりやすいと思うわ。読んでみて」

 

 ルイズが指差しているのは、竜の洞窟に赴こうとするイーヴァルディを、村のみんなが引き留める台詞。

 

「ええと……、『イーヴァルディよ、ほんとうに竜に挑むのか。勝ち目のない戦いをするのは愚かなことだ』」

 

 ルイズはタバサに目配せした。

 タバサが本を覗き込み、淡々と読み上げる。

 

「『イーヴァルディよ、お前はほんとうに愚かなのか。エルフの恐れる場所にも行くほどに』」

 

 才人はタバサを見た。それからルイズを見た。

 ふたりとも真剣である。少なくとも、才人を揶揄(からか)ってる気配はない。

 

「『エルフの恐れる場所に行く』というのは、無謀なことをする、って古い慣用表現」

 

 タバサの呟きを、ルイズが補足する。

 

「そう。だからあんたの言い回しでも、意味は通じるのよ」

 

 才人はもう一度、自分が読み上げた台詞を見返した。

 やはり『イーヴァルディよ、ほんとうに竜に挑むのか。勝ち目のない戦いをするのは愚かなことだ』と書いてある……というより、才人の頭はそういう意味を読み取っている。

 しかしルイズたちの説明を受けて、単語のひとつひとつを意識してみると、たしかに『エルフの恐れる場所にも行くほどに』とも読めるのである。

 

「あんた、ときどき本と違う文章を読んでるのよ。でも間違ってるわけじゃないの。むしろよく要約されてる。きちんと文脈を捉えて、野暮ったい言い回しをすっきり言い換えて……」

「そう?」

 

 と首を傾げたのはタバサだ。

 

「ええ。サイトの要約は上手よ。物語の核心をついてる。イーヴァルディを引っ張る『何か』を『勇者』って言い換えたときなんか、わたし、はっとしちゃった」

 

 ルイズは鳶色の瞳を細め、自らの考えに深く沈み込みながら言う。

 

「それに『エルフの恐れる場所に行く』なんて、きょうび誰も言わないわ。だいたい、エルフが竜を恐れるわけないじゃないの。エルフのほうが、ずっと強くて恐ろしい存在なんだから」

「それは慣用表現だから」

「その表現が古臭くて説得力ないって言ってるのよ。エルフなんか引き合いにだすなら、最初から『無謀だ、勝ち目がない』って言えばいいじゃないの」

「古い話に古い言葉が出てくるのは当然。エルフのほうが恐ろしいと言うけれど、だからこそ、この場面では効果的。一般的に竜より強力とされるエルフを喩えに出すことで、ルーを掠った『黄金の竜』が他の竜とは違う、より恐ろしい存在だと示唆している」

「そうかもしれないけど……」

「もうひとつ。イーヴァルディを引っ張っていくのは『何か』であるべき。『勇者』とはっきり言ってしまうのは野暮」

「や、野暮ってことはないでしょ。『勇者』なら『勇者』って言えばいいのよ」

「情緒がない。学術書なら要約でいいけど、物語には読者に考えさせる幅が必要」

「あ、あるわよ、情緒。『勇者』って書いてても、考える幅くらいあるわよ」

「なんて?」

「え?」

「考える幅。なんて考えるの?」

「それは……その、あれよ、ゆ、『勇者』は……、ゆ、ゆ、勇気よ……、だからその、イーヴァルディは勇気があるから『勇者』なんだなーって、みんな考えるわよ」

 

 タバサは首を振った。

 

「やっとわかった」

「な、なにがよ」

「あなたの詩が下手な理由」

「っ……!?」

 

 ルイズは崩れ落ちた。

 怒りを通り越して、もはや才人にやつあたりする気力もないほど打ちひしがれている。

 しかし才人の意識を捕らえて放さなかったのは、がっくりとうなだれるルイズではなく、意外と辛口なタバサでもなく、手の中にある『イーヴァルディの勇者』だった。

 

 才人を挟んだ文学談義が展開されている間、紙面の文章が……文章から伝わる意味が、刻々と変化していたのである。

 最初にルイズが意見を述べている間は、

 

『イーヴァルディよ、ほんとうに竜に挑むのか。勝ち目のない戦いをするのは愚かなことだ』

 

 と書かれていたが、その台詞はタバサの反論を受けて、

 

『イーヴァルディよ、お前はほんとうに愚かなのか。エルフの恐れる場所にも行くほどに』

 

 に変わった。

 イーヴァルディを『ぐんぐん引っ張っていく』のも『何か』と『勇者』の間で揺れ動いていたが、ルイズの撃沈によって『何か』に確定する。

 

 いったいどうして、こんな不可解な現象が起きているのか。

 『イーヴァルディの勇者』の世界なら、起きているから起きているのだ、と不条理な説明で終わっているところだったけれど、才人の頭には、ひとつの仮説が浮かんでいた。

 

「なあ、ルイズ」

「あによ……」

「どうしてだか、やっとわかった」

 

 ルイズはがばりと体を起こして、ものすごい剣幕で才人をにらみつけた。

 

「あ、あ、ああああんたまで、わたしの詩がへたくそって言うの!? い、い、犬のくせに! 学も教養もない犬のくせに! 公爵家令嬢のわたしを!?」

「ちがうって。俺の音読がへんだった理由だよ」

 

 ルイズは途端に勢いを失った。

 頬を染め、ふんっ、と顔を(そむ)けて、

 

「それじゃ、犬、言ってみなさい」

 

 と気取った調子で言う。

 才人は猛烈にルイズを揶揄いたくなったが、なんとか我慢する。思いついたばかりの仮説を披露する。

 

「よく考えてみたら俺、本を読んでるわけじゃなかったんだ。本に書いてある文章の意味を、直接読んでたんだよ」

「どういうことよ」

「使い魔召喚のゲートのおかげだよ。あの光るゲートを通ったおかげで、俺はこっちの言葉をしゃべれるようになった。それが今回文字を勉強したから、その翻訳機能が書き言葉にも通じるようになったんだ」

 

 ここまでは、クルトの授業で気づいたことの繰り返し。

 

「でも、それじゃ朗読がおかしくなる理由にはならないじゃない。ちゃんと翻訳されてるなら、あんなことにはならないはずでしょ」

 

 ルイズは怒ったように言う。

 まるで自分が恥をかいたのは才人の音読のせいだ、と言わんばかりの態度である。

 

「しゃべり言葉の場合は、俺の頭のなかの日本語をガリア語に直すだけだろ? だから何も問題が起きない。もしかしたら、俺の言いたいこととは違ったことをしゃべっちゃってるのかもしれないけど、誰も気づけない。でも本の場合は、文字に書かれたガリア語を俺の脳内で日本語に翻訳して、それをまたガリア語に翻訳してしゃべってるから、微妙に表現が変わっちゃうんだ。翻訳サイトなんかでも、日本語、英語、日本語って再翻訳したら、やっぱり原文とは違っちゃうもんな」

「ふうん……?」

 

 きっと最後の喩えが余計だったのだろう。ルイズは可愛らしく小首を傾げている。反対側に座るタバサも同じく不思議そうな表情……といっても、いつもの無表情とほとんど変わらないのだが。

 

 才人は木の枝を拾うと、地面にがりがりと図を描き始めた。

 大きく『しゃべり言葉』と書き(才人は自分が文字を書くこともできるようになったと気づき、驚いた)、その下に『ニホン語→ガリア語』。

 その隣に大きく『書き言葉』と書き、続けて『ガリア語→ニホン語→ガリア語』と書き込んでいく。

 

 その図を使ってもう一度説明すると、ルイズたちにも納得がいったようだった。

 

「ねえ、あんたのせかい……じゃなくてお国の言葉って、どんな感じなの?」

 

 才人は『平賀才人』と地面に漢字で書く。

 

「これが俺の名前」

「へんなの」

「うっせ。俺からすりゃ、お前らの文字のがへんだよ」

 

 ルイズは才人から木の枝を奪って、自分の前になにやら書き始める。

 よく見ると、それは漢字の『平賀才人』だった。

 線はよれよれだし、書き順がめちゃくちゃだから文字も歪みまくっている。『賀』なんか、他の文字の三倍は大きい。

 

 幼稚園児が書いたような、不格好な自分の名前。

 才人は奇妙に胸を打たれて、ルイズを抱きしめたくなった。キスしたくなった。隣にタバサがいるのでなければ、きっと押し倒していた。もし押し倒してたら間違いなく股間を蹴り上げられ、激しい折檻が始まっていた。ここはタバサの存在に感謝すべきかもしれない……と湧いた頭でぽけーっと間抜けなことを考えていたら、パーカーの裾が、ちょいちょい、と引っ張られた。

 振り向くと、タバサが眠そうな瞳を向けている。

 

「どしたの?」

「続き」

 

 あっ、と才人は思う。

 そういえば、『イーヴァルディの勇者』を読んでる途中だった。

 

「えっと、俺が読むと、本とは違っちゃうと思うけど」

「いい」

 

 タバサは頷き、また自分の膝に頭をのっけて、目をつむった。

 ルイズとの議論を考えると、かなりこだわりがあるようだったが……まあ、タバサがいいと言うならいいのだろう。

 それに、先ほどルイズを言い負かしたタバサの言葉は、才人にも影響を与えている。

 イーヴァルディを引っ張るのは『勇者』ではなく『何か』と書いてあるし、最初は見落としていたシオメントの台詞も、いまならしっかり認識できる。

 

 今度はきっとタバサも満足いく音読ができるはずだと、才人は再び本を開く。

 

 

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